少年、二人



そこを外から見たときに、全体的に緑っぽかったら村。灰色だったら街と言われている。まさかそんなことを信じている人はいないだろうが、ユーキョクはそれを意識しているかのように、全体的に灰色だった。鉄と、セメントの色だ。昔はよく使われていたらしいが、手入れをしないとすぐに崩れてしまうため、今はそんなものを使いたがるところはほとんどないときく。それがこんなにもふんだんに使われているのは、それを仕事にしている人がいるからだろうか。どれもきちんと手入れされているようで、崩れた建物はない。


ユトリが生まれたところも都会と呼ばれる場所であったが、ここはこれよりも数段『都会』であった。荷馬車の隣を自動車が通ったときには、思わず「本物?」と叫んでしまったほどだ。タワシにいたっては名前さえ知らない様子で、「なんですか、あれ」と訊いてくる。


少し前にまでは移動手段に用いられていたはずの自動車も、いまじゃほとんど見なくなった。おそらくさっきの車も、この辺りでしか使えないだろう。燃料や整備にお金がかかる上、ユーキョクから少し離れれば整備されていない穴だらけの道。きちんとならされているユーキョクでは快適に違いない。この分では鉄道や飛行機もあるかとわずかに胸が踊ったが、やはりそんなものはないという。最新技術を詰め込まれて作られたはずのものも、今は過去のもの。なんとも皮肉な話である。


パソコンだって携帯だって、いかに良いものを作るかで躍起になっていた時代があったのだ。機械化が進み、どんどん便利に変わっていく時代。10年ひと昔と言うが、3年も経てばがらりと景色が変わっていた時代だ。それが、どうだろう。技術は衰退し、時代を逆行しつつある。


もうパソコンや携帯を使っている人はいないだろう。”あえて”使っている人はいるだろうが、好んで用いるものでもない。中身が精密な上に複雑過ぎて、自分で修理できないからだ。技術者がほとんど辞めてしまったこのご時世に、のんきに修理から返ってくる日を待っていたら世界が終わってしまう。


いったいこの世界に何人、電池の仕組みを理解している人がいるだろう。きっと避雷針は雷をそのまま取り込み、電気として溜め込んでいるのだと信じている人が大勢いるに違いない。貯水と蓄電はまったく違うものなのだ。だが、それを理解させようとしたら何年もかかってしまうし、仕組みを理解したからといって「じゃあ実際に電池を作って携帯を動かそう」となるはずがない。知識ばかりあったところで、知恵がなければその恩恵に預かることは難しいだろう。それに、電池の仕組みを理解している人たちは、真っ先に携帯やパソコンを売って金に換えたと訊く。


仕組みが簡単で、理解しやすいもの。材料も身近で、なおかつ安いもの。それを探している内に、こうなった、というわけだ。


ここまで連れてきてくれた商人とは、ユーキョクの入り口で別れていた。馬を入れるには許可がいることと、荷物の確認があるから、というので街の人に止められたのだ。「馬は許可がいるのに、亀は平気なんですか?」とタワシは聞いていたが、笑って流されていた。馬は暴れられたら大変だが、亀は大丈夫だから、らしい。確かに、タワシがいくら暴れたところで馬に勝てるはずがない。


「なんか、動物として負けた気分です」と口を尖らせていたが、馬と張り合ってなにになるのだという。


ユトリとタワシは軽く身体検査を受け、ユーキョクへ入ることを許された。許可証のようなものはなく、写真を撮られることもなかった。旅人が犯罪を起こさないと思っているのか、起こっても絶対に捕まえられるという自信の表れなのか。ユトリはまっさきに後者だと判断した。


きっと、防犯カメラか、それに似たものが設置されているのだろう。勝手に監視されていい気はしないが、逆に考えると安全だという証拠でもある。快適な滞在がまっているとなると、妙に足が軽くなったような気がした。


「じゃあ。まずは腹ごしらえね」


さっきもらったというパンフレットを見ながらユトリが言う。


その辺りは特に異論はないので、タワシは素直に頷いた。





美味しいと評判の店に入り、オススメとポップのある料理を2人前注文する。写真付きなのでなにがくるかは大体予想できたが、名前も初めてきくような料理だった。けれど、写真を見る限り大体味は想像つく。もっとも、タワシはわからないようであったが。


