第3話 レイスと生首3
親切な女官長さんに案内されたのは、ひどく奥まったところにある一角だった。
青を基調とした色合いで、さり気ないが豪華な内装である。
しかも相当に広そうで、さっと見えただけでも幾人かの女官たちがいた。
レイスは、急に場違いなところに放り込まれた気がして、入り口のところで足を止めた。
「・・・・・・あの」
「はい?」
キャンベラさんは、にっこりと満面の笑みを浮かべる。
その横に、す~っと青白い幽霊が通っていったので、続く質問を口にすることができなかった。
幽霊はちらりとレイスに流し目をくれて、そこだけ真っ赤な唇を少し開いた。
何か、言いたそうな表情。
しかし、その幽霊には舌がない。
ぞ~っと背筋に冷や汗を流しながら、レイスは凍りついた。
「まあ、そんなに怖がらないで下さいな。ロウさまはとてもお優しいかたです」
「はい!それはもう」
レイスはコクコクと首を上下させた。
少し驚いた顔をしたキャンベラさんは、改めてにっこりと、向日葵のような笑顔を浮かべた。
「お寒かったでしょう? 温かいお飲み物を用意しますわ・・・・・・どうかその、無粋な鎧を御脱ぎくださいな」
「え!いえそんな・・・・・そこまでお世話になるわけには!」
「私の私室だ。そう硬くなるな」
短髪の女性は、レイスの肩にポンと手を置き、入室を促した。
私室、と聞いてますますレイスは恐縮する。
後宮に個室があるということは(しかもかなり立派だ)、最初に思っていた以上に身分の高い方なのかもしれない。
ここに陛下以外の王族の方が御住まいだという話は聞かないが、いかんせん、レイスは下っ端も下っ端。高貴なかたがたがどこでお休みになるのかなど、詳しいことは知らない。
「キャンベラ、夜分にすまないが、神儀長を呼んできてくれないか」
私室に戻り、格段にくつろいだ様子で、ロウと呼ばれた女性が上着を脱いだ。
「まあ! お急ぎなんですね」
「いや、お前が考えているようなことでは」
「わかりましたわ!」
慣れた様子でその上着を受け取り、衣桁の上に丁寧に広げて、キャンベラさんが幾分甲高い声を上げた。
その両手は、感極まったように胸の前で揉みしだかれ、大きな目が釣り灯篭の明かりをうけてキラキラときらめいている。
「あ、あの」
さすがのレイスも、なんとなくマズイ気がした。
しかし、上げかけた手を、華奢な白い両手でギュウと握られ。
「ご武運を」
訳のわからぬ励ましをされて、「はあ」と気の抜けた返事をしてしまった。
きらっきらの笑顔で頷くキャンベラさんは、興味津々の表情でこちらをチラチラ見ながらも、決して口を開くことがなかった女官さんたちを促して、ものすごく見事な撤退をみせた。
「あ」っと言う間もなく、5人もいた女官たちが消えてしまって。
丁寧に頭を下げた最後のひとりの、それはもう可愛らしい笑顔に、ぐらりと眩暈を覚え。
「・・・・・・レイスフォード」
長椅子でくつろぐ部屋の主に、もの凄く長い溜息とともに名前を呼ばれるまで、呆然と立ち尽くしていた。
「すまないな、厄介なことになった」
「あの、もしかして俺・・・・・いえ私は、大変無礼な真似をしているのでは」
真夜中の後宮。
しかも、若い女性と個室でふたりっきり。
「わあっ、すいませんっ!」
レイスはようやくそれに思い至り、慌ててその場から飛びのき膝をついた。
「そそそ、そんなつもりはっ」
「まあ、誘ったのは私だからな」
わたわたと両手を振るレイスを見て、彼女は笑った。
短すぎる髪。がっしりとした体格。
顔だけだと、端麗な面差しの男性とも見えなくはなかったが。
くつろいだ薄着のその姿は、ひどく女らしく、むしろ艶めいて見えた。
レイスは慌てて目を反らせ、青灰色の高価そうな敷物が敷き詰められている床に視線を据えた。
「真っ赤だな」
女が長椅子に座ったまま、飾りのない簡素な靴を脱ぎ捨てた。
視界の隅で、彼女の白い素足が揺れる。
「そんなにしゃちほこ張るな」
笑いを含んだその口調に勇気付けられ、恐る恐る顔を上げてみて・・・・・・・
「・・・・・・・いっ」
長椅子でくつろぐ彼女を見るはずが、ぎょっとするほど至近距離に青白い死者の顔があった。
どんよりとした目。
鼻からも、口からも、耳からも、ドロドロとした赤黒い血が滴り。
ほっそりとした喉の、半分のところから下がなかった。
「い?」
「いいいいいいいいいい」
「赤くなったり、青くなったり、忙しい男だ」
彼女は溜息を付きながら立ち上がり、膝を付いたまま硬直しているレイスの傍まで近づいてきた。
パタパタと、煙でも散らせるように手を振って。
「大丈夫か?」
不満そうな生首女が遠ざかっていくのを、レイスは涙を浮かべながら見送った。
「こうも頻繁に見えるのなら、それは恐ろしかろう」
ぽんと肩に置かれた手は、鎧越しの感覚でしかなかったが。
あまりにも冷たい死者の霊気に比べると、伝わってくるぬくもりは段違いだった。
「・・・・・・す、すいません」
レイスは紫色の目に涙をにじませ、震える息を吐き出した。
「も、どうしていいのか」
「すまないな、直接神儀長のところに案内してやろうと思っていたんだが」
彼女が幽霊に避けられる理由を、定期的に受ける神儀長からの加護のお陰かもしれない・・・・・・と、こんな深夜に神殿棟まで連れて行ってくれる途中だったのだ。
「い、いえ」
レイスは小さく首を振った。
男であるレイスを後宮内に導き入れるなど、女性であるこのひとには凄まじくリスクが高い行為だ。
