第十五話 見つかった死体

 硯箱の中を凝視したままジャンは動かない。今まで私に見せていた、まったく感情がない様子とは違い、酷く切なそうに見える。

 まるで、大切な人の何かを探しているかのように。

 気になる……凄く中身が気になる。それよりも、本当に二人は恋仲だったのね。あの、リィリィの想い人。傍に行って覗き見たいのに……まだ身体が動かない。と言うか、指しか動かない。残念すぎる。

 『ちょっと、雪!酷くない?私は江には見られたくないって言ったのに!あれを見たら……江なら絶対……自分を大切にしない。だから、見せたくなかったのに』

 まだ動けない身体を恨めし気に嘆いていたら、視界に広がる晴れやかな青空に浮かぶ、儚げな容姿なのに……口は悪い公主様は、私に悪態を付きつける。

 『雪のバカ~そんなだから試験もわかんないのよ。もう少しお勉強してよね。作法も!宮女は君主の言葉は絶対なのよ!それなのに、雪はまったくもう!信じらんない』

 私に向かって頬を膨らませ怒っているリィリィは、やはり江が気になるらしく、チラチラと私と江を交互に見ている。


 ……そんなに気になるなら傍に行けばいいのに。もしや……好きすぎて近寄れないとか?……それだと生前は、江も難儀だったろうな。この天真爛漫のリィリィが相手だもの。


 「おい、大丈夫か?薬の効きが悪いみたいだが。昨日も思ったが、お前、何もない空間を見るの好きだな……何かいるのか?」

 傍にいたフォンが私の視線を追いリィリィのいる空を見上げる。

 護衛で信頼関係があると言っても、風は硯箱の中身を見たいとは思わないらしい。風は、私の傍に腰を下ろし、ジッと江を見つめていた。

 「聞かないの?中身が何か」

 「言いたいなら言うだろ。それに、あれ、姉上の品なんだろ?姉上はな……俺が姉上の持ち物に触れるのを凄く嫌がったんだよ。だから触らないし中見も見ない」

 そう言い切る風に好感が持てた。

 『ふふっ。さすがは風ね。陰湿な兄とは正反対だわ。私の指導が良かったのね』

 誇らしげに胸を張るリィリィの悲しい顔はどこへやら。自慢の弟が嬉しいらしい。それよりも……リィリィの「兄」発言が気になる。

 2人の兄となると天子様……次代の皇帝陛下のはず。

 噂によると、天子様は学問も武道も誰よりも秀で、人柄も温和で人の話も平等に聞くと評判の御人だ。皇帝陛下になるために生まれてきたとまで言われている。

 なのに、陰湿?府に落ちない。

 「ところで、まだ動けないのか?……変だな」

 風が私の顔を覗き込む。

 ――近い!近い!この皇子、もう少し距離とって。

 『シュエ~照れてる。間近で見ると、意外と顔立ち整っているでしょ?私達の母上は、若い頃は絶世の美女と呼び声が高かったわ!私達にもその血が流れているもの』

 自慢げに胸を張るリィリィは確かに儚げで黙っていれば目を惹く容姿だ。至る所に美女がいる後宮内でも引けをとらない。でも、何となく風皇子とは顔の造りが違うような……皇帝陛下似と皇后陛下似の違いかな。


 うーんと考えながら、首をふると、ふと気づく。

 「あ、身体が動く」

 まだ、覗き込んでいる風から逃げるように、くるりと寝返りを打ち、手を付き起き上がる。

 「まだ痺れているだろう?もう少しかかりそうだな。それよりも江が動かな…………なんだ?今の悲鳴は?」

 柔和だった風の眼差しが一気に鋭い様へと変わる。

 悲鳴?何も聞こえなかったけど?

 「雅風ヤアフォン様は、そのままに。見てきます」

 不思議に思っていると、いつの間にか真後ろに江が立ち、颯爽とその場を離れようとするのを慌てて止めた。

 「ね、その硯箱預かるわ。今は邪魔でしょう?」

 私の隣では、リィリィが、じっとりとした眼で私に訴えている。「早く取り返せ」と。その視線が怖い。

 「いや、問題ない」

 私に渡したくないらしく、頑なに硯箱を渡そうとしない。

 「でも、何かあったら……公主が悲しむわ。大切に隠していたのに……それに、それは他人に見られたら問題があるのでしょう?私は絶対に見ないわ!あなたが戻って来るまで守るから!」

 横にいる風に同意を求めると、風は私の気迫に押されたみたいにコクコクと頷いた。

 「そ、そうだな。江、俺もいるから問題ない」

 そう皇子に言われると、江も何も言えないらしく、大人しく硯箱を差し出してきた。それを恭しく受け取る。

 『良くやったわ、雪!それを隠すのよ!』

 リィリィは、宙を一回転するほどの喜びようで、その姿を見ていると、中身が凄く気になった。

 「では、お気をつけ下さい。雅風様」

 足音も立てず、江がその場から煙のように姿を消した。その瞬間、私達にフワリと風が靡く。

 「何があったのか気になるな……女の悲鳴だったようだが」

 風が立ち上がり、朱明殿の門の方角を気にしている。すると、人声が大きくなり、ざわざわと騒がしい。

 「なにかな?……」

 「雪はここにいろ。俺も見てくる」

 私が返事をする前に、名前の通り風のように皇子も消えた。


 『雪~私も見て来るね~気になる気になる~』

 野次馬根性丸出しのリィリィもまた、目の前から消えた。

 「…………さすがは姉弟、性格が良く似てるわ」

 皆がいなくなると、真っ赤な月季げっきの花びらが舞い落ちる。ふわりと落ちた花びらは、衣や髪に落ち、慌てて払うと、花びらの色素の赤が滲み出た。

 「うわ……血みたいになっちゃった」

 慌てて衣の袖で拭き、また硯箱を隠そうと、どこか適当な場所がないかと辺りを探ると、宮の床下に目が行った。

 「あそこなら、雨にも濡れないし、あんな場所誰も近寄らないか。

 まだふらつく身体を何とか動かし、這いつくばる様に、その場所を目指す。

 今にも壊れそうな建物を支えている柱の腐食は物凄く気にはなるが、近場で隠せそうな場所となると、ここしかない。少し中まで入り込み土や石をかき出し、そこにリィリィの硯箱を埋め、自然な風合いになるように、草や石を戻した。

 「うん。これで大丈夫ね。我ながら上手いわ」

 自画自賛しながら、風が戻って来る前にと、急いで月季の中へと戻った。もちろん、這いつくばりなら。


自分の衣に付いた赤い花びらや、泥を払っていると、ガサガサと足音が複数聞こえてきた。


 あ、風と江が戻って来たのかな?女性の悲鳴ってなんだったんだろう?それに、リィリィの姿がないな。

 腕に付いた月季の赤を一生懸命、衣で拭いていると、いきなり人が現れ固まった。

 「いたぞ!こいつだ!」

 現れたのは、兵士と武官。それも、何人も姿が見える。


 ……えっ?なに?これ。

 状況が飲み込めずにいると、屈強な武官が、いきなり私の腕を掴み地面に押し付ける。頬に土が付き、抑え付けられているせいで息が苦しい。


 「大人しくしろ!お前を――貴妃、暁雨シュウウ様付き侍女、暗殺容疑で拘束する!」



 えっ?――――なんですと――――?


訳がわからない私の視界に入ったのは、空中で青い顔をしながらも、クルクルと訳のわからない回転をして慌てているリィリィの姿。



…………なんで、リィリィが回るんだ……。


 

 


 


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