第12話 正しいこと
カツンという金属の音が砂浜に響き渡る。ケレベルたちが船の修理を行っているのを、ルチアは面白そうな表情を浮かべ砂浜に座り眺めていた。
(すごい……。こんなに早く直せるなんて)
ひしゃげた船首像は形となり、今にも崩れ落ちそうだった甲板の手すりが修復されていくのを目の当たりにして、ルチアは感嘆の声を上げる。
懸命に修復作業にあたる人間の中にはシャットなど海賊たちの姿や、島の人間の姿がある。彼らに的確に指示をしているのは、図面に真剣に目を落とすケレベルだ。ミアの父であり、島長であるケレベルがこの船を作ったという話はバハルから聞いていた。
「おーいルカ」
背後から呼ばれて振り返ると、大荷物を抱えた料理長のゾイがこちらを見ていた。
「四日後には発つから仕込みやるぞ。手伝ってもらえるか?」
「もちろんです」
ゾイから麻袋を少し預かり、連れられるままに歩く。
「あの……ゾイさんもあの船に昔から乗っていたんですか?」
不躾に元奴隷だったのかと聞くのははばかられ、遠回しに聞くとゾイは小さく笑った。
「船長たちに話を聞いたんだな。……俺は乗船はしていたが、奴隷じゃない。コーネリアスに雇われた料理番だったんだ。船員たちの料理と、死なない程度に奴隷に与える飯係だな」
「……それがなんでバハルさんたちと一緒に?」
彼らのクーデターに参加し、今バハルたちと共にいる理由が思い浮かばずルチアは首をかしげる。
「元々俺は、ただの貨物船の料理番だと騙されて船に乗ったようなもんだからな。指示された以上の飯をこっそり与えてたら、情がわいたってところだ」
ゾイは袋を抱え直し、神妙な顔でルチアに向き直る。思わずルチアも足をとめて、その目を受け止めた。
「なあルカ。俺たちは法からみれば大罪人で、捕まれば死刑になるのは確実だ。だがあいつらは、理不尽な理由で奴隷にさせられ、最後には自分たちで自由を掴み取った。それが悪いことだと思うか?」
「ゾイさん……」
「俺たちは海賊は正義の味方じゃない。必要があれば人も殺めることもある。けれどそれは国も、海軍も同じじゃないか? なにが悪で、なにが正義なのか。本当に悪いのは、いったい誰なんだろうな」
ここでバハルたちは悪くないということは簡単だ。けれど、彼らは決して義賊ではなく自分たちの行いも自覚していた。ゼノを襲った時にでた負傷者は少なくないだろう。バハルたちは自分たちの目的のために、立ちふさがるものに容赦はしない。その中にはきっと、大事な家族がいて彼らの帰りを待っている人もいたはずだ。
ルチアは顔を伏せ、小さく呟く。
「……僕には誰が正しいのか分かりません」
「そうだな。本当は、誰もが間違っているのかもしれない。俺も、あいつらも、この国そのものも。本当に正しいやつなんてどこにもいないのかもな」
思い悩むように眉間にしわを寄せたゾイは、重いため息をついた。
「……さて、気の重い話はここまでだ。ルカにもきりきり働いてもらうぞ」
「はい!」
力強く頷いて、腕の中の袋をルチアはしっかりと抱き直した。
ケレベルの家についたルチアは、借りた台所でまず錆びたナイフを磨いだ。手入れがされた刃物に満足し、きらりと光るそれで肉塊を切り落としていく。
ふと、自分の手元を暗くする影に気付いてルチアは顔を上げた。
「……ミアさん?」
「あたしも手伝う」
勝手の分かるミアは機敏に動き、ルチアの手元に必要な香辛料を置いていく。一瞬だけ戸惑う表情を浮かべるも、ルチアも小さく微笑んで礼をのべた。
「ありがとうございます」
「あんたの為じゃない。……バハルの為だから」
ふて腐れたような顔だったが、ミアは切り落とされた肉を次々と塩で揉み込んでいく。その手つきは料理に慣れていると言えた。
「……あんたさ、海賊船に乗って怖くないの? 海軍やコーネリアスとやりあって、命の保証なんてないんだよ」
手元に視線を落としたままミアは小さく呟いた。ルチアは思わず手を止め、しばし考え込むように押し黙ったあとに口を開いた。
「怖くないといえば嘘になると思います。海軍と戦ったときもただ震えていただけで何もできなかったから」
「なら、なんで? どうしてそこまで出来るの?」
ぽつりと弱音を吐くと、納得がいかないようにミアはさらに言いつのる。
「あたしは今だって怖い。いつかコーネリアスに見つかって報復されるんじゃないかって。だって、バハルが敵対しているのは人をなんとも思わない連中だ。……もう二度と、捕まりたくない。あんただって奴隷になんかなりたくはないだろ?」
奴隷売買を目の当たりにしたルチアだったが、彼女が怯えるほどの恐怖を味わったわけではない。だから、簡単に大丈夫と言うことは出来なかった。
(でも、私は信じると決めたから)
まっすぐな目で見つめられ、ルチアは微笑を浮かべた。
「バハルさんたちは、必ずマッテラ島まで連れて行ってくれると言いました。それを信じます」
ルチアが断言すると、ミアは唇を噛み締めて両手を握りしめた。
「……あたし、バハルが好き」
けど、と小さな告白のあとにミアは続ける。
「誰よりも信頼しているし、バハルが裏切ることは絶対ないって言い切れる。でもあたしは、ダメだ。みんなと一緒に船に乗る勇気なんてこれっぽちもない」
心の底からバハルを慕っていることが分かる声色なのに、ミアは泣きそうな顔で笑った。うっすらと目元に滲む雫を乱暴に拭った少女は、振り切るように頭を振る。