むしろこちらが申し訳なくなるほどに。
「奥の部屋は、強い守護が掛けられているから、出ないはずだ」
導かれるままに立ち上がり、その「奥」といわれる部屋の近くまで腕を引かれて。
レイスはピタリと、重い足を止めた。
「い、いや・・・・・その」
「なんだ? 入れよ」
彼女のからかうような低い含み笑いに、レイスは焦り、口ごもった。
「わわわ私はそんな」
「襲ったりしないから心配するな。それともお前、わたしと・・・・・・」
「いえいえいえいえいえ!」
とんでもない!とブンブン首を振り、ついでに手も振った。
慌てまくるレイスを見て、彼女はニヤリと楽しそうに笑った。
「それはそれで失礼なセリフだな」
かなり強い力で背中を押された。
2,3歩、たたらを踏むように足が出て。
さっと、背後で柔らかそうな布が落ちた。
格段に薄暗くなった室内は、嗅いだことのない香の匂いで満ちていた。
明かりは、背後の部屋から漏れるものと、壁際にある小さな行燈だけ。
正面に大きな窓があるが、分厚いカーテンで塞がれていて、外から月明かりなどが差し込む様子はない。
部屋の中央に、大きなカーテンに囲われた一角。
レイスの感覚では、大人の男が5人は寝れそうな・・・・・・巨大な寝台。
「あ、あのっ」
「わたしは湯浴みをして来たいのだが」
一緒に来るか?と、イタズラっぽい流し目を食らわされ、レイスはフルフルと首を振った。
「まあ、出てくる頃には神儀長が来るだろう」
こんなところでひとりきりにされたくなかった。
さっと見た感じ、怪しげなものはいないが、油断はできない。
レイスは置いていかれそうな恐怖で青ざめながらも、風呂に行くという彼女を引き止めることもできなかった。
「ちなみにすぐそこだ。何かあれば大声で呼べ」
そして、独特の意地の悪い笑みを唇に刻み・・・・・・
「お前らも・・・・・その男を「守って」やれよ」
「はっ」
突如、端的な兵士らしき声がして、レイスは文字通り飛び上がった。
「おお、すごい。ざっと30バルス(30センチほど)は飛んだな」
遠ざかっていく女の闊達な笑い声に邪気はなく。
レイスは、ひどく情けない気持ちになりながらその場に立ち尽くした。
寝台の左右、壁際の一番暗い影になった場所に、女性用の軽い鎧を身にまとった黒衣の騎士がふたり、ひっそりと佇んでいたのだ。
まったく気付かなかった。
いや気付いたからといっても、どうしようもないのだが。
ひどく気詰まりなまま、微動だにできず、レイスは内心泣きたい気持ちで目を瞬かせた。
同じ近衛騎士といっても、彼女たちと自分は立場が違う。
女性であることと騎士であることの両立ですら難しいのに、彼女たちはその難題をクリアし、なおかつ 家柄、素性が相当に良くなければここにはいられない。
言うなれば、名家の嫡男に見初められて嫁に行っても支障がないほどの、きちんとした家の子女なのだ。
レイスたち近衛騎士の中には平民出の者も多く居るが、陛下の最も近くに在る彼女たちの素性は厳選されていると聞く。
勤務する場所はすごく近いのに、親しくしているという話しすら聞かないから、近衛騎士と女騎士との身分差は歴然とあるのだろう。
「・・・・・・」
レイスは、気のせいでもなんでもなく、不躾な眼でジロジロ見られた。
うら若き女性の寝室に、遠慮もなく入り込んだ慮外者だと思われているに違いない。
不可抗力だと言いたかったが、彼女たちが居る方向に顔を向ける度胸すらなかった。
小さく、深く溜息を付く。
この部屋の主の言うように、ここは守られた空間なのだろう。
部屋の外には幽霊の気配があるが、こちらには入ってこられない様子なのだ。
ただひとつ、それだけは救いで。
風呂から戻ってくるのをここで待つのか、幽霊への恐怖を耐えて、この部屋から出るべきなのか悩み・・・・・・
結局レイスは、延々その場で固まっていた。
前門の虎、後門の狼。
選ぶことなど、とてもできない。
「騎士どの」
やがて、見かねて妥協してくれたのは女騎士のほうだった。
「我らのことは気になさらず」
「・・・・・というのも無理でしょうけれど」
くすくすくす
凛然とした気配なのに、含み笑いは柔らかな女性のものだった。
レイスは幾分緊張を緩めて、声のするほうを向いた。
巨大な寝台の左右に、彼女たちは双子のように立っていた。
天蓋付きの寝台は影になっている部分が多く、その上黒い装束で全身をかためているので、控えていることに気付けなかったのだろう。
レイスは強張った表情ながらも、なんとか愛想笑いを浮かべようとして・・・・・・
ギクリ、と凍りついた。
「騎士どの?」
目の前にあるモノに、頭の中が真っ白になった。
寝台の上。
高価そうな、確実に見た事も触れたこともない豪華な寝間。
天蓋がドレープを作り、その影を心地よさそうにも、淫靡にも見せている。
もしなにもなければ、レイスは照れながらもさっと眼をそらせていただろう。
若き女性の寝所を、ジロジロと見るものでもないからだ。
しかし。
巨大な目と、バチリと音がするほど視線がぶつかった。
ありえないほどの大きさの顔が、デンとそこにあったのだ。
若い女だ。
青い目、赤い唇。
蛇のようにうねうねと広がる黒い髪。
レイスは2歩、3歩と後ずさった。
そしてそのまま、白目を向いて気絶した。
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