080 - hacker.witness(revolution);

「治療マギサービスの利用料の是正。これに尽きるでしょうな」


 ポンゴ枢機卿がそう口にすると、大聖堂内にはどよめきが走った。


 それも当然だろう。今までの候補者達は一様に治療マギサービスの話題を避けていた。信者たちに限らず、リンター教について一般人の一番の関心事といえば治療マギサービスであるにも関わらずだ。特に最近は電話マギサービスという格安のサービスが登場した事によって、高額な利用料が疑問視されている。


「私が教皇になった暁には、治療マギサービスの利用料、これを従来の半額以下にする事をお約束しますぞ。ええ。そもそも、今までの利用料が高額すぎたのですな。利用料には神に奉じる献金の意味があるとはいえ、生活を圧迫するほどの高額は本末転倒と言えるでしょう」


 聴衆のざわめきが止まらない。半額以下とは思い切った話だ。そこまで下げたら今でている利益の大半は失われる上に、下手をすれば運用費すら危ういのではないだろうか。現行の治療マギサービスの運用には大勢の人間が必要となっているため、人件費だけでも膨大だろう。


「これまでの高額な利用料で出た利益の大半はですな、前教皇や彼のシンパの懐に入れられていたというのが本当のところでしょう。いやはや、まことに嘆かわしい!」


 今度は前教皇への批判まで飛び出した。それを言い出すならポンゴ枢機卿だって利益の一部を享受していたはずだ。その事を棚に上げて、まるで自分は善意の第三者であるかのように演説を続けている。


「私が教皇になったら、このような暴利は許しませんぞ。治療マギサービスを万人が使えるようにするために、皆様の清き一票をお願いしたい!」


 ポンゴ枢機卿が手を広げて聴衆にアピールをすると、自然と聴衆からパチパチと拍手が始まった。徐々に拍手の数が増えて最後には嵐のように大聖堂を満たした。ポンゴ枢機卿はそれを見て満足気に頷いている。


 さて、これで困ったのはシスター・エイダだろう。ポンゴ枢機卿の言葉は、真偽はともかくとして聴衆の心をとらえた。治療マギサービスの利用料を下げるというのは、それだけインパクトが大きい話だ。かといって、今さらシスターが同じ事を宣言しても無為に終わる可能性が高い。順番の妙というやつが如実に現れた結果となった。


「それでは、シスター・エイダ。前へ」


 ポンゴ枢機卿の演説が終わり、いよいよ問題のシスター・エイダのターンがやってきた。どうやら一番最後の大トリのようだ。ポンゴ枢機卿の演説が見事だったとはいえ、シスターが信者たちの信奉を集めているのに変わりはない。シスターが演説台に立つと周囲の期待が俄然高まっていく。

 シスター・エイダは演説台に立ってからじっと俯いている。微動だにせず、一言も発さないまま、一分間ほどが経過した。聴衆からはザワザワとどよめきが上がり始める。


「私は――」


 ついにシスターが口を開くと、どよめきはピタリと止まり、耳目がシスターに集中する。


「私は、今回の教皇選出の儀、棄権いたします」


 ざわり、と先ほどよりも大きな反応。中には悲鳴に近い驚きの声を上げる人もいる。


「私は教皇になる資格など、もとより持ちあわせていないのです」


 どういう事だろう。やはり以前も告解していたように、高額な利用料を使って施しを行なうという、ある意味でマッチポンプのようなやり方を悔いているのだろうか。


「リンター教の根底にある三つの教え、皆様もよくご存知だと思います。『汝、偽ることなかれ』、『汝、害なすことなかれ』そして『汝、己を愛し人を愛せ』」


 教皇が変わっても、これだけは絶対に変わらないというリンター教の基本原則だ。偽るな、害をなすな、そして自分を愛して人を愛せ。どれも道徳上は当たり前の事を言っているだけだが、逆にこの教義があったからこそ基本的な道徳が形作られたとも言える。それだけ、宗教が人の思想に与える影響は大きい。


「私はこの教えを破り、二つの罪を犯しておりました」


 シスターの突然の告白に大聖堂内は驚きと困惑に包まれる。これまでのシスターのリンター教に対する無私の奉仕は万人の知るところなのだ。シスターほどの人物が教えを守れていないというのなら、ほとんどの信者はそれすら及ばない事になる。


