第十一話 蜥蜴

げろ!!」

 ポラードのそのさけびを聞くと、ダニエルは脱兎だっとのごとく走り出した。

 背後はいごに獣臭い息を感じる。

 振り返った。

 ダニエルは目にした。緑色みどりいろのウロコに覆われた屈強な巨体きょたい邪悪じゃあくな赤い目、鉄の胸当てと皮のよろいを身につけ、手に巨大きょだい湾刀わんとうを握った魔物まものの姿を。夕日ゆうひを背にして、巨体から長い影が伸びている。

「……リ……リザードマンだ!こんな迷宮めいきゅうにいるような上位じょういの魔物が!……ジュギフだ……ジュギフが来たんだ……!」

 ダニエルは走りながらった。石につまづき、勢いよく転ぶ。

 リザードマンは、一声ひとこえも発せずダニエルをると、そちらに向かって歩みを進めた。


 そのリザードマンとダニエルの間に、男が割って入った。

 ポラードである。

 こし長剣ちょうけんく。

「息子よ、逃げろ!」

 ポラードがけんを構える。

 リザードマンは、ポラードに向かって

「キシャー!」

 と威嚇いかくの叫びを上げると、その丸太まるたのような、それでいてしなやかな腕から湾刀の一撃いちげきが繰り出した。

 ポラードは長剣で受ける。

「ぐぬぅ!!」

 ポラードは衝撃しょうげきにうめいた。リザードマンの与える恐怖きょうふ威圧感いあつかんにまわりの男たちは動けずにいる。

 リザードマンの攻撃こうげきつづく。

 もう一撃。ポラードの長剣がひび割れた。

 もう一撃。ポラードの長剣が半ばから折れた。

 ポラードの表情ひょうじょう絶望ぜつぼうの色が浮かんだ。

「父さん!」

 ダニエルは叫ぶ。

 リザードマンは、手を休めない。しなやかな斬撃ざんげきが振るわれた。

 湾刀がポラードの身体しんたいに深く食い込む。ポラードは崩れちた。


「ポラードさん!!」

 ミラナは、訓練くんれんに励む男たちを激励げきれいしようと、白馬はくばに乗り南の平原へいげんに来ていた。ミラナは、夕日を背にしたリザードマンの黒い影が、ポラードを打ち倒す姿を見て叫んだ。

「この魔物!よくも!」

 ミラナは怒りに眼尻を上げ、リザードマンに向けてうまを走らせた。

 風にゆれる黄金色こがねいろの髪が、夕日を浴びて赤みがかって見える。

 腰のレイピアを抜くと、馬でリザードマンの横をすり抜けざまに斬りつけた。

 リザードマンは赤い目をほそめると、湾刀でその一撃を弾く。

 ミラナは馬から飛び降りると、リザードマンに向けてレイピアを構えた。

「姫さま!やめなされ!」

 兵たちが叫ぶ。ミラナは聞いていない。

 レイピアの切っ先を向けると、一歩間合いを詰める。

 リザードマンの赤いひとみ瞳孔どうこうが狭まる。その刹那せつな

「グルギャァ!!」

 リザードマンは咆哮ほうこうを上げると、驚異的きょういてき跳躍力ちょうやくりょく一気いっき間合まあいを詰め、ミラナの頭上ずじょうから斬りかかった。

 ミラナはリザードマンが振り下ろす力強い湾刀の一撃を、細身ほそみのレイピアで素早すばやく受け流す。

「クッ!!」

 衝撃にこえを上げた。

 レイピアの上を滑る湾刀が、摩擦まさつ火花ひばなを散らす。

 ミラナは下がりながら、一撃、二撃と体をかわして攻撃を受け流す。

 何度なんどもまともに剣で受ければ、ボラードと同じように折られてしまうかもしれない。

 隙をついて、レイピアで勢いく突きをいれる。レイピアはリザードマンの胸当ての鉄板てっぱんに弾かれた。

 その突きの勢いを利用りようして、ミラナはリザードマンの横をすり抜け距離きょりをとった。

 振り返るとレイピアを構え直す。

 猫のような素早さである。

 キッと、リザードマンをにらんだ。


 そのミラナの横に、男が立った。

「遅くなりもうし訳ない」

 幸村ゆきむらである。

「ミラナどのと、あのバケモノでは体格差がかなりある。危険きけん相手あいてだ。私が引き受けよう。お下がりあれ」

 腰の愛刀あいとう千子村正二尺三寸せんじむらまさにしゃくさんすんを抜く。村正むらまさ刀身とうしんが夕日を受けて、赤く染まる。

「でも!」

「おまかせあれ。かたきは私が討つ。ミラナどのに何かあれば、ジュギフの軍勢ぐんぜいが来る前に戦いはわる」

「……」

 ミラナは押し黙ると、幸村の後ろへ下がった。

 幸村はリザードマンとの距離を詰める。

「お相手いたそう」

 静かに言うと、かたな正眼せいがんに構える。切っ先をリザードマンへまっすぐに向けた。


 相手はかなり体力たいりょくもあり素早い。長引けば不利ふりだ。幸村の腕力わんりょくなどリザードマンのそれに比べれば赤子せきしのようなものだ。

(一撃で決めるしかあるまい)

