003 - hacker.crawl(library);

 雑踏の中、マギデバイスの事を考えながら引き続き情報収集を続けていると、もう一つ聞き捨てならない情報を耳にした。


「えーと、これとこれ、あとこれ、図書館で調べてきて」

「了解っす。ちょっくら行ってきます!」


 そう元気ハツラツな声を上げて、獣人の少年が飛び出していった。追いかけるまもなく、あっという間に市場の奥へと消えてしまう。

 図書館。知識の宝庫、先達の知恵、巨人の肩。

 言うまでもなく、今の僕にとって一番優先度が高い場所であり、この世界を知るために避けては通れない場所である。

 図書館の場所を人に訊く勇気なんて微塵も持ち合わせていない僕は、獣人の少年が向かった方向にトボトボと足を向ける。わかっているが、性分なのだ。こればかりはすぐに治るものでもない。

 しばらく道なりに歩いて行くと、市場を抜けて大きい広場へと出た。広場の真ん中には泉があり、これだけ見れば水道技術が発達しているように思える。しかし、先ほどのマギデバイスの一件を考えると、これも何らかの技術が使われているのだろう。わざわざ利用料なんて支払わなくても泉の水を使う事も出来そうだが、禁止されているのだろうか。

 広場を見回すと、大きな建物に本を模したマークの看板が掲げられ、「パブリックライブラリ」と書かれているのが見える。直訳すれば公共図書館だ。すぐに見つけることが出来たことに安堵しつつ、図書館内部へと足を運ぶと、馴染み深い紙の匂いが鼻を通り抜けた。

 受付らしき女性に勇気を振り絞って声を掛ける。


「あ、あの。図書館の利用に、お金はかかりますか?」

「いいえ、パブリックライブラリは誰でも無料でご利用になれます。ただし、本の貸し出しの際には一定額の保証金をお預かりしますので、あらかじめご了承ください。本の返却と同時に保証金もお返しいたします」


 良かった。一文無しにも優しい、まさしく公共施設だったようだ。今の僕にとっては受付のお姉さんが女神様に見える。


「なる、ほど。ちなみに、保証金は、おいくらですか?」

「はい、現在の保証金は本一冊につき銀貨一枚とさせて頂いております」


 市場で観察していた限りでは、この国は銅貨、銀貨、金貨の三種類が主に使われる貨幣制度のようだった。銀貨一枚は、屋台で食事が五回できるぐらいの価値だ。物価が違うので一概に円に換算する事はできないが、本一冊にしては安くもなく高くもなく、といったところだろう。図書館の規模も大きいし、活版印刷のような技術が存在しているのかもしれない。

 お姉さんにお礼を言ってから、本棚へ向かう。途中に閲覧用のテーブルが並んでいて、他の利用者が本を広げている。空席の方が多く、利用者は疎らだ。どうやら、この国の国民は知識の習得にそれほど熱心ではないらしい。それでも、文字が書かれた看板も多く識字率は高そうだ。地球と同じく義務教育があるのだろうか。


 本棚の区分を表す看板を見つけたので目を通しておく。図書の分類というのは、歴史や文化、宗教に大きく影響を受ける、なかなかに奥が深いものなのだと聞いたことがある。地球の古代分類法では、神学や魔術などの分類が当たり前のように存在していたとか。

 この異世界でも、やはり独特の分類がなされていた。歴史、法律、文学といったありふれたものに始まり、宗教の書棚がそれなりの規模あり、極めつけは「マギ」だ。逆に、数学や医学といった自然科学や、工業や産業の本棚は見当たらない。

 「マギ」は名前からして、先ほど目撃したマギデバイスやマギサービスに関連する分類だろう。恐らくマギサービスの利便性が高く、科学発達の機会が失われているのではないかと推察した。代わりにマギ関連が発達しているはずなのだが、本棚の規模はそれほど大きくない。


 マギへの興味を惹かれつつ、今はそれよりも優先度が高い歴史や法律を簡単に調べておく事にした。他の人と会話するにも、常識や禁忌を知っておかないと恐ろしい。簡単そうな書籍をいくつかピックアップしてパラパラと斜め読みしてみたが、いくつか気になる点もあった。