文字は読めるみたいなのでなんと書いてあるかは理解できるみたいなのだが、写真を見てもイマイチぴんとこないらしい。最初はスマートに、自分から二人分注文しようとしていたみたいなのだが、すぐに「ユトリさんにおまかせします」と主導権を渡してきた。意地を張らないのは正しい選択だ。


注文のあと、タワシはユトリに、味と値段について質問してきたが、どちらも大丈夫だと返しておく。味については想像でしか語れないが、値段については本当に問題なかった。メニューにあるのでぼったくられるような金額ではなかったし、料金も妥当だと思う。それに、貨幣は使えるところで使っておかないと、次いつ機会がくるかわからなくなってしまう。


あと4年で世界が終わるのだから、貨幣にもうそこまでの価値がないのだ。今はほとんど、労働力や物々交換が貨幣の変わりになっている。だからこうしてお金を払い、なにかを買う、注文するという行為自体、忘れかけている人が多い。


ユトリも最初は宝石は金など、持ち運びやすく価値が落ちにくいものを手元に置いていたが、それですら使えないときがあり困ったことがある。考えてみれば当たり前なのだが、もう宝石商自体なくなってしまい、換金できないことのほうが多いのだ。お金にならないのあれば、宝石はただの輝く石になる。食べることもできないし、燃料にもならない。誰か買い手が見つかればいいが、今宝石を買い集められる人は、もうかなりの数の宝石を手にしている。その人らに対して、そこらで買ったものを見せたところで興味を持ってはくれないだろう。


ユトリは運良く、誕生日に彼女にプレゼントしたいという男性に売りつけることができたが、もしあの出会いがなければ今だに持っていたに違いない。


といった話をどこかの商人にしたことがある。するとその商人は笑いながら「その点、貨幣は便利だろ」と言ってきた。「価値が下がっても、1000円は1000円だ」。当たり前のことだが、それの意味は深い。宝石は人によって10万にもなるが、100円にもなるのだ。だが、1000円は誰が見ても1000円の価値しかなく、1万円より価値は低く、100円より高い。その共通認識がある貨幣は、流通が下がってしまった今でも、力を持っているものと言ってもいい。


ただ、いくら稼いだところで、それを使える時間が少ないのだから、困ったものだ。


「ユトリさん、このあとはどこにいきますか?」


「そうねえ、できれば人がたくさんいそうな場所がいいんだけど」


ただ、あまり乱雑に人がいても困る。酒場、なんてものがあればいいが、ここでは良くてクラブか居酒屋だろう。バーでも悪くないが、どちらも夜にしか営業しておらず、見るからに子どものタワシを連れていくわけにもいかない。


「……というか。キミは成人なの?」


「生きてる年数でいうと20はとうに超えていますが、体の作り的にはまだ子どもです。お酒も飲んだことはありますよ。美味しいとは思わなかったので、潰れるほど飲んだことはありませんが」


タワシはそういうが、まあ行けば門前払いを食らうだろう。部屋で飲む分には構わないだろうが。


「夜まで動けませんか?」


「……本当によく頭が回るね」


「光栄です」


さっきも、年齢を聞いただけでお酒の単語がでてきた。


「この街に、観光名所みたいな場所はありませんか?」


「観光名所?」


「ええ。そこのガイドさんなら、いろいろなところから来た人を見てきているので、なにか知っているんじゃないかと思って」


「名所ねえ……」


パンフレットに目を走らせる。ここに来て人が立ち寄りそうな場所は、一つしかなかった。


「郵便局に行ってみましょうか」


「ユービンキョク? なんだか、ここの名前に似ていますね」


「正解。それが、由来になってる。今はもうほとんど扱ってない手紙を扱う場所。手紙も情報伝達の手段のひとつだから、そこに行けばなにかわかるかもしれない」


郵便局を知らなければ手紙も知らないのだろう。タワシは下唇に曲げた人差し指を当てて考えを巡らせていた。さすがの彼でも、これだけの情報で正しい『手紙』に行き着くことは不可能であろう。漢字から紙を使うことは予想できるだろうが、それまでだ。


