第8話 化物

 車が横付け出来るような立派なアプローチなどあるはずもなく、高さだけでも優に3mはあるであろうか、重苦しいその門扉の向こうにその建物は不気味に存在していた。とても研究所だとは思えないたたずまいだ。

 塩じいが重苦しい門扉のすぐ隣に設置してある照合機にカードをかざすと「ピッ」と言う音とともに赤色のランプが青色に変わった。

「カチャ」

「カチャ」

「カチャ」

 開錠される音が3度響いた。塩じいが啓介を見て、微笑む。

「東亜セキュリティ社の特注システムだそうですよ」

 続いて塩じいがその青色のボタンを押すと、その重苦しい門扉がいかにも重そうな音を立てて動き出した。まだ、半開きだが人がひとり通れそうなくらい開くと塩じいが先に中へ入って行った。入ると天井の蛍光灯が入り口から向こう側に向かって順にパッ、パッと点いた。およそ天井の高さは5メートル、奥行きは50メートル、優にありそうだ。とは言っても、ここで小型原子力の研究がされていたわけではない。小型原子力とは言え、危険が伴う研究。2重、3重の安全装置によりフェールセーフが構成されている。そのうちのひとつがこの建屋なのだ。最後の砦とも言える重要免震棟、それがこの建屋の別名だ。

 塩じいは尚も先へ進んだ。CAUTIONと書かれた扉をいくつも進んでいく。研究をしていた当時はきっとこれ以上先には進めなかったであろうKeepOut!と書かれた扉もお構いなしだ。

「この扉が最後です」

 塩じいがカードを啓介へ手渡す。

「これ以上先は私の出る幕ではない。桐嶋さんとの約束もあるしの」

「塩じい」

 啓介は渡されたカードを扉の照合機にかざした。ピッと言う音とともに赤色のランプが青色に変わった。ドアの中心には大きなハンドルがあり、それをゆっくりと回す。銀行の金庫のようだ。ガチャっと言う音と共に、扉の四方から壁に向けて射し込まれていた鉄の棒が扉の内部に収まり、ゆっくりと10センチ程度扉が開いた。それ以上は開かなかった。あとは手動だ。両手でその扉を押す。塩じいもそれを手伝った。ゆっくり少しずつあらわになる本丸。昔で言わば『原子炉の格納容器』、今で言わば『セクトα・セピアシステムの中枢』であった。

 建物内部は綺麗に清掃されており、昔ここに原子炉があったとはとても思えなかった。ただ、だだっ広く野球の屋内練習場のようだった。その中央部に置かれている培養カプセル(生体ポッド)と1台のパソコン。啓介はゆっくりと足を進める。建屋内には啓介の歩く足音がコツン、コツンと響く。一歩一歩、進むにつれ懐かしい光景がよみがえる。

 あと一歩、手の届く場所まで来た。

 さすがに培養カプセル(生体ポッド)には若干の汚れがあった。使用済のものを急いで運び込んだ形跡を感じる。仕方ないことだ。パソコンはと言えば、電源こそ入っていないが明らかにいまどきのパソコンではなく、ひと世代前の旧型パソコンだ。それもそのはず昔のものをそのまま持ち込んだのだから、当たり前だ。

 啓介はこのセピアシステムを同時に見て直感した。とてもじゃないが起動など出来るはずがない。当時のシステムを今のシステムに置き換えるだけでも数千万のお金がかかるだろう。潔い諦めの気持ちが啓介に溢れた。良かったこれで良かったんだ。あとは桐嶋に「破棄しよう」と伝えるだけだ。桐嶋には申し訳ないが、そう伝えよう。感謝の意を込めて、松川理科研で相当のポストを用意すれば今までのことは許してくれるだろう。今や松川鉄道のいち社長、そんな権限がないのは百も承知だが、そうやって自分を慰めることで過去を…、全てを清算しようと思った。

