若きレイスの悩み

@sirotama00

第1話 レイスと生首 1

「ああああ、いやだいやだ」

 レイスフォード・ハイドンは真夜中にひとり、呟いた。

 ここは後宮。

 女王陛下の御座所。

 まだ独身の陛下には、正式な夫君はおらず、お通いになられる御方もいらっしゃらない。

 ということはつまり、ここ後宮には陛下の身の回りのお世話をする女官たちと、警護の女騎士しかおらず、空き部屋ばかりが延々と広がっている。

 昼間は目を楽しませてくれる豪華絢爛な建物なのだが、夜ともなれば、不気味すぎるほど静かで。

 葉すれの音ひとつ取ってもオドロオドロしく、己の鎧がたてるカチャカチャという金属音ですら恐ろしい。

 幽霊や化け物の類にめっぽう弱いレイスは、いつもなら夜の警護番を代わってもらうのだが、今回はどの悪友も事情(というよりデートだちくしょう!)があって、仕方なしにひとりでの巡回に出ていた。

「怖くない怖くない怖くない」

 呪文のように繰り返す。

「お化けなんてないさ! お化けなんて嘘さ!」

 真夜中の暗い場所で、ぶつぶつ呟くレイス自身のほうが怖いが、本人はまったくそんなことには眼中になく、ただただ夜が明けてくれることを祈っていた。

「うああああ、いやだいやだいやだ」

 がくがくぶるぶる。

 重装備の近衛の白い鎧が、身を守ってくれそうだとも思えるし、逃げるのに邪魔そうだとも思う。

 しかし、まさか全部脱ぎ捨てて遁走するわけにもいかず、レイスは傍目にもヨロヨロと、回廊の壁伝いに歩いていた。

 もちろん、警護番が彼だけだというわけではない。

 後宮は、常時厳重な警護体制で守られている。

 しかし、むやみやたらと広大なのだ。

 魔法での防御壁がなければ、近衛兵が総がかりで連日不寝番をしても守りきれないほどに。

 そして、その防御壁の異常がないか、不審者がそれを乗り越えてはいないか、見張りをするのが後宮警護のお仕事だった。

 ・・・・・・とても、その任務を果たせているようには見えないが。

 彼のために言わせてもらえば、幽霊や化け物の類ではなく、人間が相手であれば、極めて有能な騎士なのだ。

 それでなければ、下級貧乏貴族の次男が後宮警護の任に就けはしない。

 しかし、レイスにとっての一番の弱点、本人にはどうしようもない恐怖の根源。

 それが、余人の目には映らないとされている、死者の霊魂であり、妖かしの類だった。

「俺は何も見えない、見えない、見えない」

 もし彼が事実、なにも見えない人間だったら、ここまでの恐怖はなかっただろう。

「見えないったら見えない、何も見えてませんよ~ほんとに見えてませんから!!」

 しかし、そのアメジスト色の目は、まったくもって余計なことに、色々なものを「見て」しまうのだ。

 レイスはぎゅっと目を閉じて、ぶるぶると首を振った。

「血まみれの生首なんて、見てません!」

 後宮などいう場所は、永い間色々な怨念が渦巻いてきたところだ。

 まだ国王の継承が男性優位であった時代には頻繁に、女王が慣例となってからも幾度か、地位や利権と直結するこの場所は、血みどろの舞台だった。

 長い歴史を誇る古い国なので、それなりに闇の色も濃い。

 レイスにとって恐ろしいことに、怨念のこもった霊魂は、見ることが出来る者の前に好んで出現する傾向があり、夜間番に何事も見なかったことなど一度もないのだ。

 実害はないんじゃないかって?

