第20話 飛翔
質疑応答だけでも1時間程の時間が費やされた。記者やテレビカメラの数はプレス発表が始まった時点よりも劇的に増えているようであった。
一方で中京新聞の新島篤志はある男の動向に目を凝らしていた。
総合理化学研究所・桐嶋一樹である。
あの日の再来はなかったものの、蓋を開ければ旧松川総合研究所が担った技術の継承とも思われる内容。長きにわたり松川グループを追い続けた篤志だからこそ分かることであった。今日の報告をするはずだ。桐嶋一樹は必ず松川啓介にコンタクトを取る。それが篤志の目論見だった。
多くの記者が質問をし、それを一応にメモした。
そして、やっとその時が来た。波多野 涼がこの場を一旦、締める発言をしたのだった。壇上から去る8人、裏の控室へ消えて行く。と、同時に篤志はヴェルサイユの間を後にした。桐嶋を追うにも裏の控室へ潜り込むことなど到底出来ない。この状況下でホテルの表玄関となるフロントから退出するとはとても思えない。と言うことはあそこからだ。残る手段はあの手だった。
篤志はエスカレーターを使い、1階へ降りた。そして、ホテルのキッチンを抜け、裏口へ向かった。お得意の東急ホテル裏口、これも何かの思し召し。不思議と足早になる篤志。行き同様、同じ場所で守衛に止められ、報道関係者の証明書を見せる。もし、壇上の一行がすでにここを通り過ぎていたとすれば、しばらくの間、ここは通行禁止になるはずだ。篤志が守衛の顔を覗き込む。守衛は証明書の写真と篤志を確認するなり、すんなりと篤志を通した。まだ、一行はここを通っていないようであった。
裏口から外へ出る篤志。少し離れたコンビニから裏口を伺うことにした。
待つこと10分。裏口から関係者がぞろぞろと人が出てきた。篤志はその中に桐嶋一樹の姿を見つけた。
「ビンゴ!」
桐嶋の隣には美奈子の姿もあった。
「ん?美奈子か。控室には妻もいたか。さ、夫婦そろってどこへ行く」
篤志は吸っていたタバコをコンビニ備え付けの灰皿に押し付けた。
「これから2人仲良く昼食とかは勘弁だぜ」
裏口そばに1台のハイヤーが止まった。間違いなく旧松川理科研の車だった。と、言うことは今で言う総理研のハイヤーと言うことだ。その時点で篤志はコンビニの隣に止めてあったタクシーに乗り込み「あの車を追って」と伝えた。
車内からその車を見張る。桐嶋一樹と美奈子は篤志の予想通り、その車に乗り込んだ。
「あの車ですね」
タクシーの運転手が篤志に確認し、発車した。
「そう、そうだね。頼むよ、運転手さん。見失わないでよ」
車は道を左折して41号線へと出る。そして、すぐの交差点で41号線をUターンした。そのまま41号線を南下、1号線に入り、23号線、247号線と県道をはしごした。
「なんだ?」
さっきは冗談のつもりで言ったのだが、これは間違いなく昼食なんかではない。それに総理研に戻るとしても名古屋の中心部から言えば北の方角、あのまま41号線を北に向かうのが筋だ。それがどうだ、早1時間のこの道のり。一体どこへ向かっているというのだ。
篤志には皆目見当がつかなかった。
総理研のハイヤーは一路、247号線から155号線へ。方角的には南知多の方向であった。
そ、そうか。篤志はひらめく。常滑の南に位置する西浦北には松川鉄道の本社がある。そこに松川啓介がいてもおかしなことではない。と、同時にやはりあの日の再来はなかったか、と寂しさがよぎる。
そのときだった。前方、総理研のハイヤーが右へウインカーを出した。
「えっ?」
国道155号線、多屋交差点。右折を説明する青い看板には、『右折・522号。中部空港』と書かれていた。
「中部国際空港・セントレアってことか?」
「お客さん、この先は有料道路がありますけど、いいですか?」
「お願いします。あの車を追って下さい」
「はい、承知致しました」