 啓介はふとパソコンに貼られているシールに目をやった。

「Win98か。当時の最新スペックだが、今となれば滑稽だな」

「いえ。当時、このシステムのプラットフォームにはERIKAと呼ばれる高性能計算機が接続されていました」

 重苦しい扉の向こうからひとりの男が現れた。右手には小型のノート型パソコンを持っていた。

 続いて、桐嶋が現れた。

「お待たせしました。所長」

 桐嶋は小走りで男の横へ並んだ。

「こちら東亜セキュリティ社の大矢祐司さん。ここの建物のセキュリティシステムを構築された方で、セクトAとαの分割システムも大矢さんに突貫でお願いしたものです」

「初めまして。東亜セキュリティの大矢です。お会いできて光栄です」

 啓介は挨拶を返す間もなく祐司に握手を求められた。

 祐司は笑顔だった。

「このシステム、セピアシステムと言うんですね。先程の話、分割システムを構成した際に接続されていたのはERIKAと呼ばれる高性能計算機でした」

「ERIKAはセクト12にあったはずでは…」

 啓介には昔の記憶がよみがえってきた。

 そうだ、元々セピアアシステムの起源はセクト8にある。あの時代の主流と言えば今ここにあるスペックのパソコン程度だ。だから、セピアアシステムがこのパソコンで動いたって不思議ではない。

 セピアシステムが偉大なシステムとなったのは、セクト8からセクト11を経てセクト12へ移管され、ブルーローズの記憶を追うために開発された高性能計算機ERIKAと接続された、そのときだ。

 その後、セピアシステムはERIKAから切断されてセクトAに移され、速度こそ劣るが自己分析型の計算機であるBOXERに接続された。ERIKAはそのままセクト12に残された。

「今更、過去を掘り返すつもりはありません。都合の悪いことはそうおっしゃって下さい。守秘義務は守りますので」

 祐司は言葉を選びながら語りだした。

「桐嶋さんから依頼を受け、セピアシステムをセクトAとセクトαにどう分離しようかとシステム解析をしていて分かったのですが、セピアシステムは本当に良く出来たシステムで、本来の機能は旧型の計算機でも十分発揮するんです」

 大矢祐司は時代遅れのパソコンを指差した。

「これも中古です。家電街に行って数万円で買ってきました。セピアシステムは今でこそ珍しくないが、当時では珍しい高機能な分散コンピューティングシステムだったんです。核となるシステムはここにあるペンティアム4程度のマシンで充分処理可能な仕組みで、膨大な処理が必要な場合は全て、世界中にあるスーパーコンピュータに処理を委託する仕組みになっているんです。とは言え、最盛期のセクトAにはERIKA程の処理速度はないが、BOXERと呼ばれる自己分析型の計算機が接続されており、セピアシステムの拡張機能も有効に出来たのではないかと考えられます」

 セピアシステムの拡張機能。そう、そのひとつはコミュニケーション機能。BOXERと接続することでセピアシステムは大きなインターフェースを手に入れていた。それが会話だった。坂井慶一のことだから他にも隠れた拡張機能はあるだろう。この先、接続される計算機の能力が上がれば上がる程、その隠れた機能は目覚めて行くのかもしれない。

 現時点で大矢祐司はどこまでを知ったのか。セクト8から始まるセピアシステムの真実。その真実だけは何としても守りたい。

 考えた末、啓介はため息をついた。とぼけることにしたのだ。

「そ、そうですか」

 大矢祐司は続けた。

「そして、セクトA最期の時、ひとりの女性がこの培養カプセルに蘇った。これはCD-Rに残された記録を元にお話ししているだけですので、事実かどうかは伏せておきます。そのとき、セピアシステムはインターネット回線を利用して、世界中の高性能計算機と通信を行いました。そのとき統制をとったのはBOXERではなくセクト12のERIKAでした。所内LANを利用したネットワーク接続だったと思われます」

 祐司はこの小さなパソコンを両手で差しながら話を続けた。

「このときがこのセピアシステムの最盛期です。本当にこれは素晴らしいシステムです」

 啓介は拍手をするような形で胸の前で手を合わせ、時代遅れの小さなパソコンの前に立った。

 このまま終演。たとえ、大矢祐司が絶賛しようとも、この高性能なセピアシステムはここでおしまい。確かに忘れかけていた事実を祐司に引き出されて一瞬、再起動へ気持ちが揺らいだのも事実、だが再起動した所で時代の何十歩も先を行っている、このシステムを世間が受け入れる訳がない。事実、受け入れられていないから、今こうやって隠された場所に存在するのだ。

