第3話 後悔はいつまでも2
「お前……」
魔族は、今まで誰もが躊躇した物事に、目の前の傍若無人な少年がまったく動じていないことに意表をつかれていた。彼女は今まで何度も口にしたことを、再び問う。
「分かっているのか。実際にお前の目の前にいるのは、ただの人間なのだぞ。しかも、そこにいる娘の友人だそうではないか」
「そんなこと、知ったことか」
蓮はまったく動じなかった。彼にとって、そんなことはどうでもいいのだ。――極端に言えば、他人なんて。
「ぼくにとって、お前がかぶってる人間なんかどうでもいいんだ。奏に比べれば、そんなの置物と一緒だ」
「しかし、置き去りにしたのはお前だろう」
人の心理など決して理解できないくせに、知り尽くしてはいる魔族が、揶揄するように言った。
「お前はしちゃいけないことをした。物事には、限度ってものがあるんだ」
「わたしが何をするのか、お前はわかっていたはずだ。それでも逃げたのは、お前だろう」
――そうだ。あのバカが、とんでもないお人よしが、自分の命や体を盾にしたがるのを知ってる。
知ってるのに、置いて逃げたのは自分だ。
その気になれば、こんな魔族、どうとだってできる。だけど人を傷つけたくないから、弱いものを、生きようとするものを手助けしたいなんて考えてしまうから、こんなことになる。
今まで無事だったから、これからだってそうとは限らないのに。あの底なしのお人よしは、いつもそうやって自分が傷ついている。蓮と出会ったばかりの時だって、そのせいで死にかけた。あの時の痛みが、奏が誰かのために、自分を投げ出すたび、心の中によみがえる。
何より奏はいつだって、蓮のために、簡単に自分を盾にする。人間を逃がすと言いながら、蓮を逃がそうとしたのなんて、分かりきってる。そんな必要ないのに。
どれだけ繰り返せば気がすむのか。自分も相手も。
――どれだけ後悔すれば、ぼくはあの馬鹿の、馬鹿な癖を止められる?
「ああ、無理だって分かってるさ」
蓮は、誰に向けてでもなく、つぶやいた。
馬鹿な性分だと言うことなど、誰よりも蓮自身が熟知していたことだ。相手も自分も。
――分かってるとも、ぼくが悪いのくらい。
結局最後に、何より腹が立つのは、こうなるのが分かっていて止められなかった自分。
――だからこれは。
再び顔を上げる。もう何もかも吹っ切って、憤慨にまかせて目前の敵を睨みつける。唐突に、まわりの空気が冴えた。
夜が、深く深く、濃くなる。彼のまとう空気が、周りの者に、冬の冷気以外のものを感じさせた。
そして黒く美しい夜の色だった瞳は、金色になっている。
さらには頭上に、長い二本の角――
「お前……」
「鬼……!?」
魔族と崇子が、同時に声を上げた。
場の人々の反応など、やはり意にも介さず、蓮は声を荒げて怒鳴る。
「これはただの八つ当たりだ!」
蓮が声を上げた途端、再び少女が後ろに吹き飛ばされた。
最初の一撃を受けたのは、攻撃されないものと踏んでいて油断したから。今度は驚きと、攻撃の唐突さに防御する暇がなかった。蓮は拳を構えてもいない。本性をさらした蓮の力は、はじめのものより格段に強い。
壁に叩きつけられ、再び打ちつけた頭から血を流した少女に、蓮は容赦なくさらに力をぶつけた。どん、と大きな音がして、少女の小さな体が壁にめり込んで行く。
「彩花っ!」
美佐子が声を上げる。蓮は真正面を向いたまま怒鳴り返した。
「うるさいっ。何もできないんだったら、口をはさむな!」
情け容赦のない正論に、美佐子は思わず口をつぐんだ。でも――
「何もできなくても、友人の心配をしてもいいでしょう? あの子はわたしの友達だもの。傷つけられたら悲しい」
「だったらその意志の力で助けてやれば。あの中にまだお前のオトモダチの意識は押さえ込まれて眠ってる。目を覚まさせてやれば、あいつも出てくるかもしれないしね」
皮肉げに冷たく連が言う。奏という緩和剤をなくした蓮の言葉、一つ一つが刺々しく容赦なかった。
「だいたいなんなんだよ、役立たずが首そろえて。あれを助ける手段がないくせに文句ばっかりさあっ」
相手がおきあがってくる前に、さらにもう一撃、大きな音がした。
壁に亀裂が入り、窓ガラスが割れるほど容赦なく攻撃してから、蓮はようやく顔を部屋の中に向ける。当り散らすような矛先は、立ち尽くしたままの都雅の方へ向いた。
「そこの魔道士お前もさあ、後から出てきたと思ったら、急に倒れたりしてさあ。有名なんじゃないのか」
「……黙れ」
都雅はようやく顔をあげた。溜息をついて、声を絞り出す。
「偉そうな口を叩く以外のことができるんだったら、お前こそ何とかしてみせたらどうだ。攻撃するだけなら誰だって出来る」
「はあ? それはお前だろ。役に立たないくせに出てくるなって言うんだよ。お前のせいで奏がまた、足止めだとかなんとか言って馬鹿なことして!」
――役立たず。
都雅の記憶にはなかったが、助けてくれなんて頼んでもいないのに、自分から窮地に陥ったどこかの馬鹿がいるらしい。
勝手にやらかしたくせに、責任を押し付けられたって、知ったことじゃない。
知ったことじゃないんだけど。
――お前のせいで。
相手の容赦ない眼差しが、必要ないことを思い出させる。長い髪が、ここにいるはずのない人を脳裏に呼び覚ます。
――お前がいるせいで。
いつだって美しくて、気が強くて、気を張っていて、都雅がそばによる隙間などなかった。
殴られるわけでもない。金はあるし、食事を用意するのも、都雅に必要なものを用意するのも、別の人間がやってくれる。地位ある家の者として対面があるから、すべてが機械的に与えられる。
けれど、それだけ。
都雅をいないもののように扱う母親に憚って、誰も自分に笑わない。心からの声をかけない。
一番身近なはずの母親とのコミュニケーションすらうまくとれないせいで、人との接し方など分からなくなった。だから身に持った力のせいだけではなく、その性格のせいで、友達をつくることすらうまくできず……そのうちには、自分から人を避けるようになった。どうせどうにもできないのだから、関わったって仕方がない、と。
ああ、だけども――
「こっちにまで八つ当たりしてくるんじゃねえよ」
今は、そんな場合じゃない。あの人はここにいない。
――何かがおかしい。いい加減にしろ。
言い返した都雅を、蓮は呪い殺すような目で睨んだ。まさに鬼の形相で。
再び唇を開きかけ、止まった。その目はすぐに都雅からそらされる。
壁に叩きつけられた少女が、身を起こしていた。腕と足がへし折れていてうまく立てずに、床の上に倒れた。どさりと音がする。その拍子に、血が木の床へ散る。あまりにも無残な姿。
彼女はため息をつくように息を吐く。そして、手をついてもう一度立ち上がった。
危なげなく起き上がる、そのときには手も足も元通りになっていた。彼女はバランスを崩す事もなく、二本の足で平然と立っている。顔にたれていた血の痕すら消えている。この様子だと頭の傷もふさがっているだろう。一瞬のうちに、すべて癒してしまった。
「わたし自身は痛くも痒くもないが、お前は後悔すべきことをした」
傷ついたのは、少女の体だけだった。魔族自身が傷つくわけでもない。何度も言っていたように。傷を治したのは、立っていられないのが不便だったからなのか。
突然、蓮の表情が強張った。
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