第11話 祝宴
「飲むぞ!」
男たちの怒鳴り声と、酒を奪い合う声が屋外に響き渡る。ロジェたちによって造られた焚き火が燃え上がり、あたりを橙色に染めていた。
「もう一杯どうですか?」
酒の入った瓶を持って、見知らぬ人へと近づく。ぎょっとしたような表情をされるも、相手は不審げながらもルチアのお酌を受け取った。
ルチアはその後も次々とお酒をついでまわる。警戒心を露わにしていた人、舌打ちをする人、困惑の眼差しで見る人さまざまだった。
「……なんか吹っ切れたみたいだね」
それを何気なく見ていたロジェが呟く。乗船中はたまにしか口をつけない酒を呷り、隣に座る男へと視線を向ける。
べったりとミアにくっつかれ、辟易とした顔をしたバハルがその視線を受け止める。
「なにか言いたげだな」
「別に?」
含み笑いを浮かべたロジェに、バハルが不貞腐れたよう顔をする。
「……いくら覚悟をしたと言っても、あいつは子どもだ。本気で海軍とやり合おうなんて、たぶん想像できていない」
早くに両親が他界し、姉も行方不明になったルチアだが、食べるものもなく、貧困にあえぐ経験もないだろう。殺し合いなどもっての他だ。
苦労知らずの子どもがこれから先、耐えられるのか。
しかしバハルは小さく息を吐き、手元の瓶を勢い良くあおり喉を潤す。
「俺があいつの覚悟に口を出すのもおかしいしな。あいつは、あいつなりに考えるだろ」
「君は本当に、懐に入れた人間には甘いよね」
「どうとでも言え」
そしてバハルは視線を横に戻すと、他所の男にべったりな娘を恨めしげに見ていたケレベルが顔を上げた。
「ケレベル、船はあとどれくらいで直る?」
「さっき見てきたが、一週間ってところだな」
「分かった。三日で直せ」
「……お前のことだ。そう言うと思って、用意はしてあるよ」
肩を落としたケレベルが、「数日は飲めねえからな」と一気に酒をあおろうとしてミアに止められた。
「親父は二日酔いになりやすいから、今日はダメ」
愛娘に酒を取り上げられ、ケレベルが悲壮な顔をする。それを笑いながら見たバハルが遠くを見る。
そこには島の人間たちと談笑しているルチアの姿がある。いつの間に打ち解けたのやらと肩をすくめてぼんやりとそれを見つめた。
不思議と、ルチアにはなにか惹きつけられるような魅力があった。けれど、彼にはそれがなんなのか答えは出なかった。
賑わう宴の会場から抜けだし、白い砂浜に寝転がると満点の星空が輝いていた。北の空に、一際明るく瞬く星を眺めてルチアはまぶたを落とす。
隠れ住むような島民はわずか数十名ほどだ。静けさの中でルチアは波乱に満ち溢れた最近のことを思い返す。
初めての一人旅、ゼノで見た奴隷市場――そして海賊王。今までのルチアの人生においてどれも縁がないと思い込んでいたものたちだ。
(違う。私はなにも見ようとしていなかっただけだ。お姉ちゃんと違って……)
自分の置かれた環境に満足し、それを享受していたルチア。それとは反対に、この国の実情を知り、変化を求めたエレーヌ。
エレーヌが一度も妹に語ることのなかったマービリオン共和国の負の一面を、ルチアはまざまざと知ることになった。もし自分が理解したと知ったら、エレーヌは喜ぶのか、悲しむのかルチアにはわからなかった。
「なにしてんだ」
かさりと砂を踏みしめる音が耳元で聞こえ、思考を遮られたルチアはゆっくりと目を開いた。ぼんやりと赤銅色の髪の毛を目に写し、徐々に視線をずらすと自分を見下ろす男の瞳と絡み合う。
「バハルさんこそ、どうしたんですか?」
「俺は酔い冷ましだ」
どかりと隣に座ったバハルは、足下に落ちていた貝殻を手に取った。それをもて遊ぶように手のひらで転がす。
ルチアも上半身を起こして座り直し、手元に視線を落とす青年に声をかける。
「船の修理はどれくらいかかりますか?」
「三日だ。終わり次第ドーナスへ向かうぞ」
空中に貝殻を放り投げ、器用にそれをまた受け取ると海面へと放り投げた。ぽちゃんという音を立て、貝殻は吸い込まれるように海の底へ沈んでいく。
「……ルカ、さすがに俺たちがどういった集まりなのか分かっただろ?」