 だから、『終演』なのだ。

「私たちは何も知らずにセピアシステムを使っていたんですね。やはり坂井先生は偉大な研究者ですね」

 啓介は思いにふけるかのように辺りを歩き出した。

「ERIKAはセクト12においてセピアシステムのためだけに開発された高性能計算機ですよ。ですが、それも過去。もうERIKAは存在しない」

 そのまま両手を上に挙げた。それはお手上げバンザイだった。

「だから、もう終わりなんですよ」

 この時点ではさすがの桐嶋にも啓介の本音が読めなかった。


 セピアシステム、それはシステムであり、ヒトであり、化物である。今はない松川総合研究所・セクト8において、偶然の産物として生まれた究極のシステムであった。もし、今これを失えば2度とこの世に存在することはないであろうシステムだ。


 松川総合研究所・セクト8。分室制度が廃止され、その後新たに新設されたセクトのひとつだ。分室廃止後4~5年は正直、看板の掛け替えのようなもので、経営効率化と言っても大きな成果は出ていなかった。しかし、セクトそれぞれの業務見直し、仕分けを約10年かけて行い、今の松川総合研究所の基礎を確立した。それは今、松川理化学研究所にも引き継がれている。

 松川総研のセクト8は『魂の在処』を研究するセクトとして設立された。簡単に言えば『クローン技術の確立』と言ったところだ。だが、それを表だって発表することは出来ず、やもえず付けた建前の御題目だ。セクトの責任者となる主任研究員は坂井慶一。国立脳科学研究所付属人工知能研究センター(以下、国立脳研AIセンター)の創立者メンバーであり、当時、クローン技術の第一人者として、その世界では名前を知らない人はいない程の実力者だ。その慶一を啓介は破格の待遇で松川総研に招いた。それは給料だけの問題ではなかった。研究設備においてもだった。当時の最先端機器を世界中から集め、セクト8に準備した。研究者にとってはこれ以上にない環境であった。さすがに実直な坂井慶一であっても、その誘惑には負けた格好となった。だが、当時の国立脳研AIセンターにも暗雲が立ち込めていたのも事実。なかなか成果の出ない事業であったため、毎年少しずつ予算が削られていたのだ。慶一は予算維持のため上層部へ毎年、そのうちには毎月のように陳情と状況説明をする日々に追われた。いつしか研究どころでなくなっていた。そんな所に舞い込んだ松川啓介からの誘い。それはAIセンターの研究が国家事業と言う位置付けすらも危うくなっていく状況下で、坂井慶一自身が国立脳研AIセンターへの限界を決定的なものとする出来事となった。そして、まわりからの反対を押し切り、坂井慶一は大きな1歩を踏み出すことになった。

 だが、その1歩は慶一にとっては辛く苦しい道のりの始まりであり、啓介にとっては願ってもない成果を生み出すことになる、1歩となるのだった。それを決定づける事件がセクト8設立から約2年後に起きた。

 その日はセクト8始まって以来、画期的な実験を行う日であった。それはクローン人間を創ったのち、そのクローン人間を操作及び管理するためのソフトウェアを検証する実験であった。そのソフトウェアこそ『C(シー)システム』と呼ばれ、今ここ浜松分室に置かれているセピアシステムの起源となるものだ。

 セクト8はクローンの研究とCシステムの開発を並行して行っていた。そのため、Cシステムの開発が一歩先行する形となってしまい、クローンの研究が少し出遅れた状況であった。だが、坂井慶一はCシステムなくして、クローンはあり得ない、人類により創造されたヒト(クローン)によって人類が滅びるようなことがあってはならないと考えており、Cシステムの開発を止めることはなかった。そのため、実験当日はクローンなしで疑似的に作られたコンピュータ上のクローンを用意し、Cシステム単体の実験となるはずであった。だが、実験を進めるうちに疑似クローンではデータ採取が難しいことが分かった。欲しいデータが結局はコンピュータ上の疑似的に作られたデータであり、その信憑性が窺わしいものであったからだ。ここでこのデータを信用することで先々、大きなミスを生み出す可能性が十分にあった。

