G‐TANK!(ゴーストタンク)‐祖父が戦車でやって来る‐

鳥羽輝人

序章『鉄(くろがね)の眠る大地』

 武器を捨てて、両手を上げる。

 ただ、それだけの行為が――。

「こっちに来いと言ってます、中尉殿」

 笠井かさいの言う通り、こちらを怒鳴りつけながら短機関銃を向けている兵士が、空いた左手で手招きをしている。

「……ああ」

 機十郎きじゅうろうは短く答えると、先頭に立って歩き始めた。

 それに続いて、生き残った中隊の部下達が自分について来る。全員が自分と同じように両手を上げていた。

 武器を捨てて、両手を上げる。

 ただそれだけの行為が……この上ない屈辱だった。

 機十郎は横目で生き残った部下の数を数えた。

 ――十三人……か。

 つい先程まで闘志と殺意に燃えたぎっていた部下達は、一様に魂が抜けたような表情で歩いている。

 いずれもボロボロの軍服を身に纏い、顔も手も煤や血で汚れている。

 ――俺も、あんな顔をしているのだろうか。

「ダワイ! ダワイ!」

 自分達を招いていたのとは別のソ連兵が声を荒らげる。

「今のは分かる」

「え……」

 ソ連兵の言葉を訳そうとした笠井を、機十郎が目で制した。

「『早くしろ』と言った」

「……そうであります」

 笠井は返事をすると、唇を噛み締めた。

 笠井は戦車学校時代から機十郎と付き合いのある、古参の曹長である。年齢は三十五歳。二十代の頃から満洲で商売をし、中国語とロシア語を身に着けている。

 この部隊の中では最年長・最古参の下士官だった。

 機十郎は中隊規模で自分達を囲むソ連兵達の表情をそっと窺った。

 何事か喚きながら銃を向ける兵士達は、皆どこか怯えたような表情をしている。

「あぁ……」

 歩を進めながら、ゆっくりと周囲を見渡す。我が中隊の戦車は全て擱座していた。

 ――よくやってくれた。

 部下達に、自分の手足も同然だった九七式中戦車とその兄弟達に、心の中で労いの言葉をかける。

「ストーイ(止まれ)!」

 ソ連兵の制止を求める声に、全員が足を止める。

 言葉の意味は知らずとも、こちらにてのひらを向けているので何を言っているのかは理解できた。

 やがて、土に汚れた野戦服を着た将兵の中から、汚れの無い緑色の軍服を着た一人の将校が歩み出た。

 年の頃は四十代半ば。骨ばった顔に青く鋭い目を持つ、金髪の男だった。頭には制帽をかぶり、金色の肩章に赤い筋が二本と星が三つ。階級は大佐――恐らく、この部隊の指揮官だろう。

 大佐が無表情のまま言葉を発した。

「『手を下ろせ、部隊を整列させろ』と言っています」

 大佐の言葉を訳した笠井に無言で頷くと、振り返って後ろを歩く部下達に視線を送った。それだけで自分と笠井を除く全員が横一列に整列する。

 機十郎は整列した部下達に向き直り、その疲れ切った顔全てに視線を送った後で、徐に口を開いた。

「……みんな、ご苦労だった」

 部下の全員が一瞬だけ身を震わせたように見えた。機十郎は部下達の反応に眉一つ動かさず、振り返って再びソ連軍の大佐に正面から向き合った。

 大佐はしばし無言で機十郎と目を合わせていたが、ふと後ろを振り返った。視線の先では、一輌の戦車が黒煙を上げていた。

 大佐は小さく唸ると、やがて機十郎をはじめとする捕虜達に向き直って再び言葉を発し、笠井に目配せした。

 笠井は小さく頷くと、抑えた声で大佐の言葉を訳した。

「『お前達の戦車で我々の部隊にここまでの損害を与えられたとは、とても信じられない』と」

「ほう……そうか」

 機十郎はまるで他人事のように返事をした。

 機十郎が率いた戦車中隊は全ての戦車が擱座し、全滅した。しかし、これを撃破したソ連軍戦車部隊の損害も決して小さくはない。

 機十郎が車長として指揮する戦車だけでも敵戦車四輌を撃破した。それも含め、中隊全ての車両が撃破した戦車及び装甲車両の数は十六輌に達する。

 自らの小隊と戦車学校の人員、戦車学校と修理廠からかき集めた戦車で急遽編成した臨時の戦車中隊は、機十郎の予想以上に善戦した。

 ……しかし、それでも敗北した事実に変わりはない。

 ソ連軍の大佐が顎をしゃくって自らのすぐ後ろで黒煙を上げる戦車を示し、口を開いた。

「……『特に、あのスターリン戦車を撃破するとは大したものだ』と言っています」

 帝国陸軍の戦車とソ連軍の戦車は、その戦闘能力において比較にならない程の差がある。

 帝国陸軍の主力戦車である九七式中戦車、通称『チハ』。

 つい先程まで機十郎が乗っていたのは、敵戦車の装甲を撃ち抜く為に高初速の一式四十七ミリ戦車砲を搭載した『新砲塔チハ』と呼ばれる改良型だ。

 しかし、改良型といっても車体と砲塔の装甲は昔ながらのリベット接合。しかも装甲は最も分厚い防盾ぼうじゅんでさえ五〇ミリしかない。高初速の対戦車砲や戦車砲による直射を受ければ、容易に撃ち抜かれてしまう。

 それに対して、ソ連軍の主力戦車であるT‐34/85中戦車。

 工芸品のように繊細で複雑な外観の日本戦車に対し、傾斜した装甲を溶接して組み合わせた鋭角的な車体に丸みを帯びた鋳造砲塔を載せたその外観は、単純でありながらも機能美を感じさせる。

