005 - hacker.belongTo(new Company());

 道中なんとか落ち着きを取り戻した僕は、引っ張られながら何度か女性に抗議したものの、完全に梨のつぶてだった。応答のないビジー状態のプロセスに引きずられながら、諦めが肝心と悟り、冷静になって今の状況を考えてみる。


 今の僕は一文無しであり、宿無しであり、身分証明書もなければ社会的保障も一切ない、見事なホームレスである。ダイナ王国では移民が多いため外国人にも優しいが、さすがに国民でもない怪しい人物を保護したりはしない。

 よって、会社に所属する事自体は悪い事ではないだろう。一切の交渉も契約もないのが不安ではあるが、さすがに無給という事はないはずだと思いたい。お金があれば、部屋を借りるなり宿屋に泊まるなり、住居もどうにかなるはずだ。会社に所属しているという事は、一定の社会的信頼を得る効果もある。身分証明も会社がしてくれるかもしれない。

 念願のマギシステムに関わる仕事であるのは間違いないし、最初は辛いだろうが勉強に関しては自信がある。それを乗り越えてしまえば、案外楽しくやっていけるかもしれない。


 あれ? じゃあ僕が入社しても問題なし?


 いやいやいや、一番の問題が目の前にいる。この人の強引さには嫌な予感しかしない。思えば、僕は非常に押しに弱い。頼まれた仕事はほいほいと請け負ってしまうし、なまじ仕事が出来るだけに次々と仕事を押し付けられ、社内では完全に便利屋扱いされていた。

 そして生来のコミュ障っぷりを遺憾なく発揮した結果、プレゼンは噛みまくり、ぶるぶる震え、ハキハキと喋る事もできないから聴衆はイラつくばかり。当然、そんな人物が昇進できるわけもないので、万年平社員のまま。いや、管理職になっても困っただろうけど。

 ああ、また脱線してしまった。とにかく、このままなし崩し的に会社に入ってしまえば、この人に死ぬまでこき使われるに違いない。行き着く先は過労死。前世を思い出してブルリと震える。


「あの! やっぱり僕は会社には――」

「よし! 我が社のオフィスに着いたぞ! どうだ、立派なものだろう!」


 気がつけば歩みは止まり、目の前には一軒の家がそびえ立っている。完全に切り出す機会を逸してしまった。女性はまるで僕を逃がさないかのように、しっかりと僕を掴んで離さない。知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない。そんなフレーズが頭に浮かんだ。

 大魔王のドヤ顔から視線を逸らしつつ、オフィスらしき一軒家を観察する。


 それは、見事なボロ屋だった。


 本当に人が住んでいるのか疑わしいほどの廃屋っぷり。魔物が潜んでいると言われたほうがかえって納得できる。コンクリートっぽい他の建造物とは対照的に木造で、外装の一部は塗装が剥げて下地が露出しており、窓があったと思われる場所には板が打ち付けられている。一応二階建てのようだが、床が抜けたりしないのか心配だ。


「……あの。ボロすぎませんか? 本当にこれがオフィスなんですか?」

「ああ、そうだ! な!」

「今日、から?」

「うむ! 今日からここが我が社のオフィスとなる。なにせ出来たてほやほやの会社だからな。オフィスとなる建物も買ったばかりだ」

「……え? え、えええええ!?」

「はっはっは。驚いたかな? ちなみに社員は私と君だけだ!」

「いや、私を社員にカウントしないでください!」

「……ダメなのか?」


 そう言って潤んだ瞳で僕をジッと見つめてくる。うう、負けそうになるが、ここは断固として拒否しなくてはならない。てっきり他の社員もいるかと思っていたのに、彼女と二人きりなんて耐えられるはずがない。きっと便利屋どころではない酷使が待っているに決まっている。なけなしの勇気を振り絞って拒絶しようとしたが、彼女は落ち込んだ様子でボソボソと喋り始めた。


「……私だって、無茶を言っている事はわかっているさ。でも、マギシステムを作ろうという人は本当に少ないんだ。みんな、マギサービスが提供する利便性に慣れきってしまって、使えれば中の仕組みなんてどうでもいいと思っている」


 その構図は身に覚えがあった。地球の現代人だって似たようなものだ。自動車、携帯電話、エアコン、冷蔵庫、そしてコンピュータ、インターネット。どれもこれも生活を便利にしてくれるし、中の仕組みなんて知らなくても使う事はできる。わざわざ自作しようなんて人は少ないし、企業が販売する商品やサービス、既存の仕組みに慣れきってしまって、それを変えようとも思わない。

 それは決して悪い事ではない。その状況は先人達が苦労して改善してきた結果なわけだし、難しい仕組みを知らないと使えないなんて、欠陥商品の謗りを免れない。より扱いやすく、より簡単に。それが目指すべき方向だし、そうなるよう努力すべきだと思う。

 でも、その簡単さの陰に押し出され、蓋をされたものがある事は、決して忘れてはいけない。機械のネジを外せば緑色の基盤が出てくるように、カバーの下には膨大な技術と知恵が隠れているのだ。

 僕たちは、その技術と知恵を受け継ぎ、発展させ、次代へと継承する義務がある。オープンソースのように。偉大なハッカー達のように。


 彼女の独白は続いている。


「私はこのままではいけないと思った。何か新しいモノを創りたい、創らなくてはいけないと思ったんだ。アイデアは色々ある。だが、それを形にするには知識と技術が必要だった。私だって私なりに努力はしたさ。大まかなマギシステムの仕組みや、簡単なマギランゲージなら理解できるようになった。しかし、そこまでだ」


