第八話 謎だらけの皇子

 「雅風ヤアフォン様……」

 ふいに、外から男の声で誰かの名を呼んだ。

 ……ヤアフォン?誰のこと?

 「……はぁ、ジャンか。脅かすなよ」

 皇子が大きな息を吐くと、これまでの緊張が嘘のように解け暖かな気が包み込んだ。

 皇子のくだけた口調からして……側近かな?随分と親し気だけど。

 「雅風ヤアフォン様、そろそろお戻りを……女官達がお姿が見えないと心配しております。」

 外から聞こえるその声は小さく、しかし、良く通り短く最低限の言葉だけをかけてくる。

 「……わかった。すぐに戻る。それまで何とか抑えていてくれ。適当に理由を考える」

 ……やっぱり皇子だったんだ。

 そう考えると、私と一緒にいるなんて不思議……本来ならこんなに近くにいることも、話すことさえも許されない尊い方なのに。

 二人が話しているのをぼんやりと聞いていると話が終わったらしく静けさが訪れた。

 「おい、大丈夫か?そろそろ俺も戻らないといけない。お前は、外に咲いているハスを持っていけ。実の方だぞ。わかったな!」

 皇子が、グイッと私の身体を引き離し埃を払いながら立ち上がる。

 「へっ?……蓮の実?何で?」

 立ち上がった皇子を間抜けな顔で見上げると、なぜか面倒そうにため息を吐かれた。

 ……失礼な皇子だ。

 「お前何学んでたんだよ……試験の答えだろ?ここの池にある睡蓮と蓮。それに、後宮にある一部の睡蓮と蓮は夜にしか咲かない奇形種」

 「奇形種?」

 聞いたことも見たこともない。どう見ても普通の蓮と睡蓮と同じだと思ったけど?

 首を傾げ意味がわからないと言う顔を向けると、皇子が眉間に皺を寄せた。

 酷い!絶対今、私のこと使えない、とか思ってる!

 抗議をするように頬を膨らませると、皇子が驚いたように苦笑した。

 「お前、俺が皇子だって忘れてるだろ?少しは敬えよ」

 「なら、納得する答えが欲しいです。だって課題は『落ち葉拾い』なのに、なぜ蓮なの?」

 言葉使いも乱暴になりながら聞いたのに、皇子はスタスタと歩きだし外へと出ようと戸を押し開ける。

 「えっ?ちょっと!――」

 何も説明してくれない皇子を追いかけるために慌てて立ち上がった。

 外に出ると、当たり前のように辺りは暗く、肌をかすめる風は、わずかに冷たく思わず自分の身体を両手で抱き締める。

 気にしてなかったけど、ここは、こんなに静かな場所だった?……。

 そっか、リィリィが騒がしかったから気づかなかっただけだ……そう言えば、リィリィはどこに行ったの?