 そこで慶一は考えた。クローンの最終目的がヒトの創造であるならば、Cシステムはヒトのモデルである人間ですらもコントロール出来なければならない。つまり、Cシステムの検証には必ずしもクローンが必要な訳ではない、別に人間であってもいいはずだ。

 検証に人間を使おう、そう考えたのだ。

 当然、誰も賛同するものはいなかった。どこへ行くのか分からないが、行ったら帰って来られない、帰路のない一本道だと言うものもいた。慶一はCシステムのチームメンバーに「君たちが自信を持って作ったシステムではないのか、何が怖いのだ」と発破をかけたが、誰も名乗り出るものはいなかった。

 それから数日後、坂井慶一は自らがCシステムの実験台となることを決意した。ただ、危険な実験となるため、万が一に備え、CシステムにはコードAと呼ばれるシステム解放コードが新たに設定された。そのコードを実行すれば、全システムが解放される。要は慶一に危険が及ばないよう、実験中は一部のシステムに制限をかけたのだった。コードを実行するときはシステムが完成したときと言う訳だ。

 そして、実験が始まった。Cシステムはクローンの脳をコントロールする。そのため、実験には慶一の脳波をコントロールするために多くのセンサーが頭皮に取り付けられた。Cシステムが慶一の脳波データを一気に取得する。慶一の体調や今の気分などが数値化され、画面に表示された。動作は良好だ。慶一もCシステムの画面を見て微笑んだ。ただ、Cシステム本来の目的はコントロールであり、管理ではない。現在の状況が把握出来るだけでは成功とは言えなかった。そこで、慶一は自らを眠らせるよう、研究員に指示を出した。眠らせると言うことはCシステムからの命令となる。まさにクローンを操作する、そのものだ。それに眠らせるくらいのことであれば、万が一の際でも大事には至らないであろう、事前に行ったミーティングでの判断でもあった。

 だが、この判断が大きな間違いであった。

 研究員がスリープコードを実行する。すると次第に脳波が落ち着いていき、脳がリラックスした状態へと変化するのが分かった。だが、それとは反比例するかのようにCシステムが脳から大量のデータを取得していた。それは脳がリラックスすればするほど、データ量が増えていった。

 しばらくして、Cシステムの画面に「スリープ」と言う表示が出た。慶一は静かに眠っていた。だが、その眠りは2度と醒めることはなかった。

 この時点で坂井慶一は脳にある臓器を機能させるための最小限の記憶だけを残し、他のすべての記憶をCシステムへ移管され、脳死状態にあったのだ。これこそがクローンを停止させるための眠り。システムとしては的確な仕組みであった。

 だが、その的確な仕組みこそがクローンと人間の決定的な違いにより、大きな仇となり、慶一は自分自身に帰ることが出来なくなったのだった。

 その違い、それは記憶の量、データの量にあった。

 人間は歳を重ね、想い出と言う多くの記憶を蓄積していく、そのデータ量は計り知れない。一方、クローンにはそもそもそんなものが存在しない。思い出も年齢も存在しない、必要なときに必要な情報だけをインプットされ、人間の要求する任務を遂行する。それが基本だ。

 そのため、Cシステムはハードウェアであるクローンの設計に合わせ、膨大な量のデータを処理し、クローンも人間と同じように物を考え、自ら行動するような仕組みをコードAによって制限していた。くしくもそのコードAにより、慶一は帰らぬヒトとなった訳だが、例えコードAによって制限がかかっておらず、Cシステムが膨大なデータを扱い、計算機に処理を指示していたとしても、当時の計算機の処理能力で慶一の記憶を的確に処理出来たかは疑問だ。

 Cシステムは慶一を眠らせる処理を開始し、取り出すデータ量が規定値を超えた時点で、取り出したデータを元の場所に戻すためのチェックポイント処理を中止し、スリープ状態にするための処理を優先した。つまりその時点で慶一から取り込んだ多くのデータは所内のネットワーク上に接続されている磁気ディスクやハードディスク上に無作為に保存されたのだった。

