002 - hacker.say("Hello, world!");
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浮遊感。普段はエレベータぐらいでしか味わう事のできない無重力状態は、長く続くと胃がひっくり返るような不快感を伴うものだった。
コンピュータが起動するように、徐々に意識がはっきりとしてくる。頭の中のCPUが動き出す。記憶を確かめるメモリテストが走りだす。まだデバイスはアクティブになってない。要するに、目も耳も動いていないってことだ。身体も動かせない。ただ、頭だけが無駄な計算を繰り返し、冷たいクロックを刻んでいる。
まずはセルフチェック。
僕の名前は
最後に食べたものはなんだっけ。
ああ、味気ない栄養食品と萎びたサンドイッチだったな。温かいものが食べたい。ご飯と味噌汁なんかいいな。もう随分と食べていない気がする。近所にあるチェーンの食堂に行きたい。W餃子定食が好きだった。
何をしていたっけ。
そうそう、あのチケットを処理している最中だった。あらかた実装が終わって、テストを残すだけだったな。単体テストは通ってるから統合テストを走らせなくっちゃ。誰も自動テストなんて書いてなかったから、一から書くはめになったんだ。
なんて。
いい加減、メモリテストという名の逃避はこの辺にして、そろそろ現実に立ち向かわなければならない。デバイスはとっくにアクティブになっていたからだ。
まず目に入ったのは、ケモミミ。
秋葉原のメイドさんや、コミケ会場のレイヤーさんが付けているものとは違う。あまりにもリアルな質感と、ピクピクと動くモーション。そういえば最近では脳内信号をスキャンして感情に合わせて動く猫耳ガジェットが売られていたな。ガジェット好きの同僚が付けていたのを思い出す。しかし、あれは動くたびにモーター音がカシャカシャとうるさくて興ざめだった。それに同僚はムサい男だったし。
また思考が脱線したが、目の前を歩いていく人々が揃いも揃って猫耳ガジェットを付けているのでなければ、本物の「獣人」というやつなのだろうか。よく見れば、尻尾もふりふりとしている。
周囲を見回すと、どこかの街中のようだった。足元にはシンプルな石畳が敷かれ、建物は高くても3階建て程度。コンクリートっぽいが建材は不明。様式はヨーロッパ風だが詳しくは知らない。イタリア旅行で見た街並みを思い出すな。
どうやら市場のど真ん中のようで、道の両端には屋台や出店が並んでいる。売られているのは見たことのない果物や野菜。豚のような動物の肉が軒先にぶら下がっていたり、スパイシーな匂いを鍋から漂わせていたり、とにかく雑多だ。こちらは東南アジアの市場を連想させた。
雑踏を行き交う人々は金髪の白人っぽい人が多いが、僕のような黒髪黒目の人もちらほら存在する。ケモミミの人もいれば、背が極端に高かったり低かったり、耳が尖っていたり、人種のるつぼといった様相だ。キョロキョロと辺りを見回すお上りさん丸出しの僕をクスクスと笑いながらお姉さんが通りすぎて、頬が熱をもった。
そういえばと自分の格好を見下ろしてみるが、会社で身に着けていたはずのくたびれたTシャツやくたくたのジーンズではなく、麻100%のようなゴワゴワした茶色いシャツとズボンを着ていた。周囲の格好も似たり寄ったりなので、一般的な服装なのだろう。服を触っているとポケットに何か感触があり、取り出してみると私物のスマホだった。他には何もなくて、財布もバッグも、愛用のノートパソコンも見当たらない。もしかしなくても一文無しだ。
とにかく、情報を集めなくてはいけないだろう。夢か現実かはわからないが、立っているだけじゃ何も解決しない。
さっきから耳に入ってくる人々の会話や屋台の呼びかけは理解できる。日本語ではない。英語でもイタリア語でもない。知らない言語を理解できるという事実が恐ろしい。価格が書いてあるらしき木札を見た限り、読み書きすら問題なさそうだった。