 逆に言えば、一撃で決めなければ勝ち目はいと、幸村はおもっている。

 集中力しゅうちゅうりょくを研ぎ澄ます。

 リザードマンは、その赤い瞳を幸村に向けたまま動かない。

 幸村、リザードマンの呼吸こきゅう意識いしき集中しゅうちゅうする。

 リザードマンの呼吸が少しはやくなるのを感じた。

(来る!!)

 リザードマンは地を蹴って、跳躍ちょうやくすると頭上から湾刀を振り下ろしてきた。これは、さきほどミラナに仕掛しかけた攻撃と同じもの。リザードマンは脚力きゃくりょくを活かしたこの攻撃をまた仕掛けてくると、幸村は読んでいた。

 幸村は手首を返して刀を左に倒すと同時どうじに、右前方に踏み込み体をかわす。

 先程さきほどまで幸村が立っていた場所ばしょに、リザードマンの湾刀の一撃が凄まじい勢いで振り下ろされた。

 だが幸村は、そこにはすでにいない。

 湾刀は空を切る。

 そのリザードマンの腕の内側うちがわには、幸村の村正が滑り込んでいた。

「せぁ!!」

 幸村は、リザードマンの胸当てと腰鎧の間のむき出しの胴を、渾身こんしんの力で抜いた。

 刀は狙い違わず、リザードマンの腹に吸い込まれる。千子村正せんじむらまさ見事みごとな切れ味を見せ、上半身じょうはんしん下半身しもはんしんを真っ二つに切り分けた。

 リザードマンが崩れ落ちる。

 幸村は返す刀でさらにもう一刀いっとう。右袈裟切りに切り下ろす。


 リザードマンは断末魔だんまつまの叫びを上げると地面じめんに倒れこんだ。

 下半身の脚と尻尾しりおはまだバタバタ暴れ、強力きょうりょく生命力せいめいりょくを示している。


 幸村は刀を構えなおし、残心ざんしんる。

 どうやらリザードマンが戦闘能力せんとうのうりょくを失ったらしいことを確認かんにんすると、刀を振り血を払い、懐紙ふところがみで刀身を拭きさやおさめた。


「おい、あいつ勝手かってなことして。その上やられちまったぞ」

「あらららら……どうするよ、これ」

 街道かいどうから、幸村とリザードマンの戦いを見ている者達がいた。夕日に照らされた二つの人影ひとかげ。馬に乗っている。二人ふたりの肌は浅黒あさぐろく、小柄こがら体格たいかく。耳が長い。

「まったく、物見ものみに来ただけだってのに、ちょっかい出しに行って、やられちまうとは。蜥蜴野郎は頭が弱くて付き合いきれんわ。我々われわれダークエルフのような思慮深い行動こうどうが取れないものかね、爬虫類はちゅうるいには」

「しかし、副将ふくしょうには報告ほうこくせざるおえまいよ」

「……出世しゅっせにひびくわ。まったく……」

 一人ひとりが言うと、ため息をついた。

「それにしてもウェダリアのやつら、いくさ支度をしているな。降伏こうふくする気はないようだ。それに、あのリザードマンを一刀で倒すとは。腕の立つのがいるな」

「うむ、報告にもどるとするか」

 二人は街道を南へ、馬を走らせた。


「幸村、お見事……です……」

 ミラナはリザードマンを瞬く間に倒した幸村を、呆然ぼうぜんと見つめた。

「えぇ、まぁ……うまく読みが当たりましたな……」

 幸村はミラナの視線しせんに照れているのか、首筋くびすじ左手ひだりてで撫でながら言った。


 幸村の戦いを静かに見守っていた男たちから、喝采かっさいきた。

「幸村将軍!お見事です!」

 男たちが幸村を称える。

 だが、幸村は素直すなおよろこぶことは出来できなかった。ポラードが犠牲ぎせいになっている。


 横たわるポラードの横でダニエルは座り込んでいた。

「父さん……オレのせいで……オレがしっかりしていたら……」

 ポラードは、薄く目を開ける。まだ息があった。

 腰に挿していた短剣たんけんをダニエルに差し出した。

「どうやら、もう駄目だめだ。これは、お前がて」

 それは、ポラード家に先祖せんぞから伝わる名刀めいとうだった。

 ダニエルは黙って受け取る。なみだ言葉ことばにならない。

「強くなれ。ダニエル」

 ポラードは、その言葉を最後さいごに息を引き取った。

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