ボディーガード(1)

 もう二度と思い出したくない、と思うことも、時間がそれなりに過ぎると薄れてしまうものなのか。以前は嫉妬と憎しみの対象だった相手と、意味もなくただ顔を合わせているなんて……何かおかしい。


 部の夏の大会は終わってしまった。県内ベスト三という中途半端な成績には苦笑いするしかない。今年は初出場の高校がエントリーしていて、予想以上に強かったのだ。新設だったため事前情報も少なかった上、メンバーも県内外から集めてきた実力のある生徒ばかりで。最後まで朱雀の高校も健闘したけれど、一歩届かなかった。その初出場校は、昔から県内トップの高校にも喰らいついて、県大会優勝、つまり甲子園出場は、その高校に決定した。

 城洋高校の野球部は三年生が二人しかいなかったから、ユニフォームを着ていたのも半数以上が朱雀たち二年生だった。そのため大会が終わって、部内の空気が沈んだのも先輩との引退試合までで、次の週からはまた来年へ向けての練習が始まっていた。

 学校生活の殆どを注ぎ込んできた大きなイベントを終えて、とりあえず朱雀の緊張の糸は緩んだ。いつもどこか心のうちにあった焦りをようやく下ろすことが出来る。少なくとも、今抱えている自分の課題は来年まで持ち越しになったわけだ。以前から、大会が終わったらやりたいことをたくさん考えていたけれど、すぐにはやる気になれず……やっぱり朱雀は毎日を、授業と部活だけで費やしていた。


 それで、おかしい話というのは。

 あれからだいたい週に一回あるかないかのペースで吉丸と顔を合わせている。そう、意味もなく。

 もう立川秀人の話をするでもなく、辛い胸の内を吐き出すでもなく。吉丸は塾の帰りに朱雀の学校まで寄ってくる。彼の塾の授業が二コマで、早い時間に終わった日や、朱雀の部活が遅くなった日には。ちなみに、朱雀はその塾には通ったことはおろか、見たことすらない。朱雀がいつも疑問に思うのは、どうして学校が終わった後の時間まで勉強に充てて平気なのか、ということに尽きる。吉丸はそんな、きっと考えられないくらいつまらない塾の授業を終えて、朱雀の所へ寄るわけだ。一体どうしてわざわざ。何か用か、頼みごとがあるのかと一度訊いたけれど、そうではないと言う。ますます謎だ。

 ただ、かといって別に悪い気はしなかった。

 自分自身も謎である。なんだってこんなことになってんだか。


「最近この近くで変質者やら痴漢やらが出るらしいからな。女子は気をつけろよー」

 朝のホームルーム。話す内容とは裏腹に、担任の先生の声は間延びしていて緊張感がない。そのせいか、朱雀を含めクラスの皆も緊張した様子もなく、のんびり聞いていたり、雑談をしていたりと少しざわついている。

「朱雀ー」

 朱雀も後ろから掛かる声に気軽に振り返った。内田だ。部活もクラスも同じで、学校内ではよく一緒にいる相手だ。黒髪にふわふわと校則禁止のパーマをかけ、片耳には校則禁止の砂粒みたいなピアスが光っている。見た目も中身もふざけた男だ。彼の両親はこの学校の校長と知り合いか何からしくて、そんな風貌でも先生から表立って注意されることは少ない。髪は幼い頃の写真を偽造し天然パーマだと言い張り、ピアスは風紀検査や部活の対外試合の時だけ外している。そこまでしてでもこのスタイルを壊したくないらしい。アホだ。もし彼の両親の事情さえなければ、絶対に退学処分にされているところだ。

