第5話 背広

 松川鉄道は名古屋鉄道・常滑駅から南へ続く、ローカル鉄道だ。もともとは名鉄・知多武豊駅から北に武豊町と常滑市をつなぐ路線で運行しており、常滑駅起点ではなかった。だが、2005年に中部国際空港が開港したのをきっかけに、名鉄・常滑駅までの延線工事を実施し、今の常滑駅から知多武豊駅をつなぐローカル線となった。

 延線工事には地元住民の要望も強く、武豊町から南に位置する美浜町、南知多町の住民は鉄道を利用して空港まで行こうと思うと名鉄・太田川駅まで北上しなくてはならず、この松川鉄道によって名鉄・武豊駅で乗り換え、名鉄・常滑駅へと向かうことが出来るのだった。今では名鉄と切符を共有する形態をとっており、両者別々の鉄道会社ではあるが、松川鉄道の駅から名鉄の駅までの切符が買える便利さだ。ただ、車両自体は共有していないため、どうしても乗り換えは発生する。それに松川鉄道の財政も決して良くはなく、名鉄に比べれば見劣りする車両が今でなお最前線で活躍している。

 松川鉄道は1990年、旧国鉄が民営化されJRとなった1987年、その3年後に創業した。民営化したJRは地元の私鉄にとっては大きな脅威であった。また、家庭に自動車が普及し始め、一家に一台、一人に一台と言う時代がやってこようとしていた。そんな時代のあおりをうけ、地元の小さな私鉄会社は合併を行い、競争力をつけるしか事業存続の道はなかった。

 そんな中、南知多を中心に鉄道事業を展開する南知多鉄道は地元密着の路線運営を行っており、JRの脅威こそ感じることはなかったが、駅と駅との間隔がどうしても長いことで、いつでも自由に移動できる自動車の脅威にさらされることになった。年々、経営は圧迫していき、ついに1990年に事業存続のために一部の路線を当時地元で吸収合併を繰り返し、大手の鉄道会社となっていた名古屋鉄道に路線のほぼ9割を売却する決断をした。そして、残りの1割の路線を引き継いだのが松川鉄道と言うことである。

 当初、名古屋鉄道は全路線の売却を希望していた。そうすれば南知多方面全域をほぼカバーできることになる。それはJRの路線が少ないこの地域にとって非常に大きな主導権を握れることになる。だが、南知多鉄道にはどうしても売却出来ない、残さなければならない路線があった。それがその残る1割の路線であった。

 実は南知多鉄道も松川鉄道も元を正せば「松川財閥の松川グループ」である。そして、南知多鉄道の創業者が生まれ育ったのが、現在松川鉄道が保有する路線にある駅、西浦南駅のある愛知県常滑市苅屋町なのだ。そのため、創業者の松川弥之助の意志を受け継ぐためにも、例え他の路線を売却してでも、この会社を守り、この路線だけは残さなければならなかった。そうして、会社名は変わったが南知多鉄道から松川鉄道へと想いは受け継がれたのだった。

 創業者の松川弥之助はそんな激動の時代を知ることもなく苅屋町、安泰寺に静かに眠っている。


 安泰寺は松川鉄道・西浦南駅から南へ500メートルほど歩いた場所に位置している。寺と同じ敷地の北側には神社があり、人の手によって守り伝わっているのだろう、美しい森があった。寺はその森に囲まれ、いっそう神々しい雰囲気を感じる。また、まわりは住宅街で人の行き交う音が聞こえる程度で比較的静寂に包まれており、そんな環境もさらにこの寺を引き立てていた。松川弥之助はそんな安泰寺の墓地に眠っている。

 弥之助の墓の前にひとりの男が立っていた。背広を着たビジネスマン風の男だ。右手には仏花とひしゃくの入った水桶を持っていた。1か月に1回程度、清掃に来る女性がいる。そのため、弥之助の墓は常に綺麗だった。男は墓を見渡しながら「相変わらず綺麗だな。さすが母さんだ」とつぶやいた。そして、墓の前に立ち、すでに花が挿して飾られている花筒へ自分が持っていた仏花を追加で挿した。すでに飾られていた花は月に1回来る、この男の母親が飾ったものらしい。

 すると男の後方からまた別の男の足音が聞こえてきた。寺内の石で作られた道をコツコツと歩いてくる。この男の服装は墓の前にいる男とは違いカジュアルなものだった。そのカジュアルな服を着た男も弥之助の墓へと近づいていた。背広の男は右手に数珠を持ち、墓の前で手を合わせていた。しばらくして、やっと背広の男にもカジュアルな服装の男の足音が聞こえ、振り向いた。

