第二十一話 ばったりと

 『こっちよ、雪。この先は誰もいないから急いで。今なら見つからずに辿り着けるわ』

 優雅に浮いているリィリィの後ろを必死で小走りで付いて行く私は、すでに、もう辛い。なにせ、食べて寝て2時間後に走らされているのだから。

 リィリィに、うるさく騒がれ叩き起こされると、警戒が厳しい風の宮を何とか脱出した。脱出経路はなんと……王族が使う隠し通路だ。

 さすがは内宮に詳しいリィリィ。しかも、実態のない幽霊が一人いると見張りにも便利だ。おかげで人とすれ違わない。


 『ねえ、雪。さっきから気になっているんだけど、その包みなに?』

 ふわふわと漂いながら、リィリィが気にしているのは、私の手元。走っている右手には藍染の包み。

 良くぞ聞いてくれた。これぞ、私の秘密兵器。風の宮から出て来る時に、八仙卓の上に綺麗に積み上げられていた菓子を持ってきたのだ。


 「これ?菓子よ。お腹が空いたら食べるの」

 そう、にんまりと答えると、リィリィは羨ましそうに口を尖らす。

 『いいな~幽霊になると走らなくていいけど、菓子が食べられないのが残念だわ……雪、けっこう食べるよね』

 正直、そこは、つっこまれたくなかった。気にするお年頃なのだから……。

 「……内功使いはね。気を練り込む時に凄く体力を使うの。その分、食べて補うのよ。宮女試験の時は空腹が周りに知られないように平静を装うのが大変だったんだから」

 『そうなの?でも……雅風は、あんなにも食べないわよ?一般的な量だと思うから、普通に雪が大食いなだけじゃない?』

 これは聞き捨てならない。


 でも、確かに風は、それほどまでに大食いではなかった。

 そんなバカな……父様も私と同じでいっぱい食べてたはず……もしや、大食いは遺伝……いやいや、妹はそんなに食べない。

 恐ろしい考えが脳裏を過ったが、頭を振りその考えを消す。

 「風は……元から食が細いんじゃない?普段は、ぐうたらで、やる気のない皇子演じているんでしょ?」

 普段の風が、食事をしていた時の冷静な風なら、慎刑司で見たのは演技になる。たぶん、自分を守るためだけに演じている処世術。

 

 『そうよ、良くわかったわね。私はともかく、雅風は9番目と言えど皇子だから。しかも、正統な皇后の息子。狙われる率は兄に続いて高いわ。本当に嫌な場所よ。後宮は……』

 リィリィの強張った表情を見ていると、呑気に数年後に宮中を去るから適当で良いかと、考えていた自分が恥ずかしくなった。

 もう少し、後宮について勉強と情報収集しとくんだった。リィリィや風に迷惑かけまくりだ。


 『雪!止まって――!』

 悶々と反省していたら、気が付くのが遅れ、リィリィの叫び声に反応が遅れた。


それは、ちょうど曲がり角で、勢い良く走っていた身体は急には止まれず、出会い頭に出て来た誰かと思いっきりぶつかり倒れ込んだ。

 その時、ふわりと梅の甘い香りが鼻腔を擽り懐かしさを感じた。

 「痛っ……」

 石畳の回廊は勢い良く倒れたら凶器となるほど磨かれていて、手を付き身体を庇うが、腕をすりむきズキズキと痛みが走った。

 