その問いかけに、ルチアは顔を伏せて表情を引き締めて口を開いた。
「奴隷……だったんですか? バハルさんたち、全員」
奴隷の扱いに対して嫌悪感を露わにするバハルたちを見れば、答えは一つしかなかった。奴隷解放に動く理由も、義憤に駆られたものだと思えば不思議ではない。
「正解だ。俺たちは全員、コーネリアス商会の奴隷船に乗っていた。奴隷が大半だが、中には当時の船員だったやつらもいる」
シャットやミアが口にした名前――マービリオン国における大商人、コーネリアス家。
ルチアも、もう奴隷が禁止されているなどと言うことはできない。その実態は我が身をもって知っている。
「バハルさんたちはどうして助かったんですか?」
「クーデターだ。俺が、奴隷船の船長を殺した。……そのときの船があの船だ」
バハルの視線の先には、ルチアたちが乗ってきた雄大な船がある。口元を歪ませて船を見る彼の目を、ルチアはとても冷たく感じた。
「俺たちを売るために乗せた船が、今じゃ俺たちを助けてる。皮肉な話だ」
「だから、名前がないんですね」
「別に憎い船だからってわけじゃねえよ。単純に、名前をつけようってときに思い浮かぶほど大事な人間がいなかっただけだ」
「バハルさんにとって、姉が大事な人だと聞きましたが」
ミアの発言を思い出して告げると、バハルがゴホッと盛大にむせかった。目をつり上げてルチアを睨み舌打ちする。
「誰だ、んなこと言ったの。ロジェのやつか」
「い、いえ。ミアさんが……」
あいつめ、とバハルが忌々しそうに呟き顔を背けた。初めてみる焦った表情の中に、わずかに照れが混じっているのがわかり思わず笑い声をこぼした。
「……あんな船につけるんじゃ、勿体ねえだろ」
憂鬱な出来事を思い出させる船に、大事な名前をつけるはずはない。ルチアも小さく頷いて、彼と同じように船を見る。
黒光りする砲台が、まるでルチアを狙うかのように鈍い光を放っていた。海賊船にしては立派すぎる船の、本来の持ち主を知れば彼の言い分も納得だ。
「どうして、この話をしてくれたんですか?」
必要以上に彼らに踏み込むのを拒まれていたルチアは疑問を抱く。彼らが元奴隷であるという身分は、孤島に隠れ潜むように生活していることからも隠したい事実なはずだ。
「俺たちは海軍以上に、コーネリアスに追われる身だ。やつらと戦う日も遠くない。そのとき、お前がなにも知らないままってのもな」
海軍、コーネリアスという二つの権力を敵に回すバハルたちにつく以上、ルチアの道は険しいだろう。初めての船旅や海軍との戦いを見て、心が挫けそうになったのは事実だ。けれど、ルチアは迷いのない目でバハルを見つめた。
「僕は姉を見つけると決めました。姉が生きていると分かった以上、もう迷いません」
「……その目、エレーヌとそっくりだな」
夜の海の色を宿した濃紺の瞳をのぞき込まれ、ルチアは耳元を赤く染めて顔を伏せる。それに気付かないバハルは、懐かしそうな表情を見せた。
「エレーヌも自分の信念に忠実だった。俺を海賊と知った上で匿ったよ。驚くほどすごい女だ」
エレーヌに心酔していることが分かる声色だった。彼にとって、姉が大事な存在というのが嘘でないと、ルチアにも確信できたるほどに。
「姉とバハルさんの知り合ったきっかけを教えて貰えますか?」
サピエンで少しだけ教えて貰った彼らの関係について、ルチアはずっと聞きたかった。若干ためらいながら問うと、バハルは当時を振り返るようにうっすらと目を閉じる。
「もう六年近く前になるのか。お前は、サピエンの資料館が襲われた話を知っているか」
「はい。サピエンで少し調べました」
カタリナとの出会いを思い浮かべて頷くと、バハルは「あのときか」とつぶやき天を仰いだ。
彼の手が砂浜の上で固く握られ、怒りのためにわずかに震えている。ルチアは黙って彼の言葉を聞き続けた。
「資料館で闇市が開かれるという噂が俺達の耳に入った。だが資料館はコーネリアスの持ち物。自分たちが奴隷を抱えているなど、と公言するような場所で開催されるわけがない。これは罠だというのが、俺やロジェの意見だった」
