再会(2)

 その後市民プールで一時間泳ぎ、近くのファミレスで昼食を食べて、四人は東山門の駅ビルに入っているカラオケボックスへ行った。他の三人が楽しそうに部屋に入っていく中で、朱雀は何かの宣告を受けた人のように、重々しい足取りでついていくだけだ。

 なんてタイミングだ。

 まるで神様か何かが昨日の朱雀の心のうちを見ていて、こんな状況を意図的に生み出したとしか思えない。ずいぶん悪趣味なことをしてくれる。

「よーし! とりあえず立川と朱雀な。あの曲名、何て言うやつ?」

「えーとね……ちょっと貸して」

席に着くなり中森がうきうきと端末に手を伸ばし、立川が横から操作を始めている。げんなりだ。

 飲み物を注文し終えたところで、懐かしいイントロが響き渡った。あふれてこぼれて広がっていくように、あの時の衝動に、感情に心のうちが塗り潰されていく。自分の中身が一瞬のうちに変容していく。

 懐かしくて、怖い。甘くて切なくて、居たたまれない。

 固まってしまった朱雀に、立川が笑顔でマイクを渡す。

「もしかして、忘れちゃったかー?」

「……いや」

 忘れるわけがない。忘れられない。この曲も、あの時のすべても。

 立川に引っ張られて、朱雀はとうとう立ち上がった。マイクも、もう右手に持っていた。

「それじゃー! 久しぶりに行きまーす!!」

キイーンとハウリングの音が響いて耳を塞ぐ。同じ音、同じ声、それと立川。身体の中も心の中もばらばらに乱れて混乱した状態のまま、朱雀は声を上げた。

 最初こそうまく声が出なかったものの、一旦乗ってしまえば、後は簡単だった。確かに、楽しい。けれど文字通り昔のことを思い出して居たたまれない気持ちがわき起こる。

 立川は、やっぱり変わらず朱雀を惹きつけた。その横顔を見ていると、乱れていた心のうちで、一瞬にしてきれいなものがあらわれる。愛しいきれいな何か。いつもきつく蓋をしてしまい込んでいたあのドロドロとした感情が、それに変わったのだとわかる。あちこちにぶちまけられていたどす黒いものは、今や輝く水面に変わっていた。さっき泳いだプールの水面のように。立川がこちらに目を合わせて、片目をつぶる。それだけできらきら、きらきら輝きが増す。心がしびれて、痛い。息苦しい。

 自分の顔が真っ赤になったのが、見なくてもわかった。

 歌い終えると中森がはしゃいで拍手した。

「すっげー! やっぱすっげー! 次俺も歌う!!」

「あー楽しかった! 気持ちいい!」

「……うん」

目で立川に問われ、朱雀もうなずく。得意げな笑顔が返される。ドキッとした。

 ああやっぱり、俺は、こいつに惚れてたのか。忘れられないんだ。

 それ以外に言い訳がきかなかった。その感情はそれとして、ずっと朱雀の心のうちにあった。

 俺の気持ちなんてまったく届かなくて、叶うわけなくても、それは変わらないんだ。

 ばらばらに乱れた心のうちも、すべて輝くそれが押し流してしまった。諦めのような、開き直った気分で朱雀は言った。

「……やっぱ、楽しかった」

途端に立川に頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。中森の調子外れの歌声が響き始める。



「中森いつ帰んの」

「明日の昼。新幹線」

「お前はもう、女子とカラオケ行くのやめとけ」

「うるさい」

「正月は?」

「どうだろ。でもばーちゃん病気してるから多分帰る」

「ふーん。じゃまた連絡しろよ」

「うん」

 カラオケボックスで二時間歌った後、四人はそれぞれの家路に着いた。日はまだ高く、買い物帰りの主婦の姿や、近所を走り回る小学生、公園にはベンチにお年寄りの姿も見える。中森、竹田と別れて、しばらく朱雀と立川で歩いた。

