042 - hacker.move(forward);
その日、ダイナ王国に激震が走った。
きっかけはとある議員の汚職事件。しかし事態は思わぬ方向へと発展していく。証拠となったマギシグネチャと呼ばれる署名が真犯人による偽証に使われていた事が判明したのだ。
今までこの王国の行政や公式な本人証明にはこのマギシグネチャが大々的に使われてきた。そんなマギシグネチャにまさかセキュリティホールと呼ぶべき問題が隠されているとは、議員や行政に携わる者達にとってはまさに青天の霹靂だった。判明したその日から行政機関は国全土をあげて上へ下への大騒ぎになったが、その翌日に王様から国民に向けてロイヤルスピーチが行われた。
「愛する民たちよ。本日は朕から
僕やボス達会社の面々は今回の件の解決に大きく関わったため、特別な席を用意されて議員達と一緒に王様の姿を拝んでいる。遠目で顔は良く見えないが、思っていたよりも若く、精悍な姿をしているようだ。
王様は円卓議会議事堂のテラスから集まっている国民達をゆっくりと見渡して、自分の声が静かに染み渡るのを見届ける。
「話すべきことはいくつかあるが、まず皆に一番大きな影響を与えるであろうマギシグネチャについてである。皆の中にも聞き及んでいる者もおるであろう。朕が国として皆に供してきたマギサービスであるが、このマギシグネチャに根本に関わる欠陥が見つかったのだ。遺憾ながら、今のままでは本人証明の手段として利用し続ける事はできん」
王様がそう断言すると集まった観衆から驚きの声が上がる。悲鳴に近い声すらある。しばらくざわついていたが、王様が手を振るとまた静けさが戻ってくる。
「この欠陥を見つけた者によると、今まで誰からも報告がなかったのが不思議であるほど単純で簡単な欠陥であるらしい。それでも報告がなかったのは、朕に対する不敬となるのを恐れてではないか、と言っておった。朕も意見を同じくするが、これは朕にとって非常に由々しき事である」
そこで言葉を切って、ゆっくりと観衆を見回す。
「よいか、民たちよ。皆の朕への敬意、とても嬉しく思う。だが、朕への不敬を恐れてはならない。朕への不敬となるのを恐れて問題を見逃し、結果として国に大きな不利益をもたらす、その行為こそが大きな不敬なのだ。朕に対してではない。国、あるいは皆の周りにいる者達への不敬、そして裏切りだ。皆が国を恐れ、萎縮し、行動を起こさない。それは朕の思う国のあるべき姿ではない。寛容さに溢れ、皆が自由に安心して健やかに生きられる、それこそが朕が目指す国の姿である。その事を皆に知っておいてほしい」
王様自身が不敬を恐れるなと発言する。矛盾しているようではあるが、その効果は大きいだろう。本人がそう口にしたからには、他人の不敬に見える行為を過剰に攻めたてる事はできない。今頃、議会で僕達を攻めたててきた議員達は顔を青くしているだろう。
「マギシグネチャの欠陥については報告した者に協力を仰ぎ、時をおかずに対策がとられる予定である。欠陥を発見したのは、先日発表された革新的な『電話マギサービス』の作者でもあるバンペイ・シライシだ。移民でありながら、この国にとって非常に大きな貢献をもたらした彼の者に、朕から感謝の意を表したい」
自分の名前が急に呼ばれてビクリとする。恐る恐る周囲を見回すと、隣にいたボスがニヤニヤとしながら僕を見てくる。シィが「おにーちゃんすごーい」とのんきな声をだす。バレットはなぜか誇らしげだ。
「彼の者が生み出すマギサービスは、恐らく皆の生活にも大きな変革をもたらすであろう。朕も直接己の目で確認したが、一度使い始めれば二度と前の生活には戻れないような益をもたらす物であった。彼の者は『マギハッカーの再来』と呼ばれているらしいが、朕も納得するところである」
もうやめてほしい。王様からの大きな持ち上げに胃がキリキリと痛みはじめる。小心者の僕には、こんな場で褒めそやされるなど耐えられない。ましてやマギハッカーなんてこんな場で呼ばれたら大々的に広まってしまいそうで、今から頭が痛くなってしまう。
王様の話はまだまだ続く。
