立川とのこと(2)
あれはまだ、高校一年の秋だった。まだ、吉丸が立川のことを名字で呼んでいた頃。立川に恋をしたと自覚した次の日、吉丸は早速彼を呼び出した。
「急にごめんね」
「どした? 吉丸」
「俺を立川の恋人にしてくれないかな」
「……は?」
文字通り、立川は固まった。
きっかけというほどはっきりしたものはなかった。高校に入って、同じクラスになって、彼の言動はいつでもよく目についていたけれど、それは吉丸に限ったことではなかった。クラスの大半がそうだったように思う。明るく屈託のない彼の性格は、どんな人でも一瞬で受け入れられるものだった。さらに、部活動は軽音楽部。彼の歌声やバンドでのパフォーマンスは、顔立ちに似合わず派手で華があり、学年を問わずたくさんの人が彼に魅了されていた。
たしか、体育の授業で同じチームになってから、仲良くなった。色んな生徒が口々にいう明るい面も、確かに吉丸は感じたが、それ以上に彼の優しさに惹かれていった。同い年なのに、どこか周りよりも高い目線を持っているようで。余裕がある。たくさんの人と関わりがあるせいなのか、もともと立川が持つ性質なのかはわからなかった。たまに抜けているところがあるところも、たまらなく魅力的だった。
なんか俺、立川のこと好きかも。
大きな声では言えないが、引き締まった身体つきも、吉丸の好みだった。恋人になりたいな。そう思って告白した。
返事は、ノー。
「男は恋愛対象として見られない」という、わかりやすくて当たり前の理由だった。
けれど、吉丸は諦めきれなかった。なにせ、初めて自分から好きだと思った相手だったからだ。その場で食い下がった。
「どうしても?」
「……うん。……悪いけど」
立ち去ろうとする立川。吉丸は慌てて彼の服の袖を引いて追いすがった。
「立川は、俺のこと、嫌い?」
わざと目を伏せ、ひどく落ち込んだ仕草を作る。強い口調が返ってきた。
「っ、そんなわけないだろ」
「……じゃあ、試してみてよ」
「は?」
「本当に無理か、試してみてよ」
引いた袖の先の手のひらを掴んで、ゆっくり持ち上げる。立川に目を合わせたまま、吉丸は優しく音を立ててその手に口づけた。立川はその途端、顔を真っ赤にしてよろめく。その反応がうれしくて、楽しくて、最高にドキドキしたことを覚えている。
吉丸自身、今思えば、なんて突拍子もないことをやったのだろうと恥ずかしいどころの話ではないけれど。その時は、立川が好きで好きでたまらなかったのだ。色々なことを考える余裕がなかった。
「な、な、なにっ……!」
「もうちょっと時間もらってもいい? 立川のこと、簡単に諦められないんだ」
「そんな……よしまる」
あからさまに動揺して困った顔をする立川。その表情に傷つくことすらないくらい、吉丸は立川への想いで頭がいっぱいだった。
立川は友達としての俺を嫌ってはいない。
それにつけ込んで、吉丸は堂々と行動を開始した。それまで同い年の男に対しては意識したことはなかったけれど、整えてきた自分の顔立ちもいくらか武器になった。この、女顔。たぶん吉丸がこんな顔立ちじゃなかったら、最初に手のひらにキスをしただけで張り倒されていたに違いない。
まずは朝、学校の最寄り駅で待ち伏せる。
「おはよう、立川」
「よっ、よしまるっ」
真っ赤になって驚く立川。ああ、かわいい。構わず、普段通りの態度を心掛け、教室に入ってホームルームが始まるまで、隣に居続ける。昼休みはご飯に誘って、塾がない日は一緒に帰る。面と向かって拒否されないことをいいことに、吉丸は常に立川の傍に居続けた。けれど告白したことについては一切触れなかったので、立川の方でも拒否しようもなかったのかもしれなかった。
ただ、ちょっとしたところで迫ってみたりもしたのだ。偶然二人きりになった時や、自分自身で我慢できなくなった時に。さすがにキスは告白以来できなかったけれど、手を握ったり、頬に触れたり。好きだということ、付き合って欲しいと思っていることを伝え、隙さえあればことあるごとに口説いていた。とにかくその当時吉丸は、立川の頭の中を自分でいっぱいにしたかったのだった。
そうして一週間後。放課後、吉丸は男子トイレで立川と偶然顔を合わせた。
「立川」
「……よしまる」
立川の顔は、吉丸を見た途端赤くなる。ぎこちなく挨拶をして、すぐに立ち去ろうとする。吉丸は慌てて引き止めた。手首を掴むと、立川は驚いて身体をびくつかせた。
そんなに俺のことが嫌かな。
「立川」
「な、なに」
