第7話 心裏

「そろそろ、行こうか」

 父・隆平の声が松川啓介の耳に飛び込んできた。

「あ、あぁ」

 ふと振り返ってみる。そこにはいつものようにじいちゃんの墓がある。

 安泰寺の境内からはカラスの鳴き声が聞こえる。その鳴き声に啓介は毎日、当たり前のように続いている、ごくありふれた人生の途中に自分はいるのだと改めて感じさせられるのだった。

 そう、人はいずれ死を迎える、そんな当たり前の人生だ。

「帰らないのか?」

 寺の墓地の出入り口から父・隆平の声が響いた。

「あ、悪いけどこれから行くとこあるんだ。だから今日はここで」

「なんだ、そうか。メシでもと思ったんだが。じゃあ、またにするか」

 そう言って右手を上げて隆平は去って行った。しばらくして車が発進する音が聞こえ、安泰寺は再び静寂に包まれた。


 これから行く所。そんな予定はなかった。ただ、久しぶりに父と会い、これからの事を聞かれ、松川グループの精鋭企業に転籍するのではなく、今のまま、老舗企業である松川鉄道に残ることを願い、そして、思ったことがあった。

 セクトαに決着を付けなければ…。

 忘れていたわけではないが、自分の身体も比較的調子よく、世間体、時代の流れを勘案して、出所してからもセクトαからは敢えて距離を保っていた。

今、セクトαは松川理化研のトップシークレットセクトとして、第二秘書の桐嶋がひた隠し守り続けていた。

 啓介はポケットから携帯を取り出した。コール先は松川理化研であった。啓介は今や松川HD傘下のいち社長、松川一族の末裔とは言え、理化研への自由なアクセスは許されていない。

 しばらくのコールの後、受付につながった。

「ありがとうございます。松川理化学研究所、受付の河合です」

「お世話になります。松川鉄道の松川啓介と申します。無理を言いますが、この電話、秘書課の桐嶋さんに繫いで頂けませんでしょうか?」

「松川社長、いつもお世話になります。ただ今お繋ぎ致しますのでしばらくお待ちくださいませ」

「ありがとう」

 携帯からはよくある、待ちメロディが流れた。松川総研時代にも使っていた待ちメロディだ。懐かしく感じた。

桐嶋に連絡をするのも久しぶりのことだった。出所以来、基本的には連絡を取らない、そういう約束だった。連絡するときは、決断の時。そう言うお互いの約束だった。

 しばらくして桐嶋が電話に出た。

「すいません、お待たせしました。久しぶりですね、所長。お元気ですか?」

「あぁ」

 桐嶋から見れば松川啓介と言う人物は今でも所長だった。栄華を極めた松川総研の所長、松川啓介なのだ。

「長い間、すまなかった。例の件で電話したのだが…」

「大丈夫です。今からですか?」

 桐嶋の声は躍動感にあふれていた。その躍動感に圧巻される啓介だったが、桐嶋の気持ちが分らない訳でもない。松川理化研と言う組織の中でセクトαをひた隠し続けた10年、当時の松川総研トップである松川啓介に言われた一言だけを頑なに守り続けた10年。その10年がやっと報われようとしているのだから。

「そう…、だね」

 啓介は桐嶋の段取りの良さにたじろいだ。

桐嶋は啓介が出所して以来、いつでもすぐにセクトαを起動出来るように準備を行っていた。それは10年前に啓介に申し伝えられたからだけではなく、場合によっては啓介の体調が急に悪くなり、緊急でセクトαを起動させなければならない事態があるかもしれないことを想定しての事であった。だから、逆に桐嶋から見れば元気な啓介から『起動』を示唆する連絡があった事はとても喜ばしいことだった。

