第三十五話 忍び

「キリーは、私のことを好いてるの?」

 まだよるも明けきらぬ早朝そうちょう天蓋てんがいの付いた白い豪華ごうか寝台ねだいにて、ナウロラはともに裸で抱き合う霧隠才蔵きりがくれさいぞうに聞いた。彼女かのじょ意志いしの強そうな吊り目でまっすぐに才蔵さいぞうている。

無論むろんのこと。おしたもうし上げております」

 才蔵は、ナウロラの白い脚から尻を撫でる。その若々わかわかしい肌の弾力だんりょくが指に心地良ここちよい。

「その好いている相手あいてに、何かかくし事はいでしょうね?」

 ナウロラは、才蔵の首に両手りょうてを回す。

「無論、何もありませんよ」

 才蔵は微笑むと、左手ひだりてをナウロラのこしに廻す。

「それならいわ……」

 ナウロラは笑った。

 兵の出払ではらっているアズニアで、ナウロラの寝所ねどころを訪ねるなど、忍びとしての高い技量ぎりょうつ才蔵にとっては容易よういなことであった。

「キリー、看守かんしゅが殺されたけんは、何か新しいはなしある?」

 才蔵は苦笑くしょうする。

「今そんな話をしなくても良いではないですか。今のところ、新しい話は聞いておりません」

「そう……ところで看守が殺され、幸村ゆきむらたちがげた日の夜、キリーは私のところに忍んで来なかったわ。何処どこにいたの?」

 才蔵は至近しきんにあるナウロラの顔を見た。能面のうめんのように表情ひょうじょうされている。

(うたがわれているのか?わからんが……)

 才蔵は、なるべく柔らかな声色せいしょくで答える。

「さて……フフ……あの日はナウロラさまには申し訳ないが浮気させていただいた」

「どういうこと!?別の女のところへ!?」

 ナウロラは、むっとしたのか普段ふだんでも吊り上がり気味きみの目をさらに吊り上げた。

「いや、そういうわけではござらん。猫が自室じしつに迷い込みましてな。猫好きゆえ、世話せわをしているうちに眠ってしまいました」

「まぁ……そう……」

 ナウロラは信じたのか表情を和らげると、才蔵のよく引き締まった胸に右手ゆうしゅをおいた。

「ごめんなさい、お兄さまの留守中で気が立ってるかもしれない。ほかにも変わったことがあって最近さいきんアズニアのはずれにダークエルフが出るらしいの。民家みんかから食べ物を盗んでいくという報告ほうこくがあったわ……」

「ほぉ、ダークエルフが。ウェダリアでジュギフとのいくさがありましたが残党ざんとうでしょうか」

 才蔵は、ナウロラの右手を握る。

「さぁ、どうなのでしょうね……少し疲れたわ……寝るね……」

  うとナウロラは両目りょうめを閉じた。彼女の赤みがかった明るい色の髪を才蔵は撫でる。

(ダークエルフか……この話は使えるな……)

 才蔵はナウロラが寝たのを確認かんにんすると、寝台を手早てばやふくを身につけた。窓から外に目をやると、朝日あさひがすこし顔を出している。複雑ふくざつ立場たちばにある。

(ナウロラさまのことを裏切うらぎりたくはないが、ダンジオ公がオヤカタさま敵対てきたいするならば、忍びとして長年ながねん戦友せんゆうであるオヤカタ様につく……)

 才蔵は佐助さすけからの使いである乱破らっぱたちをび寄せた。乱破たちは、アズニアで才蔵のために働くよう申し伝えられている。才蔵は言う。

「アズニア中にうわさを流せ。出来できる限り速くだ。内容ないようはこうだ。『ジュギフのダークエルフが偵察ていさつに来ている。魔物まもの大軍団だいぐんだんがアズニアにもうすぐ襲撃しゅうげきしにくる』だ」

「わかりました」

 乱破たちは駆け出した。


 その日の昼、才蔵はアズニアの市場いちば市街地しがいちを歩く。

「どうも最近、このあたりに出てるダークエルフたちは偵察部隊ていさつぶたいらしいぜ。ガイロクテイン侯爵こうしゃくの大軍団がアズニアに攻めてくるって話だ!」

「今はダンジオさまもアズニア騎士団きしだんもウェダリアに攻めに行ってるじゃないか。大丈夫だいじょうぶなのかい?」

「怖いわ……リザードマンは人間にんげんをトマトみたいに潰して食べちゃうんだって……どこに逃げればいいのかしら……」

 街行く人々ひとびと口々くちぐちに噂している。

(フフ……あいつら、なかなかやるな)

 才蔵は、乱破たちの仕事しごと成果せいかが速くも出ていることに感心かんしんすると、アズニア城へともどって行く。

 すると、城門じょうもんでマガトと目があった。マガトは、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「キリー様、ごきげんうるわしゅう」

「あぁ……急いでいる。では」

 才蔵は、マガトの脇を通り過ぎようとする。マガトは言う。

「お急ぎのところ申し訳ありませんが、すこしお待ちを。おりいってお話しが……フフフ……フフフ」

(チッ、コイツ……!)

 才蔵は心中しんちゅう舌打したうちした。だが、ここで断ったところで、脅してくるだけであろう。

「わかった……」

 才蔵はマガトに先導せんどうされ、城の裏手うらてへと向かった。

「ちょっとさ……金が足りないんだよ、キリー。都合つごうしてくれないか?」

 マガトは下卑げひた笑いを浮かべた。

(そんなことだろうとおもったわ)

 才蔵は、すぐ金をり出した。アズニア金貨きんか三枚さんまい。使い出のある金額きんがくだ。

 マガトはそのかがやきを見て、目を見開いてよろこんでいる。

「持ってるなー、キリー……ウフフフ」

 マガトは才蔵から金を受け取ると、急に笑みを消して言う。

「でも、足りないな。もっとだ」

(……強欲な……)

 才蔵は怒りとあきれの内混ざった感情かんじょうを抱く。マガトはまたニヤニヤと笑うと言う。

「おまえ……良い剣持ってるな。それもくれよ。黙っててやるのも大変たいへんなんだよ」

 マガトは才蔵の腰に吊るされている、朱鞘しゅざやに金の細工さいくが入ったサーベルを見て言った。それは、数日前にナウロラから才蔵が贈られた物だった。

(……こいつ!……)

 才蔵は強い殺意さついを覚えるが、涼しい顔でサーベルを外すと、マガトに渡した。強い殺意を顔に出さないよう、つとめて呼吸こきゅう速度そくどとす。

「ウフフフ……これはいい物だな。数日分の口止め料には充分じゅうぶんだ。また頼むぜ、キリー」

 マガトは、ニヤニヤと笑った。

(何が数日分だ。おまえに金を渡したのは、昨日きのうだろうがよ)

 才蔵は思いつつ立ち去った。


(さて、オヤカタ様に味方すると決めた以上は徹底的てっていてきにやらねばな。下準備したじゅんびはこんなところでよかろう)

 才蔵は、うまに飛び乗る。

 単騎たんき旧街道きゅうかいどうを一路南へ。

 ダンジオのいる、ウェダリア北のアズニア軍本陣ぐんほんじんへと急いだ───

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