「私は……。私は、皆様を偽り、騙し続けていたのです。先ほどポンゴ枢機卿からお言葉があった通り、治療マギサービスの高額の利用料、その一部を受け取っておりました。貧しい方々への施しは、それを還元していたにすぎません。言ってみれば、自作自演のようなものだったのです」


 困惑の声が徐々に怒りの声に変わっていく。


「そして、もうひとつの罪。それは……私が、前教皇をお慕いしている事です」


 お慕い。それはつまり、男女の恋仲という事だろうか。怒りの声に染まりつつあった聴衆が、一転して目を点にしている。僕もきっと同じ顔をしているだろう。

 シスターは頬を若干赤らめ、聴衆の反応など意に介さずに続ける。


「私は……その……前教皇をお慕いするあまり、あの方に嫌われたくない一心でシスターとして務めてまいりました。外面を取り繕う事ばかりを考えるようになり、利用料の是正についても声を挙げずにいたのです。利用料の是正を訴えれば、自ずと現状を許している教皇への批判につながります。それが、貧しい方々に害なす行いだと知りながら、私はどうしてもあの方に嫌われたくなかったのです……!」


 衝撃の告白だった。以前、僕が聞いていた告白は「名声を失う事を恐れて」というものだったが、実のところ「名声を失って教皇に嫌われる事を恐れて」が正しかったらしい。あの時に教皇が現れシスターを肯定した事は、シスターにとって何よりの福音だったのだろう。


「あの方が教皇をお辞めになり教会を出られたと聞いた時、私は耳を疑いました。そして、そこで初めて自分の気持ちに気がついたのです。私は……私は、シスターを辞めて、あの方の元へと参ります! 無責任だと罵られても構いません! 最後の教えである『人を愛せ』、これだけは何があっても守り通します!」


 ええええ。声を上げたのは僕だけではない。皆が声を一つにして呆然とシスターの告白、いや、『宣言』に応えた。

 そりゃあ、教皇の選出だって辞退するはずである。本人には最初からその気なんてなかったのだ。恐らく、候補者になっていたのも他薦によるものに違いない。


「それでは、私はこれで失礼いたします」


 そう言ってペコリと一礼すると、周囲の視線や引き止める声を無視してシスターはしずしずと大聖堂の扉をくぐり抜ける。どうやらこの儀式にすら最後まで参加するつもりはないらしい。


「と、とんでもない事になったな……」

「まさかシスターが途中退場されるなんて……。教皇選出はどうなるんでしょうか?」


 困ったのは残された人達である。進行役は突然の展開に完全に固まってしまっている。聴衆のざわめきは一向にやむ気配がない。候補者達もどうすべきか顔を見合わせている。


「え、えー。フォフォフォ。み、皆様。いかがでしょう。候補者による演説も終わった事ですし、ここらで投票をはじめるというのは……」


 ポンゴ枢機卿がそう提案するが、梨のつぶてだ。騒ぎは収まるどころか徐々に大きくなり、最後には大聖堂を出て行く人がちらほらと現れ始める。

 このまま、なし崩し的に投票が延期になるかと思いきや、入り口から黒いローブ姿の神父が慌てた様子で駆け込んできた。


「た、大変です!」


 そこで進行役がやっと我に返ったようだ。ハッと気がついた様子で飛び込んできた神父に問いただす。


「な、何事ですか。神聖な儀式の最中ですよ」

「教皇が……! い、いえ、前教皇が……!」


//----


「私は前教皇としてリンター教の欺瞞を告発し、本来の信仰を我々の手に取り戻すために『新・リンター教』の設立をここに宣言します!」


 大勢の聴衆たち、それも、先ほどの大聖堂に集まった信者どころではない。まさしく王都をひっくり返したような民衆達を前に、は大声で堂々と宣言した。


「私は教皇としてリンター教の体質改善を試みました。ですが、それは上手くいかなかった。リンター教に巣食う既得権益者達によって妨害されたのです。治療マギサービスの高額な利用料、その改善のためのマギシステム刷新すら、欲にまみれた彼らには賄賂という金の卵を生む鳥にしかすぎなかったのです!」


 教皇は拳を高く掲げて、普段の人形のような表情ではなく人間らしい勇壮な表情を見せている。外見は子供なのだが、それが却って教皇を物語に出てくるような剣を掲げる勇者のように見せている。