「車、準備しますよ。今どちらにいらっしゃるんですか?」

「今、安泰寺だ」

「あぁ、先代の…」

 さすが桐嶋だった。啓介の元秘書とは言え、このやり取りは心地よかった。

「でしたら。私、午前中は理化研を離れられないので、午後から所長に無理言って、そっち行きますから、松川鉄道本社で待っていてもらえませんか?」

「いや、だったら近くまで行こう。場所は?」

 桐嶋は小声になった。

「静岡県御前崎です」

「御前崎?」

「えぇ、あの…浜岡原発の…」

 桐嶋はそれ以上言わなかったが、啓介には思い当たる節があった。

「まさか、浜松分室なのか?」


 旧松川総合研究所・浜松分室。

それは松川啓介が所長になる以前、松川総研が国と連携して戦後の疲憊(ひはい)した日本産業を発展させるのを目的として、各地に根付いた研究に特化した分室と呼ばれる研究施設を設立した、そのうちのひとつだ。

 造船技術の長崎分室。自動車技術の豊橋分室、農作技術の新潟分室、あらゆる分野の研究開発を松川総研は担っていた。そして、小型原子力技術を担ったのが浜松分室と言う訳だ。

浜松分室は松川総研と日本小型原子力研究機構が家庭用の小型原子力発電機の普及を目指し、開発研究を行っていた研究施設だ。

 日本小型原子力研究機構の設立は1957年、日本原子力研究所・東海研究所設立と同時であった。

 日本が世界へ向けて、二酸化炭素が発生しないクリーンな電力発電として大型の原子力発電施設を開発する、それが現在の日本原子力開発機構だ。

 一方、それとは別に一家に一台、家庭用の小型な原子力発電設備を研究する目的で設立されたのが、日本小型原子力研究機構だ。

 設立当初は原子力技術の確立こそが命題であり、小型原子力の開発は後手であった。だが、1970年代、技術が確立してきた背景をうけ、拠点を茨城県東海村から浜岡原子力発電所内に移し、本格的な開発へ着手した。一家に一台、原子力の明るい未来像を掲げ、意気揚々と出発したはずだった。しかし、初年度からトラブルに見舞われ、前途多難なスタートとなった。そして、その5年後、大きな成果も上げられない日本小型原子力研究機構に対し、国は高速増殖炉もんじゅへの予算投入を本格化させることを理由に小型原子炉の研究を一時凍結させることを決定した。同じくして松川総研も原子力研究からの撤退を模索し始める。そして、その2年後、松川総研の所長に松川啓介が就任し、経営合理化を目的とした分室の廃止が実施され、浜松分室は解体された。

 つまり実質、現存する分室はないはずだった。だが、啓介が分室を解体した際、浜松分室だけは解体出来ない事情があった。それは研究に使用した使用済核燃料を保管する施設が他になく、このまま処理施設が出来るまでここで保管するしかなかったのだった。解体が決まった当初は浜岡原子力発電所に引き取ってもらう予定であったのだが、土壇場にきて断りの申し出があった。

 浜岡原発でも年々増え続ける使用済み核燃料の保管には苦慮しており、例え小型原子力発電に使用した小型の燃料であっても、よそ様に提供出来る程の余りスペースはないとの回答であった。まさにそれは上層部からの圧力であり、成功するはずがないと言われた小型原子力への侮蔑でもあった。

 当初は浜岡原発と情報交換を密にし、共に発展することを目的とし、同じ敷地内に設立されたのだが、ふたを開ければ散々な結果での幕引きとなった。


 電話口で桐嶋は言った。

「そうです。その浜松分室です」

 桐嶋の回答は予想通りのものであった。

 セクト12、そしてセクトA、隔離のためにそこから分離されることになったセクトα。だが、その分離には十分な電源設備のある場所、そして、皮膚組織や筋肉組織を形成するために必要な培養カプセル(生体ポッド)を設置できる場所が必要であった。セクトAには核となるセピアシステムがある。それはクローン生成が可能なシステムと培養カプセル(生体ポッド)がセットとなったシステムだ。要はその部分だけをαに移動させるのだ。他は模擬されたシステムであり、世間の目にさらされても別に問題はない。セピアシステムを守ること、それがαに課せられた最大の役目なのだ。

 桐嶋はその命を受け、セピアαの移動先を必死で探した。

 例えば賃貸で新しい施設を探すとなれば、不動産業者を当たることになる。そうすれば足がつき、いずれ警察に知れてしまう恐れがある。つまり、松川総研内で場所を探す必要があった。

