078 - hacker.say("Shhh!");

「ああ、ここはもう少し簡単に書けるね。ほら……こうやって」

「あっ。ほんとだ」


 僕とエクマ君は肩を並べて一つのスクリーンをのぞき込んでいる。

 エクマ君がコードを書き、僕がそれを読みながら改善や提案をその場で指摘する、という形でプログラミングしているのだ。

 このように二人で一緒にプログラミングする事を、そのものずばり『ペアプログラミング』と呼ぶ。自動車の教習で運転手の横に教官が座っているように、教育のためには非常に有効な方法だ。

 教育に限らず、ダブルチェックとなるためケアレスミスを防ぎやすかったり、わかりづらい部分はその場で指摘されるので読みやすいコードになったりと、様々なメリットがある。あくまで一人が主で、もう一人が補助に徹するのがポイントだ。


 僕にはペアプログラミングの経験はほとんどない。独学なので誰かに教わったわけでもないし、地球で就職してからもペアプログラミングをやるような同僚はいなかった。その時の上司に提案してみても「二人でやるなんて時間の無駄だ」と一蹴されてしまったのだ。

 確かにペアプログラミングや自動テストのような開発手法は一見すると無駄なように見える。それをやったからといって目に見えて開発速度が上がるわけではないし、かえって遅くなる事もある。

 だが、それは目を向けるべき『スパン』が間違っているのだ。確かにコードを書き終えるまでの時間は遅くなっているかもしれないが、かわりに未来の『コードを読む時間』や『修正する時間』を大幅に減らしている。トータルで考えれば時間の無駄なんて事はない。


 エクマ君は思った通り、素晴らしいマギエンジニアだった。大まかに指示を与えれば、しっかりと意図を汲んだコードを書いてみせる。わからない事は素直に聞いてくるし、丁寧に説明してあげればきちんと理解してみせるのだ。

 なによりコードを書くのが正確で速い。速ければいいというものでもないが、エクマ君の場合は『慣れ』からくる速さであるため、コードに乱れが出たりするわけでもない。


「ここはストラテジーパターンで分離しておこうか」

「うん」


 意思疎通もスムーズだ。ストラテジーパターンとは、利用できるアルゴリズムが複数ある時に、それを切り替えられるようにするための設計手法である。要するにボタン一つで動きが変えられるようなイメージだ。プログラミングの中で時々登場するパターンである。

 このように頻出する設計手法のパターンは「デザインパターン」と呼ばれていて、それぞれにわかりやすい名前が付けられている。例えばストラテジーとは戦略のことなので、状況に応じて戦略を切り替える、といった意味合いだ。

 名前を付ける事によって、名前を言うだけで「ああ、あれの事ね」と伝わるのは非常に便利なのだ。


 このまま順調に治療マギサービスの刷新が完了すれば良かったのだが、そうはいかないのが現実の難しいところである。

 僕とエクマ君でペアプログラミングしていると、オフィスにボスが勢いよく飛び込んできた。慌てん坊で猪突猛進なボスなので珍しいことではないのだが、今回は血相を変えている。


「バンペイ、大変だ!」

「どうしたんですか?」

「教皇が……教皇が、退位を発表された!」

「ええっ?」


 どうしてまた急にそんな話に。以前に話した時はそんな素振りなど一切なかったはずだ。


「教会からは健康上の理由だと発表されているが……怪しいものだ」

「少なくとも、僕と話した時は健康そうに見えましたね。最初から最後まで教皇の手の上で転がされていた気がしてなりませんでしたし……」


 今回の治療マギサービスが停止した事への責任を取るために、自分から退位を言い出したとも考えられるが、果たしてあの教皇がそんな殊勝な事をするのだろうか。人形のような仮面の奥に隠された本心はわからなかったが、実は深刻に思い悩んでいた? それとも上手く隠していただけで、本当に病気の身だったのかもしれない。

 教皇、いや元教皇のことも心配だが、僕達が請け負っている治療マギサービスの仕事に影響がないのかも気になるところだ。なにしろ元教皇から直々に依頼を受けていたのである。


「次の教皇は一体誰になるんでしょうか?」

「まだわからん。近いうちに教会の中で選挙が行われて教皇が選出されるはずだ」

「僕達の仕事になにか影響が……」

「うむ……何とも言えんな……」


 とにかく情報を集める必要がある。教皇に直接事情を聞ければ一番早いのだが、さすがに直通の連絡先など持ち合わせていない。本来なら僕達のような庶民と、リンター教という一大宗教のトップが顔見知りである事自体がおかしいのだ。教皇どころか王様とも顔見知りなのが頭が痛いところだが。


 僕達が連絡できる相手で教会の内部事情にも詳しいとなれば、シスター・エイダしかいないだろう。早速電話を掛けてみる事にした。シスターは電話マギサービスに登録しており、電話番号も聞いてあったのだ。


