第十六話 捕まった、雪

 「さっさと答えよ!誰の命に従い事に及んだ!」

 慎刑司しんけいしの冷たい石畳に跪き、昼間だと言うのに雨が降り注ぎ薄暗い。その中で、後ろ手に縛られた手からは血が滴り落ちている。

 しかも、私は頭から何度も水をかけられ……寒い。もう、死ぬかも知れない。と頭をかすめ目を閉じる。


 「……起こせ。聞き出すまでやる」

 雨の当たらない場所で、大柄な態度で椅子に座り、私を見下ろし苛々している慎刑司の侍郎じろう(次官)直々の取り調べは夜を徹し行われ、今日で2日目。すでに、もう、あきらめたくなる。


 雨だと言うのに、また、水をかけられ、後ろにいた兵士に髪をつかまれた。

 「もう一度聞く。誰に頼まれた?お前程度の身分の者が、なぜ、貴妃、暁雨シュウウ様付きの侍女を殺した?」

 これで、同じ質問は何度目だろうか?

 朱明殿で捕まった後、どんなに説明しても聞く耳を持たれず、すぐに慎刑司へと連行され今に至る。

 聞かされた内容は、耳を疑う身に覚えのない数々。すでに、身体は悲鳴を上げ気絶寸前だ。

 「……私は……知りませ……ん」

 何度、同じ言葉を繰り返しただろうか?誰も信じてはくれない。あの時、私の傍にいて、無実を知っているはずのフォンジャンも姿さえ見せてくれず、助けてくれない。


 知るはずもない――貴妃、暁雨シュウウの侍女暗殺容疑で、私が死にそうだ。


 「では、なぜ血まみれだった?!しかも、内宮の地図をなぜ持っている!これは、宮女見習いである、お前が持っていて良いような代物ではない。誰に頼まれ何の目的で、このような大それたことをした?おかげで……内宮が穢れた」


 そう、私の不運は、月季げっきの花びらの汁の赤で衣全体が染まっていたことと、江の剣に触れた時に怪我をして血が流れていたこと。

 そして……紅花フォンファから借りた、あの内宮の地図を所持していたこと。しかも、宮女試験中に、なぜ、寂びれ、人のいない朱明殿にいたのか。

 この不運がいくつも重なったのだ。


 何度説明しても誰も信じてはくれず、もう、あきらめてしまいそうだ。あきらめた、その先に待っているのは、生を絶たれることとわかっているのに。この扱いに耐えられる自信がない。

 

 内功を使って逃げても、この広い宮中では隠れる場所はあっても、城の外へ出るには人目がありすぎる。

 なによりも、仮に逃げきれても、私の罪は父様と妹に及ぶだろう。二人には迷惑をかけたくはなかった。せめて、二人は無事でいて欲しい。

 ……欲を言えば、あの方が母様かどうかを確かめたかった。ただ、それだけだったのに。

 じわりと涙で視界がぼやけそうになるのを、ぐっとこらえる。

 さらに、侍郎が何か指示を出そうとしたその時、鈴が鳴り、驚いたように侍郎が椅子から立ち上がると、すぐに跪き頭を垂れた。それは、私の周りにいた武官や兵士達も同じで石畳に額を付けている。

 そして、私の頭を同じく後ろの兵士が、水たまりのある石畳に抑え付けた。


 「――――皆、楽にして」

 視界に広がる濡れた石畳を見ていると、聞き覚えのある声が耳に届く。

 ……この声はまさか。


 「これは、これは、雅風ヤアフォン様。いかがなされました?このような場所まで……なにか問題か、ご用がおありでしたか?それでしたら、私共が伺いましたのに。こんな罪人のいる場所まで――」

 「気にしなくても良いよ。宮女見習いの分際で、大それたことをしでかした噂の女の顔を見てみたくてね。ちょっと、顔見せてよ」

 ――印象がまるで違った。

 私と話をしていた時の皇子は、こんなも軽々しく、飄々とした話し方ではなかったはず。何時も冷静で落ち着いていたのに。

 困惑していると、また髪をつかまれ顔を上げさせられた。


 そこには、やはり、正装した、第9皇子――雅風の姿。 

 だが、様子がやはりおかしかった……まるで別人。なぜなら、にこにこと笑っているのだから。

 「これが、女官を殺した女か。宮女見習いの分際でなにを思ってやったのか気になる所だけど……それで?吐いたの?この女」

 雨に濡れるのを厭わず、近くまで来ると、皇子が私の顔を覗き込んでくる。私を見ても、動揺など一切見せずに、むしろ、この状況を楽しんでいるようにも思えた。


 ……どうして?まさか……私は皇子に嵌められた?本当は、私に協力なんか求めていなかったの?この殺しの犯人に仕立て上げるつもりで近づいて来たのかも知れない……。

 そう思うと心が痛かった。すぐに、人を信じ、安全だと信じてしまった自分の甘さに……悔しさが滲み出る。


 「雅風様、濡れますのでお戻り下さい。皇帝陛下に報告しようにも、こやつは全てを否定しております。誰の命でやったのかを吐きません」

 皇子が私をじっと見た後、侍郎に向き直る。

 「こいつの家族は?」

 思わず叫びそうになった。


 家族は関係ないと……それに、皇子は私の家族を知っている。父は兵部へいぶの侍郎。事が大きくなる。特殊な力のある内攻ないこう使いを殺すはずはないが、問題は力のない妹。

 「や……め…………て」

 何とか声に出すと、風が私をじっと睨む。氷のような冷たさで。

 「家族は…………いませんね。5歳の時に両親、妹共々、流行り病で死亡と記載されております。宮廷へは、行商人を何人も介して入っております」


 ……家族がいない?


 尺牘せきとくを眺め読み上げる侍郎を呆気にとられながら見ていると、皇子が私の前に立つ。

 「なら、家族を使って聞き出すことも出来ないな……なら、俺が引き継ごう。俺の趣味を知っているお前なら、問題ないだろ?皇帝陛下には、こちらから伝えておく」

 「はっ?お待ち下さい雅風様!そやつは重罪人ですぞ!雅風様自身もお身が危ない――お待ち下さい」

 侍郎が焦り、皇子を止めようとするが、皇子は何食わぬ顔をして、連れて来た大鑑たいかんに指示を出すと、今までとは違う兵士達が私の身体を支えるように連れ出した。

 「なりませぬ、雅風様!陛下に、兵部に私が叱責を受けます」

 侍郎の言葉など耳をかさず、皇子は周囲に聞こえないように、何かを侍郎の耳元で囁いた。すると、侍郎は真っ蒼になり跪いた。


 「さてと、戻るぞ……」


 訳もわからないまま慎刑司を連れ出され、そこで意識をなくした。


風の態度の変化も、なぜ私を連れて行くのかもわからずに。

 

 

 

 

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