第10話 コーネリアス商家

 ミアが案内したのはこぢんまりとした一軒家だった。ルチアが見慣れた石造りの家と違い、木で造られた家は暖かさを感じさせる。

 遠慮なく鍵の開いた扉をくぐったミアだったが、入るなり小さくくしゃみをして鼻をすする。


「しまった。最近掃除してないや」


 人差し指で埃を拭ったミアは、張り出し窓を全開にして換気をはじめた。

 ルチアも続いて部屋の中に入ると、簡易な寝台とテーブルが置かれただけの殺風景な室内を見渡した。ミアの言うとおり、わずかに埃が積もり人の住む気配はなかった。


「ここがバハルさんたちの部屋ですか?」

「ほとんど使ってないけどね」


 錆びた音をたてて開かれた窓から、つんとした潮風がルチアの鼻をくすぐる。肌寒さを感じて肩を抱いて小さく震えた。

 一息ついたミアがベッドの端に腰掛け足を組み、ルチアの頭から爪先までをじっと凝視した。その視線に気付き、ルチアはぎこちなく笑い返す。


「あんたルカだっけ? なんの目的でバハルたちに近づいたの?」

「目的ならさっき――」


 首を傾げ、道中で説明した内容をもう一度口にしようとする。しかしミアの刺々しい視線に気圧されて言葉は尻すぼみになる。


「あんた海軍の手先? それともコーネリアス商会?」

「コーネリアス……?」


 訝しげに首をひねったルチアに、呆れるような顔でミアは嘆息した。片足を寝台の上に乗せ、膝の上に顎を乗せて苛立つように舌打ちする。


「まさかコーネリアスを知らない? どんだけモノ知らずのお坊ちゃんなの」

「ご、ごめんなさい」


 険のある声色で言われ謝罪の言葉が飛び出す。ミアは「はあ」とわざとらしくため息をついて立ち上がる。


「あんたを疑ったあたしがバカみたい。そんな頭の弱さじゃ間者なんて無理だったね」


 重い足取りで出口へ向かうミアに慌て、思わず彼女の服の裾を掴み困惑の表情を見せる。


「ミア、あの」

「名前を呼ばないで」


 ミアは縋られた腕を振り払い、きつい眼差しでルチアを睨みつけた。


「あたしの名前はバハルがくれた大事なもの。あんたに呼ぶ資格なんてない」


 ずかずかと足音を立てながらミアは家を飛び出していく。あまりに強い口調に何も言えず、その後ろ姿を見送った。

 なぜあそこまでミアが怒ったのか、ルチアにはまったく見当もつかない。けれど彼女が自分に名前を呼ばれることを心底嫌がったことだけは把握できた。


「……どうしよう」


 彼らの言葉ぶりから、船の修理が終わるまではこの島に滞在することが分かっている。それがどのくらいの期間になるかは予測できなかったが、二、三日程度では済まないだろう。


(少しくらい出ても平気よね)