 いやいや、それは甘い考えだ。 

 怨霊歴の長い奴らは、自在に物を動かせるし、その気になれば、たぶん祟り殺すことも出来るんじゃないかと思う。

 妖かしはあまり人間に興味がないから、レイスをほぼ無視してくれるが、深い恨みを根強く持ち続けている怨霊は違う。

 やたらと出てくる。

 延々と恨みつらみを語ろうとする。

「なんにも見えません!!!!!」

 必死にきっぱりそう言ってやっても、諦めない。

 いや、その程度で諦めてくれるなら、長年怨霊などやっていないでさっさと輪廻の輪にもどっているのだろう。

 今も、うつろな目をした首だけ女が、頬ずりができそうなほど近くにいる。

 どんなに逃げても、その距離は開かない。

「ひいいいいいいっ!」

 とうとうレイスは、喉の奥から野太い悲鳴をひねり出した。

「見えないって言ってるだろうがああああっ!!!」

 涙目になって、大声で怒鳴る。

 長槍など地面にほうり出し、手甲をはめた両手で、耳を押さえて。

 こうなったらもうダメなのだ。

 レイスはべったりと尻を土に付け、文字通り腰を抜かしてしまった。

 ・・・・・・笑わないであげて欲しい。

 本人にとっては、不可抗力だとしか言いようがないのだから。

「なに? 大声だねぇ」

 彼がもはやこれまでと、恥も外聞もなく泣き叫ぼうとしたとき、不意に、回廊の2階から女の声がした。

 レイスは尻餅をついたまま、ひいっと喉を鳴らした。

 更に恐ろしいお化けが出たのかと思ったのだ。

 恐る恐る見上げた先には、黒髪の女。

 女にしてはありえないほど短い髪に、化粧っ気のない顔。

 年はレイスと同じぐらいか、少し上だろうか。

 装飾のまったくない簡素な服装で、確かに女性なのだが、女官というよりも武人のような雰囲気だった。

 現在後宮の内部で暮らしているのは、女王陛下と、その身辺をお世話する女官、そして、やんごとない玉体を最も近い場所で守る女騎士隊。

 ちなみに一般の近衛兵は、滅多に後宮の建物内に足を踏み入れることはないし、住まいも通常は王宮にほどちかい宿舎だ。

 後宮にくつろいだ私服でいる。ということはつまり、彼女は陛下の女騎士なのだろう。・・・・・・見たことがない顔だったが。

 そう判断した瞬間、ぼろぼろと涙がこぼれた。

 彼女が生きている人間だというだけで、それはもう諸手をあげて感謝して、借金の保証人にでもなんでもなってやるぞ!と言いたくなった(もちろん本当には言わないが)。

 女はおや?と首をかしげて、無言で号泣するレイスを見下ろした。

「どうした? 誰かに苛められたか?」

 レイスはヒクヒクと嗚咽を堪えながら、首を振った。

 生首がいるんです!

 大声でそう言いたかったが、いまだフヨフヨと真横に漂っている女の首は、自分以外の誰の目にも見えないのだ。

 女は、眉間に深い皺を刻んだ。

 そしてやおら、回廊の壁を跨いだかと思うと、ふわりと衣を翻しながらレインの傍まで降りてきた。

 身軽な女だ。

 そして!

「あああああああっ」

 彼女は紺色の袖を一振りして、生首を真横に押しのけたのだ。

「なんだ?」

 女が意図して生首を排除したのだとは思えない。

 というよりも、彼女にはたぶん見えていない。

 しかし、レイスはぱあっと表情を明るくした。

 女が退けた生首は、なんと!それ以上近づいてこれないようなのだ。

 思わずがしっとその腰にすがった。

「助けてくださいっ!」

 女にしてはしっかりとした骨格の彼女は、幾分引き気味の表情で片眉を上げた。

「おおおおお俺は」

 それはもう、母親にすがる子供のように、恥も外聞もなく女の両足を掻き抱いた。

「・・・・・・お化けが嫌いなんですぅ」

 うわ~んと、友人知人はもちろん、親にですら見せることのできない醜態をさらしてしまったが。

 涙も鼻水も出っ放しのその顔を、取り繕っている余裕はなかった。

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