結局、タワシは考えるのを諦めたのか、それともある種の答えを導き出したのか、下から覗き込むのうにユトリの顔を見上げてくる。その表情は答えを望んでいるものだとすぐに理解したが、ここで教えるより行って見てきたほうが早いだろう。ユトリが惚けて首を傾げると、もうタワシはそれ以上答えを求めてはこなかった。


「なら、このあとはそこに」


ドキドキを取って置くように、胸の前に手を当てる。


ちょうど行き先が決まったところで、料理が運ばれてきた。








「……うー、苦しい」と喉の下のほうで唸ってみれば「大丈夫ですか」とタワシが心配そうに顔を覗かせてきた。


「やはり食べ過ぎたんですね。少し休みましょう」


えっと、とタワシが休めそうな場所を探すが、今は座るより寝たい。座ったらそのまま突っ伏してしまいそうだ。


二人が食べた料理。それはもちろん味も良かったのだが、それだけならここまで食べ過ぎることはない。問題は量だ。味と値段はわかっても、量までは判断できない。判断できても普通は写真を綺麗に撮りたいがために多少もったり、綺麗に盛り付けるものだ。それが、お客のリアクションをみたいという店のはからいで、1.5倍ほどになっていた。ここを常連にしているお客は、2人で一皿注文するのだという。


量にして合計3人前。それを前にしているのは、子どもと女性。店に悪いと思いながらも残そうとしたタワシに対して、勿体無いと文句をいったのはユトリだった。ならテイクアウトを、と言いだそうとしたタワシであったが、ユトリの言葉がそれを遮った。


「なら、私が全部食べるわ」


なかなか素敵に言い切るので、タワシはてっきりこのぐらい余裕で食べきれるのだと思っていたら、実際はこの有り様だ。テイクアウトを言い出せなかった自分を少し恥じる。それか、自分がもう少し食べていれば、と後悔した。


「うーん、喫茶店ならありますが、どうします?」


「もうなにも入らないわ……」


ただ休むだけにそういう場所に入るのは、あまり関心できる話ではない。特に旅人は気を使わなくてはいけない。自分たちの振る舞いが、そのまま『旅人』の評判に繋がってしまう。今、自分たちがこうして監視もなしに街を観光できているのは、過去、旅人がみんな犯罪を起こさずにいてくれたからだし、それを未来に繋げていかなくてはいけない。


たかが一回ぐらいのひやかし、と思ってしまってはダメなのだ。ひょっとしたら笑顔でもその勘忍袋の尾は綿のように細いかもしれない。


「ですよね。でも、だとしたらどうしましょう。ベンチなんてものはありませんし、こんなところで座るのは行儀が悪いですし」


なにせ、地べたはコンクリートだ。流石に限界が近いユトリであっても、あまりそんなことはしたくない。かと言って、だらだら歩くのもユトリが可哀想だ。ただでさえ、女性としては恥ずかしい顔で歩いているのだから。


道行く人の視線が痛い。けれど必要以上に見つめたり話しかけたりしてこないのは、関わりたくないからであろうか。明らかに手が必要な人に「大丈夫ですか?」と訊くのは酷である。見ればわかるだろうと逆に怒りを買ってしまうかもしれないし、もし訊いたとしても助けになれるかわからない。これでもしもユトリが大荷物でも持っていれば違ったのかもしれないが、今、彼女は手ぶら。それなのに顔は今にも吐きそうとくれば、寄る人がいないのも当然と思えた。


ユトリからもらった、段々に織り込まれたパンフレットに目を落とす。外から見ると大きそうに見えたこの街も、上から眺めるとそうでもないらしい。あまり四方に広げられない分、縦に伸ばしているのかとタワシは思ったほどだ。ザッと見ではあるが、地図を見る限りこの辺りに休めそうな場所はなさそうだった。


「あ、郵便局の周りは公園になっているんですね。パンフレットが緑に塗られているので、人工芝でも植えてあるんでしょうか。そこなら休憩できそうですよ」


「うー……、そこまでどれくらい?」


「歩いていくには少し距離がありますね。たくしー? や、ばす?なら早いと書いてありますが」


「そんなもの、今乗ったら確実に吐くわ」


タクシーがわからないタワシは首を傾げるが、だとしたらもう歩いていくしかない。だが、今のユトリの足は重く、靴底に粘着テープを貼りつけてあるかのようだ。今にも止まりそうだが、止まったらもう再度動き出すことはできないだろう。なんとか気分を騙しながら先に進むしかない。