 家には暇つぶしになりそうなものはない。ならば、迷わない程度に周りを散策してある程度の土地勘を付けておきたかった。

 ルチアはそのまま家を出て、元きた道とは違う方向へと進む。


「凄い。自然がいっぱいなのね」


 海で囲まれた島の奥には森が広がっており、ルチアが見たことのない果実を実らせている。それに手を伸ばしたとき、しゅるりと何かが手を這った。


「ひっ……!」


 鈍色をした蛇が、ルチアの右手の甲にいるの見つけ硬直する。赤い舌がチロチロと出て、今にも噛みそうに口を開いた。

 瞬間、肉を裂くような音が鼓膜を震わせる。同時に蛇が背にナイフを突き刺したままルチアの足元に落ち、もがき苦しむように地面でのたうちまわる。


「不用意にあちこち触んないほうが良いよ」


 背後から聞こえた声に慌てて振り返ると、くすんだ茶髪の少年がそこにはいた。驚くルチアの足元へ手を伸ばし、蛇からナイフを抜き取ると近くの葉をもぎ取り血を拭った。


「シャットさん……」


 自分たちよりも先に船を降りて、いずこかへ行っていたはずの少年の姿を見て安堵の息を漏らす。彼に助けられたことを知り、頭を下げた。


「ありがとうございます」

「この辺は蛇とか色々出るよ。ってか、なにしてんの? こんなとこで」


 ルチアがかいつまんで経緯を伝えると、シャットは肩をすくめる。ナイフを腰に戻して、首の後で腕を組んだ。


「向こう見ずな性格してるよね。知らない場所を一人でウロウロしたりもするし」

「そうでしょうか」


 責められているような気がしてルチアは俯く。思えば、海賊たちの仲間から誰一人として良い感情を向けられていないことに気付く。初対面の気心知れない他人、というだけでは図れない溝がそこにはあった。


「あの……やっぱり、迷惑だったんでしょうか。バハルさんに姉のことを頼んだこと」


 しかしシャットは「別に」とただ一言呟いた。嘘を言っている素振りはなく、単純に興味がなさそうな顔つきに当惑する。


「そんなに暇なら一緒に来る?」

「良いんですか?」


 答えを聞くもなさそうに先を行くシャットは、行く道を遮るように生える枝を掻き分けながらどんどんと進んでいく。ルチアも追いつこうと小走りで彼の背を追いかけながら話しかけた。


「あの、ここが皆さんの生まれたところなんですか?」


 ロジェはここを故郷と言い、海賊たちは久しぶりの帰還を大いに喜んでいた。しかしシャットは何を言っているんだ、という顔をした。


「そんなわけないじゃん。ここはちょっと前まで無人島だよ。それに、どうみたって俺たちの人種はバラバラでしょ」


 肌の色、髪の色、時折混じる訛りのある言葉。いずれも海賊たちに共通点はなさそうだった。なんとなく詳しく聞くのも憚られるが、もう一つ気にいなっていたことがある。小走りのせいで呼吸を荒くしながらも尋ねる。


「シャットさんって何歳ですか?」


 以前に彼が自分と同年代、もしくは年下ではないかと言われていた。船には歳の近い人間はおらず、ルチアはこわごわと尋ねる。


「さあ? 知らない。たぶん十四か十五か、その辺だと思うけど」


 曖昧な返事だったが、彼の歳がどうやら自分よりわずかばかり下なことを知る。けれど大人びた横顔は年齢差を感じさせず、むしろルチアよりも歳上な印象を与えた。


「ねえ。ルカは今までに自分の体の一部を売られそうになったことってある?」


 突然な内容、しかも穏やかでない台詞にルチアは言葉を失う。ふるふると首を横に振って否定をするとシャットは嘲笑を浮かべた。


「まあ普通はそうだよね。でも、ここには普通じゃない人間しかいないんだ。良く覚えておきな」


 シャットの忠告が終わったと同時に森を抜ける。開けたその場所には、バハルの家と同様小さな家がいくつも並び人の姿も多く見られた。みな一様に粗末な衣装を身につけてはいるが、顔に浮かぶのは穏やかな笑みだった。


「腹減った、なんかちょうだい」


 人懐っこい笑顔を浮かべたシャットがその中に入っていくと、お腹を膨らませたまだ年若い女性が笑いながら焼き魚が刺さった串を手渡した。


「少しは大人っぽくなったと思いきやそれ? まったく……ん? あんた、だれ?」


 シャットに向ける視線とはまったく別の、鋭いものが刺さりびくりと肩を震わせた。慌てて頭を下げて挨拶する。


「ルカと言います。今バハルさんたちの船に乗せてもらっていて」

「ああ、大丈夫。こいつ弱いから」


 むしゃむしゃと魚を頬張るシャットが付け加えるが、女性はふぅん、と一言呟き家の中へと入っていく。戸惑うルチアだったが、女性に向けられた悪意と同じものがちらほらと向けられているのに気づいた。