「…………出ないですね」


 呼び出し音が虚しく鳴り続けるが、シスターが応答する事はなかった。


「むう……電話というのは肝心な時につながらないものだな」

「そうですね……こうなったら、教会に行って聞いてみるしかないでしょうか」

「うーむ、まあ仕事を請け負っているという大義名分があるしな。教会関係者から話を聞くぐらいはできるだろうが……。よしっ、行ってみるか!」


 ボスが手を叩いてオフィスを出ていこうとするので、慌てて後を追いかける。相変わらず思い立ったら即行動の人だ。脳と手足が直結しているのではないだろうか。


「ま、まってくださいよ、ボス。エクマ君もいるんですから」


 ふと後ろを見てみれば、先ほどまでソファに腰掛けていたエクマ君も一緒に立ち上がっていた。どうやら着いてくる気のようである。

 今までずっと家に閉じ込められていた彼は、自由に外に出る事を非常に楽しみにしているのだ。見た目にはほとんど変化がないのでわかりづらいが、よく見れば口元が上がっていて喜んでいるのがわかる。


 まあ、一人で置いていくよりはいいだろう。

 そう思い直して、エクマ君と二人でボスの背中を追いかけた。


//----


「なぜだ! 我々は教会から正式に仕事を請け負っているのだぞ!」

「ダメだ。ここは誰も通すなと命を受けている。すまんが、あきらめてもらおう」


 王都の中央にある教会にやってきた僕達は、すぐにシスター・エイダに渡りをつけようとした。しかし教会の入り口から大聖堂に入ろうとしたところで、門番をしていた屈強な男性に止められてしまったのだ。ここを通り抜けなければ、シスターのいる居住スペースに向かう事ができない。


「ではせめて、シスター・エイダに連絡してくれ!」

「それもダメだ。教会関係者は、教皇の選出が終わるまで外部との接触は一切禁止だ」

「そんなバカな事が……!」

「悪いがルールだからな。あきらめてくれ」


 いくら抗議しようとも、門番の男性は首を振るばかりで一切通じない。


 教皇の選出は教会にとって一大事である事はわかる。地球の宗教でも教皇の選出は枢機卿団によって行われるが、その期間中の枢機卿達は礼拝堂と隣接する宿舎に閉じ込められ、教皇が決まるまでは外に出る事を許されない。外界との接触が一切禁止されるのも同じである。

 恐らく外部からの影響を極力排除するためなのだろう。一大宗教のトップを決めるとなれば、そこには様々な思惑や欲望が絡んでくる。

 シスターが電話に出ないのもルールに従っているという事なのだろう。


「ボス、仕方ないですよ。今日はあきらめて帰りましょう」

「ぬうう……融通の効かない奴め!」

「この人だって仕事でやってるんですから……あはは、失礼しました」


 ブツブツと文句を言っているボスをズルズルと引っ張って教会の入り口から去ろうとした時、大聖堂の中から大声が聞こえてきた。


「教皇様はそのような方ではございません!」


 聞き覚えのある声だ。喋り方といいシスター・エイダに間違いないだろう。重厚な扉が閉められているにも関わらず聞こえてくるという事は、相当な大声であった事がうかがえる。あの温厚なシスターがここまで声を荒げるとは珍しい。

 内部でどのようなやり取りがされているのかはわからないが、シスターがいう『教皇』とはあの小人族の元教皇の事だろうか。続きを聞きたかったが、扉に阻まれてそれ以降は聞く事ができなかった。


「ほら、帰った帰った」


 門番の男性がシッシッと手を振るので僕達は仕方なく退散する事にした。


「うーむ、あのシスターがあそこまで声を張り上げるとは、中で何が起きているのだ」

「わかりませんが……元教皇に関する事で揉めている様子でしたね」

「うむ……何とかして、中の会話を聞ければ良いのだが……」


 ボスは腕を組んでうなっている。確かに中の様子は気になるが……。


「【コール・おとおと】」


 その時、背後から呪文が聞こえた。大人しく僕の後ろをついてきていたエクマ君がマギを使ったのだ。いつの間にかマギデバイスを出して、大聖堂の方向に向けている。


「ん? 何をしたん――」

『ですから! 教皇様はそのような卑怯な事はされません! マギスター社を排斥してマギシード社から対価を受け取ったなど、ひどい言いがかりです!』

『フォッフォフォ、そうですかな? 前教皇とシスターは、マギシード社の社員と仲良くされていたらしいではないですか。私の耳にも届いておりますぞ』


 エクマ君に問いかけようとした時、突如として二人の声が聞こえてきた。


「これは……」

「どうやら大聖堂の中の会話だな……。シスター・エイダと……もうひとりは誰だかわからんが」

「この特徴的な口調は恐らくポンゴ枢機卿ですね。以前、会った事があります」


 それにしても、なぜ中の会話が聞こえるようになったのか。その答えは目の前に立っている、エクマ君以外にはありえないだろう。


「エクマ君。これは君のマギだね?」

「うん。音、あつめた」


 どうやら彼は、『追いかけっこ』の時に僕が見せた『ソナー』のマギをもとに、集音マイクのように遠くの音を拾うマギを作っていたらしい。素晴らしい発想だ。


『シライシさんには治療マギサービスの復旧にお力添え頂いたのです! あの方がいなければ、復旧にはもっと時間が掛かっていたでしょう』

『そうですかなぁ? あのような小さい新興企業の社員に任せるより、マギスター社のような大きくて実績のある企業に任せた方が早くて確実に決まっているではありませんか、フォフォ。むしろ、シスターがマギスター社による復旧を妨害していたのではありませんかぁ?』