「ふむ。これはもう仕方ないですね、ユトリさん。安心してください。ぼくのとっておきのトークで気分を上げながらーー」


「……ーーあの」


と、前のほうから声が聞こえた。話の腰を折られ、とっておきの名に恥じぬようないい顔で左手の人差し指を立てていたのだから、その声の主を見たときにタワシの顔も相当間抜けなものだったに違いないのだが、それよりもユトリのほうが気になったらしい。


「お連れの方、どうかしましたか」


恐る恐る訊いてきたのは、中性的な顔立ちの、タワシと同じくらいの身長の少年であった。手には紙袋を抱えており、どこを向いていいのかわからないように、視線がユトリの顔とそっぽを行き来している。白のシャツに緑のチェックのズボン。茶色のサスペンダーに、袖の辺りにはなにか紋章が入っている。なにかの制服だろうか、とタワシは思うが、そんなこと今気にしても仕方ない。


「大丈夫です。ただ、少し食べ過ぎただけですから」


とびきりの笑顔で返すと、「はあ」と納得したうような、それでも少し疑いの残る返事が返ってきた。大丈夫じゃない、と後ろからかすれた声がする。足も止まってしまったことだし、いよいよ地べたに座らせるときがきたのかもしれない。


「そうですか、それは、大変ですね」


言葉を選ぶような間を置き、優しく笑いかける。若干引きつっているのは、ユトリの顔のせいだろう。


「この辺りに休めるような場所はないですか? あれば緊急で教えて欲しいです」


「休める……ですか」と少年が俯くが、ポンと出てこないところを見るとそんな場所などないのであろう。あったとしても、「緊急で」の部分が余計だったかもしれない。熱いお皿を持ってどこまでいけるか? その問いの答えはテーブルがあるところまで、だ。意外となんとかなってしまうのが人間。少々離れていても、ユトリは我慢できるだろう。


「どこでもいいのであれば」


「どこでもいいです」


食い気味で答えると、面食らったように少年は目を少し開いたが、すぐに細まった。恐る恐るだった決意がようやく固まった、という印象だった。


「なら、ウチに来ますか? この近くなんです」








少年は、レタと名乗った。歳は13で、もう学校は行っていないという。この服は、仕事場の制服だということだ。


大体歩いて5分ほどで、レタの家に着いた。その間、レタは一度も、タワシの容姿について質問して来なかった。見慣れているということではなさそうだった。盗み見るような形で甲羅を見ていることはタワシは気付いていたが、そこそこ会話が続いている中でそれを切り出すのも悪い。空気を読んで訊かないでいてくれるのであるならば、それでも構わなかった。


レタの家は小さな一軒家だった。その周辺も同じような家が並んで作られていたので、おそらく一斉に建てられたのだろう。場所を覚えていなければ、うっかり別の家の戸を叩いてしまいそうだ。


「少し散らかっていますが」


と微笑を浮かべ、キーホルダーのついた鍵を捻る。玄関を開けると他人の家の匂いがした。玄関の先にはすぐ廊下があり、突き当たりに扉がひとつ見える。入るときにレタがただいまと大きな声で叫んでいたので、誰かいるのだろうか。姿も見せなければ、声も返ってこないのでわからない。


「この先です。……階段、大丈夫でしょうか」


タワシが目を向けると、ユトリは二回、うなづいた。大丈夫らしい。


玄関と扉の真ん中辺りにある階段を上がり二階へ行くと、下でみたのと同じ扉があった。


「おれの部屋です」と言って、レタが開ける。二回目の「散らかっていますが」が出たあと、二人してユトリをベットに投げ込んだ。ようやく、と言った具合にユトリは長く息を吐く。このまま溶けていっても、受け入れてしまいそうなほどぐったりしていた。