 今もわざとらしく顔をしかめて身を乗り出してくる。

「やばいかもな」

「なに」

「たぐちゃん。マネージャー先に帰らすとか言い出すぞ」

「は?」

「痴漢が出るとか聞いたら」

「あー……」

 野球部顧問の田口先生の顔が浮かぶ。正義感のある熱血漢で、見た目も中身も男らしい、いい先生なのだが、こういう時は少し融通が利かない面倒な面もある。話を聞いた途端「野球部で通学路パトロールするぞ」などと言い出してもおかしくないくらいだ。

「しゃーねぇな。もし朝丘が帰るんなら俺らでお茶用意するか。一年にやらせてもひっくり返したりしそうだし」

「だな」

 野球部の男所帯に一人だけいる女子マネージャーの朝丘は、正に部のオアシスのような存在だ。可愛らしい顔をして、雑用を一人でテキパキこなす。腕力も結構あって、かごいっぱいの部員全員分のユニフォームも軽々と持ち上げたりする。けれど、それと変質者に対抗できることとは違う。朱雀はため息をついた。面倒なことは出来るならやりたくないところだ。

 いつの間にかホームルームは終わっていて、皆思い思いに話を始めている。

「板橋に言っといてよ」

「なんで俺が。つーかこっちが言う前に絶対来るでしょ、あいつ」

「まーそうか」

 更にため息。今度は二つだ。

「あ。そういえばお前、帰り最近他の学校のやつと一緒だよな」

内田がふと目を上げて言ってきた。真っ黒な瞳がきらりと光る。

「……知ってんの」

「知ってんのって、あんな校門のとこいたらすぐわかんだろ。どこだっけ、あれ。沖男?」

ドキッとする。思わず朱雀は心臓を押さえた。

「うん、まあ」

「沖男のやつとかしゃべったことねぇよ、俺」

 感心したように目を見開く内田。

 俺だって別に沖男だって知ってたわけじゃねーよ。

 もっとも吉丸が通う沖男子高校は、この辺では有名大学への進学率がずば抜けて高く、校風もかたい。この反応は、当然といえば当然だ。

「友達の友達なんだよ」

「へー。俺にも紹介してよ。テスト前に」

「テスト前かよ」

 そういや勉強はやりがいがあるとかほざいてた。信じらんない。

 とはいえそんな感覚なら、少しぐらい勉強を教えることも出来るだろう。内田はともかく、朱雀自身は……吉丸には以前ああ言ったけれど、まずいことはわかっている。

 ふと頭に映像が浮かぶ。机に並んで座る朱雀と吉丸。足りない頭を精一杯働かせる朱雀の横で、吉丸はすらすらとアドバイスをする。

 ……うーん。

 色んな意味で恥ずかしい。頭を掻いた。

 マジで本当にやばくなったら考えよう。

 どっちにしろ、あいつならたぶん、頼んだら気安く請け合って、丁寧に教えてくれるんだろう。だらける俺を叱咤しながら。そういう妙に律儀なところは俺と同じだ。ただひとつって言っていいくらいの共通点。

 ……立川を好きになったこと以外では。

「朱雀」

「うん?」

内田の呼びかけに、我に返る。

「なににやついてんだよ。お前がそんな顔すると怖いよ」

「…お前の顔よりマシ」

「うわ、しつれー」

「お前がにやつくと犯罪くさいんだよ」


 とかなんとか内田と言い合っていると。

「内田、朱雀っ」

「おお、板橋」

噂をすれば、我らが野球部部長、板橋だ。周りの生徒よりひと回り大きいがっしりとした体つき。他のクラスだというのに、なんの遠慮もなく教室を横切ってこっちにやってきた。

「聞いたか?」

「うん」「たぶん」

 朱雀と内田は適当に相槌を打つ。途端に板橋は額に手を当ててため息をついた。

「たぐちゃんホームルームの途中なのに、朝丘先に帰らせるぞって俺に言ってきてさあ。気持ちは分かるけど、まずはちょっと冷静になって欲しいっていうか」

「うーわ、マジきたよ」

「やっぱそうなるか」

板橋のクラスの担任は田口先生だ。部長と顧問が同じクラスだと、部に関係する問題について持ち上がりも早ければ、決定も早い。ホームルームで決まりそうになった朝丘の件を、慌てて保留にして朱雀たちに持ってきたのだろう。予想通りの展開に、朱雀と内田は揃って天井を見上げた。