 ときは年度初め、年度予算を組む時期であった。業務多忙な中、悩む桐嶋。そのとき経理を担当していた、当時の松川総研副所長・松川美奈子から偶然にも浜松分室の話を聞いたのだった。「毎年の維持費、なんでこんなにかかるのかしら」と言った内容だった。そう、今や浜松分室はお荷物分室。何の成果も上げていないのに電気代や固定資産税などで年間数千万円の維持費がかかる。そのため毎年、一定の予算を付けてはきたが、新任であった美奈子が疑問を持ち、たまたま桐嶋に話をしたのだった。もちろん世間話だ。見直すことなんて出来っこない。パンドラの箱、それが浜松分室の実態だ。

 だが、このときばかりはパンドラの箱ではなく、宝箱のように思えた桐嶋であった。セクトαを設置することにより上がる電気代、だが、それは分母が大きい分、微々たる数字だ。固定資産と言ったって、新たにあそこに設置するものと言ったら使用済み核燃料くらい、でも今やそれもゼロだ。隠すなら絶好の場所であった。


「桐嶋、お前の機転の良さには脱帽するよ」

 安泰寺の祖父の墓前で笑みがもれる啓介であった。だが、それはセクトαの無事を思うと言うよりは桐嶋への感謝の方が強かったように思う。

「今となって思えばよくやったな、と自分ながら思いますよ。誰にも言えないから自画自賛するしかないですけどね…アハハハ」

 そう言って桐嶋は笑った。啓介もつられて笑ったが心中は申し訳ない思いでいっぱいだった。

「じゃあ、昼過ぎにさ、直接現場に行くよ。13時すぎなら大丈夫かな?」

「分かりました。昼過ぎに。13時はちょっと間に合わないかもしれませんが、早めに行けるようにします。あ、それと今は防犯の関係もあって、必要時以外は関係者以外立ち入り禁止になっているんです。なにぶん、使用済核燃料なんて物騒なものを保管しているのに、普段は誰もいないもんですから、警察からも注意を受けたことがありまして、美奈子所長がかなり厳重な警備にしたんです。だから、へたに扉などを開けようとしないで下さい。部外者扱いみたいで、すいませんが、門の前でちょっと待っていてもらえませんか」

「あぁ、分かったよ。門の前で静かに待っているよ。俺は部外者だからな、アハハハ」

「すいません、です」

 桐嶋は申し訳なさそうに返答した。だが部外者、それは事実のこと。松川啓介は部外者だ。だが、桐嶋の心にいる啓介は今でも松川総研所長・松川啓介なのかもしれない。

 啓介は何も嫌な気持ちにはならなかった。少し寂しい思いがしたが、これは過去との決別。笑えば気持ちも前向きになれるように思えた。

「それでは昼から、打ち合わせの方、よろしくお願い致します」

 桐嶋は急に業務めいた口調に変わった。秘書課の周りの目もある。世間話もそこそこに、桐嶋のカモフラージュだった。啓介もそれを察し、「あぁ」とだけ返答した。

「それでは失礼致します」

 桐嶋が電話を切ろうと思った瞬間だった。

「桐嶋、ありがとう」

 そう、啓介の一言が聞こえた。桐嶋が返答をする間もなく電話は切れた。


 再び安泰寺は静寂に包まれた。

 松川啓介は祖父の墓に一礼をした。

「また来るよ」

 そう言って、その場から歩き出した。途中、参墓者とすれ違い、挨拶を交わす。ひしゃくの入った水桶の中には鮮やかな仏花が収められていた。

 啓介はひとり思う。

 この世を去っても見守ってくれる人がいる。それはこの上ない幸せに違いない。人はいずれ死ぬ、死に向かって生きてゆく。だから生きて、残す。自分の生きた軌跡を残す。儚くともそれが人としての生き方なのか。それは過去の自分を否定するかのような感情でもあった。

 安泰寺を一歩出ると、車やバイクが行き交う慌ただしい世界がそこにはあった。現世に引き戻されたような不思議な感覚に陥った。と同時にお前にはまだやり残したことがあるだろう、まだこっちには来るなよ、と、じいちゃんがそう言っているように感じた。