「かくなる上は、一から組織を改めるしかない! 信ずる者が正しく救われる、神の教えを正しく伝えられる、そのような組織を作るために!」


 これだけでも爆弾発言だったのに、教皇はまだまだ止まる気配がない。


「そもそも、治療マギサービスのような公共性の高いサービスが、宗教の手に委ねられている現状がおかしいのです。リンター教の根底にある三つの教えと、治療マギサービスは何の関係もありません。利用料が献金として功徳につながるなど、全くの欺瞞でしかない!」


 聞いている方が「これ言っちゃって大丈夫なの?」と心配になってくるほど、教皇の暴露話は衝撃的だ。これは要するに、今までの高額な利用料に何ら意味がなかったと言っているのに変わりがない。お布施だと思って我慢していた人は憤りを禁じ得ない話だろう。


「私は教皇として、治療マギサービスの収益の一部を受け取っていました。ですが、銅貨の一枚にも手につけておりません。全ては今日この日のためです。皆さんから受け取った献金、これをそのままお返しするのは難しい。誰がいくら払ったかなど、わかりようがないからです」


 まともな管理システムが組んであれば、過去の利用履歴を遡って利用者ごとの利用料を算出する事は可能だろう。しかし、僕が見た限りでは利用履歴はまともに残されていない。せいぜいが一月分だろう。


「そこで私は、それら金銭を含めた私財によって個人的に新・治療マギサービスの開発を依頼しました。それも依頼の相手は、かの革新的な電話マギサービスを創りだし、国王陛下から『マギハッカーの再来』とまで認められた、バンペイ=シライシ氏、その人にです!」


 うわぁ。


 後でボスに聞いたのだが、その時の僕の顔はひどいものだったらしい。自分でも引きつっているのがわかる。聴衆たちも僕の名前と肩書きを聞いて「おおお」と声を上げているのが、輪をかけて胃痛を加速させる。こんな派手に名前を出されるなんて聞いてないぞ。


「先日、治療マギサービスの異常停止を復旧させたのも彼によるものです! シライシ氏は、その類まれなる手腕によって、あっという間に停止の原因を見つけ出しました。さらに驚くべき事に、少しコードを読んだだけだと言うのに治療マギサービスを再現してみせたほどの実力者です」


 もうやめてくれ。いくら叫んだところで、遠くの教皇に届くはずがない。いや、届いたところでやめるはずがない。周囲のボルテージは高まる一方だ。


「そして今日、ついに新・治療マギサービスが完成したとの知らせを受けました。くしくもリンター教の教皇選出の儀が執り行われるこの日にです」


 教皇に連絡した覚えはないのだが……。どうやらお見通しだったようだ。治療マギサービスを再現したのを知られていた事といい、教皇は独自の『目』を持っているのかもしれない。


「私はここに宣言します。革新的な新・治療マギサービスはダイナ王国へと無料でします。これにより、誰でも格安で治療を受けられるようになるでしょう。それをもって新・リンター教は正しい信仰を取り戻すのです!」


 その宣言に対する民衆の反応は劇的だった。


 誰もが教皇の英断を讃え、『新・リンター教バンザイ!』と声を上げている。

 治療マギサービスの『開放』は王国国民に大きな波紋を拡げたのだ。怪我や病気に悩まされる人々、その家族や友人。それだけではない。治療を受けられない事を恐れ、怪我や病気を極端に恐れる貧しい人々。もちろん裕福な人々でさえ、利用料が安価になる事を喜ばないはずがない。

 この『開放』を喜ばない人といえば、貧困者向けに民間医療を提供していた医者や、高額な利用料を無理して支払ってしまった人々、そして、高額な利用料の上にあぐらをかいていたリンター教の上層部だろう。


 教皇の『新・リンター教』設立宣言、そして治療マギサービスの開放は王国全土をひっくり返して余りあるほどの騒ぎをもたらし、それは外国にも波及するほどだった。

 何せリンター教の元トップが「欺瞞を告発」などと言い出したのだ。それだけでも前代未聞の大事件なのに、組織分裂のお家騒動だ。

 もはや『宗教改革』と呼んでもいいだろう。


 そして熱狂の一夜が明け、僕は王城から呼び出しを受けた。

 僕が再び頭を抱えたのは言うまでもない。

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