「楽しかったー! やっぱカラオケは楽しい!」

「他にねーのかよ。そればっか」

「しかし昼間のカラオケで寝るやつって信じられねえ」

「……それ以外」

「なんであんな大声出して盛り上がってる中で一人寝れんの? 俺本当に訊きたい」

「だから悪かったって」

 最初に立川と二人で歌って、その後二、三曲歌った後、朱雀は居眠りをしてしまっていた。椅子からずり落ちて、バレた。他の三人から口々に文句を言われた。

「疲れてたか? 部活」

 黒目がちの瞳が朱雀をとらえる。それが、うれしかった。うれしいと、思える。

「まあ、そうかも」

 少々ぎこちなくなりながらも答えると、ふっと立川が笑って言った。

「今年はお前も来れてよかったよ。なんか卒業してから急にお互い忙しくなったからさ」

似たようなことを以前も言われたことを思い出す。色々な意味でなんとも言いようがない。立川がそれを気にしていることは知っていたけれど、考えないようにしていた。

 それだけで、何か期待して、とらわれそうで、それが何よりも怖かったから。

「部活やってたのは中学の時も同じだったろ」

「そっか」

「通う学校違えば顔も合わせないでしょ」

「なるほどなー」

唇を尖らせて立川が言う。手に持つビニールバッグをくるりと一回転させた。少し不満そうに見える。

 不満に思ってくれればいいんだけどね。

 横目で見ながら息をつく。

「じゃ、俺こっちだから」

「あ、うん」

 十字路で向かい合う。どちらも足を出さないままだった。朱雀が声を出す。

「え、行かないの」

「や、お前見送ってからと思って」

「お前行けよ」

「お前の方が家そこだろ」

「いや、立川そのまままっすぐ歩けばいいじゃん」

「さっき竹田歩くまで見てたじゃん」

「どっちだって関係ないでしょ」

訳がわからない言い合いになった。何だよこれ、と立川が頭をかく。

「……なあ朱雀、またさ、部活休みの時は遊ぼうぜ」

どこか困ったような顔をして立川が言った。

「…………」

「お前、忙しいかもしれないけど。暇な時はさ」

 しばらく、立川の顔を見つめた。

 ……………。

「なに、今さら。俺お前の誘い断ったことあったっけ」

とぼけて朱雀がそう言うと、立川は途端に顔を上げた。

「はあ!? 去年何回断ったと思ってんだよ!」

「だからそれは部活でしょ」

まったく嘘とも言えない。真実とも言い難いけれど。立川は唇を噛んだ。

「――くっそ! お前俺のことが嫌いか! そんなに嫌いか!」

「だから……」

「いっつも俺のことそうやって面白がってるだろ!」

「はあ?」

「朱雀なんか嫌いだ!」

指をさされてそう言われ、どうしてだろう、笑いがこみ上げてきた。

「あーもう悪かったって。本当に部活だったんだからさ」

「笑いながら言うなっ」

「ははっ、いや、拗ねんなよ」

「拗ねる! これは拗ねる!」

「だから。今日休みだから来ただろ」

「…………」

顔を背け通りを見たまま、黙る立川。少し考えて、朱雀はさらに言った。

「今度部活が休みになったら、連絡するから」

ちょっと待って。なんで俺がこんなこと言ってやらなきゃいけないわけ。

 訳がわからない。おかしい。アホ過ぎる。

「よし、だったら帰る」

「帰れ帰れ」

 口を尖らせながら、けれど笑いをこらえている表情で(唇がへの字になっている)一度振り返って、立川が歩き出す。その姿が角を曲がって見えなくなって、朱雀は大きくため息をついた。

「あいつ、ほんと……」

 それから先が続かない。朱雀もとりあえず家に帰った。

 立川、おっかしーの。

 思い出して笑ってしまう。拗ねるって…今までずっと拗ねてたわけ。

 自室でベッドに寝転んでひとしきり笑った後、息をつく。

 やっぱり、あいつのことは忘れられない。

 カラオケボックスでも思ったことを、また朱雀は思った。叶わないし、届かない。けれど惹かれるのは仕方ない。どうあがいても、それはごまかしだ。今日でそれがよくわかった。そのことがつらくて、苦しくて、今まで悩んできた。忘れられなくて、でも考えたくなくて、頭から追い出そうとして蓋をして、目をつぶって投げ捨てた。

 もう、そういうことはやめよう。

 立川の前で大笑いして、なんだかそうして悩んでいた自分がバカらしく思えてきた。叶わないけれど惹かれる。それはそれで認めればいい。明日立川から突然「お前のことが好きだ、付き合ってほしい」なんて言われるか? 千パーセントあり得ない。じゃあ、それで、はいお終い。

 心のうちできらきら輝いていたものは、あのやり取りをしているうちにどこかに吸収されて姿がなくなっていた。たぶん、すべてで吸収したのだ。後には何も残っていない。

 大きなあくびが出た。寝転がるとすぐこれだ。

 明日は宿題を終わらせよう。また吉丸に手伝ってもらうけれど。

 吉丸に……

 眠気が導くまま、朱雀は眠りに落ちた。

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