 ハハ、ちょっと考えすぎだな、啓介に笑みがもれた。

 松川鉄道・西浦南駅から電車に乗り、一旦本社に戻ることにした。松川鉄道・本社があるのは1区間先の西浦北駅であった。

 桐嶋からセクトαの場所を教えてもらったのはいいが、静岡県御前崎市と言えば、静岡県の最南の地だ。松川総研時代でもめったに行くことはなかったが、当時はお抱え運転手がいた為、後部席に乗っていれば嫌でもその場に着いた。だが、今は違う。運転手もハイアーもない。松川鉄道の社長に就任し、一番最初に着手したのが、皮肉にも運転手とハイアーの廃止であったとは笑える話だ。タクシーと言う手がないわけではないが、場所が場所だ、ここから静岡県まで行けば数万円では済まない。これでは社員に説明がつかない。

 会社の門を抜け、空っぽの車庫を見て、思い出し笑いをしながら、社屋に入った。事務のおばさんが啓介に気づき、声をかけた。啓介は手を振って応え、素通りしようとしたが、ふと思いついたように足を止めた。

「ねぇ、足立さん。ネットでさ、ここから静岡県御前崎までの行き方を調べてくれないかな」

「静岡県御前崎ですか?ずいぶんと遠くにお客様がお待ちなんですね。タクシーの方が良いんじゃないですか?」

 事務の足立さんはそう話しながらキーボードを叩いた。

 松川鉄道も昔は手書きの帳票などが一部屋を埋め尽くしており、その管理のための部署があったくらいだ。だが、どうだ、今は足立さんがひとりでそれを行っている。このパソコン操作に慣れた手付きはその賜物だ。

 啓介は事務所の奥にある自分の席で、出かける準備をしていた。社長室は撤廃した。みんなと同じフロアーで、ちょっと奥に席があるだけのことだ、もちろんこの場所から、パソコンの画面を見ている足立さんの姿が見える。

「ずいぶん時間かかりますよ、大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫。プリントして」

 ちょっと声を張った啓介。

 ずいぶん時間かかりますよ、か。行きと帰りに時間がかかるのは仕方ない。ただ、帰りはとても遅くなるような気がした。もしかすると2、3日帰れないのではないだろうか、そんな予感がした。

 ふと、「ぼくらの七日間戦争」と言う映画を思い出した。1988年にヒットした映画だ。七日間戦争か、そんな大げさなものではない。7日間と言う言葉が気になっただけ、それだけのことだろう。映画のストーリーだって今の自分と全く重ならない。

 だが、不思議と「戦争」と言う2文字が印象的に残った。

「プリントしましたよ、そこ置いておきますから」

 足立さんの声が聞こえた。啓介が振り向くと事務所入り口の簡易的な受付台の上に紙を置いている足立さんの姿があった。

「ここ、置きましたから」

 紙を持った手を挙げ、啓介に合図をしていた。

「サンキュ~」

 準備が出来た啓介は足立さんの横を抜け、受付台の上にある紙を手にした。

 足立さんが自分の席から受付に目をやる。

「気を付けて行ってきて下さいね。社長」

「あ、はい、はい」

「あ、もし泊りでしたら連絡下さい。その手筈も出来ますし」

「分かった、連絡するよ」

「薬も忘れずに」

「はい、はい。じゃあ」

 啓介は右手を挙げながら、会社の玄関を後にした。

 再び松川鉄道・西浦北駅から電車に乗り、常滑駅へ向かった。そして、常滑駅で名古屋鉄道へ乗り換え、名古屋駅へ向かった。名古屋駅からは東海道新幹線ひかりに乗り、浜松駅で下車。浜松駅からはJR東海道本線で御前崎の最寄駅となる菊川駅まで行き、そこからはバスだ。しずてつジャストライン・御前崎線で浜岡営業所下車、御前崎市内線に乗り換え、原子力発電所入口バス停での下車となる。約2時間半の移動、日ごろの疲れとバスの揺れであろうか、啓介は少しうたた寝をしていた。