篤志の脳裏をよぎる嫌な予感。総理研の桐嶋一樹はプレス発表が終わったその足で出張に出掛ける。妻の美奈子はその見送りに来た。
もしや、単にそれだけのことでは。
あの日の再来どころか、桐嶋の動向までも空振りに終わるのか。何だったんだ、今日一日は。ここ十数年で己の勘もずいぶん鈍ったものだ、情けねーと呆れているうちにタクシーはセントレア大橋を渡り、タクシー発着場へと着いた。桐嶋の乗ったハイヤーは駐車場へ向かうのか、そのまま直進して、見えなくなった。
「お客さん、ごめんね。タクシーはここでしか止められないですよ」
「いいよ。ありがとう」
篤志はタクシーを降り、ウェルカムガーデンへと向かった。もう桐嶋がどこへ向かったのか、興味は薄れていた。だが、辺りを見渡しても他社の記者は見当たらない。出張の目的がフェニックスプロジェクトに関係するのならば、それはそれで記事になるかもしれない。篤志はそう思い返して桐嶋を探すことにした。
エレベータに乗り、セントレア3階の出発ロビーに向かった。今日は平日であることもあり、人出はさほど多くない。ちょっと先まで見渡すことが可能だった。国内線なのか、国際線なのか。もし、フェニックスプロジェクト関連であるならば、今いま発表を行ったばかりだ、国内線の可能性は薄いだろう。となれば国際線か。篤志から向かって奥の方向が国際線のターミナルであった。
そのときだった。篤志は寄り添って歩く男女を見つけた。桐嶋一樹と美奈子だった。やはりそうか、足が向かう先はどうやら国際線のようであった。
そして、次の瞬間。篤志は自分の目を疑った。
「は?なに?」
桐嶋一樹の向かう先には八神英二の姿があった。
「八神英二?」
英二は桐嶋に気付いて会釈をした。どうやら2人は落ち合ってたようだ。何かを話している、互いに挨拶を交わしているようだ。この距離からは何を話しているのか全く聞こえない。続いて美奈子も英二と会話を交わしていた。
「どういうことだ?」
松川啓介と八神英二。これぞまさにあの日の再来。やはりそうなのか。
でも、それがなぜここ、セントレアなのか。成功祝いの打ち上げ会場がセントレア?ま、それもなくはないが…、いやそれはない。
3人を遠くから眺める新島篤志。このままでは埒(らち)が明かない。意を決して取材に向かおうとしたその時だった。八神英二、桐嶋一樹、美奈子の姿で隠れて見えなかった、もうひとりの人影が篤志の網膜を捉えた。
「いた!」
松川啓介だった。
新島篤志は走った。今日を逃す訳にはいかない。やはりフェニックスプロジェクトを裏で操っていたのは松川啓介に違いない。加えて言うならば八神英二も、かもしれない。こりゃ、『あの日の再来』以上の大スクープだ。
にしても、いかにそれを実現したのか。総合理化学研究所、国立脳科学研究所、メディカルフロンティア、そして若葉台総合病院。その4社を操れる強大な力を持つ組織…、まさか、松川ホールディングスか…。
まさか、松川啓介は松川HDのCEOに就任したのか。そして、その力を利用してフェニックスプロジェクトを現実の物としたのか。
「松川さん。松川啓介さんですね」
息を切らしながら篤志は啓介に詰め寄った。
その一声に松川啓介と3人は振り返った。
「はい。松川です」
松川啓介は至って涼しい顔をしていた。
「私、中京新聞の新島と申します。突然、ご無礼致します」
「えぇ」
「今日はどちらへ?」
啓介は桐嶋を見て、英二を見た。桐嶋も英二もきょとんとした表情を啓介に返した。後ろめたいことは何もない、そう言わんばかりだ。
「これは取材か何かですか?」
「フェニックスプロジェクトについてお伺いしたい」
「フェニックス…なんですか?」
啓介は桐嶋を見た。桐嶋は補足するように言葉をつなげた。
「あの再生医療のことです」