「あんま気にしないほうが良いよ。ここはよそ者には手厳しいから」


 魚を食べ終え、ごくんと唾を飲み込んだシャットが串を放り投げた。


「とりあえずお頭たちのとこ行く?」

「……はい」


 これ以上悪意のある目で見られるのは耐えられなかった。海賊たちがいかに、ルチアに対して懇切にしてくれていたのかを思い知る。少しでも知っている人のそばに行きたくて、ルチアは気が滅入るのを隠して頷いた。





 相変わらず先を行く、シャットのくすんだ色をした茶髪を追いかける。無言のシャットだったが、どことなくその顔にいつもの溌剌とした明るさがないと感じていた。


「シャットさん……あの、コーネリアスという名前を知っていますか?」


 ぴくりとシャットの肩が揺れ動き、ゆっくりと後ろを振り返る。その顔に貼り付いた冷笑に、ルチアは背筋を凍らせた。


「……なんで?」

「え、ええと。さっき、ミアさんからコーネリアスのスパイなんじゃないかって言われて……わ、ぼ、僕なんのことか分からなくて」


 しどろもどろに弁解すると、シャットは「ああ」と呟いた。


「ミアも馬鹿だな。……本当にルカは、コーネリアスを知らないの?」


 ミアにもその名前を知らないことを常識はずれと言われた。そこまで有名な名前だったのかと、ルチアは唸りながら首をひねった。呆れたシャットが嘆息をする。


「マービリオン国随一の大商人。コーネリアス商会で扱っていない商品は、この世に存在しない……」


 そういって、ルチアの男装に用いている洋服を指さした。指はさらに下方へと降りる。


「その服と靴。それらも全部コーネリアスが卸している商品のはずだよ。それにサピエンにある資料館のことは知ってる? あそこもコーネリアス家の持ち物」


 ルチアははっとして顔を上げる。大図書館で聞いた、襲撃事件の話の中で、資料館はとある大商人が私財を投げ打って作ったと言われたことを思い出す。


「ごめんなさい、自分であまり買い物とか行かないから……」

「箱入りを通り越してるよね。無知を恥じたほうが良いと思うよ」

「……はい」


 肩を落とすルチアに背を向けて、シャットが再び歩き出す。気まずい沈黙のなかでルチアはふと気がついた。


(なんで私がそんな商人のスパイだと思われたのかしら……)