 例えば、この国はダイナ王国というらしいが、政体としては立憲君主制に近く、世襲制の国王がトップに立っている。そして、憲法に近い「王民誓言」というものがあり、国王が国民に対して順守すべき約束事を定めている。この約束を破った理不尽な暴君は国民によって排除されるのだ。また、国家運営は議会に近い形で国王直属のシンクタンクがあり、そこで出た結論を国王に奏上する、という形で行われている。貴族は存在しないが、シンクタンクの所属議員や各地方を統治する知事は社会的地位が高い。

 見た限りでは十分に政治は成熟していて、百年以上も国体が続いているところを見ると、極めて安定した平和状態になっているものと思われる。市場や広場を見ると治安も悪いようには見えない。隣接した仮想敵国は存在するものの、ここ数十年は戦争も起きていない。

 ただし、魔物という人類に敵対する脅威が存在する事もわかった。王都周辺や街道周辺は定期的に魔物狩りが行われていて安全だが、辺境には当たり前のように魔物が棲息していて、立ち入るのは危険だ。しかし、人類には武器となるマギがあり、よほど強力な魔物でない限りは優位に対処できるらしい。

 人類と一口に言っても、先ほど市場で見かけたようなケモミミ・尻尾が生えている獣人族や、尖った耳を持つエルフ族、背の高い巨人族、逆に背の低い小人族、小柄だが力の強いドワーフ族、と様々な人種が存在する。ちなみにいわゆる普通の人間はヒト族だ。

 人種が多数存在すると人種差別が怖いところだが、ダイナ王国では人種差別が法律で禁じられており、それも相まって移民も多く、人口と国力は右肩上がりの成長傾向だ。素晴らしい事だと思う。


 歴史や法律をある程度把握した僕は、いよいよお待ちかねのマギ関連の図書が収められた本棚に足を向けた。ちなみに、ここまでで数時間が経過しているはずだが未だに日は高く、どうやら僕がこの異世界に出現したのは朝の時間帯だったらしい。

 宿と食事をどうしようか考えつつマギの本棚へ向かうと、そこには先客がいた。

 パッと見で男性かと思ったが、赤毛のショートカットで意思の強そうな女性だった。目鼻立ちがしっかりとした美人である。雰囲気が会社の部長を想起させる。部長は仕事の出来るキャリアウーマンだったが、反面、私生活はダラシないという噂を聞いた事を思い出した。僕に最後のプロジェクトを任せる時に、申し訳無さそうな表情をしていたのが印象に残っている。仕事を中途半端に放り出してしまった事に今更になって罪悪感を感じたが、もはやどうしようもない。

 ショートカットの女性は、本棚の前に立ち、熱心に本を熟読しているようだった。しかし、よく見ると眉を寄せて首を傾げたり、「ちっともわからん」と小声でブツブツとつぶやいていた。

 声を掛けるのもはばかられたので、女性を脇目に本棚の背表紙を眺める。


『マギサービスの歴史と成り立ち』

『マギデバイス構造・製造』

『詳細マギランゲージ文法』

『マギシステム運用』


 マギサービスとマギデバイスについて書かれた本を見つけたが、同時にマギランゲージやマギシステムといった知らない用語の本も見つけた。マギランゲージはランゲージ=言語だから、直訳すればマギの言語という事になる。マギシステムはそのものずばり、マギのシステムだろう。なお、直訳とは言っているが、実際には全て異世界の言葉で記述されているわけで英語や外来語ではない。他の言葉と若干の毛色の違いが英語として表されている。

 とにかく、考えてみればどれもこれも非常に馴染み深い単語だ。サービス、デバイス、システム。どれも僕が職業としていたコンピュータエンジニアが使う用語だ。となると、俄然期待が高まるのはマギランゲージの本だ。

 目ぼしい本をピックアップすると、足早にスキップしながら閲覧用のテーブルへと向かう。


 そんな僕の背中を、一対の目がジッと見つめている事に気づく事はなかった。

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