第十四話 廻った縁

 甲高い悲鳴を上げ、リィリィが背後から男に抱き付き止めようとするが、無情にもすり抜け、その意をなさない。リィリィの頬には涙が次々と流れ落ち、私を守るように男との間に立ちふさがった。


 『やめて……お願いだからジャン。お願いだから……私の声を聞いて。あなたに、こんな真似をして欲しくないの』


 懇願するリィリィの声は酷く切なく、時折り詰まらせながらも、男に何度も語りかける。

 その必死な姿を見ていると、この男は生前のリィリィにとって、とても大切な存在だったのだと推測できた。だが、その声はもちろん男には届かず、真っ直ぐに私を見つめ、その視線は動かない。


 『江……!私の声が聞こえない?』

 リィリィの絞り出す声に圧倒され、思わず呟いてしまった。


 「……ジャン?」

 リィリィの言葉を復唱すると、男の顔色が変わり剣先が動く。

 その後は本能で動いた。


 幼き頃から父様に教えられた通り自然に身体が危険を回避する。迷わず私の首を落とそうとした剣の刃を素手で思いっきり掴み一回転しながら身を翻す。


 もちろん掌全体には内功……雷を纏い、一気に力を解放すると同時に足にも雷を纏い、そのまま男の腹めがけ蹴りを入れると、男が生い茂る月季の中へと吹っ飛んだ。

 ふわりと舞う赤い花びらが、血の雨のように見えた。


 『――――雪!』

 リィリィの叫び声が聞こえたが、私が蹴りを入れる前に目に捕えたのは、驚愕した男の顔。

 思いっきり力を込め蹴りをくらわしたが、手ごたえはまるでなく、奪おうとした刀も手からすり抜ける。


 ……この人強い。

 刀身を迷いなく掴んだ掌からは、いくら内功を纏っているからと言っても咄嗟のことで力が上手く練れなかった。そのせいか、掌から滴り落ちる赤い血が視界に入る。

 ……思わず力を使ってしまった。それに、毒を受けた……。

 迷わず掴んだ刀身に塗られていた毒は、傷ついた皮膚から体内に入り込み侵食し、痺れを起こす。


 …………このままじゃ死んでしまう。

 傷ついた手の手首を思いっきり握るが、気休めにしかならない。額から汗が吹き出て、身体から力が抜け、思わず膝をつく。

 『――――雪!』

 リィリィの悲鳴が聞こえたが、答えることも出来ず息をするのも辛い。手をつき倒れ込むのを防ぐので精一杯。


 これは一体何の毒?すぐに死なない所を見ると、即効性のある毒ではない。なら、これは……敵を捕えるための……。

 「……お前は一体何者だ?俺の名を呼び、そして……禁忌とされる内功まで使えるとは……ここで全部吐いてもらう」

 いつの間に近くに来たのか、力を振り絞り顔を上げると、男が私を冷たい瞳で見下ろしていた。


「それは痺れ薬と感覚を一時的に麻痺させる麝香じゃこうを混ぜ合わせている……答えろ――なぜ、俺の名を知っていた?」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、赤い月季の花びらを握り締める。