「でも大袈裟じゃねえ? 痴漢が出るって話だけでそこまでするか?」

「話だけじゃねえだろ。実際に遭遇した子もいたんだから」

「え、そうなの?」

「一年の子が追いかけられたって。聞いてねーの?」

「はあ? マジか」

「全然聞いてなかった」

板橋はまた頭を抱えた。

「先生の話ぐらいちゃんと聞いてくれ」

「悪かったよ。板橋」

「いや、俺に謝るんじゃなくて。どうするかって話だよ」

内田と顔を見合わせる。揃って神妙な顔を作ってみせた。

「仕方ないんじゃないの? 暗くなる前に出来る仕事だけやってもらってさ。後は俺らでやるしか……」

「そうだ!」

とりあえず、当たり障りのない意見を言い始めた朱雀の言葉にかぶせるようにして、内田が声を上げた。勢いよく手も挙げ発言の許しを乞う。

「はい内田」

「ボディーガードは?」

「は?」

「毎日部活終わったら、部員の誰かがアサちゃんを家まで送ってやるっていうのは」

「はー……」

朱雀と板橋は揃って内田の顔をポカンと見てしまった。ふざけた男も、こと野球についてはマトモな意見が出るのか。

「毎日?」

「毎日。部員全員で交代してさ」

朱雀は内心うげ、と思った。そしたら自分もやらなくていけない。

 対して板橋は目を輝かせ、内田の肩を掴んだ。

「内田、それいい! 田口に言ってみる! 朝丘が先に帰るよりいいだろ?」

しかめた顔を見ていたのか、最後はこちらに向かって聞いてくる。…雑用するよりはマシだけれど。朱雀は渋々うなずいた。

「よっしゃ。サンキュー二人共! また後でな!」

肩の荷が下りてほっとしたように笑い、板橋はバタバタと教室を出て行った。

「…………」

 無言で睨むが、内田は全然気にしていない。

「なんだよ。アサちゃんが先に帰るよりいいだろ? そ・れ・に」

出た。犯罪くさいにやけ顔。朱雀は思いっきり顔をしかめて応じた。

「アサちゃんと二人きりで帰れるなんて、めったにないチャンスだしなー」

「……それが目的か。エロ田」

「なんとでも言え。朝丘は俺が守る」

ぐっ、と拳を握り締め、引き締めた顔を上げてみせる。

「痴漢じゃなくて、部員に襲われる可能性があるって板橋に言っとくわ」

「はあ? なんだよ朱雀。俺の友達だろ! 協力しろよ、協力」

「あー……友達? 無理矢理友達させられてんだ、俺は」

「ああ? 逆だ逆! お前が俺の友達したいって言うからさせてんだろ!」

「あーめんどくせ。いいよそれで」

「すざくぅ!」




 結局、朱雀はそのことを板橋に告げ口することは出来ず(内田がずっと見張っているのだ)、ボディーガード案は採用された。しかも今日から決行という迅速さ。二年生のクラス、出席番号の早い順から回していくこととなり、なんと内田が最初になってしまった。二年一組で、野球部は朱雀と内田しかいない。ということは、次の日は朱雀だ。