 どこに保存されたかすら分からない、そんなチェックポイントのないデータは大海原を漂流する船のようなもの。発見できれば奇跡。発見なんて出来っこなかった。

 だが、研究員たちはその異変に全く気付かなかった。全てが順調であると錯覚していた。異変に気付いたのは坂井慶一を起こすためにCシステムからスターティングコードを実行したときのことだ。何の反応も示さないCシステム。それでも初めの1回目の実行はハードディスクが動く音がして起動らしき気配があった。だが、2回目以降の実行は何の音沙汰もなくなった。何をしても何も動かない。ただの壊れたパソコン状態となった。研究員はある程度想定されていた範囲内であると判断しており、予め決められたデバックを行った。そう、慶一から取り出したデータが上手く本物の慶一に戻っていないのであろうと判断したのだ。そのため、データのあるべき場所を探し、ひとつずつリカバリを行い元の場所に戻せば大丈夫だと思っていた。だが、しばらくして別の作業を担当していたひとりの研究員が発した言葉でその場が凍った。それはCシステムのリカバリと並行して行っていた、システムのステータスレコードを確認していた研究員だった。

「坂井主任のデータにはチェックポイントが入っていません。システムレコードには14時20分にデータオーバーフロー、ギブ プライオリティ トゥ スリープコード、とあります」


 今日まで死亡推定時刻が明らかにされることはなかったが、この時点で坂井慶一は帰らぬ人となった、と言える。

 そして、セピアシステムの起源が生まれた瞬間でもある。

 事故が起こり、その報告は半日としないうちに松川啓介の元へと伝えられた。この日の実験のことは伝えてあったが、被験者が坂井慶一であったと知り、それはたいそう激怒した。それもそのはず、松川啓介は自分の持病である心臓の病を完治させたいがために、坂井慶一の想いに賛同した振りをして、研究成果の最終段階には自分のクローンを作らせて、そのクローンの心臓を自分に移植しようと考えていたのだ。

 その夢が途絶えた瞬間であったからだ。

 他の研究員で継続可能な内容であろうか、情けないことにこの時点の松川啓介は慶一の安否よりも事業の継続可否、自分の身の振り方を真っ先に考えた。そして、翌日には慶一に一番近かった研究員を呼び出した。

 今あるこの惨状をひとまず片付けるため。次へ向かってステップを踏むため。

 その研究員は啓介に会うなり、こう言った。

「所長、これは神への冒涜です。元々、この研究には無理があった。即刻、セクト8を閉鎖すべきです。でなければ、私は辞めさせてもらいます」

 辞めるとの発言に啓介はとくに驚くことはなかった。研究員の1人や2人、世界中を見れば金で買える研究員は山ほどいる。慶一に一番近かったからと言って、別段ちやほやする必要もないと思っていた。だが、ひとつだけ、啓介はお願いしたいことがあった。慶一の側近を呼んだのはそれが理由だ。

「君の気持ちは分かった。確かに行き過ぎた研究だったかもしれない。いや、そうだった。行き過ぎた研究だった。だからあってはならない事故が起きた。君たちを危険にさらしたことは私の責任であり、大変申し訳ない思いでいっぱいだ」

 一呼吸おき、啓介は続ける。

「だから、セクト8は即刻閉鎖しよう。君の進言通りに…」

 さらに、続ける。

「だが…」

 一瞬の空白があった。

「だが、クローンの研究は続けてもらいたい。Cシステムには無理があったかもしれないが、クローン、いや再生医療の分野では時代はそこまで来ている。君も分かるだろう。再生医療が今後いかに重要か…」

 そして、セクト8は閉鎖され、セクト11が立ち上がった。初代・主任研究員は慶一の側近であったその研究員が就いた。再生医療を目的とした重要なセクトとなる。

 だが、そのほとんどはセクト8から引き継がれたものだった。その引き継がれたものの中で一番問題であるのが、「Cシステム」改め「セピアシステム」と呼ばれるシステムだった。開発したのは主任研究員である慶一の側近であり、松川啓介がその側近にひとつだけと言って切望したものだった。非常に短い時間で開発されたセピアシステムだが、その中身はCシステムそのもので坂井慶一のデータをアプリケーション領域から基幹領域に移したものだった。

