第四話 知られた力

 「何者だ?ここで何をしている?」

 内宮、しかも後宮に位置するこの場所では、滅多に聞かれることのない男の声。しかも、まだ若そうだ。

 低く脅すような声に、恐る恐る顔を上げると男が見下ろしていた。

 漆黒を思わせる、少しだけ長い黒髪を後ろで無造作に紅い穂子ほいつで結んでいる。切れ長の黒い瞳は冷たく鋭い。このまま視線だけで殺されてしまうのではないかと思うほどに。

 そして何より、耳につけている輪っか状の玉の耳飾りが気になる。なぜなら、今、リィリィに無理やりつけられた鳳血玉ほうけつぎょくと似ているような気がするからだ。

 服装は武官だろうか?でも男は後宮には入れない。後宮に入れるのは、女官と宦官と皇帝陛下……それに皇太子達だけ。

 それとも、よほど位の高い特殊な役職の武官なのだろうか?

 男は、整った顔立ちだが、人を寄せ付けない何かを身体全体から醸し出している。


 喉元に剣を突き付けられながらも、ぶしつけに観察していると男が目を細めた。

 「随分と余裕のようだが今の状況は把握しているか?ここは内宮だ。しかもこの朱燿殿しゅようでんには限られた人間しか入れない。そのような所で水浴びでもしているのか?」

 なんとか説明をしたくても、身体が冷えてそれどころではない。口が、がくがくと勝手に震え声にならないのだ。

 『……ア……フォン』

 そんな私の背後から聞こえたのは、消え入りそうなリィリィの声。

  えっ……リィリィの知り合い?確かに今、名前を呼んだような……。

 ふわりと近寄って来たリィリィは、まだ水に浸かったままの私を無視して男の髪に触れ頬を撫でる。

 まるで、久しぶりに会った愛しい者を懐かしむかのように、目に涙を浮かべて男に何かを言っている。

 ……まさかリィリィの許嫁とか?内宮に入れるぐらいの権力者ならありえるかも。

 さっきまでの意地悪で嘘つきな姿とは違い、男を見て涙を流すリィリィに呆気にとられる。

 「おい、お前……聞いているのか?まあ、そのどんくささは……刺客でもなさそうだし。ほら……上がれ」

 男には、纏わりついているリィリィの姿は見えないらしく、茫然と見つめている私に手を差し出す。

 えっ……?

 男の顔と差し出された手を何度も交互に見ていると「早くしろ」と機嫌の悪そうな声が聞こえ慌てて男の手を掴んだ。

 すると、強い力で引っ張られ上半身が池から出される。

 「なんで、この寒い時期に水浴びしてんだ?」

 何の抵抗もせず大人しくしているのが功を奏したのか、男が警戒を緩めたようで軽い口調で問いかけてきた。

 「あ、あの、私、実は……」

 説明しようと口を開くと、男の顔つきが鋭くなり手が耳へと伸びた。

 「この耳飾りは……鳳血玉。なぜお前がこれを?これは、あの人の……」

 耳飾りを一目見て、これが鳳血玉だとわかった?この人は一体……それにリィリィの物だと知っているの?……この人は一体誰?


 「答えろ。これは、どこから手に入れた?これは、あの人の物だ……」

 逃げられないように掴まれている手に力を込められ、痛みで顔が歪む。

 「もしや……あいつらの手の者か?」

 「あ、あいつら?」

 誰を指しているのかもわからず、ただ震えながら首を横にふる。

 「わ、私は宮女見習いです。今は、宮女試験の最中で……迷ってこの内宮に入ったのです」

 たどたどしく、しかし疑われないように何とか目の前の男に説明する。

 「宮女試験……」

 男が私の濡れた身なりを確認するように、じろじろと見てくる。

 「確かに……濡れて色は変わってはいるが宮女見習いの衣だ。なら、耳の飾りはどういうことだ?これは貴重な品で、宮女見習いが持てる品ではない」

 ……やっぱり疑われたまま。これもすべてリィリィのせいだ!

 ギロリと男の後ろに隠れたリィリィを睨みつける。

 『雪、落ち着いて……ね。あのね、ことを荒立てないで……と言うか、騒がない方が身のためよ』

 もごもごと言いにくそうに言葉を濁すリィリィを睨みつけ心の中で叫んだ。

 誰のせいで、こうなったと思っているのよ!

 水で濡れているだけなら、すぐに解放されたはず。問題はリィリィが勝手につけた、この耳飾りだ。

 しかも、リィリィの姿は見えないのに、なんで、この耳飾りが見えるの?説明してよ……嘘つき公主!

 心の中で罵倒しながらリィリィから目を離さないでいると、こちらの考えが読めたのか、申し訳なさそうに両手を合わせた。

 

 『ごめん雪。この男ね…………私の弟』

 ……おとうと?つまり、それは……皇子ってこと?この男が?

 謝り続けるリィリィから目を離し、男を見上げる。

 でも、リィリィと同腹の弟君なのだろうか?確か、今の皇帝陛下には皇子が15名、公主が7名いるはず。……何番目の皇子だろう?