「ありがとうございます。助かりました」


「いえ、大丈夫ですよ。2、3時間も寝ていたら、気分を良くなるでしょう」


本当にそれぐらいで回復するだろうか。思わずユトリを見てしまう。なんとなくそれを察したようで、レタはゴホンと咳払いをした。


「お二人は、観光かなにかですか?」


「え、あ、まあ、そんなところです。今日ここに来ました。いいところですね」


「ありがとうございます。住み易いのは確かですね。それで、このあとはどこにいく予定だったんですか」


「郵便局に」


タワシがそう言うと、レタは大きく「ほお」と声を出した。「なら、少しばかりお手伝いできるかもしれません」


「はい?」


「おれ、郵便局で働いてるんです」


袖の紋章を見せてくるが、残念ながらタワシにはそれが意味するところを知らない。大方、それが郵便局に勤めている証なのだろう。


「これもなにかの縁です。案内させてください」


断る理由はなかった。






「じゃあ、行ってきますから、ユトリさんはここで大人しく寝ていてくださいね」


タワシがそう言うが、聞こえているかどうかわからない。ユトリは一回低く唸ったような気がするが、それが果たして返事なのかどうか怪しいものだった。そもそも自分たちがこれから郵便局に行くことを理解しているのだろうか。


「あの様子だと、当分動けそうにありませんね」


レタが言い、ドアを閉める。最後まで、ユトリは顔を上げなかった。


「先に出ていてください。おれはお母さんに行き先だけ告げてきます」


「お母さんがいたんですか?」


ええ、とレタが指差す。それは、玄関を入ったときに最初に見えた扉だった。


「あまり待たせはしませんから」


言い終わるより早く早足になり、扉のほうに向かっていく。タワシは見ているのも悪いので、先に靴を履いて外に出た。ただ、常に注意を払い、耳とそばだてていく。これから考えられる一番最悪の状況は、レタが悪人で、お母さんがいるという部屋に仲間が控えている、ということだった。


ユトリはあの通りで、いくら『キーワード』があるとは言え、大人数人でかかってこられたら抵抗もできないだろう。あのタイプは口を塞がれたらお終いだ。なかなかの器量を持つ女性なので、もしかしたら売られてしまうかもしれない。だが、最初からその気があれば、タワシがいたときに襲わない理由がすぐに思いつかない。


たかが子ども1人。みてくれは多少おかしいが、甲羅という明らかに他と違いがある以上、油断してかかってはこないだろう。悪魔憑きと恐れられてのことかもしれないが、だとしたら下手にユトリを襲わないと安心できるし、こうして声もかけてこない。それに、亀は浦島太郎と玄武のおかげで、良いイメージが多いのだ。避けられるどころか、愛玩されることは良くある。


幸いなのか、期待通りなのか、レタはすぐに来た。


「もういいんですか?」


「行き先を告げただけだから」


急いで出てきたのか、かかとを踏んでいる靴。磨いただけでは隠せないほどの傷を持つそれを直し、「では、行きましょうか」と告げた。




郵便局にいく道中、レタは中のことを簡単に話してくれた。「おれは配達専門だから、中のことすべてを知ってるわけじゃないんですが」ときっちり最初に断りを入れられる。


「郵便局は主に手紙やはがき、それに小包といったものを収集し、配達するところです。配達範囲はここから一番遠くてウモレ灯台までなので、だいたい30キロっていったところかな」


半径30キロとなれば、この辺り周辺の街や村はすっぽりと収まってしまうだろう。人がいないところを求めて開拓していったのは昔の話。今は”人が集まるところに人は集まる”といった具合だ。過疎が進むところはますます過疎が進み、逆に人口密度が高い地域はどんどん人が増えていってるという。ユーキョクがあるおかげで、この辺りも人が住み易いのだろう。それでも一つに合併せず、近くに村や町を作っているのはまだ高度な文明に犯されることを嫌ってのことかもしれない。


便利さに慣れるのは簡単だが、脱却は遥かに大変だ。せっかく今の生活に慣れたのに、また便利さに戻ってしまうことを恐れているのだろう。世界滅亡のように、崩壊は割とあっさりくるものだ。4年という長いか短いかわからない時間の中で、もう一回その体験をしたくないに違いない。