「やっぱり無理かな、俺は」
そう口に出すと、一気に気分が落ち込んできた。これまで何も考えなかったからこそ、立川の態度がぎこちなくても、困っているようでも気にせずにいられたのだ。少しでも冷静になってしまうと、この一週間の自分の愚かさが身にしみた。
「…………」
「立川が恋愛として俺を見ることは無理かな」
「っそれは……」
立川が口ごもる。それは答えに迷っているからなのか、吉丸を傷つけまいと言葉を選んでいるのか、吉丸にはわからない。わからないから、最後の賭けに出た。
「だめかな……」
そう言いながら、立川に近付く。彼はトイレの壁を背にしていたので、距離は簡単に詰められた。両手を伸ばす。十センチ以上高い位置の頬をとらえた。そっとひと撫ですると、立川はごくりと唾を飲み込んだ。そのまま首に手を回す。腕に感じる温かい体温に煽られる。目の前の立川は口を開くが、言葉が出ない様子だった。
心臓がばくばくと音を立てている。いつ突き飛ばされるかわからない。それでもいいや、と思っていた。それなら俺は失恋だ。
「たちかわ……」
顔を引き寄せる。お互いの額が、鼻が、まつげが触れるくらい。
三秒だけ待ったけれど、立川は動かない。何も言ってこない。それをいいことに、吉丸は唇を重ねた。ゆっくりとついばむようにして立川の唇を味わう。薄い唇。頭の中は様々なものがはじけてハレーション状態だった。
身体も心も満足した頃になって、ようやく唇を離す。真っ赤になった腕の中の立川が、咳払いをした。息苦しそうに眉根を寄せる。かすかに開く口元がすごく、色っぽい。そう思うと背中がゾクゾクとした。
「なんでそんなに普通なんだよ……」
「え?」
かすれ気味の立川の声。けれど、こんなに近くにいる吉丸には十分聞こえる声だ。
「俺も、お前も、男だぞ」
「うん」
少しの迷いもなく、吉丸は頷いた。男だとか女だとか、そんなことは小さなことだ。そんな吉丸の顔をまじまじと立川は見て、深々とため息をつく。そして、
「……ギブアップ」
「へ?」
「俺の、負けだよ」
静かにそう言って、吉丸を抱きしめた。思ったよりも強い力。吉丸が顔を上げると、今離れたばかりのその唇に口づける。勢い余って、歯がぶつかってしまうほど強引に。驚きとうれしさが一気に吉丸を襲って、本当に息が出来なくなりそうだった。
『じゃあ、また来週』
「うん。おやすみ朱雀さん」
『……おやすみ』
淡々とした朱雀の声が聞こえた後、電話が切れた。携帯を傍らにおいて、息をつく。
脳裏に浮かぶ立川との思い出。もう今は思い出したからといって辛くなったりはしない。少し淋しさはあるけれど、一時期の、あのはりさけそうな悲しみがわきおこることはなくなっていた。
それは言うまでもなく、朱雀が原因で。
再会してから一ヶ月。会うたびになんとなく惹かれているのを自覚していたけれど、ここ一週間で一気に気持ちが傾いてしまった。立川の時と、同じだ。好きで、もうどうしようもない。
立川の友達で、しかも彼のことが好きだった人だ。いけないと思ってみても、まるで意味がなかった。洪水のように溢れ出して止まらない気持ち。
伝えても、いいかな。俺の気持ち。
朱雀には伝えたいことがたくさんあった。謝りたい気持ち、感謝の気持ち、それと…好きだという気持ち。もう立川の時のように強引に伝えることはしないけれど。
ていうか、もう恥ずかしくて無理。
あれはたまたま立川が押しに弱い性質だったからよかったが、朱雀に同じことをすれば本当に張り倒されるに違いない。
ベッドに仰向けになって寝転ぶ。薄暗い部屋の中に、月明かりが差し込んでいる。
誠実に、正直に、真っ直ぐ俺の気持ちを伝える。
朱雀さんは何て言うだろう。考えるだけでドキドキする。不安と期待がごちゃごちゃに入り混じって胸の中で暴れている。
あの時みたいにあっさりふられちゃうのかな。でも、意外にしかめ面しながらいいよって言ってくれそうな気がする。なんたって、俺と話してて楽しそうだもん。急にコロッと笑うんだよね。その時の表情がたまらない。
とにかく嫌われてはいない……はずだ。
いいよって言ってくれたら、どうしよう。
目を閉じて、想いに身をひたす。とりあえず、抱きしめたい。あの時、立川がそうしたように。強く、強く、彼を確かめたい。感じたい。
想像するだけで、落ち着かない。今夜は、まだ眠れそうになかった。
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