第2話 程度の問題1

※   ※   ※


 校舎の外では、月の明かりが優しく都雅を迎え入れた。

 駆け回る子どものいない、寂しい運動場に人の姿が三つ。奏たちへ近づいて、都雅は無遠慮な目で彼らを見た。

「鬼頭さん、ね」

 鬼の姿にも、表情を変えずにつぶやく。

「『狩人』――『同族狩り』か」

「おや、ご存知でしたか」

「情報収集も仕事のうちだ」

「お嬢ちゃん、カッコいいね」

 奏が楽しそうに笑って言う。

「お嬢ちゃんは、どうしてここに? ちなみに俺たちは、奇妙な現象をなんとかしてくれって、学校に雇われたんだけど」

「人探しだ」

「おやそうですか」

 答えになるような、ならないような、そもそも答えるつもりのない都雅の言葉に、奏はのんびり言葉を返した。とりあえず敵対する相手でないのは確かだから、それ以上答えを請う必要もない。自分勝手な、自分にしか分からないような物言いをする人は、蓮で十分に慣れていたし。

「どうだい、『破壊屋』殿と俺たちなら、多少は楽できそうかい」

「馬鹿を言うな」

 それはやはり、鬼と手を組むつもりなんてないってことなのか。やっぱそうかな、と残念に思って奏は問いかけるのを止めた。

「お前は」

 少し離れた場所に、魔族が少女の姿で立っている。声には、当人も気づいていないような震えがあった。その顔も、もう笑ってはいなかった。唇をゆがめて、苛立ち、怒りが漏れ出ていた。

「何故まだ、そこに立っている」

 都雅は平然と答えた。

「お前が気に食わないから」

 憮然とした態度に、魔族は眉をひそめる。うまくいかない物事は、余裕を失わせるに十分だった。そして、魔族に思い出させた。なぎ倒しても突き返しても、馬鹿の一つ覚えのように立ち上がってくる少女。思う通りに運ばない現実。そんなこと、今までなかったことだ。

 魔族はさらに何かを言おうと口を開いた、けれども言葉は声にならなかった。びくんと、魔族の体が――少女の体が一度、跳ねた。

 驚いたように目を見開く。その顔は今までとはうって変わってあどけなかった。一体何が起こっているのか分からないと言う顔。分からなくて恐いという顔。助けを求めて泣きそうになっている、そんな顔。魔族の表情などではありえない。操られた表情ではない。

「誰だ?」

 都雅は一瞬何が起きたのか分からなかったが、いぶかしげにつぶやく。誰かが術を使っている。少女が魔族を追い出そうとしている。

「祝詞か」

 答えるようにつぶやいたのは奏だった。なんとかできるなら、崇子だけだと分かっていたし、彼女がそれをしてくれたということなのだろう。そして変化は、彼らの目の前で起きていた。



 少女が苦しげにうずくまる。その体からあふれるようにして影がにじみ出た。華奢な背から、脱皮するかのようにはがれたのは、闇の色の着物をまとった背。絹糸のような艶やかな黒髪を生やした頭。色をなくした白さの手。鋭い爪。

 凄絶な美しさを持つ貌が、持ち上がる。体を追い出された魔族は、闇の色の目で虚空を睨みつけた。首をめぐらして、ここにはいない者へ顔を向けた。震えて怯える、取るに足りない巫女がいたことを思い出した。楽しみ横から奪われて、魔族は顔を険しくした。

 今にも標的を変えそうな魔族に、奏は駆けだしかけた。けれど異変に気付いて止まった。

 魔族は動けなかった。何者かがそれを許さなかった。

 崇子の術で目覚めたのは、とり憑かれていた少女だけではなかった。もう一つの、抑圧されていた者。目覚め誘われて、そのことによって助力を得て、そして自らの力で、魔族の内から出てこようとしていた。

 魔族の腹。帯を締めたあたりに、ずるりと何かが現れる。前髪の生えた額。鼻梁。優しい眉。閉じられた瞳。いつもは笑みをたたえている唇。少年の顔が、魔族の腹にはまりこんでいた。

「雅毅……っ」

 都雅の声は、驚愕と怒りに揺れていた。



「おやおや……」

 自分の体を見下ろし、魔族はつぶやく。怒ってはいなかった。少女の体から追い出されたことには許し難いものを感じたが、それ以上に、向けられた驚愕が心地良かった。足下に倒れた少女を見て、そして自分の腹部に見える少年の顔を見て、彼女はゆるりと笑った。

「困ったねえ」

 声は伸びやかに風に乗り、都雅の耳に届く。魔族は都雅を見て、紅の唇に笑みをはきながら眉根を寄せてみせる。焦りもいら立ちも見えなかった。最初に新藤家で、見たときと同じ。人をもてあそぶことに喜びを見出す者の、そして自分の優位を知っている者の、無慈悲な残酷さがあった。

