第18話 真実は何処にある
船がドーナス島を旅立ってから十日以上経った頃、けたたましい鐘の音が船内に鳴り響いた。その途端、慌ただしく廊下を駆け抜ける男たちの足音。
夕食の準備を手伝っていたルチアは慌てて顔を上げるが、のんびりとした表情のままゾイは言った。
「例の場所についたか。言ってただろ? 岩礁がある水域があるってな。揺れるぞ」
「岩の間を縫って行くんですよね? ……大丈夫なんでしょうか」
岩礁に乗り上げる海難事故は珍しくない。いくつもの貿易船が犠牲になってきたというニュースが新聞を賑わせたことも少なくない。
表情を曇らせる少女を見て、ゾイは調理の手は休めずに肩をすくめた。
「ま、平気だろ。ここの船長はバハルだが、実質指揮を執ってるのはロジェだからな。あいつはこと航海に関しては天賦の才能がある。奴隷にさえならなきゃ、それなりに良い立場にでもなってだろうに」
久しぶりの肉料理の香りを嗅いだゾイは、そう言いながら小皿にスープをよそって口に運んだ。
「よし我ながらうまい!」
「ちょっと良いかな」
呑気に食事を自画自賛するゾイに苦笑したとき、ふいに現れた柔らかな声にルチアの思考は遮られる。顔を強ばらせながら出入り口を見ると、予想通りの男の姿があった。
「先生どうした? 夕食にはまだ早いぞ、腹でも減ったか」
「違うよ。ちょっとルカに用事があってね」
そう言ってエンリケのツル付き眼鏡がきらりと光った。唇を引き締めてルチアは男に向き直った。
「なんだ、ルカ。お前どっか調子が悪いのか?」
心配そうにゾイに声をかけられ、ゆるりと首を振って否定した。エンリケに右手で手招かれ、困惑した表情でゾイを見上げる。
「行ってきて良いぞ。もうこっちは仕上げだけだからな」
出来れば引き留めて欲しかったが、そうとも言えず曖昧な表情を浮かべる。仕方なくルチアは彼に言われるまま彼の医務室へと足を運んだ。
「この間のこと、船長たちに言ってないんだね」
「まだ言うつもりはありません。あなたの真意を知るまで無闇に騒ぎ立てる必要はないかと思いますし。それより用件はなんでしょうか」
「嫌われたなあ、僕も」
部屋に入るなり不敵に笑うエンリケに対して、不信感を隠そうともせずルチアは眉をひそめて言う。
「君はたしかエレーヌ・カーティスの妹なんだよね? 天文学の権威であるカーティス家の後継者」
「……先生も前に姉と会っていたんですか?」
「いや、僕は船長たちの一件とはまったく別にね。実を言うと昔、君の父上に会ったこともあるんだよ。学識者が集まるパーティで一度だけね。そのとき君のお姉さんも来ていたよ」
知識人であればカーティスの名を知っていても不思議ではない。医師である彼と専門は違えど、なんらかの繋がりがあることは嘘ではないだろう。
「エレーヌ・カーティスだけでなく、女性探検隊に選ばれた人間がいずれも行方不明になっているっていうのは前々から噂になっていたし」
「そうなんですか!?」
まさか彼らの仲間内でそのような噂が流れているなど、ルチアは全く知らなかった。
驚きに目を見張るルチアだったが、エンリケはあっさりと頷いた。
「だって不思議に思わないかい? マッテラ島という偉大な探検隊にまさか女性が選ばれるということに」
「女性を卑下しているんですね、あなたも」
いまだに男性優位の社会であることをエレーヌは嘆いていた。普段から女性の地位向上のために動き、探検隊へ選ばれた姉をルチアは誇りに思っている。その気持ちを汚されたように感じて怒りを覚えるが、エンリケは首を振ってそれを否定した。
「そうじゃない。もし女性探検隊が成功したらその名は国中に広がるだろ? ただでさえ困難と言われている探検隊を成功させたのが女だと言われれば、男連中は良い気はしない。そういう生き物だからね」
「そういう、ものですか?」
「そういうものなんだよ。だからこそ、わざわざ女性だけの探検隊を組んだのか……海軍はなにを考えていたんだろう。それは、本当に探検が目的だったのかな」
女性探検隊という今までにない試みを実施した海軍だが、それは現時点で失敗に終わっている。けれどもし、それが失敗に終わることを前提として組まれたものならば――。
「お姉ちゃんたちは、本当に探検に向かったの……?」
ルチアの問いに、エンリケは微笑を浮かべるだけで返答はしない。頭の中を探検隊に選ばれて喜ぶエレーヌの顔がちらつき、ルチアは拳をきつく握りしめた。
(もし探検隊自体が海軍の嘘偽りで、本当は違う目的だったとしたら。お姉ちゃんがそれに気付いて逃げたのだったとしたら)
まさかという気持ちと、海軍ならやりかねないという気持ちが入り交じる。目的のためなら手段を選ばないことは、資料館の襲撃事件からも分かっている。
「先生、あなたは何者なんですか?」
