006 - hacker.carry(boss);
あれから、改めて互いに自己紹介をした。
僕の新たな上司となる彼女の名前はルビィ=レイルズ。どこかで聞いた事があるような気もするが、きっと気のせいだろう。この国には貴族がおらず、平民が家名を持つ事も許されている。彼女の場合はレイルズ家の令嬢だ。
赤いショートカットの髪がチャームポイントで、目鼻立ちがはっきりとした美人である。きっと男装が似合うだろう。いわゆるモデル体型というやつで僕よりも背が高く、男として少し落ち込んでいる。ちなみに僕の体型はなんの面白みもない中肉中背というやつだ。
一見、大仰で威圧的で偉そうに見えるのだが、話してみるととっつきやすい不思議な女性だ。コミュ障で話し下手の僕だが、なぜか彼女が相手だと物が言えるようになっていた。きっと彼女の不遠慮さが僕の危機感を煽ったに違いないのだ。
彼女こそが出来たばかりの我が社の社長であり、経営に関して意思決定をする
ちなみに、僕の立場は
僕が異世界からやって来た事は、まだ話していない。彼女の事を信用していないわけではないのだが、今のところ話す必要性も感じないし、余計な混乱を招きそうな気がしたのだ。僕の事はマギシステムの存在しない遠い国からやってきた外国人という事にした。身分証を持ってないので、そのうち移民として登録する必要があるだろう。ボスが身元保証人を引き受けてくれる事を確約した。
我が社の記念すべき最初の仕事は、オフィスとなる廃屋の掃除だった。話し合った結果、ここが僕の寝床にもなる。二階の一室を借り受ける事になった。宿代が浮いてラッキーだけど、自分で掃除するのだからありがたみは薄いな。
ホコリだらけの屋内に難儀していると、ボスが懐からお馴染みの黒い棒を取り出した。
「あ、ボス。それマギデバイスですか?」
「ああ、そうだ。見ていろ、今からホコリを全部吹き飛ばしてやる」
「おお、それはすごい」
そう言って、マギデバイスを誇らしげに掲げるボスは、なんだか女騎士という感じだ。いや、マギデバイスは杖っぽいから魔女か? しかし、彼女の普段の偉そうな態度やにじみ出る風格は騎士という表現が似合うと思う。
そういえば、他の人達がマギデバイスを使うときにブツブツと何かつぶやいていたな。せっかくなので、よく聞いてみよう。
「ではいくぞ。コホン。【コール・ウィンド・40ノット】」
ボスが呪文のような抑揚をつけて言葉を唱えた瞬間、猛烈な勢いでマギデバイスの先端から風が吹き出した。すると、強烈な猛風に室内のホコリが舞い上がり、僕の視界が真っ白に染まった。咳をしながら慌てて屋外へ避難する。ひどい目にあった。
「ゴホッ! ゴホゴホッ! な、なにやってんですかボス!」
「コホッ! はっはっは。いやー、失敗失敗」
同じように退避してきたボスの格好は全身ホコリまみれで真っ白だ。きっと僕も真っ白に違いない。まるで砂糖をかぶった糖衣構文だ。今身につけている衣服は、これ一着しかない一張羅なのに、どうしてくれるのだ。
「まったく……。マギサービスは便利なようで不便ですね。掃除機みたいにゴミを吸引するマギサービスはないんですか?」
「ふむ? ソージキはわからんが、吸引とは面白い発想だな」
「他の人達は一体どうやって掃除してるんでしょうか……?」
「そうだな、私も詳しいわけではないが、やはり同じように風を出して吹き飛ばしたり、洗浄マギサービスを使ったりしていると思う」
「洗浄ですか?」
「ああ。これがまた便利でな。どれ、試しに君の服を洗浄してあげよう」
「えっ!?」
黒いマギデバイスをこちらに向けてくるボスを見ていると、なんだかまた嫌な予感が……。脳内アラートシステムは、再現性のある問題を警告している。そもそも洗浄って着たままで大丈夫なのか? まさか、脱がされたりしないよな?