「ほら! 手が止まってるよ。ちゃっちゃと終わらせないと、出航なんてあっという間だからね!」
ミアがバハルと一緒に旅に出たいのだ。けれどその魅力以上に、コーネリアスや海軍、彼女の自由を再び奪う者たちに彼女は恐怖している。
(いつか、全員が自由になれる日が来るんだろうか)
その答えは、今は見つかりそうもない。
「……眠れないの?」
夜更け、何度も寝返りをうつルチアの隣の寝台から声がかかる。慌てて振り返ると、ぼんやりとした目でロジェがルチアを見ていた。
「ご、ごめんなさい。起こしましたか?」
端正な顔に、気だるげな表情をみせたロジェは小さく笑う。
「いや、もともと起きてたから」
そう言ってロジェは半身を起こすと、はだけた上半身に窓から差し込む月の光が降り注ぐ。彼はアッシュグレーの髪を掻いて、あくびをした。
(きれいな人ね……)
きれいに日焼けした肌に、やや女性的な顔立ち。けれど、醸し出される雰囲気は男らしい。
以前サピエンで宿の女将が美丈夫と称していたが、間違いないとルチアも思う。
「バハルさんはこっちに来ないんですか?」
ルチアが横になっているのは元々バハルの寝台だ。けれど、主は自宅に帰る様子はない。
「さあ? 久しぶりの陸だからね。誰か女のところに通ってるかも」
「お、女!? ……つ、つまり、その、そういうこと?」
顔を真っ赤にして叫ぶと、ロジェは苦笑した。
「ああ、ごめん。ルカにはこういう話は早かった?」
「早いとか、そういう問題じゃありません! ……だって、バハルさんはお姉ちゃんが好きだって聞いてたから」
「男なんて、それとこれとは別でしょ?」
男女の営みについては年齢相応の知識もあるし、旅の間そういった危機感を常に抱くようには心がけていた。
けれど、女のルチアに男の性《さが》など理解不能だった。
「……でもロジェさんは、ここで寝てるじゃないですか」
「僕は、もうそういうのは卒業するお年ごろだからね」
寝台から出て、ロジェは質素なテーブルにおいた水差しを手に取る。たっぷりと水が入ったそれに、そのまま口をつけて飲み干した。
「でも、抱こうと思えば男でも女でも平気だよ? 僕」
「ふぇっ」
喉から変な悲鳴を漏らし、毛布にくるまりながらじりじりと交代する。その姿にロジェが堪え切れないように吹き出した。
「冗談だよ、ごめんごめん」
「からかわないでください!」
朱に染まった頬を膨らまし、ルチアは手のひらで顔を覆った。恥じらう姿を見てさらにロジェは笑い声を上げる。
「まあ冗談はともかく。実際に飢えた男なら誰もが野獣になるんだよ。とくに海の男は、そういう機会が少ないから。あまりルカも無防備にならないことだよ」
「……忠告ありがとうございます」
ふて腐れた声色で告げる。
枕に顔を埋めると、徐々に眠気が襲ってくる。うつらうつらとしながら、ルチアはそのまま睡魔に身を委ねた。
「なんだ、ルカはもう寝たのか?」
我が家に戻ったバハルは、ひとり寝台でぐっすると眠るルチアを視界に入れる。それを面白そうに見ていたロジェが振り返る。
「お帰りバハル。今日はどこのご婦人のところに?」
「馬鹿言え、そんな暇があるか。ケレベルからマッテラ島の航路について確認してただけだ」
「なんだ、つまらない。さっきルカに、バハルは女のところに言ったよって教えたばかりなのに」
「お前なあ」
バハルのこめかみに青筋がたち、剣呑な目でロジェを睨んだ。しかし、もちろん飄々とした青年に対して効果があるわけもなかった。ロジェは肩をすくめて視線をさらりと受け流す。
「だって、今までなら実際にそうだしね。否定できる?」
「……うるせえ」
舌打ちし、バハルは自分の寝台へと腰掛けた。すでにそこを占領し、安らかな寝息を立てるルチアを見下ろす。
こうしてじっくりと見れば、まだあどけない子どもだった。バハルの知る女と姿形は似ているが、けれどやはり違う存在なのだと実感する。
「エレーヌは、いったいなにをやってるんだ」
「僕たちに分かるように置き去りにされた本、あれは彼女の意思によるものだろう。エレーヌはなにか掴んで、それを追っている。僕たちに接触をしない意図はまだ分からないけれど」
「あいつには、絶対協力者がいるはずだ」
いくらエレーヌとはいえ、一人で航海に出ることは困難だ。バハルたちに協力するのと同時並行で、彼女は国内の有力者――主にコーネリアス家に対立するもに接触を図っていた。その中に、エレーヌの協力者がいるバハルは推測している。
「せめて無事だの一言くらい、こいつに言ってやれねえのか」
長い間姉の安否を気遣い、訃報を信じ切れず旅立つ決意をしたルチア。それに対してルチアの前に姿すら現さないエレーヌに、わずかばかりの苛立ちを覚えた。
「バハル。あまりルカに肩入れしない方が良い。君には守ろうとするものが多すぎるこれ以上は君の両手に抱えるには荷が重すぎる」
決してそんなことはない――と、その言葉はなぜか出なかった。
真剣な表情のロジェから視線をそらして、彼の心配に気づかないふりをする。
「寝るぞ。明日も早い」
ベッドを占領するルチアを無理矢理端に寄せると、小さな口からむにゃむにゃと寝言がこぼれ落ちる。バハルがわずかに空いた隙間に身を寄せる。
「襲わないようにね」
「するか!」
ロジェも寝台へ戻り、一人居心地良く眠り始める。バハルも傍らの寝息を聞きながら、ゆっくりと瞼を閉じた。
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