004 - hacker.meet(boss);

 閲覧用テーブルの椅子に腰掛け、持ってきた本を積み上げ、早速とばかりに『詳細マギランゲージ文法』を開く。序文はマギランゲージの概要が書かれていた。


 マギランゲージとは、マギシステムを作るために使われる専用の言語である。マギランゲージを記述する事で万物の理を操ることができるが、その文法や構造は非常に難解であり、一部の賢者しかマギの恩恵に預かることができなかった。

 そこで、時の為政者がマギの賢者であるマギハッカーに命じて作らせたのがマギシステムの興りである。マギランゲージで作られたマギシステムを利用すれば、誰でも簡単にマギを行使できるようになり、為政者はこれを国民に広く開放した。その後、商人や宗教と結びついた結果、マギシステムは利用者から利用料を受け取って運用するという現在のマギサービスの形へと変化し、昨今では生活に欠かせないものとなっている。

 本書では、神が授けたとされるマギランゲージの詳細な文法を、具体例を交えながら解説していく。そもそもマギランゲージとは――


 僕は、この序文を読んで震えが止まらなくなった。恐怖ではない。興奮からだ。


「マギハッカー……」


 思わず口をついて出た言葉。マギの賢者、マギハッカー。様々な問題を魔法のような手法で解決するハッカー。僕はそんな存在になりたかった。小さい頃からコンピュータに触れて、プログラミングを学んできたのは、インターネット上のハッカー達に憧れていたからだ。


 ソフトウェアの公開には『オープンソース』と呼ばれる形態がある。ソフトウェアの元となる『ソースコード』を公開することで、誰でも利用できるようにするのだ。これによって、誰でもソフトウェアの開発に参加できるようになり、派生ソフトウェアを作り出す事ができる。

 例えるなら、誰でも加筆修正ができる一冊の本のようなものだ。最初の一人が書き始めた物語が公開され、複数の人々によって継ぎ足され、直され、完成されていく。例え最初の一人が書いていた物語が短く稚拙なものであっても、それが人々に感動を与え、必要とされれば、人々は少しずつ改善を加えて、より長大に、より完成度の高い作品になるだろう。

 一見するとメリットだらけのように感じるが、負の面も存在する。なにせ、誰でもソースコードが利用できるという事は、簡単に真似できるという事だからだ。オープンソースの歴史は、盗用や模倣との戦いの歴史でもある。実際そういったトラブルは枚挙に暇がない。

 それでも偉大なハッカー達は、ソースコードを公開し続けた。それがソフトウェアの、ひいては人類の発展につながると信じて。知識の共有が発展につながる事は、科学の歴史が証明している。誰しもが発展に貢献できる。ほんのちょっとした改善でも、それが積み重なれば大きな進歩になる。そうして作り上げられたソフトウェア達は、今では地球上で無数に利用され、人類の発展に大いに寄与しているのだ。

 この異世界に来る前、地球での僕の事を「ハッカー」と呼んでくれる人たちがいた。僕はそんな偉大な先人たちに憧れて、個人で開発したソフトウェアやウェブサイトを無償で、オープンソースで公開しつづけたからだ。課題や試験で忙しくても、就職してからも、睡眠時間を削ってでも活動はやめなかった。それが誇りだったから。そして、ハッカーと呼ばれる事に対する責任だったからだ。


 異世界にもハッカーと呼ばれる人達がいた。人類の進歩に大いに貢献していた。


 思わず胸が熱くなり、視界がぼやける。同時に、僕がこの異世界に来た意味がわかった気がした。地球での仕事は正直言って楽しくなかった。ハッカーとしての活動もデスマーチ中は出来るはずもなく、好きだったはずのプログラミングがいつしか苦痛に感じるようになった。いつしか、誇りを失っていた。

 プログラマは泳ぎ続けなければならない魚のようなものなのだ。常に最新の技術に触れて、勉強し続けなければならない。スキルを研鑽しなければならない。一度でも泳ぐのをやめてしまうと、あとはもう暗く淀んだ海底に沈んでいくだけ。

 一度、誇りという原動力を失った僕は、泳ぎ疲れてしまったのだ。沈んでいく事に耐えられなかった。だから、その事実から目を背けてひたすら仕事に打ち込んだ。そして訪れたのは過労死という名の暗い行き止まり。