「小包はなんとなくわかりますが、手紙やはがきって言うのはなんですか?」


「簡単に言えばメールみたいなものですね。メールはわかりますか?」


タワシは頷いた。使ったことはなかったが、話しの中で聞いたことがある。


「なら、話しは早いや。手紙はメールで行うことを、紙でしているだけですから。画面に打ち込んでいた文字を、手紙では紙にかく。もちろん宛先もね。それをポストっていうそれらを集める専用の箱の中に入れておくと、おれみたいな人が回収して、宛先の場所まで届けるって仕組み」


「時間がかかりそうですね」


「そうですね。メールだと一瞬ですが、手紙はそうもいかないから。でも、手紙だと書いてる人の感情が読み取りやすいし、個性がでます。おれは手紙のほうが好きだな、やっぱ」


「1日にどれくらい配達、回収するんですか?」


「この辺りだと平均100通ぐらいかな。でも、おれは遠方専門なので、10通あれば多い方です。回収と配達あわせてね」


「遠方専門っていうと、馬かなにかで?」


レタは首を横に振る。待ってましたと言わんばかりに、「違いますよ」と否定した。そして、人差し指で上を指差す。


「空です」


「…… 空」


「空を飛んで、届けにいきます」


空から、と聞いて最初に思い浮かんだのは、レタの背中に真っ白な翼が生えた姿だった。天使のイメージそのままだが、もしそうなら遠距離専門といった理由もわかる。だが、レタは首を振って否定した。


「おれの『キーワード』は空を飛べるようなものじゃありませんから』


そう言って彼が連れてきたのは、街外れに位置する場所だった。パンフレットに記載してある地図で確認しても、ここは載っていない。


ユーキョクの中に緑は少なかったが、ここはさらに少なかった。むき出しの赤土が広がる大地。もう舗装はされておらず、長いあいだ整備されていないのだろう。だが、見る限り平坦に慣らされているところをみると、なにかあったのかもしれない。


郵便局はユーキョクの中心にあるのに、なぜこんなところに連れてこられたかと言えば、「ここへ行くのも郵便局に行くのも、結局は変わらないから」という言葉を信じてのことだったが、どうもタワシの予想は外れてしまったようだ。タワシの予想では、ここに簡易郵便局のようなものがあり、これを大きくしたものが中心にあるという説明は来るのかと思っていたのだが、建物一つどころか、人がいない場所である。


「レタさん、ここは」


「ここは、おれの第二の仕事場、かな」


「……郵便局ってことですか?」


「あはは、違う違う。なんて言うのか……そうだね、見てもらったほうが早いかな、です」


恥ずかしそうにレタが笑う。言葉遣いを思ってのことだろう。つい友達口調になってしまった、というようだったが、実際はもっと前からそうなっていたし、敬語が取れて悪い気はしない。


「お気になさらず。使いやすい言葉でどうぞ」


了解したのか1度だけ頷き、「じゃあ、見ててよ」と、ポケットから何かを取り出した。


乳白色の、三角形。その先端は緩やかな弧を描いており、紐が通してある。あれは『キーワード』に関係あるのかと思ったら、彼がそれを、吹いた。


角笛。


どこかで見たことあるような気がしていたが、あれは動物の角だ。なんの角かまではわからないが、小動物のものだろう。牛にしてはやや小さい。おそらく手のひらにすっぽり収まってしまうサイズだ。


「……ーーーーッ」


吹いていた時間は2秒ほどだろう。可聴領域を超えているのか、タワシの耳に角笛の音色は届かなかった。それでも確かに吹いていたようで、レタはまっすぐ前を見つめていた。


その先には、なにもない。空と乾燥した大地があるだけだ。先ほどの言葉から想像するに、空からなにか来るのだと思うのだが。


「……ん?」


「来たよ」


点が3つ、見えた。やはり空からだ。けれど、遠すぎてなにかまではわからない。なんの種類の鳥が来るのかと思ったが、少し待てよと顎に手を当てる。


遠く離れているここからでも、個数がわかる。となれば、あれはどのくらいの大きさなのだろうか。


点は次第に大きくなっていく。やはり点は3つのまま。3羽なのか3頭なのかわからないが、やはり大型の飛行種だ。ニヤニヤと笑みを浮かべるレタを横目で見ながら、口を開く。