「朕から皆に話しておきたい二つ目の事は、一つ目のマギシグネチャの件が発覚したそもそもの原因でもある、とある議員への汚職容疑についてである。しかしこの容疑は、マギシグネチャの欠陥を利用して作られた偽証によるところで、容疑をかけられた議員には何ら落ち度はなかった旨を伝えておこう。この件について彼の議員に対する不誠実な行いは禁ずるため、皆も知り置いてほしい」
あの後、即座にデイビッドさんの手によって再びマギシグネチャの検証が行われ、署名が発光しなかったことから簡単に容疑は晴れていた。署名が発光した場合の有罪判定には『
偽陽性とは医療の検査などで使われるがコンピュータの世界でも度々登場する言葉で、たとえ検査の結果が陽性、つまり『問題がある』と判定されても、その結果が誤りで実は問題がない場合、その判定結果は『偽陽性』であると呼ぶ。逆に、本当は問題があるのに問題がないと判定されてしまうのは『
無罪放免で釈放されたデイビッドさんとは対照的にオスカーに対しては厳しい取り調べが行われた。明らかに事件と関連があると思われたためだ。僕の行なった筆跡鑑定だけではなく、オスカー自身の態度が明らかに不審だった。
オスカーが真犯人だったとして、マギシグネチャの欠陥をオスカーがどのように知ったのかという謎が残る。汚職の取引相手とされていたマギ・エクスプレス社は疑いが晴れたが、オスカーの口ぶりでは汚職は実際に行われていた。
今回の事件の陰には恐らくそのマギサービス会社が隠れている。オスカーにマギシグネチャの欠陥を教えて、罪を免れようとした共犯がいるはずなのだ。今後のオスカーへの取り調べで発覚していくだろう。
だが王様はオスカーには言及しなかった。まだあくまでも『容疑』の段階だからだろう。書類送検されただけで裁判をしたわけでもないのに、まるで有罪が確定したように実名報道をするマスコミとは一線を画している。
王様は言葉を連ねて、民衆へと自らの想いを語りかける。
「改めて言っておこう。朕は皆に理性と道理で物事を考える事を求める。理性や道理を無視して物事を進めるのは魔物や獣だけで良い。人であるならば、常に考える事を忘れてはならない。例えどんなに目の前の出来事が信じられずとも、どんなに常識から外れていようとも、それが根拠と理屈に基いているのなら認めなければならん。理性を忘れて感情のみで否定するのは道理に外れる行いだ。そして逆に、根拠や理屈がないのなら疑う事も忘れてはならないのだ」
それは科学的で、異世界では先進的な考え方だった。物事を論理的に捉えて、感情を極力廃する。常識で当たり前とされている物事に疑いをもつ。僕にとっては馴染み深い考え方だが、異世界に住む人々にとっては異端の考えだろう。
「今回の冤罪は、マギシグネチャというものに朕や先代の王達が供したからといって盲目的な信を置いていた事がそもそもの問題である。もちろん皆だけではなく朕ですら、欠片も疑いをもっていなかった。マギシグネチャが有罪だと言っているから有罪だと盲信してしまったのだ。そしてマギシグネチャが間違っているなどありえない、と感情的に否定しようとした。これは反省し大いに改善すべき点である」
王が自らの過ちを認め、率先して改善しようとする。そうして範を示すのが人の上に立つ者の責任だと言わんばかりの言葉に、観衆達は感じ入っているようだ。僕もまた、立ち上がって拍手したくなったぐらい感動したのだが、これ以上目立つような真似をするわけにはいかない。
「国というのは、朕一人によって立つものではない。民がいなければ国というのは立ちいかないのだ。朕は国家ではない。だからこそ、皆の協力と理解を求める。変革を恐れてはいけない。古い慣習やしきたりにとらわれ、考える事をやめてはいけない。しがらみに負けて、新しい事をあきらめてはいけない。なぜなら考える事をやめ、新しい事をあきらめた時から、人も、そして国家も停滞して腐敗していくからだ」
王様の言葉は、いつまでも僕の耳に残り続けた。
//----
「そして、この有様か……」
ボスがポツリとつぶやく。僕もまた言葉が出ないでいる。
「いくら陛下からの言及があったとはいえ……」
僕達の目の前には、見慣れた白いスクリーンが浮かんでいる。しかし、そこに表示されている数字は全く見慣れないものだった。