 コーネリアス家が彼らとなんの繋がりがあるのか。ミアやシャットがその名を出したときの嫌悪感を見れば、彼らが商人に対して良い感情を持っていないことは明白だった。

 疑問が頭をよぎるが、それを問いかけるのを躊躇う。シャットがその答えをくれるのか、ルチアには分からなかった。


「お頭!」


 打って変わったような明るい声色を上げたシャットが、バハルの姿を目にとめて走りだした。ぼんやりとルチアもその先を見ると、バハルたちが薪を割っているところだった。


「なにしてるんすか?」

「見りゃ分かんだろ。おいシャット、代われ」


 斧を放り投げられ、慌てたシャットが空中でつかみとる。


「ちょっとバハル。一人だけ抜けようっての?」

「繊細な俺にはこういう仕事は向いてないんでね」


 険悪なロジェの目線を避けると、バハルはいま気づいたのかルチアへ顔を向けた。


「なんだ、お前。家に行かなかったのか?」

「あ、いえ。することがなくて散策を……」

「ちょうど良い。手伝え」


 ついてこい、と呼びつけられ、ルチアはこくりと頷く。


「なにをするんですか?」

「今夜の宴の準備だ。とりあえず肉が食いてえ。適当に獲物を捕まえてくるぞ。お前にもちょうど良い鍛錬だろ」


 蛇にすら怯えたルチアはぎょっとした顔をして、思わず後ずさりをした。


「僕は逃げる練習しかしてないはずですが」

「じゃあ囮にでもなれ。逃げてる間に俺が仕留める」

「そんな無茶苦茶な!」


 しかしルチアの反論など聞くつもりはなさそうだった。薪割りをロジェとシャットに託し、バハルはさっさと森の中へと入っていく。仕方なくルチアもその後を追う。


「他のやつらには会ったのか?」

「……はい。その、僕はあまり好かれていないようですけれど」


 バハルが肩をすくめる。


「好き嫌いで図ってるわけじゃねえ。単純に異物を警戒してるだけだ。あまり気にすんな」


 異物、とバハルの言葉を反芻してからため息をついた。

 彼の言うとおり、気にしなければ良い話なのだろうが、そう簡単には割り切れない。


「バハルさん。この島はどこの国に属しているんですか? ドーナス島なんて聞いたことがないです」

「そりゃそうだ。ドーナスってのは俺たちが適当につけた名前だからな。地図にすらこの島は載ってない。十年くらい前まではただの無人島だったからな」


 マービリオン国とくらべていくらか退化した文明に合点がいった。手が加えられたのが最近なら、仕方がないことだろう。

 ルチアはバハルの背中を追いながらあたりを見回す。緑があふれた森、せせらぎが聞こえる川、鳥のさえずり――どれも、産業が発展しつつあるマービリオンでは見ることが出来なくなったものばかりだった。


「良いところですね」


 その言葉に、バハルは満更でもなさそうに笑みを浮かべた。彼にとっても、ここが大事な場所だということがそれだけで分かる。


「お、いたぞ」


 そのとき、バハルが嬉しそうに声をあげる。視線の先には、明らかに獰猛そうな獣がいた。


「ひゃっ」


 身を引くルチアと違い、バハルは一歩近づいた。まだ獣はこちらには気づいていないようで、グルルと声を上げていた。


「今日の晩飯だ」

「いや、ちょっと、あれはさすがに無理だと思います!」


 どう見ても肉食獣だ。あれに襲われればひとたまりもない。けれどバハルは諦めるつもりはなさそうだった。


「うるせえ。だったらここで大人しくしてろ」


 そう言うなりバハルが駈け出した。その気配にいち早く気づいた獣が唸り声を上げてバハルへ襲いかかろうとしている。


「バハルさん!」


 悲鳴をあげて名前を呼ぶが、好戦的な表情でバハルはそのまま突進していく。そして目前に近づいた獣の瞳を、いつのまにか携えていた銃を構え、撃ちぬいた。

 バンッという強烈な破裂音と共に、獣が雄叫びをあげてその場で倒れこむ。バハルはすでに、銃からナイフへと獲物を切り替えていた。ナイフを振り上げ――ルチアはそれ以上見ていられず、背を背ける。


「終わったぞ」


 自分と同じくらいの体格の獣を、軽々と肩に担いだバハルが戻ってくる。震えている少女を見て、皮肉げに口角を上げる。


「この程度で怯えてるようじゃ、大人しく家に帰ってお姉ちゃんの帰りを待ってた方が良いんじゃないか?」

「そ、それは出来ません」

「なら堂々としていろ。……忘れたのか。お前は海軍と戦う意志があると言った。あれは嘘なのか?」


 ルチアは押し黙り、下を向く。たしかに、自分は強くなりたいと彼に言った。姉を探すために、どんな苦境でも乗り越えてみせるとそう誓った。

 それにも関わらず、最近の自分はどこか弱腰だった。人の悪意に心を折られ、うじうじと悩みつづけている。


「そうですよね。何のために家を飛び出したのか……これじゃ、お姉ちゃんを見つけられるはずがない」


 本来の自分はもっと気が強く、向こう見ずだったと思い直す。顔をあげ、唇を引き締めルチアはぎゅっと拳を握りしめる。


「怯えてごめんなさい、バハルさん」

「……いや」


 どこか照れたように鼻をかき、バハルはまた元の道を戻る。

 彼の背中が大きいのは生まれ持ったものではない。様々な困難を乗り越えて今のバハルがあるのだと、ルチアはそう思った。

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