花火大会(2)

 トクン、トクン、トクン、トクン

 耳を寄せた胸元から、早い鼓動が聞こえてくる。朱雀の鼓動。

 吉丸と同じくらい早い。それがわかっただけで、胸のうちを熱いものが駆け巡る。彼を好きだという気持ちがどんどん身体中に満ちてくる。

 ずっと、こうしていたいな。

 感じる体温と匂いに酔いしれて、眠ってしまいそうなくらい。そんな身体の感覚と気持ちがシンクロした。そう思った。

 朱雀の髪の先が耳に触れた。彼はうつむいて、かすかに震えている。はっと息を吐いた。両腕が動いて、吉丸の肩を掴む。その力の強さに、吉丸は顔を上げた。彼の顔が見えない。その肩越しに夜空が広がっているのがよく見えた。星がいたるところで瞬いている。吉丸の肩を掴んだまま、朱雀はそっと顔を上げた。吉丸の身体から半歩離れる。

「……焦んなよ」

「え?」

「そうやって、焦らなくても大丈夫だよ」

「なに……?」

明かりを背にした朱雀の表情が、よく見えない。

「俺は立川じゃないし、恋愛じゃなくっても、あんたなら別にいつでも何でも付き合うんだからさ」

突然降ってきた言葉の意味がわからない。頭が、上手く働かない。

「どういう、こと?」

「あんたは……」そう言って朱雀が口をつぐむ。目を凝らすとひどく苦しそうな表情が見えた。眉根を寄せて、苦しそうに息をつく。

「あんたは、俺のことが好きなんじゃない」

「……は」

「あんたが淋しいんなら、つらいなら、何だって付き合うよ。もちろん別にそういう理由がなくたっていい。だから……俺には焦ってそんなこと言わなくていい」

「意味が……わからないんだけど」

愕然とした。冷たい水を浴びせられた感覚。頭が混乱する。

 何を言っているんだ、朱雀さんは。

 顔がこわばって、上手く言葉を口にできない。

 一体、一体どういうこと?

 目の前の朱雀を見ても、ただただ苦しそうにしか見えない。それしかわからない。目も合わせてくれない。

「焦って、無理して、そんなこと言わなくていいってことだよ」

「無理? 無理なんか、」

「あんたがまだ立川を好きでも、俺はあんたを悪く思ったりしない。気にしなくていい」

必死に言葉を継ぐ吉丸を、朱雀が強い口調でさえぎった。

「なにを……そんなことっ!」

 俺が、まだ秀人を好き。そんなことを朱雀さんが考えていたって。そんなこと……そんなこと。

 そんなことないって、言い切れるの。

 朱雀さんにとって、俺は、そういう存在だったじゃないか。

 考えてもみなかった方向から、心の中に声が響く。秀人と観たかった映画を一緒に観て、秀人とそうしたようにご飯を食べに行ったり、花火大会に行ったり……無意識のうちに自分は朱雀さんを秀人の代わりに見ていたのか。朱雀さんはそう思っていたのか。ドクン、ドクンと鼓動が速まる。そんなこと。

 ますます頭が混乱して、吉丸はかぶりを振った。

「だとしても! どうして俺の言葉を聞いてくれないの」

「…………」

 朱雀はいっそうつらそうな表情で、顔をそらした。なんだかまるで吉丸がひどく悪いことをしたようで、そのことがものすごく嫌だと思った。腹が立った。

「ひどいよ、朱雀さん。俺は朱雀さんを好きだって言ってんの!」

力任せに拳を朱雀の胸に叩きつける。彼は痛みに顔をしかめたものの、何も言わなかった。こちらも見ず、ただ唇を噛みしめて。

 叩きつけた拳に力が入らなくなって、ずるずると情けなく腕が下がる。震えて、握った拳が解けなかった。それでも朱雀は何も言わなかった。ただずっと苦しそうに目をそらしていた。

「……最低だ、朱雀さん」

 吉丸はそのまま朱雀をかすめて駆け出した。石段を下りるが上手く走れない。そういえば浴衣を着ていたんだと思い出した。

 何度も転びそうになりながら、夢中で石段を下りる。伸びきった雑草が足首にいくつもかすめていく。浴衣の裾に土が跳ねる。ここに来る前からずっと痛かった草履の鼻緒、親指の付け根は血が滲んでいた。痛い。それでも足を緩めなかった。何十段とある石段を下りきって、人気のない道をひたすら走って戻る。


 最低だ。最低だ。最低だ。

 そんなこと言うなんて。そんなことを思っていたなんて。バカじゃないの、朱雀さん。

 俺の気持ちは何も伝わらなかったってこと?

 視界が潤んでぼやけていく。唇を噛んでこらえた。

 ……それとも、わかっていてそう言ったのか。

 俺と、付き合う気が、ないから……?

「じゃあ、なんでっ……!」

 肩を抱いたりしたんだよ。

「っていうか、断る理由に俺を使わないでよ」

 朱雀に対する、ありったけの罵りを胸のうちで何度も繰り返す。二十は繰り返したところで、歩調を緩めても、追いかけてくる足音はない。視界の先に、花火を観終わった人々が家に帰るのだろう、こちらの方向へ歩いてくるのがうっすらと見えてくる。歩いてくる人々を、一人一人手当たり次第に殴ってやりたいとすら思った。真っ赤な感情。くやしいのか、腹立たしいのか……どっちもだ。

 けれど大通りに出て、夜店の賑やかな明かりを目にした途端、それは一気に消え去った。


 ふられた。

 朱雀さんに、ふられた。


 一度こぼれると、もう涙は止まらなかった。周りの何一つ、目に入らない。こみ上げてくる全てをそのままに、吉丸は泣いた。頬も手も涙と鼻水でベタベタになりながら、家に帰った。ベッドに倒れこんで枕に顔を埋める。胸がズキズキ痛む。苦しい。息を吸って、吐いて、それを繰り返しても……苦しい。部屋は蒸し暑いはずなのに、皮膚の一枚下はひどく寒い気がする。胸のうちに灯る明かりが消えてしまったからだろうか。

 朱雀さんで、いっぱい輝いていた、その明かりが。

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