わざわざ二人きりになってこの事をルチアに告げる真意が測れず問いただす。
「知りたい?」
「最初は海軍のスパイだと思っていました。でもそれなら、私に海軍に対して疑惑を植え付けることもしないはず。あなたは一体……」
思案顔のルチアを見ながら、エンリケは医務室の椅子に腰掛け肘をデスクについてルチアを見上げた。その表情から彼が何を考えているのか全く読むことは出来ない。
苛立たしさを隠すように、ルチアは彼の視線から逃れようと俯いた。
「君にとって敵ではないよ、今のところはね。――僕は、君の姉エレーヌ・カーティスがどこにいるかを知っているよ」
「な、なんで!?」
エンリケに掴みかかるように近づくが、伸ばされた腕をやんわりと捕らえられる。彼の細腕に似つかわず、びくとも動かすことのできない力が加わる。
「だから言っただろう? 取り引きだと。僕は君にエレーヌの場所を教えてあげることが出来る。その代わりにこの船が知る事実と……あと君の姉が知り得た情報が欲しい」
「お姉ちゃんが持っている情報?」
「そう。君の姉はこの国の重要機密を知っているはずだ。だからこそ、海軍に殺されそうになったのだから」
エンリケの言葉に息をのみ、捕まれた腕をバッと振り払った。あっさりと離された腕をさすりながらルチアは睨み付けるように彼を見た。
「あなたの語る情報が、本当のことか保証できません」
「その通りだよ。信じるかどうかは君次第だ」
沈黙のあと口を開こうとした途端に船が大きく傾き、ルチアの体が投げ飛ばされた。悲鳴を上げて倒れ込む少女の体をエンリケが受け止めた。
「おっと、これはまたすごい揺れだな」
「岩礁の地点についたのね」
左右に船が揺れているのは、きっと岩礁を避けながら船が進んでいるからだ。巨大な船体を緻密に移動させるのは至難だ。それほどに指揮をとる人間が、船を動かす海賊たちの腕がすごいということなのだろう。
「それで、答えは? ……君は元々姉を探すために旅を始めたんだろう? ここで海賊たちに恩義を感じて、本来の目的を見失うつもりかい」
至近距離で囁くように言われ、ルチアは言葉を失った。
自分の目的は姉を探すことのはずだった。今その近道が彼によって示されているのだ。けれどその道を行くことは、バハルたちを裏切ることになるのではないのか。
だから、ルチアの答えは変わらない。
「言ったはずです。私はバハルさんたちを信じると。たとえあなたが本当に真実を知っていたとしても、私は必ずそこへたどり着きます。あなたの力を借りずとも」
「……君は本当に愉快な子だよ」
その返答は彼の想定内だったようで、エンリケは肩をすくめるだけだった。
甲板に上がると、慌ただしく動く海賊たちの姿と睨むように前を見据えるバハルとロジェの姿が見えた。バハルが指示し、それをロジェがさらに細かく伝令していき船は進路を細かく変更して岩の間を縫って行く。
「おいロジェ。南南西にも岩があんぞ」
「分かってるよ」
ロジェは淡々と呟きながら舵をとる。幸いなことに昼間の晴天のおかげで、遠くの岩礁までも見渡せる。彼らの落ち着き払った様子からも、きっと無事にくぐり抜けられると信じられた。
「ん、あれは……」
ふいに、遙か遠くの西に黒点が見える。目をこらすと、それが巨大な船であることに気づき体を強ばらせた。
「バハルさん! あそこに……」
「あ? なんだルカ、部屋に戻って――あれは」
「船です! まさか、海軍が……」
この船を追いかけてきたのだろうか、それとも別の船なのか。険しい目つきでバハルがそれを睨み付け、次第に眉間に皺を寄せていく。
「あれはトルメンタ国の船だ。最近海上に進出してきたって話は聞いてたけどな。訓練してるんだろう」
「トルメンタ……ってあの、大陸の?」
マービリオン共和国より遙か西へと進んだところにある大陸にある、トルメンタ王国。雄大な面積を誇る強大な国で、マービリオンも貿易で繋がりがある。もっとも、かの国は海路には疎く専らこちらが行くのみであった。
「ああ。あれなら平気だろ。むしろ向こうが逃げるかもな。あちらさんは陸戦ならともかく海戦には不慣れだ。放っておけ」
バハルが言うとおり、こちらの様子には気付いているだろうが、トルメンタの船が動く気配はなかった。むしろ徐々に遠ざかっていく気配を感じる。
「海は俺たちのものじゃない。今回はトルメンタだったから良かったが、他の国や海賊なんかもいる。いつ戦になってもおかしくはない」
海軍でなかったことに安堵しながらも、バハルの真剣な声にルチアもこくりと頷いた。
次第に船は岩礁を抜け、再び静けさを保つ海原へと飛び出していく。夕日が沈みゆく橙色に輝く水平線を眺めながら、ルチアはなぜだかざわめく気持ちを抑えきれなかった。
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