第九話 香と蓮

 「では、答えを聞かせて貰おうか?王雪ワン・シュエ

 朝日も昇りきらぬ霞がかった中、地面に座り込んだ私の目の前には蓮の実が1本。その前方には女官長と娜娘娘が立ち私を見下ろしている。しかも、その後ろでは大勢の女官達も試験を見守っていた。

 しかし……試験を受けているはずの同じ立場の見習い女官達の姿は見当たらない。

 まさか、もう皆、受かっているとか?私が最後?

変な焦りが冷静さを奪ってゆく。

 「王雪ワン・シュエ?早く答えなさい。第一試験の『落ち葉拾い』の示すものは?なんだ?」

 女官長が「早く答えよ」と苛立ち気味に声を上げる。

 その様子を呑気に見つめる娜娘娘の表情は、どうでもよさそうで気だるげだ。

 「はい……蓮の実だと思います」

 そう答えると、女官長は目に見え安堵の表情を浮かべた。

 ……やっぱりこれが正解なんだ。このまま合格だといいけど。

 蓮の実を見つめていると、娜娘娘の鈴の音のように、かろやかな声がかかる。

 「そうね、正解ね。それで、なぜこれが『落ち葉拾い』だと?」

 だよね……現実はそう甘くはないよね。

 身体がびくりと反応する。

 皇子はこれを渡せば、合格すると思っていたらしいけど、どう考えたら、これが落ち葉に繋がるかわからない。表情を変えずに娜娘娘を見つめ返すが、心の内は、緊張と焦りでいっぱいだ。

 「どうしたの?まさか、勘で持ってきた訳じゃないわよね?それか……誰かから聞いたとかかしら?」

 ど、どうすればいい?ここで失格だと、あの人が母様かどうか確かめられない。それに……フォンの手助けも出来ない。リィリィも……。

 握りしめている手に汗がにじむ。

 「王雪!答えなさい」

 これが最後だというように、女官長の声が響く。

 「それは……」

 何も解決策を考えつかないまま、言葉を詰まらせると視界にふわりとある物体が入り込んだ。

 『なぁに?もしかして雅風ヤアフォンは最後まで言わなかったの?あの子も困ったものね』

 ふわふわと空中を飛びながら雪の目の前に現れたのは、嘘つき公主ことリィリィでいかにも楽しげに、この場にいる全員を観察していた。

 ……なんでリィリィがここに?

