第三話 落ち葉と幽霊

 「落ち葉拾いってなに?」

 首を傾げながら外宮の中庭をてくてくと歩く。

 梅の香りが漂うそこには、私と同じように落ち葉を探している宮女見習いの姿が、そこら中に見える。


 皆、話し合いたいのが本音だろうが、先輩宮女が目を光らせているようで、ちらちらと姿が見える。なので、話し合うことが出来ない。

 「絶対に落ち葉を拾ってくるだけの試験ではないわ。いくら、この季節で落ち葉がないと言ってもそれだけでは……」

 娜娘娘の言葉を思い出し、ぶつぶつと反復する。


 木々の間を通り抜ければ知り合いの見習い達と何人か会い、すれ違う度にこっそりと耳打ちされる。

 『どういう意味かわかる?』と。

 何人もに聞かれる所をみると、私と同じように意味がわからないらしい。それには、ちょっと安心した。

 だが、近づいて来ようとした友人達に首を振り目で合図する。先輩女官達が目を光らせているから気を付けろと。

 ……やっぱり誰も意味がわからないんだわ。宮女への試験って謎解きなのね……困った。


 答えとなる何かががないかと、庭を見渡し広大な敷地を早足で歩き回る。

 「まだ時間はたっぷりある。なんとかしないと」

 太陽は真上に位置し夜はまだやってはこない。そのことに安堵しながら歩いていると、不思議な場所にたどり着いた。


 人の気配が感じられない朽ちた朱色の壁に囲まれた門をくぐる。門には『朱燿殿しゅようでん』と名が刻まれている。何かに惹かれるように中へと入ると、手入れのされていない宮を通り抜け、建物の影となっている奥の庭へと足を向ける。

 そこは昼間だというのに薄暗く、紅梅や杏子の木々が生い茂る。そのさらに奥には、小さいながらも睡蓮すいれんはすの池が見えた。


 もちろん季節がら葉だけで花は咲いていない。

 「ここはどこだろう?……迷った」

 考えごとをしていると周りが見えなくなる悪い癖を思い出し、慌てて引き返そうと、くるりと方向転換をする。


 だが、その時、視界の端に何かが見えた気がし足を止めた。

 ……うん? 今、池の上に何かが浮いていたような、寝ころんでいたような?煌びやかな紅い衣を纏った天女みたいな女の人がいたような……まさかね。

 そんなことある訳がないと思いながらも、気になり恐る恐る振り返った。


 するとそこには、自分よりも少し年上に見える綺麗な女性が呑気に寝ころび宙に浮いていた。


 ……いやいや、そんなことある訳がない。きっと疲れているか、考えすぎて夢を見ているんだ。少し休憩をとらなきゃ……そしたら見えなくなるはず。

 くるりとまた背を向けるが、気になり歩き出せない。

 すると……身体に纏わりつくなにかを感じた。


 『ねぇねぇ、もしかして見えてたりするの? その服装は宮女見習いよね? ねぇったら!』

 鈴のようにうるさい……いや、可愛い声は頭上から聞こえる。


 しばらくは何も聞こえないふりをしていたが、頭の上で小鳥のようにうるさいソレに負け、渋々顔を上げた。

 『やっぱり見えてるんじゃない!早く気づいてよね。本当に良かったわ。これも私の日頃の行いが良かったからよ』

 人の頭上でペラペラと息継ぎなく話している何かを、じっと観察する。

 完璧に……浮いている。


 腰まである長い黒髪は、前髪を頭の上の簪で止め後ろへと流している。顔の両サイドの一房は、三つ編みのように細かく編み込み、残りの艶やかな髪は結い上げることなくそのままだ。


 服装は鮮やかな紅色の吊帯長裙に、肩から足元までの衣を羽織っている。吊帯長裙と帯は黒字に金の見事な鳥の刺繍が見えた。


 …………この人幽霊よね?

