第二十二話 菓子と茶

 どうしてこうなったのか……誰か、助けて。

 必死で心の中で叫ぶが、この場を切り抜ける手段は、まったく思いつかない。

 目の前には、色とりどりの菓子が八仙卓にズラリと並べられ、内心プチパニック状態の私を誘惑している。


 蓮の実餡の月餅ユエビン(丸い焼き菓子)

 芝麻棗ジーマーガオ(ゴマ団子)

 干葡萄プータオガン(干し葡萄)

 沙瑪シャーチーマー(小麦粉を熱し揚げたあと、蜂蜜や砂糖で固めた菓子)などなど。


 すぐに食べたい……目の前に座っているのが、暁雨様でなければ。


 菓子と茶器を持って来た侍女はいるのに、今は誰もいなくなり……まさかの二人きり。

 しかも、恐れ多くも茶まで注いでくれている。

 弁解させて貰えば、私がやります!と名乗りを上げたが、やんわりと断られ、今、ご馳走になっている。

 「遠慮しないで、どうぞ。温まるように青茶チンチャにしたわ。」

 暁雨様が茶壺を置き、私のが目の前に茶杯チャーベイが置かれ、引き攣る顔を暁雨様に向ける。

 「あ、ありがとうございます」

 茶杯を手に取ると、香ばしい匂いが、フワリと漂う。

 ……毒とか入ってないよね?まさかね。

 チラリと暁雨様を伺うと、相変わらずニコニコとしていて、見ず知らずの私に、警戒心一つ見せない。

 ここは思い切って!

 

 「いただきます」

 茶杯を軽く持ち上げ暁雨様を伺うと「どうぞ」と促された。

 口を付けると、果物が熟したような、コクのある味わい、脳裏に浮かんだのは、あの花……。

 「金木犀きんもくせい?」

 「あら、よくわかったわね?そうよ、これは……八仙バーシェンと言うの」

 言葉に詰まった。


 八仙……それは、第1試験の答えの暗八仙あんはっせん

 思わず脳裏に試験が蘇る。

 確か、あの時、上薬と下薬の話をしていた。難しかったけど……確か――。

 「どうかした?これも食べて。美味しいのよ?蓮の実を使って作った月餅よ」


 手が震え怖くなった。


 なぜなら、第1試験と関わりのある八仙と蓮が出てきたから。でも、どうして試験内容を知っているのだろう?試験内容は漏らされない掟のはず。


 『さすがは暁雨ね。なにを考えているのか読めないわ……雪、気を付けて。外に何人かいるから……怪しい真似をしたら、また慎刑司よ。雪のことを探っているのかも』

 姿が見えないと思っていたら、リィリィは戸をすり抜け、他に人がいるのかどうかを確認しに行っていたらしい。

 私の真後ろに陣取り、ジッ――と暁雨を睨んでいる。

 警戒してくれるのは、ありがたいが、今は、この場をどう切り抜けるかを教えて欲しい。

 リィリィ、菓子だけ持って出て行くのは無理かな……。


 『それは、無理だと思うわ。雪に用がないなら、最初からここには連れ込まないでしょう?たかが一人の宮女を相手になんかしないわ。しかも、この宮は暁雨が陛下に賜った離宮よ。近づく人間なんて他にいないわ』

 心で思ったことが、なぜか伝わり不思議に思うが、この状況下では頼もしい。


 私は馬鹿だ。そんな面倒な場所に、なんで私は付いて来たのか、運がない自分を呪いたい。

 「あ、あの。あまり遅くなると叱られるので、これで失礼致します」

 このまま無駄な時間を過ごすと朝になってしまう。そうなると、風にも迷惑がかかる。計画では、朝までに風の宮に戻るつもりだったのに……これでは全てが水の泡だ。

 

 「もう少し大丈夫よ。それに、ほら、これ食べてみて?美味しいわよ?」

 そう言われ、前に出されたのは、蓮の実餡の月餅ユエビン

 ゴクリと唾を飲み込む。

 「どうかした?大丈夫よ、先輩女官に何か言われても私が取りなしてあげるわ。私、これでも少しは権力があるのよ?」

 

 ……このまま意識を失いたいと思うくらい暁雨様が怖いと感じた。何かを探ろうとしているのがわかるほどに、私を見ている瞳は険しく、嫌悪感で溢れている。だが、私と視線を合わせると人懐っこい笑顔を見せてくれる。


 母様にそっくりだけど、やっぱり別人だわ……私を見ても何も言わないし、それに……こんなに棘のある雰囲気を、母様は纏っていなかった。優しい母の面影は見えず、所詮は幻想だと思い知らされた。