 目の前で、少し醜悪気味に笑うリィリィに、思わず雪がのけぞり顔が引き攣る。

 『あら、そんなに驚かなくてもいいのよ雪。それよりも私の言葉を復唱して』

 いきなり狼狽えた雪の挙動不審な様子に、女官長も娜娘娘も訝しげに様子を眺め表情を硬くする。

 「まさか、あなた本当に勘で持ってきたの?あきれるわ……荷物を纏めて外宮へ向かいなさい。時間の無駄だわ」

 娜娘々が、くるりと背を向け内殿へと歩き出す。


 「暗八仙あんはっせんでございます!」

 いきなりの私の叫び声に、娜娘娘の足がピタリと止まる。

 「暗八仙ね……それが、どう『落ち葉拾い』と繋がるの?さあ、答えてみなさい。王雪!」

 娜娘娘が私の目の前に立ち見下ろした。

 その瞳はとても冷たく、今までの華やかで適当な娜娘娘とは雰囲気がガラリと変わっていた。

 一気に場に緊張が走る。

 『大丈夫よ雪、私達の目的のために迷いは捨てて強気でいきなさい……何かを得るためなら、捨てなきゃいけないものもある』

 隣で浮いていたリィリィが、そのまま、ふわりと地面へと座り私の手に自分の手を重ねる。

 不思議なことに手の震えが止まった。それに勇気を貰い、顔を上げ娜娘娘を真っ直ぐに見つめる。

 「暗八仙あんはっせんは、八仙はっせん唯一の女性である何仙姑かせんこの持ち物とされる蓮の花……その名を荷花かか

 娜娘娘の顔色を伺うが、微動だにせず、これが正解かどうかもわからない。

 『大丈夫よ。雪が動揺してはダメ。これが正解だと胸を張りなさい』

 リィリィの凛とした公主としての口調に覚悟を決める。

 「蓮は、泥から生じても汚れることはない。自らの心と行動を清く導く高潔花……そこから咲く花と、その後なる実、すべてが落ち葉となる」

 リィリィの言葉を繰り返すが何のことかさっぱりだ。

 「蓮の実は、我々への授かりものとして食となり生薬しょうやくとなる。根は食物となり民を救う」

 一息に言い切ると息が上がる。

 『さ、雪、もう一息よ。あの李娜の傲慢な態度を崩すのよ!』

 リィリィの意気込みに我に返る。

 ……あれ?もしかしてリィリィと娜娘娘は面識がある?あっても不思議ではないけど、何か違和感が……それに、フォン皇子も確か、娜娘娘のことを「女狐」と言っていたわ。

 何か因縁でも?……

 「それで王雪。落ち葉拾いとは?」

 「……落ち葉拾いとは、この蓮、それと後宮にしか一緒に栽培されてはいない睡蓮との掛け合わせで出来る隠名」

 ここまで言うと、わずかに娜娘娘の眉がぴくりと動く。

 口に出しながらも、そうなんだ。と心の中ではリィリィに感心していた。腐っても公主だ。

 「なにより蓮の実は、一般的には上薬(長期期間服用しても良い薬)扱い……しかし、調合によっては下薬(毒性が強いため連用してはいけない薬)となる」

 「……良く知っているわね、あなたは。何人か合格したけど、そこまで詳しくは答えなかったわ」

 一瞬、娜娘娘の瞳が怪しく光るのを見逃さなかった。それは、横にいるリィリィも同じなようで険しい顔を向けている。

 ……何?凄く何かを探られている気がする。わからないけど怖い。

 落ち着くために息を深く吸い、自分自身に落ち着くようにと何度も言い聞かせ、続きを答える。

 「――落ち葉拾いとは、睡蓮の根、蓮の花びら、茎、実、そして種を「わい」「しゃ」「しゃく」などの手法を用いて精製する下薬の隠名……そしてそれは――」

 「そこまででいいわ!では香炉は?無香の香炉から、あなたはどうやってそこまでたどり着いた?」

 いきなり話を遮られ困惑しながらも頷いた。


 「あの香炉の種は、蓮の根を乾かし陽で干し調合したもの。そうすることにより無香となります。八仙の何仙姑かせんこが好んでつけたとされる伝説の香」

 リィリィの話を聞きながら、ぼんやりと頭の隅で何かを思い出す。

 伝説の香?あ、知っている。確か昔に教えられた。そうだ、宮中へと入ったすぐに教わったんだ。

 何仙姑かせんこは、まだ人とある時に夢で雲母の粉を食べた。その粉は不老不死になると告げられ、その後、何仙姑は飛ぶように歩けるようになったと。

 その時、現れた暗八仙あんはっせん荷花かかの匂いが強すぎるために自ら無香とし持ち歩いたと。

 そう、教えられた……そこにいる女官長様から。

 そうか、だから試験の前に娜娘娘は香を焚き、蓮と何仙姑を結びつけるヒントを出したんだ。

 女官長様に視線をおくると目を瞑り娜娘娘に話しかける。

 「娜娘娘、この者は覚えているようです。最初に教え聞いた八仙の話を」

 女官長に話しかけられた娜娘娘は、面倒そうにため息を吐く。

 「……そのようね。これ以上必要ないわね。でも今年は多いわ。前はこの試験で合格者は3人だけだと聞いていたのに……20人もいるなんて」

 顎に手をあて、考え込む娜娘娘を見ていると、横にいたリィリィがふわりと浮き上がる。

 『合格……のようね雪!良かったわ。これで私達――運命共同体ね』

 娜娘娘が言った「20人」の合格者も気にはなったが、驚いてリィリィを見る。

 空中で寝そべりながら両手を顎にあて首を傾げるリィリィに、顔が一気に引き攣る。

 ……あ、つい焦っていたから、リィリィの言うとおりにしてしまった。

 「これからよろしくね雪!」

 にっこりと微笑む綺麗な公主様に、何とも言えない顔をした雪の共同戦線が幕を開けた。

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