その正体は何を隠そう、電話マギサービスの管理画面である。登録者数などの数字が数日前から軒並み急上昇していた。
あのスピーチから数日。ただでさえ議員達の間で流行しはじめていた電話マギサービスは驚異的な登録数の伸びを見せているのだ。王様からあれだけ革新的だの益があるだのとプッシュされれば、この結果も当然だろう。
「まさか、あの議員達による流行ですら前座に過ぎなかったとは……」
「このままの勢いでいくと、果たしてどこまで伸びるのか心配になってきますね……」
議員達へのプレゼンの数日後に見た数字は一万人を超える程度だった。それでも十分に多いのだが、さすがは王様である。なにしろ文字通り桁が違っていたのだ。
「十万人ともなると、王国の総人口が確か八十万人ほどだから、八人に一人は電話マギサービスに登録した事になるぞ」
「凄まじいですね……」
『キャズムを越える』というのはこういう事を言うのかもしれない。僕達は大きく横たわっていたはずの
「いくら電話マギサービスが便利だからと言っても、保守的な人が多いこの国で今まででは考えられなかった勢いだ。陛下が仰っていた変革を恐れず新しい事を求め続けるという事を、国民たちが実践しようとしているのだろうな」
ボスの言葉に頷く。王様の開明的な思想は人々の
これまで見られなかったような芸術作品、さらには文芸や学術、創作料理にいたるまで様々な分野で新しい試みが始まろうとしている。国全体が大きな波に乗ったように、人々の力によって前に動き出そうとしている。
このような大きな動きは、地球での歴史上にも見られるものだ。例えば西洋の『ルネサンス』と呼ばれる時代の事がある。古代ローマ時代からの脱却を目指して様々な文化が破壊された結果、長らく『暗黒時代』とまで称される停滞の時期が続いていた。しかし、イタリアを中心として『再生』を意味する『ルネサンス』と呼ばれる文化運動が始まると、ヨーロッパ全土を巻き込んで大きなうねりとなった。
ルネサンスの方はもともと古典古代の古き良きものを復興させようという試みであったが、それがかえって温故知新の言葉通りに新しい物を次々と生み出していったのだ。
このダイナ王国、ひいては異世界でも長い停滞が続いている。それは、マギの登場によって魔物の脅威が減り平和な時代が長く続いた結果、「今のままでいいじゃないか」という空気が蔓延したためだと思われる。
せっかくマギデバイスという素晴らしい道具や、マギハッカー達がマギシステムを生み出したのに、人々はただそれを受け入れるだけで、新たに何かを生み出そうとしなかったのだ。ボスが迷子になっていたのを助けたという謎の女性は、この状況を「つまらない」と表現していたらしいが、僕も同意するところだ。
だからこそ、今の新しい何かが始まろうとしている潮流には胸が熱くなるし、この先にこの国がどう変わっていくのか見ていきたいという思いを強くする。
常に考えつづけ、新しい事を求めつづける。王様の言葉が僕の頭の中で
次は何を作ろうか考えるとワクワクする。考えてみればこれほど贅沢な事はない。この異世界に来てからというもの、僕のプログラミング欲と呼ぶべき欲求は満たされっぱなしだった。僕は今、最高に実感している。やっぱり僕は、プログラミングが好きなんだ。
「なんだか面白そうな顔をしているな、バンペイ?」
ボスがニヤリと笑いかけてくる。どうやら顔に出てしまっていたらしい。だってしかたがない。本当に楽しくって面白くってしょうがないんだから。
「ボスの方こそ。今すぐにでも動き出したいって感じですよ?」
僕が指摘するとボスもまたウズウズとした気持ちが抑えられないのか、口角を上げる。それは、いつも通りの魅力的な笑みだった。
「ふっ……ところでな、次に作るマギサービスの事なんだが」
「奇遇ですね、僕も同じ事を考えていたところです」
顔を合わせ、頷き合い、笑い合う。
そして、次の挑戦が始まる。
//----
// Chapter 02 End.
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます