第2話 目覚めた日2

 奏が数えで十六歳の時だった。決して平和な時代ではなかった。

 多くの人が、寒さをしのぐための場所も、日々の糧を得る手段もなくし、息絶えていくしかなかった。その中でも俺は幸せだった。家があり、家族があり、村は戦火を浴びなかった。時代は荒れていても、平和だった。自分たちの小さな世界で、小さな平和を築いていた。苦しくても、懸命に働いて、生きていたのに。

 村を襲った賊が、実際には何者だったのかは、覚えていない。もっと正しく言えば、知らないのだ。荒れた時代だったから、徴収されたまま行き場を失った兵だったかもしれない。ただの盗賊だったような気もする。そんな生き方しかできない人間も多くいて、それは戦のせいで数を増やしていた。やはりあの小さな村ですら、戦禍そのものを免れることはできなかったということなのだろう。

 あの時は知ろうとも思わなかった。そんな余裕などなかった。それに、知る由もなかった。

 あまりに昔のことで、まあこの際どうでもいいや、といつも思うのだが。こうやって思い出せると言うことは、忘れることなど出来ない証拠なのかもしれない。ただはっきりと覚えているのは、その日に誰もが死んだという事だった。

 すべての始まり。けれどすべてが終わった日。

 気がつくと奏は立ち尽くしていた。

 宵闇の中で、途方に暮れて。静まり返った村の中に、ただ一人。

 二本の角をはやした奏の頭上で、月が地面を照らしている。ほんの数刻前まで、収穫の喜びに震えていた村が、今は仄かな明かりに包まれて、沈んでいる。人々は明日のために眠っているわけでもなく、ただ冷たいむくろをさらして、二度と覚めることのない眠りに落ちている。その中で彼は、ただ一人で、立ち尽くしている。

 村の人も、賊も、みんな血を流して死んでいる。あまりにも凄惨な地獄絵図だった。

 ――――これは、誰が。一体どうして、こんなひどいことが……?

 目の前に、見慣れた姿を見つけた。ぞく、と心臓が妙な響きをたてる。そのまま、動けなかった。

 太陽の恵みをなくして冴えた地面に、倒れ伏す人。命のぬくもりをなくして、冷えた血を流して。その血だまりに月を映して。変わり果てた奏自身の姿を映して。村中に転がる他の人々と同じように、死体をさらして倒れている。

 目をそらす事もできず、空回る頭で奏は考える。

 血を流して横たわる両親の、その傷跡。

 あれは――?

「あれは、お前が殺したのだろう」

 考えたくもなかった。それを容赦なく指摘する声があった。

 憐れむような声。そうすることで、相手を追い詰める女の声。けれどもそれは、奏自身が、長い間自分へ問い続けてきたことだった。

 両親を切り刻んだあの傷は、刀傷だろうか。無頼者たちの持っていた刀で斬られた傷だろうか。奴らに殺されてしまったのだろうか。

 それとも、何か別の傷だろうか。――奏のこの爪で、牙で引き裂かれた傷だろうか。

 この手の血は、全身にかぶった返り血は、一体誰のものだというのだろう。俺は、皆を、親を殺してしまったのだろうか。

 守りたかったのに、こんな、こんなことが、まさか。

 ――分からない。あの時は怒りに、殺意に翻弄されていて、何も思い出せない。

 心は逡巡を繰り返す。罪悪感をあおる。動揺は、人ですらなくなってしまった自分の、罪深い存在を否定し始める。二本の角をはやした、鬼の姿。

 こんなのおかしい。俺は一体なんなんだろう。なんでここにいるんだろう。

 ――――分からない。分からない。

「だってあれは、お前を否定した」

 そう、俺を否定した。守ろうと思ったのに、まるで彼らを害するものであるかのように殺そうとした。人と違う姿だからって、殺そうとした。

「悲しいだろう? 泣きたいだろう? 恨んでいるだろう? 殺したいと、思っただろう」

 声は絶え間なく囁きかけてくる。

 あの時もし両親が悲鳴を上げず、手を差し伸べてくれたなら。考えずにいられない。

 そうしたら、俺は正気を失わなかったかもしれない。もし俺がこれをやらかしたのだとしても――。両親が手を差し伸べてくれさえいれば、ここまでひどいことにならなかったかもしれない。

 だって、逃げないで欲しかった。助けようとしたのに、怖がるなんて、殺そうとするなんて。

「確かに、悲しい」

 奏の声は、低く遠く、静かに穏やかに、暗闇に落ち込んで行く。

 恐怖を映す瞳が、悲しかった。拒絶する言葉が、悲しかった。今でも悲しい。思い出しただけで、また途方に暮れてしまいそうなくらい。

「俺だって泣きたいけどさ」

 声を落とした奏自身の年恰好は、異形になった頃とまったく変わらない。けれど静けさの戻った瞳の強さが、生きてきた年月を示していた。

 えぐり出された戸惑いと絶望の残滓が、心の中を漂っているけれど。新しい傷口にはもうならない。

「俺はもう、こんなことでよろめくほど、若くないんだ」

 時代は移り変わり、多くの生き死にを、諍いを見てきた。それくらい長く生きてきた。そしてその間、昔を思い出して何度も考えた。自分の手は、親を引き裂いただろうか。牙にかけただろうか。でも、答えは出ない。

 もし日常が続いていたら。賊が来なかったら。何かが違ったら。そうしたら誰も死ななかった。自分は人のままでいられたかもしれない。きっかけさえなければ、答えのない問いに苦しみ続けることもなく、生きていくことが出来ただろう。逡巡を繰り返す。後悔を繰り返す。責任の在りかを虚しく探し続ける。それはもう、普通の人間とは比べものにならないくらい、何度もしたことだった。老いることも死ぬこともない異形の命のせいで。

 だけど考えたって仕方ない。だって、事は起きてしまったのだから。そして俺は幼かったのだから。小さな日常さえ守る事ができないくらい、無力だった。翻弄されてしまったのは、仕方のないことだったと思う。そして運がいいのか悪かったのか、遠い遠い祖先に、鬼の血族がいたのだろう。先祖帰りだったのだろう、と言われたことがある。

 起きたことに怒り、そのせいで何かが狂い、たまたま自分の中にあったものが目を覚ました。それだけだった。

「後悔したって、しかたないじゃないか。俺にはどうすることもできなかったんだから」

 そして両親の行動も、仕方ないと思う。俺みたいな異形が目の前に現れたら、誰だって恐いと思うんだ。泣いて誰かに助けを請うと思うんだ。大切に育てた子供が、そんなものになってしまったら、絶望すると思うんだ。

 俺は、自分に出来ることを望んだ。出来ることをしたんだ。

 たくさん悩んで、何度も考えた。それで、もういいじゃないか。

「やなことするなあ。こういうのは、なんつーか、やっちゃいけないことだぞ」

 目を閉じて、ごんごん、と拳で軽く頭を叩いてみる。悩む以外にすることがある。俺にはもう、立ち止まる以外にすることがあるんだから。もう今更、どう細工をしたって、揺るがない。今更こうして見せつけられても、もう効かない。昔のことだ、これは、もう起きてしまったことだ、変えられないことだ。言い聞かせながら、目を開く。



 暗くただ長い廊下が見えて、ああ現実だ、と悟る。

「こういう手だったんだな」

 やっと謎がとけた。それがお前の手か。

 結局、はじめに死んでしまった子も、自殺を図った子も。その後死んでしまった人たちも、きっとこの手で誘われてしまったのだろう。

 絶対の命令を下されて。もしくは自分の心の暗闇を、無理矢理広げられた。普段どんなに強くて、動じないように見える人にだって、痛みに感じていることはある。隠しているだけで、心に抱えた傷は誰だって持っている。それをえぐられた。死んでしまいたいと思うくらい。

「若い子にはつらいかも知れないなあ、これは」

 あの魔道士の子は大丈夫だろうか。

 まず、突然倒れた少女のことを思い出し、すぐに身内のことを思い浮かべた。

 小さく笑みをこぼしてから、自分の体を見下ろす。暗い夜にたった一人きり、崩れかけた壁にめりこむようにして、へたりこんでいる姿は我ながら無残だった。着ていたシャツはぼろぼろに破れ、衣服には血が染み込んで鮮やかに赤い。これは誤魔化せそうにないなあと思いながら、砕かれた腕の様子を確かめる。

 右の腕は砕かれ、焼け爛れていたはずなのに、骨は元通りにつながり、新しい肉がそれを覆っている。ためしに動かしてみる。鈍い感は否めなかったが、指がピクリと反応した。背中もとりあえず痛みはないし、最後に直撃を食らった腹の方も、内臓がはみ出ているわけでもなし。なんとかなりそうだ。

 幻を見せられている間に、魔族らしい驚異的な回復力が働いていたようだった。それだけの時間がたってしまったということでもあったが。

 自分の具合を確かめてから、立ち上がる。

 あの夜と同じように、頭に二本の角をはやした姿で。

「蓮ちゃんに怒られる前に、さっさと追いかけないと」

 楽しそうにつぶやく。普段の頑固さに比べて、蓮がとても弱いことを、奏はよく知っている。きっと彼は、ひとりでは立っていられないだろう。

 自分を死に追い詰める前に、生きていくためのささやかな理由がある。理由になる人が、いるから。



 ――だけども。割り切ったと思っていても、揺すぶられてしまった原因は、やはりあるのだと、思う。今でも惑わされてしまった、血に濡れたこの手。相変わらずのこの手。無頼者たちの血ならいいけれど。

 抵抗したのは当然だと思っている。自分たちの平穏を壊した相手を許せないと、今でも思っている。今でも、やつらを殺したのは間違いじゃないと思ってる。そういう時代だった。だからこれが、奴らの、せめて自分自身の血ならいいのに。

 本当は、悲鳴をあげられたってかまわなかった。異形だからと捨てられたって良かったんだ。追いたてられて俺が殺されることになっても構わなかったから、ただ、生きていて欲しかった。だから悲しかった。自分が殺したのかもしれないという矛盾は永遠にそこに立ちふさがるけれど。

 本当に、それだけだったんだ。

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