 嬉しそうに、ころころと表情が変わる浮いている幽霊を見ていると、目の前にふわふわと漂って来ると目線を合わせてきた。

 『なにか話してくれない? それとも聞こえないの?』

 黙ったままでいると、幽霊が今にも泣き出しそうに目を潤ませる。

 「あ……あなた幽霊?」

 他に何も言葉が出なくて、絞り出すように声を出すと、幽霊が目を見開き嬉しそうに頷いた。


 『良かった!やっぱり見えているのね。嬉しいわ……あなたが初めてよ。私の姿に気づいてくれたのは……』

 嬉しそうに笑う幽霊を見ていたら、生きているのではないかと疑ってしまう。誰かのいたずらではないのかと。


 「ここで何をしているの?……」

 恐る恐る尋ねると幽霊は、ふわりと浮きあがり私の頭上で寝ころんだ。

 ……この幽霊、綺麗なのに行儀が悪いのね。

 『それがわからないの。気づいたらここにいて……もう半年になるわ』

 「半年?なんのためにいるの?」

 変だ。半年もいるのなら、内宮に幽霊が出ると噂になっているはず。そんな話は聞いたことがない。


 『それがわかれば苦労なんてしないわ。でも思うところもあるの……私ね殺されたのよ』

 「……殺された?」

 無邪気な明るい声から一転、幽霊の声が低く怒りを含んだものに変わった。

 『……そうよ。殺されたの。なのに病死扱いになったわ。だからお願い……私の仇をあなたがとって!』

 ……いやいや、それは無理というもの。絶対に無理。

 でも、この綺麗な幽霊に迫られたら気後れする。人に何かを命じるのに慣れている気がする。


 「あなたはどういう身分の人なの?」

 ちょっぴりと言うか……何気にすんごい気になる。この幽霊の正体が。

 『あざなは……リィリィ』

 リィリィと名乗った幽霊が、生きている人間みたいに地面に下り立ち背筋を正す。

 「リィリィ……?」

 名前だけではわからない。身分も言ってほしいけど……あれ? リィリィの衣装これって――吊帯長裙。

 どう見ても宮女の衣装ではない。この衣装は確か……。

 頭に過ったその考えに、背筋に冷汗が流れる。

 もしかして、この幽霊は……。


 『私は……公主よ。今の皇帝陛下、哀恵帝あいけいていの娘にあたるわ。母は朱月皇后しゅつきこうごう

 ふわりと浮き上がると、空中で座っているかのように、背筋を正し誇らしげに笑うリィリィに呆気にとられた。


 ……まって、今の皇后様は不在なはず。たしか朱月皇后は1年前に亡くなっている。とても華やかであかの色を好み常に紅を身に纏っていた、明るい皇后様だったと聞いている。


 崩御した原因は心の病気で衰弱していったと。

 『どう?少しは私が誰だかわかって?宮女見習いさん』

 リィリィが首を傾げ私の反応を楽しげに待っている。

 「……公主さま」

 茫然とリィリィを見上げていたが、宮女ならばしなくてはいけない掟を思い出し慌てて礼をとる。

 皇帝陛下以外は、左ひざを曲げ、その上に両手を置き頭を下げるが、それどころではない。


 両膝を付き、思いっきり頭を下げた。

 『あら、別にいいのよ。私はもう死んでいるんだし』

 顔を上げると、リィリィが優雅にというか、暇を持て余しているかのように両膝を抱え込み、空中でくるくると回っている。

 『上手でしょう?1人で暇だったから……ずっと、こうやって遊んでいたの』

 にっこりと笑うリィリィだが、その笑顔からは寂しさも漂っている。

 「これからどうするのですか?」

 リィリィの動きがピタリと止まる。


 明るく面白い公主の幽霊だけど、ふいに見せる切なげな表情が凄く気になった。

 『そうね……ねぇ名前はなんと言うの?あなたの名前よ』

「私の名前ですか?……シュエと申します」

 そう答えると、リィリィが座り込んでいる私と目線を合わせるためか下りてくると同じように座り込む。


 『素敵な名前ね。名前の通り儚げな雪のように白く透き通るような肌。そして何より瞳の奥に強さが見える。ねえ……雪、お互いの利益のために手を組みましょう』

 この公主様の含みを持たせた言い方、凄く嫌な予感がする。

 心は逃げたいと思うけれど、頭は……この場にとどまる様にと訴えている気がした。


 「手を組む?私が公主さまとですか?」

まったくもって嫌な予感しかしない。さっきの、自分は殺された発言から何をしたいのかが予想ができる。

 逃げなきゃ……ここは一つ振り払ってでも逃げないと面倒なことに巻き込まれる。だけど……浮いている幽霊から逃げられるのかな? でも、考えている場合ではないわ。やってみないと……。


 心を決め、立ち上がり一気にこの場を離れようと足に力を入れる。

『逃げても大丈夫?今、宮女試験中よね?私で良かったら力になるわよ。だって私は公主だったのよ。何でもわかるわよ……後宮の中やもちろん側室達も何もかも』

 心が揺れ動くとはこういうことだろうか?

 一旦、逃げるのを止めてリィリィを伺う。


 『商談成立かしら?』

 勝ち誇ったように微笑むリィリィの後ろに黒いなにかが見えるのは気のせいだろうか?でも、……やっぱりだめだ。確かに試験には受かりたい。「落ち葉拾い」なんて意味不明だもの。