「あ、あれですか。フェニックスなんたら、と言うのですか。それでしたら申し訳ない。私はその再生医療技術には全く関係していないもので、何を聞かれても何も答えられないですよ」
「あなたが指揮したのではないのですか?松川ホールディングスの力を使って」
啓介の表情に笑みが漏れた。それは優しさに溢れた笑みだった。
「新島さんとおっしゃいましたね。あなたは何かを勘違いしていらっしゃる。確かにあの再生医療技術は松川ホールディングス傘下である総合理化学研究所が一翼を担ったかもしれませんが、それは私とは全く関係ない話ですよ」
「松川総研、所長であったあなたが関係していないとは到底思えませんが」
「私はただの松川啓介であり、今や松川鉄道の社長でもなければ、松川ホールディングスに影響力を及ぼせる程の人間など…、恐れ多いことですよ」
「松川ホールディングスのCEOに就任されたのではないですか?」
篤志は畳み掛けるように持論を展開する。それはすべてタクシーの中で思い付いた仮説であった。
啓介はニコッと笑ってそれを否定した。
「松川ホールディングスのCEOだなんて、とんでもない話です…」
そして、手元にあったカバンから1枚の名刺を取り出した。
「…私はこういう者です」
『独立行政法人・国際協力機構・JICA・モロッコ支援チーム・松川啓介』
名刺にはそう書かれていた。
「ジャイカですか?」
「はい。私は今からシニア海外ボランティアとしてモロッコへ向けて出発します。八神さんと桐嶋さん、妹の美奈子はその見送りにここまで来てくれたのです」
「シニア海外ボランティアですか?」
「ま、要は青年海外協力隊ですよ。って、そんな歳じゃないので、シニア海外ボランティアと呼んでます」
「そうでしたか。それはとんだ早とちりを…」
そこに搭乗案内のアナウンスが流れた。
『エールフランスよりパリ・シャルルドゴール国際空港へ、ご出発のお客様にご案内致します』
「あ、すいません。便の時間が…」
「そうですね。ご無礼を申しました」
「いえ。今後とも松川ホールディングス、並びに再生医療技術の飛躍に報道という観点からご支援頂きますよう、よろしくお願い致します」
啓介は深々と頭を下げた。慌てて、篤志も頭を下げた。
「あの…」
「はい」
篤志の咄嗟に伸びた手、啓介への握手を求めていた。
「気を付けて」
「ありがとうございます」
『ただ今、3番ゲートよりご搭乗を開始致します』
啓介は大きなスーツケースを引きながら、出発ロビーの3番ゲートへと向かった。
美奈子が啓介に手を振る。
「気を付けてね、お兄ちゃん」
「おーう」
新島篤志は啓介へ向けて改めて深く、深く頭を下げた。
松川啓介はあの日、遊佐 学の墓前でひとつの決意をした。それは彼が思い半ばとなってしまった海外支援の夢を引き継ぐことであった。啓介の胸には彼の生きた証がある。彼が与えてくれた第二の人生を彼の夢のために使う。啓介にとってはごく素直で、ごく当たり前に導き出された結論であった。それから、松川HDの松川隆平CEOに相談をし、松川鉄道の社長を退任、JICAへと入ったのだった。
今の自分に何が出来るのか、海外支援と言えど、英語も話せない。だが、想いだけは強かった。それに経営学については自信があった。
今、モロッコはアフリカの中でも堅実に経済成長を続ける国のひとつだ。そんなモロッコにおいて自分の経営学は必ず役に立つ。その点を強くアピールした。結果、それが全てと言うわけではないが、それもひとつのきっかけとなり、モロッコへ海外支援に行くことが決まったのだった。
啓介出発の後、新島篤志は事の経緯を八神英二から聞いた。
篤志は自分が考えていたことがホントにちっぽけでつまらないものであったと自身を深く恥じた。
そして、篤志はその思いの丈を翌日の朝刊紙面にぶつけたのだった。
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