この世は、そんなに甘くはないのだと。


 「いただきます……」

 早く食べて何とかここから去ろうと月餅を手に取り口へと運ぶ。

 貴妃様が用意してくれた月餅は美味しい。


 だけど、母様ではなかった現実と、疑われている胃の痛さが容赦なく私の心を掻き乱し、味なんてわからない。

 「口に合うかしら?蓮の実の皮を裂いて中の種をすり潰して餡と混ぜ焼いたの。普通は中秋の名月に食べる菓子だけど、私は好んで好きな時に食べているの」

 暁雨様は、くったくのない笑顔を向けてくれるが、私は、さっき垣間見た険しい視線のせいで、上手く笑えない。

 

 ずっと思い続けた母への想いは、思いがけぬ形で決着が付き泣きたくなった。幽霊と言えど、心強い味方のリィリィが居なければ、私の心は折れていたかも知れない。

 『雪?どうしたの?大丈夫?そんなに気を張り詰める必要はないわよ。そのまま食べて、お茶を飲んでここから出るだけで良いわ』

 私の様子に、ただならぬ何かを感じとったリィリィが、心配しながら私の隣へと来る。

 そして、私の代わりとばかりに暁雨様を睨み言葉を失くした。


 どうしたのかと、リィリィを見つめ、その視線を追う。

 『雪……っ、雪!あれを見て。暁雨の後ろの――刺繍』


 戸の近くの椅子に腰を下ろしている私の向かいには、見事な技巧を駆使した彫刻や刺繍が壁一面に飾られ見る者の心を奪う。

 だが、奪われたのは、その美しさだけではない。なぜなら、そこには記憶にある文字が図案でえがかれていた……宮女試験の第2試験で私達が悩んだソレが目の前に飾られていた。

 丸いぜにかたどって造られた縁起物、または魔除けとも言われている。中心は丸く穴があき、そこに描かれているのは十二種類の動物。


 子、丑、寅、卯、辰、巳、牛、未、申、酉、戌、亥。これを……十二生肖厭勝銭じゅうにせいしょうようしょうせん


 どこかで見たことがあると思ったんだ。どうして気が付かなかったのだろう。こんなに身近にあったのに。

 商家出身の香涼シャンリャンは、お守りとして、いつも身に着けている。

 「どうかした?……ああ、十二生肖厭勝銭ね。これは、暦法れきほうとして昔から使われていて私も気に入っているから置いてあるの。これが、どうかしたの?そんなに珍しい物ではないでしょう?」

 驚いている私に、暁雨様は首を傾げる。

 「あ、いえ。見事な刺繍だったので見惚れていました」

 不自然にならないようにと気をつけたつもりが、声が震えた。

 「腕の良い針氏を抱えているから。それよりも……名前は何と言うの?」


 言葉に詰まった。


 私の噂は、侍女殺しとして宮中では持ちきりのはず。この場で、偽りの名を使っても、暁雨様の、この様子では私のことを知っているだろう。


 リィリィを横目で見ると、宙で浮きながら座り、背筋を伸ばすと私を見る。

 『言ってやりなさいよ。どうせ、もう知っているんだから、この女は。それに……雪の母様ではなかったのでしょう?なら、言うことだけ言ってやって雅風の宮に戻りましょう。雅風も心配してるわよ……たぶん、バレてるわよ。抜け出したこと。あの子の鷹が飛んでたから』

 リィリィに母様のことは言ってないのに。何で知っているの?


 困惑していると、リィリィが申し訳なさそうに手を合わせる。

 『ごめんね雪……実は、その鳳血玉のせいかも……知れない……んだけどね、雪の心が時々よ、時々……何となくって言うか、伝わってくる時があるの』


 とんでもないことを、この公主はサラリと言い放った。

 嘘だ……じゃあ、今までの葛藤や想いも知られていたってこと?

 「嫌――!」

 リィリィに心の内を知られていたとわかり、恥ずかしさから思わず椅子から立ち上がると、ガタリと目の前の暁雨様も警戒したように立ち上がり、私から距離をとる。

 「なにか問題でも?名前を聞かれると困ることでもあるのかしら?」

 しまった!名前を聞かれていたんだった。


 八仙卓を挟み、なぜか対峙するような形になり焦ってしまう。

 なぜなら、さらに外から多数の殺気を感じたから。

 暁雨様の護衛達?……これは身の危険!どうすれば良いの。

 『雪、雅風の宮に逃げ込むしかないわ。あそこは暁雨でも入れないの!早くここから離れましょう。私が近道を教えるわ。この宮から出れば、雅風の鷹が見つけてくれるから。そうしたら江が駆けつけてくれる!』

 リィリィが逃げ道を示してくれるが、暁雨の気迫に身体が動かない。


 そうこうしている内に、背に汗が伝う。

 思わず後ずさると、椅子に当たり倒れるのを防ごうと動くと、椅子が大きな音を立てて倒れた。



 「――失礼致します、暁雨様。でございます」

 まるでタイミングを見計らっていたかのように、朱の戸が開き、そこから、宮女試験の時同様に、着飾った娜娘娘ナ・ニャンニャンが姿を見せた。

 



 



 

 

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