「いくぞ。【コール・ウォッシュ・1ミニット】」
そう唱えるやいなや、マギデバイスの先端から今度は水が吹き出して、僕の身体に叩きつけられる。強烈な水流に、目を開ける事もできなくなった。
このままでは身体が水に押し流されると危惧したが、不思議な事に水は僕の身体を覆い尽くすとそのまま渦巻きを描くように僕を中心として回転しはじめた。さながら、洗濯機の中に放り込まれたような感覚である。当然、全身はもみくちゃだ。
口を開くとガボガボと溺れてしまうのが目に見えていたので、必死に嵐が過ぎ去るのを待っていたが、しばらく洗濯物の気分を味わったあと、唐突に水流が止まりザパリと音を立てて消え去ってしまう。恐る恐る目を開くと、水は影も形もなくなっていた。服も濡れておらず乾いている。
「何ですか今のは!」
「何って、洗浄だよ。気持ちよかったか?」
「冗談じゃないですよ……地上で溺れ死ぬかと思いました」
太陽の下で快活に笑うボスは魅力的に見えた。
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オフィスの一階部分と僕が住む二階の一室を、なんとか見られるレベルまで掃除し終えた僕たちは、遅めの昼食を摂る事にした。借りてきた本を読みたいけど、そろそろ脳に糖分が不足してきたのだ。
一文無しである事を伝えると、ボスは「給料の前払いだ」と言って、数枚の金貨と銀貨を渡してきた。金貨一枚は銀貨十枚分の価値となるよう金含有率が定められているため、言うまでもなく大金だ。金貨一枚で屋台で食事が五十回以上できるといえばわかりやすいだろう。
まだ会ったばかりの人間をここまで信用するのは、彼女がお人好しなだけではないだろう。ここまで話してきて彼女の性格は少し理解できた。大雑把に見えるが、意外と打算的なところもある。僕の『受けた恩を返さずにはいられない性格』を見ぬかれたと思われる。
二人で連れ立って通りを歩いて行くが、さすがに昼時は大きく過ぎてしまっていて屋台などは引き払ってしまっている。どうするのかと思っていれば、ボスは途中で食堂らしき店の扉を開いて入っていく。慌ててついていき僕も敷居をまたぐ。どうやらボスは僕に土地勘がない事を見抜いているようだ。
「あっ! ルビィさんいらっしゃい!」
店の奥から顔をだしたのは、小さい獣人の少女だった。狐のような金色のケモミミと、真っ白なエプロンのコントラストが目に眩しい。
彼女はボスの顔を見て嬉しそうに顔を綻ばせると、トテトテという擬音が似合いそうな足取りで近づいてくる。そして、ボスの後ろから入ってきた僕の顔を見て、首を傾げた。
「えーと、はじめてのお客さんですよね? いらっしゃいませ! ルビィさんのお知り合いですか?」
「ああ。彼はバンペイ。今日から私の会社の一員になったんだ。仲良くしてやってくれ」
「ど、どうも、白石番兵、です」
僕がどもりながら名乗ると、ボスは微妙な表情になる。
「どうして君はそう、初対面の相手にいちいち縮こまるんだ。見ろ、キャロルはまだこんなちっちゃな子供だぞ」
「えー、ひどいですよルビィさん! 私だってれっきとしたレディなんですからね!」
「ふふふ。レディならレディらしく振る舞いたまえ。この人畜無害の男に怯えられるようでは、まだまだだな」
「もう! どうせルビィさんったら無理矢理バンペイさんを連れてきたんでしょう? すみませんね、バンペイさん。この人ったら、気に入った人をすぐに連れまわすから」
思いのほか気安い二人の掛け合いに目を白黒させてしまう。随分と仲が良いようだ。キャロルと呼ばれた彼女はクルクルと表情を変えながら、最後には僕に笑いかけてきた。そうなんです。無理矢理だったんです。僕は思わずブンブンと首を縦に振った。