 最大装甲厚九〇ミリの砲塔にはチハの四七ミリ砲を遥かに上回る威力を持つ長砲身八五ミリ戦車砲を搭載し、敵の砲弾を滑らせる分厚い傾斜装甲に身を固めている。

 優れているのは火力・装甲だけではない。最高時速五〇キロを超える高速と幅の広い履帯キャタピラによる高い走破性を誇り、機動性でも帝国陸軍のあらゆる戦車を上回っている。

 機十郎達が迎え撃った戦車の多くはこのT‐34だった。しかし、それに混じって現れた重戦車の姿に機十郎達は戦慄を覚えた。

「……スターリン。スターリン戦車、というのか……あれは」

 独り言を呟くように、機十郎は目の前の大佐に尋ねた。

 大佐は小さく頷くと、スターリン戦車に視線を移す。

 それは異様な戦車だった。形状はT‐34に似ているが車体・砲塔共に一回り大きく、T‐34の八五ミリ砲をも上回る長大な主砲を備えている。凹凸の少ない傾斜装甲で覆われた車体と砲塔は、まるで巨大な岩を削り出したかのようだった。

 IS‐2、ヨシフ=スターリン2型重戦車。

 今や欧州の支配者となったスターリンの名を冠する、強力な戦車だった。

 機十郎はその外観にT‐34と同じ、日本戦車にはない冷徹さと暴力性を感じた。

「……俺達は」

 機十郎は尚も黒煙を吹き出すIS‐2を眺めながら、ぼんやりと呟いた。

 大佐が訝しげに眉をひそめる。

「俺達はスターリンに一矢報いた、ということか」

 機十郎の口元に笑みが浮かぶ。

「……ふッ。ふふッ」

 機十郎はこらえ切れなくなったかのように、大声で笑い始めた。

「ははは……はははははッ!」

 笠井をはじめ、機十郎の部下達は呆気に取られてその様子を見ていたが、やがて吹っ切れたように自分達も笑い声を上げた。

 彼らを取り囲むソ連軍の将兵は、機十郎達が発狂したと思ったのか、戸惑いの表情を浮かべる。そんな中で唯一、大佐だけが表情を変えずに目の前の光景を見守っていた。

「俺達は……スターリンに、一矢報いてやったんだ……!」

 機十郎達の笑い声は、いつしか号泣へと変わっていた。

 声を上げて泣く捕虜達を前に、ソ連兵達が互いに顔を見合わせる。

 そんな中、大佐が機十郎の前に歩み出た。

「ハラショー」

 一言発してから、右手を機十郎に差し出した。

 機十郎は数秒の逡巡の後で、握手に応じた。

「笠井……今のも分かるぞ。俺達を、褒めたんだろう」

 涙を流しながら、うわずった声で機十郎が言った。

「……はい」

 笠井は短く答えると、真っ黒な手で涙を拭った。

 大佐が再び口を開く。笠井は即座にその言葉を訳した。

「『私にもお前の言ったことは分かる』と」

 無表情だった大佐は握っていた手を離すと頬を緩ませ、笑顔を見せた。

「どうか……どうか部下達を丁重に扱って欲しい。そう言ってくれ、笠井」

「りょ……了解」

 笠井は返事をすると、たどたどしいロシア語で機十郎の言葉を伝えた。

 大佐は大きく頷くと、機十郎に声をかけた。心なしか、口調が柔らかくなったように感じられた。

「『そのようにする。お前達は大したものだ。他に希望があれば言え』と」

 笠井の訳した言葉が信じられず、機十郎は涙を拭って大佐の顔を覗き込んだ。

 大佐は大きく頷くと、真剣な表情で機十郎の目を見た。

「ほ、本当か……!」

 大佐はもう一度、大きく頷いた。


 二人のソ連軍狙撃兵に短機関銃を向けられていることも全く意に介さず、撃破された自分の戦車の前に這いつくばる機十郎。その姿を遠目に見ながら、大佐が側にいる笠井にロシア語で語りかけた。

「お前の上官も変わっているな。撃破された戦車の破片が欲しい、とは」

 笠井は数秒の沈黙の後、片言のロシア語で答えた。

宮坂みやさか中尉、戦車を愛する人です。あの人の戦車、あの人の手、足と同じです」

「……ミヤサカ。それがあの男の名か。フルネームは何というんだ」

 大佐は機十郎に対して興味を持ったようだった。

「キジュウロウ・ミヤサカ。あの人の名前です」

「キジューロ……キジュウロウ、か」

 何かに納得したかのように頷くと、大佐は再び機十郎の背中に目を向けた。

「これだ……これが、俺の戦車の……俺の……」

 機十郎は血のにじむ手で引き裂かれた装甲の破片を土の中から掘り出すと、それを胸に抱き締めながら声を上げて泣いた。

「俺の……俺のッ……」

 撃破された戦車の傍らで鉄板を抱き締めて号泣する機十郎を前に、見張りの狙撃兵は戸惑いながら顔を見合わせた。

 衛生兵に手当てを受け、座ることを許された機十郎の部下達は、バツが悪そうに機十郎の後姿から目を背けていた。

 厚さ二〇ミリ、縦二〇センチ、横一〇センチ程の合金の板。戦車から引き裂かれ、剥がされてしまえばただの鉄クズに過ぎない。

 だが、青春の全てを軍務と戦いに費やした二十五歳の青年にとっては、何物にも代えられない青春の証だった。

 昭和二十年、満洲の晩夏。

 大日本帝国陸軍戦車兵中尉――宮坂機十郎みやさか きじゅうろうにとっての戦争が終わった。

 機十郎は戦車の墓場と化した草原で、その背に夕陽を浴びながら一人泣き続けた。

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