『な、何を言うのです!』

『聞けば、シスターはマギスター社に対する現行の治療マギサービスのコード提供も拒んでいたとか。そのような状況で刷新などできるわけがないと、技術者達はひどく憤っておりましたぞ』

『そ、それは誤解です! 私はコードを持ち帰る事を拒んだだけで――』

『フォッフォフォ! やはり拒んだ事はお認めになるのですな! 聞きましたか皆さん! シスターと教皇は裏で共謀してマギスター社による仕事を妨害し、よりにもよって得体のしれない新興企業に我々の大事な治療マギサービスを任せるという暴挙を行なったのです!』

『なっ……!』

『シスター・エイダを史上初の女教皇に、という声もあるようでしたが、とんでもない話です! 聖職者にあるまじき行いを続けるシスターは教皇の器にあらず! と、私は声を上げたいですな、ええ』


 ポンゴ枢機卿の言いがかりともいえる一方的な物言いに、シスターは始終押され気味だった。二人の声の他にもざわざわと観衆の声が聞こえてくる。どうやら、大聖堂の中では教会関係者が集められて話し合いが行われているようだ。

 教皇は選挙で決められるとの事だったが、選挙権を持つ関係者は思っていたよりも多いのかもしれない。少なくとも地球の宗教のように枢機卿達の間で閉鎖的に決まるというわけでもないらしい。


「な、な、なんだ、このポンゴとかいう男は……!」


 ボスはポンゴ枢機卿のあまりの言い草を聞いて、怒りを露わにしている。シスターの事を非常に尊敬しているボスだからこそ、ポンゴ枢機卿の言葉は許せないのだろう。


『そういえば、あの新興企業の社員の若者とシスターは、中庭で仲よさげにお話しておりましたな。老いらくの恋とは素晴らしい事ですが、そのような私情を神聖な教会内に持ち込むのはいかがなものでしょうか。フォフォフォ』

『ち、違います! そのような関係ではございません!』

『おやおや。となると、やはり噂の通り、お相手は前教皇でしたかな? お二人の仲睦まじい様子は以前から度々お見受けいたしましたからな。シスターと教皇の禁じられた恋……劇の題材としてはよろしいのでしょうが。フォフォッフォ!』


 相変わらず下世話な話ばかりだ。

 確かにシスターと教皇の関係は不思議な部分もあるが、恋愛感情というよりはもっと純粋な信頼関係に近いもののように思えた。


「くぅ! もう我慢できん!」


 怒りでプルプルと震えていたボスが、大聖堂に殴りこみにいこうとするのを慌てて止める。


「ちょ、ボス! 落ち着いてください! ここで部外者が飛び込んだりしたら、ますますシスターの立場が悪くなってしまいますよ!」

「しかし!」

「いいですか、ボス。僕達には僕達の戦い方というものがあるはずです」


 なおも言い募ろうとするボスを手で遮って、僕達がすべき事を説明する。


「ポンゴ枢機卿の言葉によれば、教会にとって重要な治療マギサービスをに任せたシスターは教皇の器にあらず、という事でしたね?」

「ああ! 我々の会社が得体の知れないなどと! あの狸親父め!」

「ええ。恐らく観衆の人達も『そんな得体の知れない企業から出てくる治療マギサービスがまともに動くはずがない』と思って、シスターや前教皇に疑惑の目を向けているのでしょう」

「……そうか」

「はい。それならば、まともに動く、いえ、マギサービスを作ってやればいい。それこそ文句一つ付けられないほどに。そうすれば人々はむしろ、シスターや前教皇を慧眼として褒め称えるでしょう」

「つまり……我々が今やるべき事は!」

「教皇選出の選挙が行われるまでに、新・治療マギサービスを完成させる。それこそが、シスターへの何よりの援護となるでしょうね」


 僕がそう言い切ると、ボスは大声で笑い始めた。


「ハーッハッハッハ! 見ているがいい、あの狸親父め! 我が社の作る治療マギサービスで吠え面をかかせてやる! よし、バンペイ、エクマ! さっさと帰って仕事するぞ!」


 完全に機嫌を直したボスは意気揚々と鼻歌を歌いながら歩いていく。


「…………のせ、やすい?」

「しーっ!」


 幸い、エクマ君の危険な言葉は、ボスの耳に届かなかったようだ。

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