第2話 レイスと生首 2

 ひくひくと鳴る喉が、恥ずかしい。

 レイスは真っ赤な顔をうつむけながら、とぼとぼと歩いた。

 土足で歩くのを憚られるような廊下に、がしゃがしゃと鎧の音が響く。

 その手に近衛の誇りである槍はない。

 後宮の建物内に刃物を持ち込めるのは、ごく限られた者だけなのだ。

 手甲のくびれた部分を、ぎゅっと強く掴まれて。

 そろそろと目線を上げてみると、そこにはあの短髪の女。

「あ、あの・・・・・俺は仕事が」

「そんな面で何ができる。おとなしく付いて来い」

 レイスの腕を引いて歩いている彼女は、本当に長身だった。

 近衛のなかでも大柄な部類に入る彼と、手のひらひとつ分ほどしか変わらない。

 こんなにも背が高い女性は初めてだった。

 胸部のゆたかなふくらみがなければ、男だと思ったかもしれない。

 その黒曜石のような目と視線が合いそうになって、レイスはまた羞恥に駆られてうつむいた。

「・・・・・・いいんでしょうか、俺みたいなのが後宮に足を踏み入れたりして」

「まあ、硬いことは言うな」

 無様な顔をジロジロと見られている。

 涙の跡が残る頬を、鼻水をかんで赤くなった鼻を。

 その視線をひどく恥ずかしいと思ったが、それよりも、彼女に去られてしまうのが怖かった。

 幽霊は、建物の外だろうが中だろうが構わず存在する。

 むしろ、中側のほうが力があるモノが多い気がする。

 こんなところで独りにされるなど、一般近衛の分際で勝手に後宮内に立ち入ったことを咎められるよりも怖い。

 見間違いでもなんでもなく、彼女が歩けば幽霊が避けていく。

 それを頼もしげに見ていると、クスリと笑われた。

「妙な男だな、お前は」

「・・・・・・すいません」

 しゅん、とうなだれると、強い力で背中を叩かれた。

 その力は女性にはありえないほど強く、思わず鎧ごとよろめいてしまった。

 近衛の白い鎧はけっこう重量があるので、よろめいたついでに蹴躓いて顔面から転びそうになった。

「おっと」

 さすがに女性に支えてもらうのは憚られ、なんとか踏みとどまろうとするが、おっとっと・・・・・とたたらを踏んで、そのまま廊下の壁にゴツンと頭をぶつけた。

「・・・・・・っ」

「まったく、何をしてるんだお前は」

 レイスはズキズキする額を押さえ、涙目になった。

 強面なナリをしているが、涙腺が弱い男なのだ。

「も、申しわけ・・・・・」

「なにを謝る? ぶつけたのはお前のおでこだろう」

 色白の手が、痛めた部分をナデナデとさすった。

「たんこぶが出来ている」

 レイスはますます眉毛を下げた。

 ひどく情けない面相をしている自覚はあるが、今さらだった。

「さっさと歩け。時間がない」

「は、はい」

 強引に腕を引かれ、けっこう長い距離を歩いているが、やや方向音痴を自覚しているレイスは元の場所に戻れる自信がなかった。

 これで、クビ確実か。

 地方を出て、それはもう勉強に勉強を重ね、難関を勝ち抜いて近衛騎士の職についた。

 しかし、長い研修期間を経てやっと決まった所属先は後宮警備。

 その時点で、いやな予感はしていたのだ。

 レイスは、子供の頃から「見える」子だった。

 墓場などには行かないようにしていたし、古戦場などという恐ろしい場所が遠足先だと聞かされれば、根性で高熱を出した覚えもある。

 そんな役にも立たない能力のお陰で、生涯を捧げようと心に決めていた職を失うのか・・・・・・

 考えると、あまりの情けなさに泣けてきた。

 いくら見えるといっても、怪我をしたこともないし、祟られた経験もない。

 ただ・・・・・・恐ろしくてチビリそうになるだけだ。

 この手は剣を自在に操り、長槍であれ弓であれ、レイスに扱えない武器はない。

 純粋に人間相手なら、どんな敵でも恐れはしないのに・・・・・・

「なんだ、まだ痛いのか?」

 再びヒクリと喉を鳴らしたレイスに、先を歩く女が赤味のある唇を綻ばせた。

「子供みたいな奴だな」

 よしよしと額を撫でられて、またぶわっと涙が溢れた。

「・・・・・・っと」

 情けなくて声を殺しても、涙は止まらず。

 立ち止まった女は困惑した様子で、レイスの顔を覗きこんだ。

