第4話 決心

「せんせ~、せんせ~」

 佐々木のじいさんの声にハッと我に返ったような感覚になった。周りを見渡す。紛れもなく日間賀島の診療所だ。上を見れば白い天井。ここは診療所の待合室だった。右を見る。佐々木のじいさんが大丈夫か、と言った表情で八神英二を見ていた。じいさんの右手には羊羹があった。な~んだ、なんだかんだ言いながらも食べてるんじゃないかと思う英二。そうだ、ここで2人、世間話をしていたんだ。羊羹は残りひと切れ、佐々木のじいさんはどうぞ、と英二に目で合図していた。英二はニコッと笑いながら最後のひと切れを口に運んだ。

 ずいぶん長い間、想いに更けていたように感じたが、見れば羊羹も最後の一切れ残っていたし、湯呑からもまだ湯気がたっていた。時間にすれば10分経っているかどうか、その程度だった。

「大丈夫かね、先生。ずいぶんボーっとしてたけど」

「あ、大丈夫。大丈夫。考え事してたよ」


 そう、あの日。多和旅館からコインランドリーに向かい、三国港に立ち寄った。そこで交通事故に遭遇し、医療行為らしきことをしてしまった。身体が勝手に動いてしまった記憶がある。その時、自分の中で決心した。可能なのであればもう1度医師として、人の役に立ちたい。港からコインランドリーに寄り、旅館までの帰路は不思議と足取りが軽かった。

 翌日、有り金で愛知県名古屋市まで電車で向かった。高志の名刺にある「メディカルフロンティア」に出向くためだ。久しぶりの名古屋だった。またそれは家族のいる名古屋でもあり、再起の街、名古屋ともなった。

 高志の元に出向いてからの数週間は滝のように時間が流れていった。医師免許の再申請。その後は若葉台総合病院にあいさつに向かい、院長の波多野剛志と会った。その場ではいろいろとお互いの昔話もしたが、最後はここ、日間賀島診療所の話題となった。波多野院長からは一任したいと言われた。それもこの出所あがりの英二にそれ相当の十分な給与を支払うとのことだった。英二は自分が必要とされていることに改めて感謝し、一生を捧げる覚悟を決めた。数日後、住民票も正式に南知多町民となり、住居も日間賀島の島内に借りることになったのだった。


「さあ、じいさん。そろそろ着くんじゃないの?」

「そうじゃな~。そろそろ帰ろうかの」

 佐々木のじいさんが待合室の長椅子から腰を上げたと同時にチリンチリンと懐かしの黒電話がなった。日間賀島診療所の119番は全てここにつながる。急患かな、と思いながら英二も腰を上げる。佐々木のじいさんに手を振ってあいさつをした。

「じゃあ、気を付けて。悪いけどここで」

「あぁ、ええよ。はよ電話でな、先方さん待っとるで」

 羊羹の皿を置きっぱなしにして、奥の部屋へ電話を取りに向かった。

「はい、診療所ですー」

 いつもの感じかなと気の抜けた声で電話に出てしまった。数人、頭をよぎった人がいたが、この声は誰の声でもなかった。

「遊佐と言います」

「はい」

 電話先は女性の声だった。異常に慌ただしく、落ち着いていられないような感じだ。

「八神先生ですか?」

「はい」

「私、佐々木泰三の娘で遊佐千恵と言います。突然の電話ですいません」

「あ~、佐々木のじいさん。あ、佐々木さんの娘さんでしたが。佐々木さんでしたら、いま今、自宅に帰られましたよ。10分もすれば自宅に着くのではないでしょうかね」

「いえ、先生にお伺いしたいことがありまして」

 佐々木のじいさんの娘・千恵は気が動転しているようだった。受話器からも緊迫した空気が伝わってきた。

「私に?ですか」

「あの…」

 千恵は話を続けた。次第に英二は千恵の話に「はい」、「ええ」としか答えられなくなっていた。血の気が引いていくのを感じる数分間だった、全ての状況説明を受け、「分りました、また連絡します」とだけ答え、英二は受話器を静かにおいた。

 気付けば、「そ、そんな」と、天に向かってつぶやいていた。


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