「原子力発電所入口です」

 アナウンスが寝ぼけた脳に飛び込んできた。啓介はハッと気づき、慌ててバスを降りた。バスは扉を閉め走り出した。他に降りる乗客はいなかった。静かな停留所であった。

「眠れましたかな?」

 ふと、年老いた男性の声が啓介の背中の方から聞こえた。慌てて降りたため、バスを見送る体勢のまま膝に両手をつき、うつむいていたため、停留所に人がいることに気付かなかった。その声に振り返る啓介。そこには懐かしい顔があった。

「塩じい」

「お久しぶりです、啓介お坊ちゃま」

 塩じいこと塩川清仁。元・松川総合研究所・浜松分室の室長だ。

「どうしてここに?」

「桐嶋さんから連絡頂きまして。どうもお約束の時間に少し間に合わないそうで、代わりに分室を開けて欲しいと言われまして」

「ってことは…」

「えぇ、今は松川理化学研究所・資産管財課の塩川でございます。ご案内致しますよ。どうぞこちらへ」

 塩川に促され、啓介は歩き出した。

 塩川清仁は当時、松川総研の浜松分室・室長と言う役職を持っていた。啓介の分室廃止に強く反対したひとりだ。ただ、犬猿の仲と言う訳ではない。塩川と啓介の祖父である松川弥之助とは共に戦後の疲憊した日本産業を発展させるために分室と呼ばれる研究施設を数多く設立した仲で、塩川からすれば啓介は孫も同然であった。啓介がオムツをしていた頃から知っている。

 とは言ってもそれはそれ、これはこれ。塩川にとって分室は自分の全てで、弥之助との大切な想い出でもあった。その想い出を壊されたくないと言う思いが強かった。だが、松川総研にとって合理化は急務であった。啓介の強い思いを受け、最終的には承諾した。塩川は研究者で啓介は経営者であり、共に歩む道は違えど、進む方向は同じである、当時の塩川はそう自分を納得させた。

「大変でしたね」

 塩川が歩きながら言った。

「法を犯したのだから、裁きは受けねば」

「もう研究の道からずいぶん離れてしまいましたが、戦後ですか…、危険な道も数多く歩きました。だが、それも国のため、会社のため、そう思っておりました。だが、今は違いますな。1にモラル、2にモラル、大切なことではありますが、それで革新的な発明・発見が出来ますでしょうかね」

 塩じいはクシャクシャの顔で笑いながら振り向いた。

「こっちです」

 道路を横切った。ま、交通量は少ない。車に気を付ける必要もなさそうだ。塩じいは話を続けた。

「八神英二さんでしたか…。あれからお会いになりましたか?」

 久しぶりに聞いた名前だった。逮捕されたときは2度と聞くことも会うことはないだろうと思っていた男の名前だ。だが、今は不思議と懐かしく思えた。

「会ってませんね」

「そうですか。ぜひ、会われるべきです。じいさんの戯言ですが…」

「そう…、ですね」

「戯言ですから」

「いや、そうじゃなく、会うべきかもしれない、と言う意味です。せめてお礼を言うべきかもしれない。松川総研のいち時代を築いたのは紛れもなく彼なんですから。それは今も松川理科研に名声ととも受け継がれているんです」

 塩じいが足を止めた。

「ホホホ、坊ちゃまらしくないお言葉」

 再び歩き出す塩じい。

「私をここに呼んでくれたのは美奈子お嬢様なんですよ。塩じい、浜松分室を守ってくれないかな、って。再雇用して頂けたんです。ですから、今はこの御前崎で妻とひっそり過ごしております」

「そうか、奥様は元気ですか?」

「えぇ、この静かな町が気に入ったようで」

「本当によかった。美奈子もやるな、彼女らしい手腕だ。これ以上の適格者はいないよな。桐嶋が言ってたよ。総研時代よりも管理が厳重になっているって。昔は人なんて置いてなかったからな」

「今はそういう時代です」

 塩川と啓介は狭く長い砂利道を歩いていた。およそ5分くらいだろうか。しばらくすると、その先に、開けた土地が視界に入って来た。見上げるとそこには大きな建物がそびえたっていた。周りから隔離するかのうように建てられた建物。そう、これこそが旧松川総合研究所・浜松分室であった。

 塩じいが立ち止った。

「ようこそ、松川総合研究所・浜松分室『小型原子力開発室』へ」


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