第4話 後悔はいつまでも3
――お前のせいで。
都雅にぶつけた言葉は、蓮自身にとっても刃になって返ってきている。分かっていて口にした言葉だ。自分に向けられるのが恐くて人に向けた刃だ。
「鬼頭さん……!」
誰かが呼ぶ声がする。でもそれ、誰だっけ?
いつの間にか蓮は座り込んでいた。
無慈悲に照りつける太陽の下、ごちゃごちゃとしたものが転がっている。崩れ落ち焼け焦げて残害と化した家々が。累々と人間が転がっている。地面に横たわったまま、二度と動くことのない人々。
鎧を身につけた人だけでなく、ひ弱な、抵抗する術を持たない人間までもが、死体となって地面に血を垂れ流している。
焼け焦げた家の残骸に、大地に、地面に転がる人々の骸のその背や肩や手足に、無慈悲な矢が突き刺さっている。墓標のように突き出ている。戦場跡だ。
蓮の目の前、折り重なって、倒れている男女がいた。どすぐろい焦げ跡とも血の跡ともつかない中で。まるで何かを守ろうとしたかのようだった。
何かを、守ろうとして死んだかのようだった。
何かを。――誰かを。
誰かなんて、分かってるけど。
蓮はその場に座りこんだまま身動きできなかった。考えることを否定していた。結論にたどり着いてしまえば、耐えられなくなるから。
考えたくなかった。動きたくなかった。どうすればいいか分からなかった。
誰も何も動かない。その目の前に、何かがちらりとよぎった。陰鬱な沈黙の中、一枚の絵のように何も動かない中に、人がいた。背の高い少年だった。
「なんだお前、生きてるのか」
どこか呆れたような声で言った。驚いているようにも聞こえるけど。嬉しそうでもあった。
それはとても懐かしい声だった。愛しい声だった。誰よりも何よりも、彼にとって大切なもの。唯一のもの。
蓮がいた村が戦に巻き込まれ、日常のすべてを失った日に、地獄のようなところから連れ出してくれたのが奏だった。意地を張って動こうとしなかった蓮を見捨てることなく、おぶって連れ出してくれた。生きるための糧を与えてくれた。
奏だって、戦場跡なんて、いい思い出がないはずなのに。物好きな彼が、親にかばわれて生き延びた蓮を見つけてくれなかったら、どうなっていたか分からない。
「もう大丈夫だ」
声に誘われて顔を上げると呑気な顔が笑っていた。無慈悲な風景に似合わず、穏やかだった。
「帰ろう」
手を差し伸べてくれる。その手をとりたかったけれど、応えることができなかった。その前に、差し出された手が、切断されて地面に落ちたから。したたる血と一緒に。
悲鳴が、口からほとばしる。長く尾をひいて、蓮の唇から吐き出され続けている。
――覚えてる。忘れられない光景だ。
出会ったばかりの頃、まだ幼かった蓮は、いじけて奏を困らせてばかりいた。この時も、わがままを言って厄介ごとに巻き込まれた。人買いが横行していた時代だ、どこかに売り飛ばされるか殺されるか、どうなってもおかしくなかった。
蓮を助け出そうとしてくれた奏が、面倒事の巻き添えを食って腕を切られた。胸に刃を突き立てられて。地面に倒れる。
この時も、例の悪い癖のせいで。何よりぼくのせいで。ぼくが、不用意なことをしたせいで。
助けてくれたのに。
ぼくを、守ろうとしたせいで。助けようとしたせいで。
ぼくがここにいるせいで……!
悲鳴が口からあふれるて止まらない。両親を失った時の、焦燥感。そして奏を失うかもしれない、恐怖。地面が崩れていくかのような痛み。
生まれたときは確かに人間だった。戦に巻き込まれたあの日も、まだ人間だった。でも、奏に会わなかったら、絶望の中で死んでいたかもしれなかった。
結局、実際に鬼に目覚めたのはずっと後のことだ。蓮の中に眠る血に気づいていたのか、それともただのお人よしの性分なのか――完全に後者だろうけれど、その時が来たのは奏が蓮を拾って育てて、数年経った頃のことだ。それでも蓮がこうして、彼自身でいられるのは、奏がいたからなのに。
奏がいなければ、蓮は蓮自身の存在する世界から弾き出されてしまう。つなぎとめてくれるものを他に知らない。何より、彼が傷つくのは二度と見たくないのに。
一度目に居場所を無くしたときよりも、ずっと恐ろしい。何の代償も求めず、ただそばにいてくれた人を失うのは。誰よりも大切な人を失うのは。それなのに今だって、ぼくを逃がすために傷ついて。魔道士の少女にあんなことを言ったのだって、自分を逃がすためだと言う事を認めたくなくて。ぼくのためにまたどこかで一人で、傷ついているなんて――!
「蓮」
唐突に耳元で声がした。でも、自分がどこにいるかも分からなくなっていた蓮には、何が起きたのか分からなかった。それが誰の声かも分からなかった。
指に暖かなものが触れて余計に驚き、息を呑んだことで悲鳴が途絶えた。それで彼は、自分がいつの間にか頭を抱え込んでいたことに気がついた。手に触れたものが誰かの手だと分かった。今も変わらず差し伸べてくれる手。握り締めてくれる手。
そして抱きしめてくれる腕。
「蓮ちゃん、落ち着いて。もう大丈夫だから」
血を流して倒れているはずの人の声だと認識した途端、蓮の目は唐突に闇をとらえていた。正確には闇ではなく、夜の色。正確には、現実を。
彼がここに確かにいると認識することは、それほどの効能をもっていた。
「……悪い癖だ」
そうして、後ろから抱きしめてくれる人が誰かを認めてつぶやく、蓮の声にはいつもの力がなかった。笑い含みの声が、耳元で言い返してくる。
「だって俺は大丈夫だけど、お前はそうはいかないだろ?」
出会ったばかりの頃と、同じことを言う。蓮をかばった昔と同じで、傷ついた体をしているくせに。
幻ではなく。
自分の身を投げうって、魔族の盾になって、打ち捨てられたはずの奏が、そこにいた。
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