普通なら道を行く人や屋台の店番に声をかけて情報を集めるところだけど、ここで足を引っ張るのが僕のコミュ障だ。話しかけるなんて絶対に無理。声がブルブル震えて、足も震えて、ついでに目線も震えまくるに決まっている。不審者扱いされるのがオチだ。
幸いなことに市場なだけあって人が密集していて、聞き耳を立てているだけでも噂や常識レベルの知識なら収集できそうだ。他にも、並んでいる商品からある程度の文化レベルを推測できるだろう。
僕は、顔を上げて歩き出した。
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しばらく情報収集に徹した結果、重要な情報を得ることが出来た。
「あー、水が切れちまった。おーい、水だしといてくれー」
「はいよ」
屋台でそんな会話をした夫婦らしき男女がいた。何とはなしに目を向けてみると、驚くべき現象を目撃する事になった。
奥さんが懐から黒い棒らしき物体を取り出し、瓶に向けて振りかざすと、ブツブツと何やらつぶやいた。すると棒の先っぽが光り、まるでジョウロから水をあげるように棒の先端から水が飛び出してきたのだ。
慌てて近づいてまじまじと見てみるが、袖口から透明のチューブが見えていたりするわけでもなく、少なくとも僕にはトリックを見破る事はできない。
これが手品なら見事なものだが、周りを窺ってみても大衆は何も反応していない。少なくとも、奥さんがいきなり大道芸を始めたわけではなさそうだ。
かえって僕の方が悪目立ちしてしまい、奥さんが怪訝な顔で話しかけてきた。
「なんだい? 水がそんなに珍しいかね」
「あ……い、いえ、その、水はどこから出てきてる、んですか?」
噛み噛みで情けなくなるが、せっかくなので尋ねてみることにした。
「どこからって……そんなこと、あたしゃ知らないよ。マギデバイスが作ってるんじゃないんかね?」
「マギデバイス、とは?」
「はぁ? あんた、マギデバイスも知らないのかい? これの事に決まってるだろ」
そう言いながら黒い棒を少し持ち上げる奥さん。相変わらず先端からチョロチョロと水が流れ続けている。どうやら、あの黒い棒はマギデバイスと呼ぶようだ。
「その……機械、が水を作るんですか?」
「機械? マギデバイスはマギデバイスだよ。まあ、たぶんね。あたしゃ、利用料を払って水を出すマギサービスを使ってるだけだし、詳しい仕組みなんて知らないよ」
また新しい用語が飛び出してきた。マギサービス。話を聞く限りでは、利用料を支払う事で水を提供してくれる水道局のようなサービスだろうか? マギデバイスが機械かどうかはわからないが、マギサービスを利用するにはマギデバイスも必要となるのだろう。
それにしても、あんな小さい機械で水を作り出すなんて、僕の知っている科学技術では到底実現できないように思える。大気中の水分を集めているのだろうか。確か、大型のものであれば電力不要のものも実用化されていたはずだが、さすがにタンクすら付いていない棒一本では無理があるだろう。
僕が何を言うべきか考えていると、奥さんは水を出し終えたのか「何か買っていくかい?」と聞いてきたので、一文無しの僕はペコペコと頭を下げながら退散した。
マギデバイスとマギサービス。今まで生きてきて聞いたことのない言葉が、当たり前のように使われている。
よくよく観察してみれば、他の屋台でもマギデバイスという名の黒い棒を掲げて水を出しているのがわかった。それだけではなく、肉の串焼きを売っている屋台では同じマギデバイスで火を着けている場面すら見る事ができた。
今まで抑えていた知的好奇心がうずいてくる。
ここまで来れば、嫌でも理解させられてしまう。
地球かどうかはわからない。もしかしたら、科学が非常に発達した未来に来てしまったのかもしれない。何かの突然変異で獣人のような新人種が生まれて定着したのかもしれない。実は地球から遠く離れた未発見の惑星なのかもしれない。
ラノベ好きの同僚が熱く語っていた事を思い出す。僕自身はあまりラノベを読まなかったが、こんな事になるならもっと読んでおけばよかった。
ここは、異世界だ。
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