 自嘲。


「複雑なマギランゲージとなると、もうお手上げだった。マギサービスの提供なんて夢のまた夢。それでも諦めきれずに、図書館で勉強しながら募集をかけたり、オフィスを準備してみたり、そうやって過ごしていた」


 ポタリ、ポタリ、と水滴が地面に染みを作る。


「そうしていて、たまたま君を見掛けたんだ。マギ関係の本を嬉しそうに持っていく姿に、もしかしたら、と希望を抱いた。あの本棚から本を持っていく人なんて、他に見たことがなかったからな」


 どうやら僕のスキップは見られていたようだ。


「君は、席に座るとマギランゲージの本を開いて読み始めた。そして、見てしまった。君が涙を流すところを」


 恥ずかしい。


「なぜだかその時、君の気持ちがよく理解できた気がしたんだ。マギハッカーを追いかける夢を持っているんだろう?」


 ドクン、と心臓が跳ねる。


「私も同じさ。マギハッカーがマギシステムを作り上げたように、人々の役に立つモノを創りたい。誰でも使えるようにしたい……。知っているか? 怪我や病気を癒やすマギサービスというのは、教会が独占しているんだ」

「え。でも、マギサービスというのは誰でも使えるのが売りなんじゃ……」

「ああ、確かに誰でも使えるさ。――高い使用料を支払えばな」


 その言葉に僕はショックを受けた。誰でも使えるはずのマギサービスなのに、実際にはお金を持ってる人しかサービスを受けられないなんて。


「で、でも、その使用料の値段は誰がどういう基準で決めてるんですか?」

「ふふふ。それはもちろん、マギサービスの提供者が決めている。基準なんて存在しない。全ては教会上層部の気分次第というわけだ。もちろん、マギシステムの維持に必要な費用も含まれているだろうが、それにしたって明らかに暴利だよ」


 万人が使えるようにとマギハッカーが作り上げたマギシステムが、金儲けの道具に使われている。それも、マギランゲージを授けたとされる神様を信仰する教会によって。

 マギハッカーの想いが汚された気がして、僕は強い憤りを覚えた。


「水生成や着火みたいな生活の根幹に関わるマギサービスは、国が安い使用料で開放しているが、他の便利なマギサービスはどれもこれも使用料が高い。商人たちが楽に金を儲けるための手段として運営されている。利用できるのは一部の富裕層だけだ」


 健全な価格は健全な価格競争あってのものだ。マギサービスの新規参入者が極端に少ない状況では、価格競争も発生せず寡占状態になる。そうなれば、使用料は上げ放題だろう。

 なぜ新規参入者が少ないかというと、マギランゲージの難しさによる処もあるだろうが、少数のエンジニア達を既存のマギサービス企業が囲ってしまうからなのだろう。学校のようなものがあっても、卒業後は企業に高収入で即就職という状態に違いない。数学や科学的教養のない人間が、独学でマギランゲージを勉強するのも無理がある。


「そんな状況で、国が対策を講じないのでしょうか?」

「無駄だよ。ダイナ王国では、王民誓言によって王様が国民の自由な商売を阻害する事は禁じられている。値段を自由に付ける権利は保障されているんだ」


 王民誓言といえば、憲法のような国王から国民への約束事だ。確かに、そんな項目があった気がする。一見すると自由な商売を保障する良い誓約なんだけど、それが今は足かせになってしまっている。憲法と同じように簡単に改正する事もできないのだろう。憲法改正に苦労している日本の首相の顔が思い出された。

 日本では、こういった寡占状況に対応する独占禁止法という法律があるが、今回のケースでは違法には当たらないかもしれない。別に競争相手を価格操作で排除したり妨害したりしているわけではないからだ。単純に被雇用者が少なすぎて、賃金競争になっているだけだ。高い賃金を支払う事自体は別に違法行為ではない。


「そこで、私の出番というわけさ!」

「え?」

「私達の作ったマギサービスで革命を起こす! 適正な使用料で、誰でも安く使えるようにする! きっと、今までの独占状態にあぐらをかいていた企業は大慌てさ! 使用料を下げなければ、利用者はあっという間に私達のマギサービスに乗り換えるだろうからな! そして、誰も私達に文句を付ける事はできない。自由な商売と自由な価格設定は国民の権利だからな」


 正直、彼女の語る計画は穴だらけもいいところだ。そう簡単に既存のサービスを模倣できるとは思えないし、使用料が安くできるとも限らない。良いモノを作ったからといって、すぐに使ってもらえるとも限らない。地球でも、良い製品が陽の目を見ない事なんて多々あった。


 それでも。

 抗いがたい魅力が、情熱が、そこにはあった。


「……一つだけ、聞かせてください」

「なにかな?」

「あなたは、この会社のために、何が出来るんですか?」

「っ! はっはっは! これは驚いた。まるで私が面接を受けているようだ。だが、君の懸念もよくわかる。二人だけの会社だからな。私が出来ない事は君がやらなくてはいけなくなる。しかし、私はなんでもかんでも君に押し付けるような恥ずべき真似をするつもりはない! 君がマギシステムの構築に集中できるよう、私はそれ以外の全てを請け負うと約束しよう!」


 彼女の真っ直ぐな瞳が僕を射抜く。そこには確かな覚悟と信頼があった。


「……わかりました。でも、一つ訂正させて頂きます。マギシステムの構築に集中したいのはやまやまですが、僕だってそれ以外の全てをあなたに押し付けるような真似はしたくありません。仕事はきちんと分担しましょう」

「っ! ……では!!」

「ええ。これからよろしくお願いします。ボス」


 そして僕たちは、しっかりと握手を交わした。



「あ、もう一つ、聞くことがありました」

「ん、なにかな?」


「……あなたのお名前は何でしたっけ?」

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