「親父」

 背広の男はそう言った。

「本社によったらここだと聞いてな。久しぶりだな、啓介」

 背広の男、その名は「松川啓介」、その人であった。


「そうだね」

「どうした、じいさんの墓なんかに来て。毎年、盆と正月には来てるだろ。掃除は母さんがやってくれているし」

「うん、いつ来てもやることはないよ」

「たまに来るのか?」

「仕事の合間にね。ここに来るとホッとするんだ」

 松川啓介はそう言った後、すぐに右手で何かを否定するかのうように続けた。

「いやっ、会社は大丈夫だよ。何かあった訳じゃないから」

 啓介の父親はニコッと笑い、「分っている」と返した。そして、墓の前へと足を進めた。啓介に数珠を借り、手を合わせた。しばらくして、父親は手を合わたまま、「ここが我が家の原点だからな」と、言った。

「お前にはここを大切にしてもらいたい」

「分っている」

 啓介のその言い方は父親そっくりだった。

 父親は立ち上がり振り返った。啓介と目が合う。

「所で何か用事でも?」

 啓介は水桶を持ち、帰路へ着こうとしていた。

「これからどうする?」

 その父親の一言に再び、地面へと水桶を置いた。父親は続けた。

「もう世間のホトボリも冷めただろう。松川グループの中でも啓介、お前の登板を待ち望む声は少なくない。美奈子の頑張りもあって、理科研と言うわけにはいかないが、新規事業も計画している。だから…」

 そう言いかけた父親に割って入るように啓介が言った。

「親父、もういいんだ。俺のことは。妹の美奈子や弟の和也のことを第一に考えてやってよ。長男の俺ばかりこんな迷惑ばかりかけてちゃ、申し訳ないから。分かってたんだ、そろそろ言ってくるだろうなって。だから、もう決めてたんだ。この松川鉄道で頑張るって。このじいちゃんの南知多…、松川鉄道で」

 松川啓介にとって今の環境は本当にありがたく、充分すぎるものだった。この松川鉄道に来て早5年、あの日からは10年と言う年月が流れていた。世間のホトボリが冷めたと言えばそうかもしれない。だが、日を追うごとに「今がある」ことに感謝したい、そう言った気持ちが大きくなってきた。今ここでこうやって従業員300人と言う小さな会社だが、松川グループにとっては切っても切り離せない大切な会社・松川鉄道を任せられ、じいちゃんの墓の前に人に恥じることなく胸を張って立っていられる。父が自分の再起にこの「松川鉄道」を選んだ本当の理由がそこにあるのかもしれない。

 あの日、それは今から8年程前の話。松川啓介が松川製薬付属・松川総合研究所…以下、松川総研(現・松川理化学研究所…以下、松川理化研)の所長をしていた頃だ。


 当時の松川総研は松川製薬の付属研究施設で風邪の特効薬を研究するセクト、視力低下予防の目薬を開発しているセクト、医療分野でも1位、2位を競う有望メーカーであった。その年、「がんの消滅理論」を確立させ、今一番旬な企業として世界に名を馳せた。そんな矢先、啓介はトップシークレットセクトと呼ばれるひとつ、セクトAの異変に気付いた。それは内部告発を予感させる動きであった。

 トップシークレットセクトとは本来であれば人類にとって重要技術でかつ、社外に情報が漏えいして、万が一にも社会的なパニックに陥らないよう、厳重に管理を行うための社内規定だった。だが、その規定を利用し、啓介は人のためではなく、自分のためにクローンを創り出す技術を研究する施設としてセクトAを立ち上げたのだった。当然、その実態を知る者は少なく、社内でも疑問視される声はあったが、大きなうねりとなることはなかった。

 そこに不穏な動きを察知したのだった。

 松川啓介はすぐに調査に乗り出した。

 セクトAには併走する形となるセクト12があり、そこの研究員・神内奈緒子と松川総研の第一秘書であった泉憧仁美の両者には以前から不穏な動きがあった。だが、調査を進めるうちに意外な事実に直面することになる。内部告発の主犯として浮かび上がったのが、セクトAの主任研究員・八神英二だったのだ。それを知った啓介は「一足、遅かったか」と言葉をもらした。奈緒子や仁美に先を越されたのだった。

 神内奈緒子や泉憧仁美も松川啓介が自分自身を守るために最後の切り札として考えるのは八神英二であると思っていた。英二がどちら側につくのか、それにより事態が大きく変わると両者が思っていた。