 でも……それ以上の見返りをこの幽霊は期待しているはず。ただで教えてくれるとは思えない。

 「いえ、自分の力でなんとか致しますので不要です。失礼致します」

 なんとか甘い誘惑から心を引きはがし左ひざに両手をおき頭を下げる。そして一目散に逃げようと背を向けると悲鳴のような大声が響いた。

 『待ってよ!せっかく教えてあげるっていうのに……お願いよ。1人にしないで!』

 驚いて振り返ると、リィリィが瞳から涙を流している。


 『お願いだから……もう1人にしないで』

 リィリィのその姿は昔の記憶を呼び覚ますのに十分だった。


 あの凍てつく吹雪の日……膝まで雪に埋まりながらも懸命に去って行く母を追いかけたあの幼き日の自分の姿と重なった。


 何度も母の名を呼び「行かないで!」と叫んだあの時と……放っておくことが出来なかった。まるで自分が泣いているように思えたから。

 地面にうずくまり泣いているリィリィに近づく。


 「わかりました。では私の試験を手伝って下さい。でも私は、あなたの条件は飲みません。それでも大丈夫ですか?」

 俯いているリィリィの髪に触れようと手を伸ばすが、当たり前だが触れることは出来ず通り抜けてしまう。

 『本当?傍にいてくれる?ずっと……?』

 俯いたまま子供のように何度も確認してくるリィリィに苦笑する。


 公主様の地位にいたわりに子供っぽい人だ……俗に疑り深いとも言うけど。でも公主と言う身分を考えると疑り深いのも頷ける。命を狙われないとも限らない。

 現に……リィリィは死んだのだから。

 「ええ、傍にいます。公主様がこの世からいなくなるまでずっと――――」

その時、にやりと笑ったリィリィが顔を上げる。


 その顔は……泣いていたとは思えないほど明るく悪だくみを制して勝った悪鬼のようで。

 『……ふふ、もう逃がさないわよ!これからずっと一緒にいて貰うから! 離さないわ』

 呆気にとられリィリィを眺めていたら自分が騙されていたことに、やっとで気づく。


 「騙したわね!嘘泣きなんて最悪。この嘘つき公主!」

 『まあ口が悪いわね!宮女のくせに。公主である私に向かって……でも、もう遅いわ』

 今までの、しおらしい姿が演技だと知り逃げようとすると何かが耳に触れる。

 「えっ……?」

 驚いたことにリィリィが私に触れていた。それも勝手に人の耳に何かをつけている。


 「ちょっと!嘘つき公主、なに勝手につけてるの? てか、何で私に触れられるのよ」

 暴れているのに、リィリィは素知らぬ顔で耳飾りを私の耳につけ満足している。

 「ふふふ、これで逃げられないわよ。これは私が生前身に着けていた代々王家に伝わる秘宝中の秘宝……伝説の鳳血玉ほうけつぎょく

 「ほ、鳳血玉?」

 離れたリィリィから距離をとり耳につけられたぎょくに触れる。

 おうとつのない、ツルリとしたすべらかな玉が二つ上下に揺れている。見える範囲では、白い石に血のような赤が混じっている。


 そんなに玉に詳しくはない雪でも、この玉が高価なことだけはわかる。なにせ王家に伝わる玉だ。

 ……これ一つで村一つは軽く買えそう。

 そう思ったら血の気が引いた。

 『その玉は、鳳凰の血が岩に染まり固まったとされる伝説の玉』

 リィリィが誇らしげに説明してくる。

 「ちょっと!そんな高価な意味ありげな耳飾りいらないわよ」

 無理やり耳から取ろうとするが、なぜか外れない。

 「な、なんで……」

 いじっていると耳が痛くなり赤くなってきた。しかも何だか玉が熱い。


 『無理無理、あきらめてよ雪。言ったでしょう?王家に伝わる秘宝だって』

 リィリィは逃げるように池の上へと、ふわふわと浮き上がり私から遠ざかる。まるで捕まらないように。


 『それは、王家に伝わる耳飾りでね、王家の血筋に反応するのよ。つまり王家以外の人間が勝手に触ったりすると熱くなるの』

 「熱くなる……ちょっと早くとってよ!耳が火傷するじゃない」

 リィリィに向かって大声で怒鳴る。

 「外して欲しい?じゃあ……私に協力するわよね?」

 この、大嘘つき意地悪公主め~

 怒りにまかせ拳を握りしめ公主に近づくが池の真上、それに浮いていて触れない幽霊に苛立ちが募る。


 池の傍に積み重ねてある石や大きな岩の上に足をかけ慎重に上り始めた。

 『ちょっと、危ないわよ』

 この行動にはリィリィも予想外だったらしく止めようと近づいてくる。

 「なら、この耳飾り外してよ!」

 近づいてきたリィリィの長衣を掴もうと手を伸ばし……捕まえた! と思った瞬間……バランスを崩した。


 「きゃっ!」

 派手な水音をたて、葉群に埋もれるように落ちたそこは、水かさは腰くらいで深くはないが、とにかく水が冷たい。

 忘れてた……私はリィリィに触れることが出来ないんだった。

 『雪、大丈夫? まだ肌寒いから風邪をひくわ』

 心配そうに近づいてくるリィリィは、ちょっと気まずそうだ。

 「……寒い」


 ガチガチと震え出す体を両手で抱き締め池から上がろうとするが衣が水を含み、そして睡蓮が邪魔して上手く歩けない。もたもたと四つん這いになりながら、何とか池から這い上がろうと池の淵に手をかけると、目の前に剣の先端が突き付けられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る