だが、とバハルは暗い声色のまま続ける。
「一部の仲間が暴走した。万が一噂が本当だったら、犠牲になるやつらがいるはずだと。俺たちが止めるのを無視して資料館に乗り込んでいった。そして俺たちは仲間を援護するために行き――そこで海軍に襲撃された」
六年前の、資料館襲撃事件の真相がようやく判明した。彼らを制圧するという大義名分を掲げた海軍の真の目的は、軍にとって隠匿したい事実を記載した資料の破棄だ。
「そもそもコーネリアス家って何者なんですか? 有力者とはいっても、商家なんですよね」
「元々はな。だが今では軍にも身内を送り込んで、名実ともにマービリオン有数の支配者になっている。公然と奴隷市場を開いても捕まらないのはそのためだ」
ルチアは難しい彼の話を頭のなかで反芻し、そしてきょとんと首を傾げた。
「コーネリアス家にも軍人がいるんですよね。なら一言、資料をくれって言えば良いんじゃ」
「そう簡単に行くか。中にはコーネリアス家の台頭をよく思わない連中もいる。いわゆるお家騒動、派閥争いってやつだな。俺たちを襲ったのもコーネリアス家と喧嘩中の連中――政府派と呼ばれている人間だ」
バハルは憎々しげに語り、憤怒の形相をしながら舌打ちした。過去を振り返り苛立ちを隠せない青年だったが、ふと肩の力を抜いた。
「多勢の海軍に追われた俺はサピエンをさまよい、そして俺はエレーヌと出会った。彼女は血まみれの俺を怖がることなく、一時滞在していたアパートメントに匿い手当てをしてくれた」
「お姉ちゃんらしいです」
「正直、手作り料理を食べたときは死ぬかと思ったけどな」
料理の苦手なエレーヌが出したものは、とうてい食べられる代物ではない。ルチアも当時の状況を簡単に想像できて吹き出した。
けれど、真摯な彼の表情を見ればエレーヌに対して特別な感情を抱いていることは明確だ。
「……バハルさんは、姉が好きなんですね」
「そうだな。過ごした期間はたった数日間だが……良い女だよ、お前の姉貴は」
今度は好意を否定せず、バハルは小さく呟く。
ルチアも姉を褒められれば嬉しい気持ちになる。けれど、なぜか今回だけはずしりと重しが乗せられたように気分が滅入るのを感じた。それを振り切るようにルチアは小さく笑って誤魔化す。
「ありがとうございます。そんな大事な話を教えてくれて」
「あいつの家族だからな。もしお前になにかあれば、あいつに俺が責められるだろ」
自分がエレーヌの家族だから、きっとバハルは優しくしてくれる。そして彼らの船に乗せてもらえている。
(私が妹……いえ、弟だから。私自身に向けられた優しさじゃ、ない)
ルチアは自分の心の中に宿る不思議な感情を追い出し、いきなり立ち上がった。驚いた表情を見せるバハルを見下ろして、曖昧に笑った。
「せっかくだから、島の皆さんともう少し交流してきます」
「……そうか。あんまり無理はすんなよ」
ルチアに向けられる悪意に気付かないほど、バハルは愚かではない。それに注意を促すことは容易いが、根本的な解決には至らないことも分かっていた。
「大丈夫ですよ」
まだまだ彼らとの隔たりは多いが、宴のおかげで少しは歩み寄れたとルチアは自負している。彼の心配を笑い飛ばし、ルチアは白い砂浜を蹴り上げた。
「バハルさんも早く戻ってきてくださいね。皆さん待っているでしょう? ……気にかけてくれてありがとうございます」
宴の最中、バハルの周りには人が絶えないのをルチアも見ていた。けっして愛想が良いとは言えない青年だが、人望があることは計り知れる。
その彼が、本当は酔っていないことも気付いていた。輪から外れて、ひとりで過ごすルチアを気遣って現れたのだということも。
――たとえそれが、エレーヌの家族だからこその優しさだとしても、ルチアは嬉しかったのだ。
「……うるせえよ」
それに気付かれたのが分かったのか、若干照れたようにバハルは顔を背ける。見られないよう小さく微笑んでから、ルチアは身体を翻した。
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