 「大丈夫?!ごめんなさい。急いでいて前を見てなかったの。怪我っ……は?」

 落着きのある声色は澄んでいて心地よく、なぜか安心感を思い出す。慌てて起き上がり、ぶつかった人物に視線を向ける。


 そこには、紫黒色しこくしょく旗袍きほうに上等な刺繍を施した坎肩カンツェン(袖無上衣)を身に着けた女性。

 髪型と髪飾りから身分の高さも伺え、その女性の顔を見て戦いた。


 なぜなら、同じように膝を付き石畳に座り込んでいたのは、ここに一人でいるはずのない女性だったのだから。

 私を気遣う、くっきりとした二重に女性らしい美しい顔立ち、記憶に残る優し気な声は母そのもの。

 しかも、息を呑み、私の顔を驚いたように凝視している。


 「母様…………」


 思わず口走ってしまった。とんでもないことを。

 すると、女性は、大きく目を見開いた後、困惑したように首を傾げクスリと笑った。

 「大丈夫かしら?頭でも打った?私は、あなたの母上ではありませんよ?」

 ころころと鳥が囀るように口元を袖で隠し笑うのは、貴妃、暁雨様。


 食事中に、風から聞いた話とまるで違った。

 風の話だと、表情を変えない冷血な女性だと言っていたのに、目の前にいる女性は、表情豊かで素敵な御人にしか見えない。

 「大丈夫かしら?……どこの宮に勤めてらっしゃるの?こんな夜更けに危ないわよ。危ない事件もあったのだから」

 それは、目の前にいる暁雨様も同じだと思うが、あえて知らないふりをした。こんな夜更けに共も護衛も付けずに出歩くとなると相当な理由があるはず。

 お互い、何も詮索せず、やり過ごすのが一番だ。


宙に浮いて私達の様子を不安げに見守ってくれているリィリィは、手を胸の辺りで組み祈っている。


 「あの、私、迷ってしまって……普段は内宮の、こんな奥まった場所まで入ったことがなくて……頼まれて……えっと」

 ここで困った。どこへ行こうとしていたのかを伝えなければならないが、それはリィリィだけが知っていること。

 それに、人に話せる話ではない。


 何とか切り抜けないと……あまり人が寄りつかない場所で、すんなりと納得させる場所……。

 ふと、光の道を感じ、空を見上げると欠けた月が目に入る。

 「昭陽殿しょうようでんに、これを届けるようにと言われまして」

 苦肉の策が、普段なら人が寄りつかない天候を観察する機関だ。宮女達は、吉事の度に伺いに行くから問題ないはず。

 とっさの判断とはいえ、失敗した感たっぷりだ。

 ああー、もっと普通の部署に行くと言えばよかった!私のバカ~

 頭を抱えて嘆きたい。どこの宮女が、こんな夜更けに抜け出して昭陽殿に行くのか……どんな用事か私が聞きたい。


 背に汗が伝う。


 「まあ、そうなの?あ、それを届けるように上に言われたのね?ふふっ、大変よね、新入りは雑用ばかりさせられて。でも、届けるにしても、あれでは、ぐちゃぐちゃよ?中身はなに?」

 何を思ったのか、暁雨様が、投げ出されている藍染の包みを指さす。

 「あ、菓子です」

 素直に答えると、暁雨様の瞳が光った気がした。

 「なるほど。想い人に届けるために若い下っ端のあなたを使ったのね。良くあるのよ、この春に近づく時期は。しかも、昭陽殿なら、将来有望な官吏ばかりだわ……でも、菓子がダメになったとわかったら、あなたが罰を受けるかも知れない」

 ……どうやら、暁雨様は盛大な勘違いをしてくれたらしい。


 先輩女官に頼まれ、昭陽殿に届け物をするように指示された哀れな新米女官。そう思われたらしい。


 よし!このまま、乗り切ろう!


 「ど、どうしよう。このままだと怒られてしまいます。一回戻って菓子をかえてきます」

 怪しまれる前に、さっさと、この場を去ろうと立ち上がりかけると、ガシリと腕をつかまれた。

 「怪我もしたのね。大変だわ。この近くに、私の主人の宮があるからいらっしゃい」

 「えっ?め、滅相もありません。見ず知らずの方に、そこまでご迷惑をおかけ出来ません!」

 なぜ、暁雨様が「主人の宮」と言うのか不可解だが、ここは話を合わせることにしよう。

 本来の目的は、リィリィが見かけた怪しい人物の宮に行き探ること。それがなぜか、暁雨様と鉢合わせなんて……それに、私の正体が、ばれると危ない。私は、世間的には、まだ侍女殺しの暗殺犯だ。


 ――打ち首。打ち首……それは、阻止しないと。


 「だ、大丈夫です。怪我もそこまで酷くはありませんし何とかなります」

 大丈夫だと言うように、元気よく立ち上がるが、なぜか暁雨様は離してくれない。

 「年寄りの言うことは聞いておくものよ?さあ、こっちよ、来なさい」

 有無を言わさず、転がっている藍染の包みを自ら手に取ると、引きずられるように私を連行する。


 なんで?もしかして……私のことを知っているとか?だとしたら……私は、暁雨様の侍女を殺した者として恨みを買っているはず。

 これは……終わった。でも、逃げられない……やっぱり、風の忠告に従って風の宮を出るんじゃなかった。

 

 もしや、私は拷問されて殺されたり?

 がばっと顔を上げ、リィリィを探すと、宙でふわふわと私の後に続き付いて来る。目が合うと、にんまりとされる。

 ……なんで?


 『雪!運が良いわ!これで調べられるじゃない!死体の周りに犯人あり!探るのよ……暁雨の宮を。そして、証拠を見つけ出す!』 

 ぐっと拳を握るリィリィを見て、がっくりと肩を落とす。


 ……それ、するの私ですか?


 



  



 


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