ボディーガード(2)
次の日。部活を終えて着替えた朱雀が部室を出ると、マネージャーの朝丘と、なぜか内田が揃っていた。
「……なんで内田?」
指を差して指摘する。
「え、いや今ちょっと話してただけだよ」
「こいつもセットでついてくるのかと思った」
「あ、マジ? いい? 俺」
「いらん」
朝丘を促して、通りに出る。校門には、吉丸の姿はなかった。いつもより時間が少し早い。だからまだいないのか、今日は来ないつもりなのかは分からない。後者だったらいいとぼんやり朱雀は思って、けれど、そうやって来ない日もあるのだと分かるのもあんまりうれしくない……気がする。心のうちでは二つの気分が絶えずくるくると回っている状態だった。
「先生も大袈裟だよ。たかだか変質者が出たってだけでさ」
隣で困ったように首をかしげて、朝丘がポツリと言った。風にポニーテールの髪がふわりと揺れる。大きく頷きたいところではあるけれど、流石に朱雀でもそれはできない。
「まあ、ちょっとね。でも実際追いかけられたって人がいるらしいじゃん。確かに危ない」
「友達に見られて、笑われたよ。アンタどこのお嬢様? って」
「どいつもこいつも朝丘と一緒に帰りたいんでしょ。内田が言い出して、全員一致で決まったし」
「えー嘘!? なにそれ!」
朝丘が軽やかな笑い声を立てる。耳に心地良かった。
「つーか昨日は大丈夫だったわけ、内田」
「え? 大丈夫だよー。内田くんいたし」
「内田は大丈夫だったかってこと」
「ええ? 普通だよ。いつも通り」
「……ふーん」
「あ、でも何かあったらいつでも電話してって、ケータイの番号交換したけど」
「へえ」
まあ、それくらいなら……いや、でも二人きりの時に女子の携帯電話の番号を聞くなんて、部内で出来るのは内田ぐらいだろう。
ちゃっかりしてんな、ほんと。
それにしても、帰り道を女子と一緒に歩くなんて、考えてみれば朱雀には初めてのことだった。中学生の頃からずっと部活ばかりやっていたし、高校に入ってもそのせいでいつも帰りは遅かった。彼女と時間が合うことなんて、振り返ってみればほとんどない。
……確かに、内田の気持ちは分からなくはないけどさ。
照れくさいけれど、悪い気はしない。女子の明るい声は、なんだか聞いていて気分が軽くなる心地がする。
他愛ない話をしていると、いつの間にか駅前の通りまで来ていた。朝丘の家はあと二、三分歩いたところらしい。
「あ、あそこ。あのコンビニ」
朝丘が指差した先には、見慣れた水色と白色でデザインされた看板があった。ガラスの窓からは鮮やかな色味があふれている。
「へえ、家コンビニやってんだ」
朱雀も学校の行き帰りによく寄る店だ。朝丘は笑って言う。
「そう。よかったら毎日でも来て、じゃんじゃん買ってってね」
「……そうする」
コンビニの店舗の横に小さな門があり、レンガ敷きの道が続いている。あの先が朝丘の家だろう。その門の前で朝丘は朱雀を振り返った。
「ありがと。朱雀くん」
「どういたしまして」
このやりとり、むず痒い。鼻を掻きつつ答えると、朝丘は「あ」と声を上げてその手を取った。
「あ?」
「指、血が出てる」
「あー」
今日はバタバタ着替えていたせいか、ロッカーの扉の角に小指を引っ掛けてしまっていた。大して痛くなかったから放っておいたけれど、血が出ていたらしい。既に糸をひいた痕がいく筋か出来ていた。
「大丈夫だよ。すぐ止まる」
切れてるところを口に含む。血は舐めとってもまた滲み出してきた。どうってことない傷だけど、厄介だな。
「なんで言ってくれないの。待って! 絆創膏あるから」
朝丘は鞄を開けて中を探り出した。
「あ、いや。いいって」
「朱雀さん?」
ふと耳に届いた声に振り向く。そこにはいつもの吉丸の姿があった。沖男の制服。肩に掛けた鞄。不思議そうに朱雀を見る顔。あー……よりによってここで会うとは。
「よしまる」
なんでここに、と言おうとして、ああここは駅前のコンビニの前じゃん、と即座に納得する。
何て言えばいいんだろう。やっぱり来たんだ。ちょっと自意識過剰でも、朝丘を送るってメールしとけばよかったのか。あ、いや待った。こいつ、学校寄って来たの? 塾からまっすぐこっちに来たの?