「あれは、ぼくを食べたりしませんか?」


レタは一瞬ポカンとしたが、すぐに吹き出した。「まさか、確かにみんな肉食だけど、そんな凶暴な子じゃないから」


肉食。さらにヒントが追加された。が、もうそのころになると答えを言わなくても目で見て確認できるほどに、点が大きくなっている。ものすごい速さだ。そしてなにかわかったときにはもう、その3頭はレタの前に降り立っていた。


舞い上がる砂埃が目に入りそうになり、顔を背ける。吹き飛びそうになるベレー帽を抑え、その抵抗がなくなったころ、タワシは少しずつ目を開けた。


唖然とするほかない。恐怖も少なからずあったが、それよりも興奮のほうが勝っていた。


「タワシさん、紹介します。左から、ドラ、ラゴ、ゴンです」


「すごい……翼竜だ」


タワシも初めてお目にかかる竜族と分類される希少種。同じ龍でも青龍を筆頭とする龍族とはまた違ったものになるが、希少さで言えばどちらも変わりない。神話などに多く登場するほど有名で、神に近しい存在の彼らの生態は、よくわかっていない。今何頭現存しているのかも正直わからないのだという。それは竜族、龍族のどちらも人間と関わりを持ちたがらないからと言われている。


おそらく、彼らは理解しているのだろう。自分たちと人間が関わればどうなるか。どう使われるか。どう扱われるか。高度な知能を持つ彼らは、人語こと話せないが、その言葉は意味することはキチンと理解しているという。となれば、そうやすやすと姿を見せないのも納得できる話である。


知能の似通った二つの、それも違った種族となれば、行き着く先はもう争いと決まっているからだ。どちらがより優れているか。竜族にそれは全く価値のない話であるが、人間側が容赦しないだろう。数と戦略で、竜族を屈服させようとするに違いない。何年も何年も戦争を繰り返し、ただ生態系の頂点でありたいという願いを叶え続けるのだろう。


気性が荒く、なおかつ穏やかなのも竜族の特徴だ。逆鱗に触れなければ、彼らの爪はただ体の痒みを取るだけのものでしかないし、大きな口も、欠伸のときのみグワッと開くだけである。余計な争いは彼らは望んでいない。



レタの前にいる3頭は、それぞれ鱗の色が赤、青、黄と別れていた。体を起こせば、レタの家かそれ以上になるだろう。今は折りたたまれている翼も広げればその体長を越すものとなるはずだ。大きな体に比べて、腕は細い。それでもタワシの胴回りほどあるに違いないのだが、対してその足は腕の2倍から3倍は太いものだった。さらにそのお尻には足と同じ太さの尾っぽまである。あの尾ですら、タワシ一人では到底持ち上げられるものではないだろう。


レタはゆっくりと三頭に歩み寄る。腕を出すと、三頭は競うように頭を下げてきた。餌を貰うわけではなく、ただ触って欲しいのだとタワシは思う。三頭を抱き寄せるレタの背中は、ペットを撫でているというよりも、子どもを抱く母親のように見えた。


「…………」


違和感さえ覚えるほど、長く彼らを触り続けたあと、レタは唐突に振り返る。


「ではタワシさん、こちらへどうぞ」


「え?」


「素敵な空の旅を、お楽しみください」







レタが最初にいった、結局は変わらない、は、時間のことを指しているのだと、ドラゴンの背中で思い出していた。


速い。


荷馬車、自動車の比ではない。景色を楽しむ余裕がないほど速い。人を背中に乗せているのでいくらかセーブしているのだろうけれど、それでも街の中心まで辿り着くまでに1分かからなかった。乗って、あまりの風に顔を背け、落ちるまいと必死にドラゴンの首ををつかんでいたら終わっていた。


素敵な空の旅どころか、空にいた感覚さえ曖昧だ。いつもこんなんなのかと息も絶え絶えに訊くと、普段はもう少し準備があるという。


「準備って?」


「あの子たちの世界に椅子をつけたり手綱を噛ませたり。あとは防寒具とか、風除けのゴーグルとか」


「……簡単に言うと、もっと快適に?」


「え? 当然でしょ?」


逆に聞き返された。


「普通いないよ、普段着というかスーツで背中に乗る人。距離が近いからこそできた無茶だね」









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