 その改修はつまり、Cシステムを坂井慶一に明け渡すことを意味しており、ひいてはシステム自体が坂井慶一自身になることを意味していた。システムそのものが坂井慶一になれば、それはセクト11において再生医療の研究を進めるにも、はたまた再びクローンの研究をするにも、大きな近道となるはず。そう考えた啓介は慶一の側近にセピアシステムをセクト11の基幹システムとするよう、切望したのであった。

 啓介の切望とは言え、そのシステム改修には難色を示していた慶一の側近だったが、セクト11の主任研究員の座をちらつかされ、しぶしぶ誰に相談することもなくひとりでその改修を行った。

 だが、その側近もセクト11の発足後、主任研究員の座に就き、わずか1ヶ月後、交通事故により命を落としたのだった。システム改修は全てが極秘裏に行われており、彼の死によりCシステムだの、セピアシステムだの、物議を醸しだすことはなかった。警察も彼の死を事故として処理した。啓介も彼の死を悼み、何も語ることはなかった。

 しかし、その後。八神英二がセクト11の主任研究員に就くまでの約4年、セクト11は主任研究員不在という状況下、松川啓介が兼務であったという不可思議な事態が続いたことを考えると、彼の死が本当に事故であったのか、いささか疑問ではあるが、今やその真相は闇の中だ。


 セクト11は所長である松川啓介兼務の元、順調に成果を出して行った。そのスピードと言えば、他のセクトを遥かに凌ぐものすごいスピードであった。成果が出れば予算も付いてくる。予算が付けば更にスピードが増す。セクト11は他のセクトが見習うべき模範とも言えるセクトとなった。だが、その繁栄の裏には当然、セピアシステムの存在があった。


 クローンを管理する目的で作られたCシステム、それは坂井慶一のブレーンを取り込んだことで、クローンを作り出すことが可能なシステム、セピアシステムとして生まれ変わった。

 セクト11、セピアシステム。基幹機能を担う『坂井慶一』は表面的には松川啓介に気付かれずBOXERをコントロールすることができ、自らを見つけて自らに戻ろうと模索していた。慶一にとって自己分析型計算機BOXERは強力な味方であった。

 BOXERは松川総研が当時、総力を結集して開発した自己分析型の計算機であるHulic・Ston(ヒューリック・ストン)のバックアップ機として開発された自己分析型の計算機であった。本来は使用されないはずのバックアップ機だが、セクト11が担うその目的のため、所長である啓介の特例をもってバックアップ機を間借りし、接続されたのだった。だが、皮肉にもその過程そのものがセピアシステムの可能性を最高峰まで押し上げる原動力となるのだった。

 そして、ついにその日はやってきた。

 セピアシステムのプラットフォームがBOXERからERIKAに刷新されたのだ。セクト11から12への移行であった。

 ERIKAはヒューリック・ストンの処理速度の構成部分だけを取り出し、当時で処理速度最速となった高性能計算機であり、セクト12…、セピアシステムのためだけに専用で開発された計算機であった。

 それはセクト12が、いかに重要なセクトであったかを意味する。

 また、高性能計算機ERIKAと接続されたセピアシステムは世界中の技術者が日々寝る間を惜しんで解明に取り組んでいる宇宙や自然の仕組みも、ほんの数日でシュミレーションできる、そんな無限とも言える潜在能力をもつシステムとなった。それはまた同時に人類の境地を超える可能性を持つシステムとなった瞬間でもあった。

 これぞまさに、向かうところ敵なし。

 啓介はそんなセピアシステムを自らの延命のために利用した。それこそセピアシステムが『化物』と言われる由縁である。


 その翌年。セクト12の一部がセクトAに移管される。

 それは、人が人の境地を超え、神の領域に踏み入る瞬間であり、

 名実共に『化物』が揃い踏みした瞬間でもあった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る