「居るのか?」

 幽霊の話をまともに信じてくれたのは、彼女が始めてだった。

 恐ろしくて腰が抜けてしまったレイスの、自分でも要領を得ない話を、疑うことなく真剣に聞いてくれて。

 「それは怖かったな」と同情してくれたときの、あの安堵をどう表現したらいいのだろう。

「あ、あなたの左側に・・・・・」

 先ほどとはまた別の生首だった。

 こちらの女性は顔の半分が焼け爛れていて、茶色の髪がごっそり抜け落ちた恐ろしい面相をしている。

 指差したら、目が合ってしまった。

 赤黒い血を唇から滴らせながら、その女性はにたあ・・・・・と笑った。

「・・・・・・ひっ」

 レイスは鎧の重さなど感じもせず、バッタのように後方に飛んだ。

 自然と離れてしまった恩人が、驚いたように目を見開いて。

「ここか?」

 紺色の腕を無造作に左右に振る。

 生首は、非常に恨みがまし気な顔をして、ふわりと後方に退いた。

「や、やっぱり貴女には触れないんです!」

 レイスはもはや、藁をもすがる思いで彼女を見つめた。

「すごいです!」

 抱きつきたくて腕がわきわきしたが、なんとか耐えた。

 後宮の廊下でそんなことをすれば、即座に自分の首が胴体から切り離されてしまう。

 彼女はふっと男前な表情で破顔して、よしよしと額を撫でてくれた。

 やさしい。

 ・・・・・それに、よくよく見れば、とても美しい。

 レイスは、目の前の女性に縋り付きたい欲求が耐え切れなくなってきた。

 彼女から漂ってくる雰囲気が、とても大らかで力強く。

 どうか俺を守ってください!と懇願してしまいそうになる。

「ロウさま?!」

 ふと、甲高い女性の声がした。

 感極まっていたレイスは、滂沱と涙を流しながらギクリと身をすくめた。

 薄暗い廊下の曲がり角から、あかりを手にした女官が、驚愕の表情でこちらを見ていた。

 レイスは、確かにそこにある気配が人間のものだと察するまで、細かく震えながら凍り付いていた。

「ああ、大丈夫。あれは化け物じゃない」

「・・・・・・なんですかそれは」

 女官は非常に困惑した口調でそう言って、大慌てで涙を拭うレイスを不躾に見上げた。

「手篭めにでもしようとしたのですか?」

「はははは」

 彼女の笑い声は、とても大きく、朗らかだった。

「手篭めか! 面白い」

「そうですか!」

 何故か、女官はぱっと表情を明るくした。

 そして、空いているほうの手でがっしりとレイスの腕を掴む。

 びくり、としたレイスが、何がどうなっているのか理解するより先に、小柄な女官に手を引っ張られた。

「さあさあ、御寝所までご案内しますわ」

「おい、待て」

「ロウさまのお気が変わらぬうちに・・・・・さあ」 

「その者はちが」

「なんておめでたいのでしょう!」

 レイスは訳がわかっていなかったし、背の高い女のほうも困惑しきりの表情だったが、女官はまったく耳を貸さなかった。

「ロウさまも、お早く!」

 レイスは、行こうとしていた方向から90度違う道を選ばされ、ずんずんと後宮の奥深くに連れ込まれた。

「あ、あの・・・・・」

「お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。自分は第7近衛騎士団85連隊のレイスフォード・ハイドンと申します」

「失礼ですがご実家は?」

「チェイン地方ミネルバを所領としております。貧乏男爵家の次男です」

「まあ!」

 女官はにこにこと明るく声を上げ、微笑んだ。

 すべからず、女性の笑顔は、男の悩みを遠ざけてくれるものなのだ。

 内心、ほんわかしていたレイスは、気付いていなかった。

 話の行方を察した背の高い女が、なんとか口を挟もうとしていたことに。

 ちゃっかりレイスの身上を聞き出した女官が、満足そうに頷いたことも。

「わたくし、女官をしておりますキャンベラと申します」

「はあ」

「頑張ってくださいね!」

 そこで「何を?」と聞き返さなかったことを、レイスは半日後に後悔する。

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