「ふふん。無理矢理ではないさ。バンペイは納得して私の会社に入ってくれたんだ。私達はもはや運命共同体。相思相愛なのさ」
「そ、相思相愛……」
キャロルがゴクリと唾を飲む。そして、僕とボスを何度か見比べると、キャーと言いながらパタパタと奥に引っ込んでしまった。何か壮絶な勘違いをされた気がする。
「まあ適当に座ってくれたまえ。ここが我が社公認の社員食堂だ」
そう笑いながら、椅子に腰掛けるボス。僕もテーブルを挟んだ対面に着席する。
「うちは社員食堂になった覚えはありませんけどね。はい、お水どうぞ」
奥から水の入ったコップを持って戻ってきたキャロルが、ボスに抗議した。
二人の掛け合いを聞き流しつつ、水を流しこむ。そういえば喉がからからだった。よく冷えた水が心地よい。ガラス製らしきコップといい、冷えた水といい、科学技術がどこまで発展しているのかはわからないが、マギサービスは多岐に渡っているのだろう。異世界での生活レベルは決して悪くはない。
ある程度の豊かさがあれば、現状に満足できてしまう人も多い。物事を貪欲に求め続ける上昇志向の強い人間というのは、周囲との軋轢を生みやすい。典型的な日本人の僕は当然ながら前者に当てはまるのだが、マギサービスの殿様商売を許しているこの国の国民も、やはり保守層が多いのだろう。そういう意味で、革新派のボスは異端とも言える。
きっと見かけによらず、ボスは今まで苦労してきたんだろうな。周囲とのギャップに苦しんできたに違いない。現状に不満や疑問を持つ事は改善への原動力となるが、それを人に疎まれてまで貫ける意思の強い人間はまれだ。地動説を唱えたコペルニクスでさえ、批判を恐れて死の直前まで発表をためらった。
いや、ボスの場合、他人なんか一切気にしていないという可能性もあるか。
水を飲みながら物思いに耽けていると、いつの間にかボスが見繕って注文してくれていた料理がキャロルによって運ばれてきた。テキパキとテーブルの上に皿が並べられていく。
肉野菜の炒め物から、具沢山のスープ、山盛りのパンなど、湯気をたてる料理の数々に目を奪われ、思わず涎が出てきた。朝から何も食べていない僕には、何にも代えがたいごちそうである。幸い、異世界の料理は僕の五感を満足させてくれそうだ。
「よし、バンペイの歓迎会といこうじゃないか! 腹いっぱい食べてくれ!」
「ありがとうございます。いただきます!」
パチンと手を合わせると、ボスが不思議そうな表情をしていた。そうだった、こっちでは食前の祈りがあるんだったな。故郷の食前の祈りだと説明すると、ボスは納得したようだ。
ボスも胸の前で手を組むと、目をつむって祈りを捧げている。先ほど、ボスの口から教会への批判めいた言葉が出ていたが、案外信心深いのだろうか。この世界ではマギランゲージという目に見える形で神の恩恵があるので、信仰を深めやすいのかもしれない。
異世界での初めての食事は、僕にとって最高の思い出となった。思えば、最後に食べたのが栄養食品と萎びたサンドイッチだったから、温かい料理に飢えていたのだ。
途中からは暇を持て余していたキャロルも加わって、大宴会となった。ボスが酒を頼むと、その流れは加速した。下戸の僕は、酔っ払ったボスからのアルコールハラスメントをかわしつつも、美味しい料理に舌鼓を打って楽しんだ。
結局この日は、暗くなるまで食堂で過ごし、最後には酔いつぶれたボスを背負って帰路についた。
「うーん、ムニャムニャ……バンペイ、革命を、起こすんだあ!」
「はいはい」
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