海風





「ねぇ、日向、僕、海に行きたい。」


朝、朝ごはんを作っている彼に後ろから抱きついていた時、唐突に彼は言った。


「そんなの、いつでも連れてってやる。」




車に乗り、海へと向かう。どんどんビルが消えていくその様子は、見ていて飽きなかった。二時間弱で海に到着した。


「着いたぞ。」


「よかったぁ。」

彼はそういうと涼しい笑顔を作った。


海の天気は最高だった。俺たちを歓迎するように、優しい波の音がした。浜辺はほぼ貸切状態だった。日差しが強く、暑かったが、水に入ってしまえば、こっちのものだった。潮の匂いが身体中につく。なにか昔を思い出すような香りだ。砂場で埋めあったり、砂の城を作ったり、ドラマでカップルがするような「水かけごっこ」をした。俺は高校生に戻ったように一瞬一瞬を楽しんだ。



✦ ✦ ✦



「まだいるのか?」

金赤に染まった空を見上げながら、隣で座り込むはるに聞いた。


「うん…。」

彼の顔を見つめた。顔色が悪い。いつも顔色は悪かったが、いまは一層悪い。


「おい!大丈夫か?!」


「…僕、日向に黙ってたことがある。」

嫌な予感がした。

「日向にあった時にはもう、僕には命のタイムリミットが与えられてた。」



さざ波の音が煩い。



「だから、日向にあった時、これは神様が与えてくれたプレゼントなんだって思った。」


「…。」


「ごめん…。黙ってて。でも、心配して欲しくなかったから。いつもの日向を見たかったから。」


「…。」


「…愛してるよ。日向。」


「救急車呼ばなきゃ!」

急いで携帯を取り出すが、携帯の画面を隠される。手から生気が消えていっている。

「なんでだよ!!離せ!!!」


「いいの。…もう、無理だから。だから…ここで二人きりで、静かに、死にたい。」

死ぬ、という言葉がその瞬間すごく重く感じた。

「…日向の隣を独占しながら。…最高…じゃない?…ファンに…とって…。」


「言ってくれたら、もう少し、もう少しいろいろできたのに…!!もう少しお前と一緒にいたのに…!!」


「普通でよかったんだってば。」

彼は力なく俺の肩に頭を乗せていた。

「ねぇ、最後に…ちゅー、して…?」


できるだけ長く、優しくキスをした。彼の唇から、熱が引いていくのがわかった。


「はる…。」


「…日向…ずっとっ…側いるからっ…作って…いい詩…待ってる…か…ら………。」

彼は少しずつ、彫刻のように、硬くなっていった。空は紺色に染まっていた。星がひとつ流れた。願い事をすることも忘れ、ただただ、滲んでいく空を眺め、嗚咽を放っていた。


大分遅くなってから、救急車を呼んだ。彼らに何を言われても、耳が聞こえなくなったかのようだった。






もう、彼はいない。







白くて天使のような彼はもう俺の側にいない。







あの無邪気な笑顔や、


少し恥ずかしそうに桜色に染まる肌、


漆黒に染まった風になびく髪、


潤んで奥深い瞳…「日向」と俺を呼ぶ声、


「愛してる」と耳元にかかる微かな息、


「ごめん」と申し訳なさそうに俺を上目遣いで誘惑する表情……







全てが写真と俺の頭の中にしか残っていない。








もう、彼はいない。









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