 周囲を見渡すが、さっきまで騒いでいたリィリィの姿が消えていた。暗闇に風だけが意志を持っているかのように吹きつけ――急に寂しさを感じた。

 途端に怖くなり、先を歩く皇子の後を追いかけ、たどり着いたのは、あの池。

 さっき落ちた池だ。

 「何か気づかないか?」

 息を整えながら、淡々と池を見つめる皇子の隣に立ち、同じく視線を池に向ける。

 「えっ?――――」

 探る様に池を見渡し、目をこらすが何も変わらない。

 わからない。何があるのだろう?この池に落ち葉でも落ちているの?そんなこと……。

 悶々と考えていると、あることに気付いた。

 そうだ……変だ。今、この季節では咲くはずがないのに。

 「なんで花が咲いてるの?」

 さっきは不思議に思わなかった。この皇子を心配していたから気づかなかったんだ。だって……昼間は花なんて咲いていなかった。

 ……違う。花なんて咲くはずもないのに。

 「気づいたか?そうだ、この時期に蓮や睡蓮の花なんて咲くはずはない。しかも、蓮と睡蓮を一緒には普通はしない」

 私の声に皇子が満足げに頷いた。

 確かに睡蓮と蓮は一緒にはしない。睡蓮は水面にそうように葉を展開させ、尖っているような花を咲かせる。

 それとは違い、蓮は茎を水面より高く伸ばし、丸みを帯びた花を咲かせ根は食用の蓮根が採れる。

 「この二つは昔、某国から献上された貴重な品、一緒にすることによって奇形種となる。しかも、後宮にしか栽培していない貴重な夜咲きだ」

 「……夜咲き。でも、これは課題の落ち葉ではないわ」

 淡々と説明してくれる皇子に詰め寄ると、なぜか1歩下がって距離を置かれてしまう。

 ……何で距離をとるんだろう?何気に傷つく。

 「お前さ、簡単に人に近づきすぎだろ……俺は人が傍にいると嫌なんだ」

 ……なんだ、それは?でも、さっきの側近さんは普通に話してたし、口調からも信頼関係が伺えた。人と言うよりもしや、この皇子まさか。

 頭を過ったある考えに、思わず後ずさり距離をとる。

 「おい、いきなりそんなに離れなくても――」

 「ご、ごめんなさい。まさか……まさか、その……」

 男性が好きなのかも。この皇子は。気づかなかったわ……確かに後宮は女ばかりと宦官のみ。

 小さい頃から女性達の駆け引きや醜い争いを見て育つと……そうなるのも考えられる。

 思わず、もじもじと顔を赤らめ下を向く。

 確か、リィリィも言ってた。まだ妃がいなくて心配って。後宮に入れる男は皇帝陛下とその皇子達。あれ?ならさっきの側近さんは、どうやって後宮に?

 「おいお前、何想像してるんだよ? おい……ちっ!」

 妄想していると、いきなり皇子が行儀悪く舌打ちして顔をしかめた。

 風にのって鳥の鳴き声が辺りに響く。


 「なに……?この鳴き声」

 聞いたことのないその音は不自然なほどに響き怖くなって暗闇に目をこらす。

 「戻らないと、宮女達が騒ぎだすと言う合図だ」

 溜め息を吐いた皇子は腕を組み忌々しげに空を見上げた。どうやら、あの音は、さっきの側近からの合図らしい。

 「もう少し説明をしたかったが。まあ、蓮の実を持っていけば問題ないだろう。あとは頑張れよ」

 えっ……それだけ?

 「待って、何でこれが落ち葉拾いなの?」

 慌てて駆け寄るが、皇子は渋い顔だ。

 「悪いが時間がない。ここにいることがバレたら、兄上達に何を言われるか。そうなると、しばらく自分の宮から出ることが出来ない」

 「えっ?なんで?」

 不思議に思って聞き返すと、皇子が困ったように笑った。

 「本当に何も知らないんだな。まあ……その方がいい。お前は何も知らない方がいいだろ……頑張れよ」

 訳のわからないことだけ言って皇子が早足で門へとむかう。

 「皇子様!あの……」

 ここで置いていかれても良いけど、このあと、会う必要性が出てくると、どうやって会うの?

 私から訪ねて行くことは出来ない。

 数歩追いかけた所で皇子の足がピタリと止まって振り返った。

 「……フォンだ。俺のことはそう呼べ。お前なら試験を乗り切れる。もし迷っても自分の思った通りに動け」

 自分の思った通りに?それよりも名前……いくら手を組んだと言っても、仮にも皇子様を名前で呼ぶなんて……それはちょっと。

 迷っていると、また声が聞こえた。

 「今さら気にするな……お前は俺をこれから恨むことになるだろう。だから名前くらい気にするな」

 「それは、どう言う意味で?」

 これから何が起こるかわからない不安に、呼応するように風が強くなり衣がふわりと舞い上がる。

 「頑張れよ――――シュエ

 初めて呼ばれた名前は、なぜか、とても心が痛み悲しくなる。なぜなら、皇子が……フォンがとても辛そうだったから。






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