 うわ、めんどくせぇ。

「じゃ、お先っ」

 部活を終えた後の更衣室。今までにないスピードで着替え終わった内田は、すぐに鞄を抱えて飛び出して行った。

 なんとなく気になる。というか、心配だ。スラックスだけ穿き終わった朱雀は、数秒後に彼の後を追った。なぜか板橋も後について来る。

「板橋?」

「なになに? どうかしたか?」

「……気になってさ」

 校門の端から通りをのぞく。既に二人は行ってしまったらしく、めぼしい姿は見当たらない。

「あれ? もういない」

「裏道入り込みやがったな。あそこの角のとこから……」

舌打ちがもれる。その瞬間肩をぐいと引かれた。

「朱雀!」

「あ゛あ!?」

動き出そうとしていた瞬間に押さえられて、朱雀は後ろを思い切り睨んだ。──そこには。

「お前その格好はなんだ! パンツ半分見せて上は裸で! 痴漢ごっこやってんじゃねえぞ!」

「……たぐちゃん」

痴漢ごっことは言ってくれる。あきれた半眼で見上げると、更に田口先生は手の平を見せてきた。

「その目はいい度胸だな。背中に俺の手形入れてやろうか」

「遠慮します」

先生に急かされ、二人はとりあえずグラウンドの敷地へ戻った。

「あーあ。残念」

「板橋まで。何見てたんだ?」

「別になんでもないっすよ」

「まあいいじゃん朱雀。明日は朱雀の当番なんだから、アサちゃんと明日またゆっくり話せばいい」

「なに!? 朱雀お前朝丘のこと見てたのか!」

「朝丘のことじゃねえよ……」

うなだれながら言い返す。二人ともまるで聞いていない。

 ……まあ、何かが起こるって決まってるわけじゃないんだけどさ。内田がいくらふざけたやつだからって、女子にまで適当なこと言ったりしたりするとは思えないし。

 頭を掻きながら、部室に戻る。

『明日朱雀の当番なんだから』

 はたと気づく。そう、明日は朱雀の当番だ。明日は火曜日。吉丸が塾の日だ。

 明日は、一緒に帰れねーな。

 自分のロッカーに向かい着替え始める。Tシャツを頭からかぶった。

 あ。いや、別にあいつがこっちに寄るって決まってる訳じゃないんだけどさ。

 開襟シャツに袖を通す。

 でも、先週は来た。その前の週も来た。今週来ないと決まった訳じゃない。全部、あいつ次第だ。いつも別に約束してる訳じゃないし。

 明日は帰れないって連絡する?

 シャツのボタンを留める手が止まる。

 うーん……。それって何かあいつが来るのを前提にしてるよな。こっちまで寄ってくれるってさ。ちょっと自意識過剰じゃねーかな。

 けれど、もし。

「朱雀、お先」

「うん」

 次々と人が出て行く。朱雀は軽く手を挙げて見送った。

 もし、吉丸が明日も来たら、待ちぼうけをくわせることになる。あの吉丸のことだ。きっと律儀に待ち続けるだろう。結果、すっぽかされたら、彼はどう思うだろう。

「…………」

 それも、ちょっと。

「うーん……」

残りのボタンを全部留めてしまう。考えてみれば微妙な距離だと思う。友達というほど頻繁に会って遊んでいるわけではない。ただ顔を合わせれば話をするくらいで。

 まあ、知り合いっつーのが一番当てはまるかな。あー面倒くさい。

「じゃあ、お疲れ」

「おー」

鞄を拾って部室を出る。

 じゃあわざわざメールする? それも何だか変な感じがする。変な、こそばゆい感じ。うーん……。でももしあいつがマジで来たら、あそこでずっと待たせることになるしな。内田に伝言を頼む? もし校門にいたら言っとけって。いやでもたった帰りの数十分の話じゃん。女子じゃあるまいし、そんなことわざわざしねーよなぁ。しかも絶対内田に色々詮索されるに決まってる。……ダメだダメだ。

「……つーかなんでこんなぐるぐる考えてるわけ、俺」

 自分自身が気持ち悪い。相手が内田だったら、何も特別に言ったりしないだろう。約束をしているわけではないのだから。ボトルに残るお茶を一気に飲み干し、首を振る。

 大したことじゃない。大体あいつだって来るかどうかわかんないんだから……。

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