 「後ろに何かあるのか?」

 リィリィばかり見ていると、不審に思ったのか皇子が背後を確認する。

 リィリィの皇弟……なら血筋的にも耳飾りを外して貰えるはず。

 「あ、あの皇子様、私は本当に何も知らないのです。この耳飾りもいつの間にか耳についていて……しかも外れなくて。外して下さい!王族の血筋の方なら外せると聞きました」

 ここぞとばかりに皇子に向かって嘘を並べ立てる。

 さすがにリィリィのことを言えば……頭が変だと思われるに決まっている。それに最悪の事態に陥れば、刺客扱いされ首が飛ぶかも知れない。

 そんな危ない橋は渡れない。ここは一つ何とか耳飾りを外してもらい逃げるのみ!

 両手を胸の前に合わせ懇願する。


 「……お前、何で俺が皇子だとわかった? 俺は自分の宮に居ても、特定の女官や親しい仕官にしか顔を見せない。俺の顔は広くは知られていないはず……お前何者だ?」

 またしても剣が喉元に突き付けられる。

 ……う、うそ。リィリィ。

 ここまで殺気だった瞳で見つめられると、もうだめだと背筋に嫌な汗が流れた。

 リィリィを見れば、おろおろと体を大きく動かし何かを訴えている。とても公主だったとは思えない動きに呆れながらも、今は逃げることが先決だとリィリィに助けを求めた。

 え……なに?

 リィリィは、両手を大きく上げ左手の親指を一本隠す仕草。

 そんな意味不明な体の動きより、リィリィの声は私にしか聞こえないんだから話してよ――!

 心の中で大きく叫び目で訴える。

 『あ、そっか話せるんだった』

 気がついたらしく、リィリィが照れたように頭をかいている。

 そんなことしてる暇があるなら何とかしてよ!

 突き付けられた剣は、今にも喉の皮をそぎ落としそうだ。

 前方からは援護のつもりか、いらない情報までリィリィが叫ぶ。

 『雪、その皇子は第9皇子よ。私と同じ母上、いわゆる同腹の皇子。今年で19のくせに妃も娶らないとかで皆、嘆いていたわ』

 最後は姉としての意見だろうか?そんな妃情報なんて今、いらない……。

 もう、リィリィは当てにはならない。最初から当てにはしてなかったけど……なら、逃げてやる。

 本当は、見せたくなかったけど一瞬で終わらせれば問題はないはず。女官見習いなんていっぱいいる。紛れ込めば皆、同じ服装と髪型。そう簡単に見つからない。

 それに今年は受験者数も多い……なにより、自分の宮からあまり出ない皇子なら、すぐに私のことなど忘れるだろう。

 ――今しかない!

 まだ水の中に下半身が浸かったままだったのが幸いした。

 剣におののいたように演技し、わざと、大きな水音を立て冷たい池へと落ちる。

 両手で水の底の泥をつかみ、ぬかるみに足が埋まるのを避けるように足と手に気を集中させた。

 すると池の反対側の水面が、何かに反応するように揺れ、バチッと雷のような音を上げる。

 「なんだ……?」

 皇子が警戒するように剣を音のする方へと向ける。素知らぬ顔で見ていると、私達の傍まで音が近づいてきた。

 ……もう少し。

 さらに気を練り派手な音を立てると葉が揺れる。

 「おい、水から上がれ!何か来るぞ」

 皇子が私へと手を伸ばしたが、まさか、皇子の手を借りるのは身分的にも問題があると躊躇する仕草を見せると、手をつかまれ体を強引に引き上げられた。

 「……ごめんなさい」

 小さく呟くと同時に皇子に抱き付き、背中に回した手に気を集め解放した。

 途端に、凄まじい電流が放出され、辺りにばちばちと目に見えない力が皇子を襲う。

 「――お前!」

 身体に走った鋭い痛みに顔を歪ませ片膝をつく皇子から離れると、後ろにいたリィリィが目を見開き口を両手で覆っている。

 『雪……あなた内功ないこうが使えるの? そんな……使い手は全員、吏部りぶ刑部けいぶが把握しているはずなのに』

 リィリィの青ざめた顔は、私の力の意味を知っている。

 見せたくなかった。この力は……平穏には暮らせなくなるから。

 「……お忘れ下さい第9皇子。これは夢なのです。蓮が見せた幻……次に目覚めた時は夢だったとお思い下さい……どうか、お忘れ下さい」


 皇子の額には汗が滲み苦しそうに息を吐く。膝を付きながらも剣を離さず私を見ようとする瞳は今にも閉じてしまいそうだ。

 「大丈夫です。これは身体には害がありません。次に目覚めた時には、どうか……お忘れになって下さい。私は王族に害をなすことはございません」

 それだけ言うと、何かを訴えようとしている皇子の傍に跪き首元に触れる。

 びくりと反応した皇子は、気を失いそうになりながらも殺気を放つ。

 「よい夢を……」

 手に気を集め皇子の中に入れていく。力の抜けた体を抱き留め、心の中で何度も謝りながら地面に横たえた。

 「……ごめんね。私は、あなたの力にはなれない。私も誰にも譲れない願いがあるの……ごめんなさい」

 茫然としているリィリィに伝え返事を聞く前に駆け出した。

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