 ――だが、あれは。

「取り込んでいたのか……!」

 都雅はうめくような声を上げた。

 血の気がなく、閉ざされたままの瞼は、生きているのかも分からない。

「さあて、どうする?」

 魔族の傲慢な声。その声音で、生きているはずだと、信じた。生きていなくては盾にできないはずだ。

 雅毅の顔はまるで、魔族の体に埋まっているかのように見える。質量的に不可能だから、魔族の体を媒体にした、別の空間に捕らわれていると考えるのが妥当だろうか。

「……勘違いしてるよなあ」

 ぶつぶつと口中つぶやく。

 魔族は、切り札を手にしたと思っている。都雅が雅毅を気遣って、攻撃できないだろうと決め付けているのなら、それは大きな間違いだと言ってやらなくてはならない。雅毅を連れ帰るのは、あの母親に突っ返してやらないと、後がとても嫌なことになるからだ。それだけ。

 でも攻撃できないのは変わらない。

「おい、お前」

 ビシッと指をさして、都雅は仏頂面で言う。顔は魔族の方を向いたままだが、指の先にいたのは奏だった。

「頼みがある」

 傍若無人に言葉を吐く。言葉と態度のあまりの違いに、奏は一瞬考えてしまった。

「はい?」

 奏が応えたところで、蓮が素速く割り込んだ。

「それが人にものを頼む態度? あーやだやだ」

「蓮ちゃん、それは君もあんまり人に言えたことじゃないと思うがね」

「奏は黙ってろっ。奏が喋ると物事引っかき回してちっとも話が進まない」

「だからそりゃ、自分のことだろーがって。……で、何をして欲しいって?」

「魔族の腹に埋まってる奴を助ける。手を貸せ」

 蓮をなだめた奏に返ってきた都雅の言葉は、頼みがあるという割には命令口調だった。

「頼むから、無差別な攻撃はしてくれるな」

「どうして」

「弟だ」

 都雅は吐き出すように言った。その口調に首を傾げたが、そのことについて奏は問い返してこなかった。

「俺たちと組むのって、気味悪いとは思わないのか?」

「つまらないことばっかりしつこいな、お前は」

 そんな場合じゃないんだ、と都雅は苛立たしげに言い返してくる。確かにそんな状況でもないし、化け猫と普通に会話したり脅したりしている相手には馬鹿げた問題かもしれない。

「普通は、気味悪がるもんだからね。あの協会のお嬢さんみたいに」

「魔族だからって悪であるわけではないだろう。神族が絶対の善ではないように」

「何それ?」

「お前ら、長生きなんだろ? そんなことも知らねえのか。ったく、最近の魔族はどうなってるんだ」

 菊と言い、こいつらと言い……。都雅は口の中でぶつぶつ文句を言っている。

「神でも「たたる」と言われるし、そもそも神と魔の区別は難しい。伝説とかにあるようなのでは、人でなしな行為をした人間を鬼と呼んだらしいし。鬼が神と呼ばれることもあるように、人は力有るものを神と呼び、ある場合は魔と呼んだんだから。人間の都合なんだよそいうのは」

 いとも簡単に、都雅は言って捨てた。

「もともと鬼ってのは高位魔族に分けられるが、どっちかってえとあの魔族とは違うだろ。あの化け猫みたいな妖怪と近い」

「それって結局、俺らとあいつの差ってあんまりないってことじゃないのか? 魔族っぽい精神性においては」

「知ったことか。あたしはどうしてお前らが人間のふりして、同族狩りなんて言われながら生きてるのかも知らないんだ。だがお前らは、人間のふりをやめるつもりはないんだろう」

「まあね」

「それなら、自分が人ではないからって、あいつと同等だと考えるのはやめたほうがいい。あいつとお前たちの決定的な違いは、力の差じゃない。魔物は物事の負をあらわすもの。お前らが人のふりしている限りためらうことを、あいつは平気で出来る。あいつにはそういう枷がない。だからああやって、命あるものを盾にして平気でいられる。人間が魔族に対して弱いのは、そう言う理由も大きいんだ」

 少女はぶっきらぼうに、嬉しいことを言ってくれる。

 結局、彼女なりに判断して、あの非道な魔族と奏たちは違う生き物だと結論したということだろう。種族ではなく、彼らを見て。

 だからこそ、奏も――最初から断るつもりはなかったが、都雅の頼みに対して快く応える。

「ま、努力してみましょ」

 軽く、のんびりと言った。その彼に蓮が毒づく。

「お人好し」

「うん」

 笑って応える奏に、蓮は苦い顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

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