 以前より啓介は英二にセクトAの重要性、必要性を話していたが、核心は話していなかった。セクトAは啓介自身のためのセクトA、そして、過去に起きたセクト8の事故から引き継がれたモノ、セクトAの心臓部となっているセピアシステム。その核心を話していなかった。いずれは話さなければならないとは思いつつも、八神英二の松川啓介への実直なまでの信頼が邪魔をし、真実を伝えることを先送りにさせていた。

 そして、ある日。セクトAでセピアシステムが覚醒したことにより、過去への疑念を払拭できなくなった英二は神内奈緒子と共に松川総研を潰す、そう決意したのだった。

 それは同時にセクトAの解散、セピアシステムの解放を意味していたはずだった。だが、啓介に分らないように進められたはずの内部告発も啓介には周知の事実となってしまっていた。

 そして、その日はきた。


 その日、松川啓介は出張でスイスを訪れていた。松川総研にガサ入れが入ったことを第二秘書の桐嶋から国際電話で聞いたのだった。

「所長。今、ガサが入りました」

 電話先の啓介は気持ち悪いくらい落ち着いていた。

「分かった。思ったより遅かったな」

「えぇ」

「八神主任は現行犯逮捕だろう。そうなれば私はどうなるだろうか?」

「先程見えた担当捜査官には出張と伝えてありますので、逃亡の恐れはないと判断していると思います。空港での身柄確保が濃厚かと思います」

「そうか、まぁ予定通り帰国するとするか。これ以上ジタバタしても始まらないからな。ここ数か月、いろいろとありがとう。大変だったろう」

「いえ」

 桐嶋はそれ以上は言わなかった。怒涛のごとく流れたこの数か月、共に歩んだ桐嶋と啓介、言葉がなくても伝わるものがあった。

「最後に…」

 そう言ってから啓介は次の言葉をためらった。だが、やらなければやられる、これは逆転のための布石だ。そう自分に言い聞かせ、言葉を続けた。

「最後にセクトαをよろしく頼む。多分、松川総研は副所長である美奈子が引き継ぐことになると思う。君には重責となるが、決して美奈子にも勘ぐられないよう、細心の注意を頼む」

「承知しております、所長」

「では」

「はい、ご帰国の際はお気を付けて」

「ありがとう」

 そう言って啓介は電話を切った。ふーっと大きなため息がもれた。安堵のため息だろうか、失意のため息だろうか、それはどちらとも言えなかった。だが、思った以上にガサ入れが遅かったことには安堵していた。

 数時間後、啓介はインターネットのニュースサイトで松川総研の記事を見つけた。まだ、自分の逮捕状は出ていないようだった。『出張中の所長にも逮捕状請求か』、と言った文字が躍っていた。

 啓介はその日の仕事を淡々とこなし、ホテルに戻った。ロビーには記者らしき人物が張り込んでいるようだった。事前に確認しておいた裏口を使い、自分の部屋へと戻った。最近のマスコミと言ったら情報が早い、逮捕前にインタビューをうけるシーンなど、テレビや雑誌で見たことがある。私は逮捕されない、と言いながら結局は逮捕される、そんな記事だ。

 さすがに5つ星のホテルだけあって部屋までマスコミが押し寄せてくることはなかった。一晩、眠ったような眠っていないような、そんな夜を過ごし、帰路へ着く朝を迎えた。その日もマスコミを避け、専用の出入り口から空港へと向かった。全て予定通りだった。空港の出発ロビーで手続きを行い、出発までの2時間余りを空港のベンチに座って過ごした。

 松川総研の所長になって今日まで、世のため人のために一生懸命駆け抜けたように思うが、その行く末が逮捕とは哀れなものだ。時に人のために、時に自分のために、普通の人がごく普通に思うことを啓介も思っただけのことだ。人のために「がんの消滅理論」確立へ邁進し、自分のためにクローン技術を確立したかった。どこで階段を踏み誤ったのか、考えても答えは出なかった。ただ、歩みを止める訳にはいかない。啓介の体は日に日に蝕まれている。若葉台総合病院の担当医には今すぐにも手術をするように勧められているが、その答えが出せずにいる。それはやはりクローン技術への未練なのだろう。例え逮捕されようともセクトαを残し、次への布石を打つ。

 それが啓介の次なる一手であった。

 不思議と時間が経つのは早かった。気付くと目の前の電光掲示板には自分の乗る飛行機の案内が出ていた。チューリッヒ発成田行、スイスインターナショナルエアラインズNH6752便。

 それが啓介の乗る便だった。


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