 もう一度、やり直そう。

 あの頃のように、ひとつずつ学び、ひとつずつ進もう。

 先人達から学び、次の世代へとつなげよう。


//----


 決意を新たにマギランゲージの本を読み進めようとぼやけた目をこすると、目の前に見覚えのある人物が座っているのを見つけた。

 先ほどマギ関連の本棚の前にいた、赤毛ショートカットの女性だ。こちらをジッと見つめている。女性慣れしていないコミュ障の僕はドギマギしてしまい、目を合わせられず、挙動不審に陥ってしまう。


「どうして泣いていた?」


 唐突に女性が口を開いて出てきた言葉に、一部始終を見られていた事を察して、恥ずかしさから俯いてしまう僕は格好悪い。


「え、えーと、その、マギハッカーに、感動して……」

「ほう」


 面白そうに、不敵な笑みを浮かべる女性。どうか放っておいてほしい。


「いや悪かった。君を笑うつもりはなかったんだ。ただ、どうやら君はマギハッカーに相当な思い入れがあるようだね」

「え、ええ」

「マギハッカーに思い入れがあるという事は、マギサービスの関係者かな? 見たところ、勉強中のようだが」


 そう言いながら僕が積み上げた本の塔を指し示す女性。しかし、僕は今のところ関係者ではない。将来的にはそうしたいが、恐らく今の知識も実績も皆無な僕を雇ってくれる企業はないだろう。


「いえ、関係者では、ありません」

「まだ?」

「その……将来的には、そうしたいな、と……」


 女性の謎の威圧感に圧されて、ついペラペラと正直に喋ってしまう。就職活動の面接を思い出すな。結局、面接した中で僕を通してくれた企業は一社もなかった。最終的にスキルとオープンソース活動の実績だけで評価して即採用してくれたのが就職先だ。ありがたかったが、即戦力を求めていたのだろう、ろくに研修やOJTすらなく、すぐに現場に回されててんてこ舞いになった。異世界での就職活動でも似たような事になるのだろうか。今から憂鬱になる。


「ほう、将来的には、ねえ」


 女性の笑みが深まる。なんだろう、嫌な予感がする。僕の中のアラートシステムが警鐘beepを鳴らし、警告ログを吐き出している気がする。まるで、rm -rf /ファイル全削除を実行してしまったかのような不安感に苛まれる。即座に会話をシャットダウンしないととんでもない事になりそうな。

 冷や汗をかきつつ席を立とうとすると、僕の両肩はガシッと掴まれ、そのまま強制的に着席させられる。


「まあ待ちたまえ。マギサービスに関わりたいと言ったな?」

「は、は、はいぃ……」

「よし、採用だ!」


 何かの聞き間違いだろうか。恐ろしい単語が聞こえたような。


「いや、聞き間違いではない。君を採用する。ようこそ我が社へ。私は君を歓迎する」

「え、ええええ?」

「いやー助かった。ちょうどマギシステムを作れる人を探していたんだ。どうしても大手に取られてしまって人手不足でね。いっそ自分で作ろうかとも思ったんだが、手も足も出そうにない」

「い、い、いやいやいや! ちょっと待って下さい! 僕はまだ入社するなんて言ってません! そもそも僕はまだマギシステムの事なんて何にも知らないんです!」

「おや、ちゃんと喋れるじゃないか。大丈夫だ、勉強する時間はあげるから。入社してから勉強すればいい。いや、勉強も兼ねてマギシステムを作ればいい。そうだ、そうしよう」

「はぁぁぁ!?」


 勉強しながらシステムを作るなんて無茶な話だ。家の建て方など何も知らない大工見習いに、勉強しながら家を建ててみろと言うのと同じだ。どう考えてもまともな家が建つ訳がない。

 この人の強引さは、僕を最後のプロジェクトに巻き込んだ上司を彷彿とさせる。無茶を通せば道理が引っ込むを地で行くような人だった。社内でアンケートを取れば、上司にしたくない人ナンバーワンだっただろう。


「はっはっは。よし、そうと決まれば早速オフィスへと案内しよう。ほら、早く行くぞ。立ちたまえ」


 笑いながらそう言うと、僕が読みかけていたマギランゲージの解説本を抜き取り、デスクの本の塔と合わせて小脇に抱えると受付へと歩いていく。僕は呆然としながら、その後ろ姿を眺めていた。

 女性はそのまま手早く貸し出し処理を済ませ、保証金の銀貨数枚を支払い、本と共に呆然とする僕も抱え込むと、笑いながら図書館の出口へと闊歩する。無力な僕は何もできず、出荷される家畜のように、知識の宝庫である図書館をあとにするのであった。


「ところで、君の名前はなんだったかな?」

「…………」

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