「あったあった! ハイ、手貸して」
それから先が続かないうちに、朝丘の声がかかる。
「あ、うん」
思わず素直に手を出すと、ひんやりとした、滑らかな指が触れた。朱雀は普段からあまり怪我をしないので、手当てを受けることも数えるほどしかない。集中している朝丘の表情を見下ろすと、少し照れる。彼女は慣れた手付きで、手際よく絆創膏を貼った。その見慣れない色味に目を凝らすと、それは……あの大人から子供まで世界的に大人気のキャラクターシリーズの、アヒルのものだった。白地にピンクでキャラクターの模様が入っている。
うわ。こりゃひでえ……。
けれど、文句は言えない。今度は別の意味で恥ずかしくなった。
「可愛い。これ一回使ってみたかったんだ」
「なら内田が怪我した時にしてよ」
「えへへ。その口、絆創膏のにそっくり」
「……どうも」
無意識に尖らせていた口を戻し、無表情に口だけで笑みを作る。朝丘は声を立てて笑った。
「かーわいい。じゃ、また明日ね」
「はいはい」
「送ってくれてありがと!」
「どーいたしまして」
朝丘は吉丸にもにっこり笑いかけて、門に入り、奥へと消えていった。
くすくす、と笑い声が聞こえた。見やると、吉丸はおかしそうに笑っている。
「かわいい。朱雀さんそれ」
「……俺の趣味じゃねーし」
「意外に似合うよ。顔とギャップがあっていい感じ」
「ふざけんなよ。似合うとしたらあんたでしょ」
「俺だと違和感なさ過ぎて面白くないよー」
違和感ないって、自分で言ってるよこいつ。……まあ、確かにそうだけどさ。
「それならほら、やるよ。剥がして顔にでも貼れば」
朱雀が小指を差し出すと、吉丸は降参とでも言うように両手を挙げた。
「ジョーダン。せっかくマネージャーさんが貼ってくれたんだから、一週間くらいつけてなよ」
マネージャー。その言葉を聞いて、朱雀は一気に今の状況を思い出した。
「あ、てか吉丸、ごめん」
「え?」
きょとんとした顔でこちらを見る吉丸。
「いや、ごめんって言うのも変だけど。あの、昨日から朝丘……あのマネージャーの子、家まで送るってのが決まっててさ。この辺で痴漢とか出てるらしくて、それじゃ危ないからってこと。んで今日俺がその当番で……もしかしたらあんたが来るかもって思ったけど、でもわざわざ来ないうちから帰れないっていうのも変な気がして。とにかく今日先に帰ってたのは、」
「うん」
短く、吉丸は答えた。少し、おかしそうに笑って。
「知ってる。大丈夫だよ。すっぽかされたなんて思ってないから」
「へっ」
「内田くん、だっけ? 校門のとこにいたら、教えてくれた。マネージャーさんを家まで送ってるんだって。部の方針で決まったことだからって」
にっこりと笑う。
なに、そのうれしそうな顔。
「そっか」
ふう、と息をつく。
内田、たまにはいいことするじゃん。
好奇心旺盛な彼の性格がこんな風に役立つとは。礼だけは言っておこうか……いや、また詮索されそうな気がする。やめだやめだ。
「帰ろっか」
「うん」
駅までの道を二人で並んで歩き出す。ゆっくりとした歩調。建物の隙間から、夕日がまっすぐ差し込んでいて眩しい。ふと隣を見ると、吉丸は目を細めて微笑むような表情をしていた。さっきの言葉がよみがえる。
『すっぽかされたなんて思ってないから』
あ。
「結局今日も……あんた、俺を待ってたの?」
「うん」
「ほんと律儀だな」
「朱雀さんもでしょ?」
当然のように言い返され、朱雀は思わず笑ってしまった。
「……っかもね」
「そこだけは似てる」
「そこだけ、な」
吉丸もくすくすと笑い出す。ただそれだけのことを二人で笑っているというのは、はたから見ればバカバカしくて、くだらない、のん気なものなのだろう。いつもの朱雀だったら、きっと「くだらねー」とか、ばっさり切り落とす一言を言ったはずだ。
けれど今はこのやり取りが、この空気が、気恥ずかしくて、心地良かった。くすぐったいけれど、悪くなかった。
「待たせてごめん」
「うん、いいよ」
吉丸はまたにっこりと笑った。
その瞬間。ズキ、と胸が疼いた。なんでそんなに嬉しそうに笑うわけ。
吉丸が笑うと、なぜか朱雀も応えたくなる。こんな風に朱雀を見て笑うなら、尚更。
こうして顔を合わせていると、嫌でも意識する。お互いの小さな共通点……くだらない、大したことない共通点を見つけて、無邪気に笑ったりして。その延長線上に何があるのか、朱雀はもう、なんとなくわかっていた。
わかりたくもない、本末転倒な話。
首を振って打ち消す。それこそくだらねー。
目を閉じると、焼けたまぶたの裏がじんと痛んだ。
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