 ……だめだ。毒のせいで考えが纏まらない。まさか、リィリィの存在を答えても信じて貰える訳がない。それこそ、怪しい者として連れて行かれる。

 でも、このままでは慎刑司しんけいし(使用人を罰する機関)送りだ……待っているのは拷問。


 男が距離を詰めて来るのを見て、思わず後ろへと下がろうとするが上手くいかない。

 「……答えられないなら連れて行く」

 ぐったりと、動かすことが出来ない身体は、男の力には抵抗出来ず、腕を思いっきり掴まれ引っ張られる。

 「――ジャンそいつは大丈夫だ、問題ない。解毒剤を与えろ……死なれては困る」

 意識が遠のく中、聞き覚えのある声が聞こえたと思ったら、いきなり髪を乱暴につかまれ、口の中に液体が注ぎ込まれる。

 「うっ……」

 苦すぎるその味に思わず吐き出しそうになるが、大きな手で口を塞がれ、無理やり飲まされる。 


 「おい、江……乱暴にするな。一応、協力者候補だ」

 この気遣うような声も、本当かどうかわからない。

 ……なにせ、あの皇子だ。

 ごくりと飲み込むと、口を覆っていた手が離される。貪るように新鮮な空気を吸い込むと、思いっきり咳き込んだ。

 「――大丈夫か?解毒剤を飲ませたが、しばらくは痺れが取れない。それよりも……何でここにいる?朱燿殿の次は朱明殿か……」

 仰向けに寝かされながら、何とか瞳を少しあけると、そこには二人の男が私を見下ろしていた。

 あの黒ずくめの男と……第9皇子の雅風ヤアフォンが。

 「……皇子様」

 「フォンだ。お前さ……すぐに内功使うなよ。そんなに使っていると周りにバレる。宮中から出ることが出来なくなるぞ……それと、この男は俺の護衛のジャンだ」

 フォンが片膝を付き私に話しかける。

 ……風の護衛?もう次の天子は決まっている。王位に関係ない風になぜ、こんなにも強い護衛が付いているの?風、自身も内功が使えるなら、特殊な護衛は必要ないはず……この江と言う人物はたぶん……特殊な暗殺部隊出身。

 なぜなら、さっき対峙した時に袖口から少し見えた肌に印を見つけたから。


 ――――父様と同じ印……龍に似ているあの「睚眦がいさい」の印が。

 「……あなたは先帝の暗部の方?父様と同じ?」

 息を整えると、立ったまま私を見下ろしている江に、つい聞いてしまった。父様と同じ地位の江に、少しだけ親しみを感じてしまったから。


 これには、風も江も目に見えて動揺した。


 「雪――お前は王剛ワンガンからどこまで聞いている?先帝の暗部の存在まで知っているとなると……」

 風の問い詰める声に、失言をしたと気づいた時には遅かった。

 ……父様に迷惑はかけたくない。私の失言で、父様の身に災いが降りかかったら……全てが壊れてしまう。ここは何とかしないと。なら…………ごめんね、リィリィ。あなたを利用させて貰うね。


 空を見上げれば、リィリィが不安げに私を伺いつつも、ちらちらと江を見ている。それも、今にも泣きだしそうなほどに。

 「あなたは……公主様の想い人?」

 これには、風も江も怪訝な顔をしたまま何も言わない。

 『雪!なにを言っているの?余計なこと言わないで!江が困るじゃない。ダメよ、私の存在は教えないで!お願いだから――』

 私の周りをくるくると何度も飛び周り、リィリィが叫び声をあげる。


 「その硯箱……たぶん、あなた宛てよ。リィリィ公主から」

 月季の中落ちている硯箱を指さすと、江の表情がわずかに歪む。

 しばらくの間、私を見つめたあと、江は硯箱に向かい歩き出し、一瞬、躊躇しながらも手に取った。その間に身体を起こそうとするが、毒のせいか、まだ起き上がることが出来ない。

 「風……これ本当に痺れ薬?けっこう体が重いんだけど」

 「それはそうだろ。本来なら、女性は致死量にあたる。内功のおかげだな……もう少し時間が経てば痺れが取れる。それよりも……何で朱明殿にいるんだ?試験は上手くいったのか?」


 それを言われると頭が痛い。第1試験は何とかしのいだが、まだ第2試験がわからない。その上、また風に助けられるとは……不覚だ。

 どうして私は、こうも風と関わるのか……リィリィが導いているとしか思えない。


 「風……公主は面白い人ね」

 目の前では、鬼の形相で、私に「なにも言うな!」と叫び、青くなったり赤くなったり百面相を披露しているリィリィ。動けない私は、もう……耳が痛い。

 「……姉上?確かに俺達の前では素を出して面白い人だったが、雪は、なぜ知っている?前に姉上と会ったことがあるのか?」

 「……一度もないわ。でも――知っているの。凄く綺麗で黙っていればいいのに、話すと残念になる公主様」

 『ちょっと雪!失礼ね。私は公主としては完璧だったわよ。それよりも江を止めて……渡せなかったのに……もう、今となっては残酷だわ……酷いわ雪』

 涙を流し、本気で泣き始めたリィリィの姿にさすがに慌てた。


 そして、私の横では風が怪訝な顔で、なぜ、公主を知っているのかとしつこく聞いてくる。

 ……2人共うるさい……どうして、こんな状況に陥ったんだっけ?

 自分のせいだ。それよりも江を止めないと。

 「江……それは見ないで。まだ見てはダメ」

 手を伸ばし、急いで止めたけど遅かった。

  江は……硯箱を開け中を凝視した。

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