第四節:心の記憶、身体の記憶


 斎藤さんに京の街を案内されて数日。

 あれ以来、私は記憶探しをしていない。というのも、隊士さん達は本来の仕事が忙しく私の記憶探しに時間を割くことができないでいた。

 記憶がなく、京の街に不慣れな私は一人で出かけることができない。そのため、ここ数日は深雪さんに琴の稽古をつけてもらったり家事の手伝いをしたりしている。

 そんな日が続いていたある日、近藤さんは私の様子を見に妾宅へやって来た。

「久しぶりだね。元気にしていたかい?」

「はい」

「最近、君の記憶探しに時間を取ることができなくてすまないね」

「いえ、そんなことありません。こうして此処に置いていただけるだけでも幸せです」

「そうかね。そう言ってもらえると助かるよ。だがね、和流君に朗報を持ってきたんだよ」

「朗報ですか?」

私がそう聞き返すと近藤さんは笑顔で頷くと言った。

「ここしばらく忙しかったが明日は藤堂が非番でな。明日は久しぶりに和流君を街に連れて行けるんだよ」

「藤堂さん?」

私は近藤さんから名前を聞いただけではどの隊士さんか分からなかった。おそらく、牢屋に入れられた時にいた人だとは思うけど、一体誰だか分からなかった。

「あぁ、あの時は巡察当番でない幹部達が全員いたからね。誰だか分からないかな?」

「あっ、はい………」

「トシから聞いたんだが、藤堂は君の縄を解いた青年だよ」

近藤さんからそう説明を聞いて、私の身を一番案じてくれた人だと分かった。

「安心したかね?」

ホッとしたのが顔に出たのか近藤さんはそう訊いた。

「あっ、はい。藤堂さんはあの時、私のことを一番気にかけて下さったので」

「そうか。藤堂は気さくで曲がったことが嫌いな青年だからな。斎藤と同じで剣の腕も立つ。安心して記憶探しをしてくれ」

「はい!」

久しぶりに京の街に出かけられることが嬉しくて、明日が待ち遠しかった。


                  *


「あら?」

翌日、朝食を済ませた私は袴に着替えると玄関で藤堂さんが来るのを今か今かと待っていた。

「華さん、準備は万全ですね」

そんな私を見て深雪さんはクスクスと笑っていた。すると、玄関が開く音が聞こえた。

「おはようございまーーす!」

玄関の扉が開く音が聞こえたのと同時に元気のいい挨拶が玄関に響いた。

「おはようございます、藤堂さん」

「うわぁ!? ビックリした!」

玄関を開けてすぐ私がいたことに藤堂さんは驚きの声を上げた。そんな藤堂さんの反応を見て深雪さんはまた笑った。

「華さんは朝から貴方がここに来るをずっと待ってたのよ」

「そうなんですか!? ごめんね、待たせちゃって」

「そんなことないです。久しぶりに街に出られるのが楽しみで私が勝手にここで待ってただけですから」

「そっか」

私がそう言うと藤堂さんは嬉しそうにそう呟いた。

「あの夜以来で、自己紹介まだだったよね? 僕の名前は藤堂平助。今日はよろしくね、和流さん」

藤堂さんはそう言うと私に手を差し出した。

「こちらこそよろしくお願いします」

藤堂さんが差し出した手を握り返すと、骨ばった手が優しく私の手を握り返してくれた。


                 *


 藤堂さんと深雪さんは簡単に挨拶を済ませると、私達は京の街に足を運んだ。

「こないだは四条辺りを見たって聞いたから今日は九条辺りを回ろうかなって思ってるけどいいかな?」

「あっ、はい。地理的なことは分からないので藤堂さんにお任せします」

「了解!」

斎藤さんの時と違い私は緊張することはなかった。きっと、初めて会った時から藤堂さんは私を気遣ってくれたから親しみやすかったのかもしれない。目的地に着くまでの間も藤堂さんは京の街について色々と話してくれた。

「ここが九条だよ」

「ここが?」

目的地は私の想像していた場所と違った。

「四条は人通りが多くて賑やかだったから驚いたかな?」

「あっ、はい」

藤堂さんが案内してくれた九条は、斎藤さんと行った四条と違い人通りは少なく閑散としていた。

「四条と違ってここは繁華街じゃないからね。人通りは少ないんだよ。だから、記憶の手がかりは少ないかもしれない」

藤堂さんはそう言うと辺りを見渡した。

「だけど、その代わりゆっくりと自分と向き合うことができると思うんだ」

「自分と向き合う?」

「四条みたいな人通りが多い所だと何が記憶を取り戻すきっかけになるか分からない。だから、色んなものに目移りしちゃうと思うんだ」

私がそう訊き返すと藤堂さんはそう言った。

 確かに四条に行った時、私は目に映る全てのものが珍しかった。記憶がない今の私には四条は刺激が強かったかもしれない。

「でも、ここは静かな所だから気になるものがあれば、じっくり向かい合うことができると思うんだ。それを手がかかりに何か分かれば良いかなって思ってこの場所を選んだんだ。まぁ、僕の勝手な考えだけどね」

「そんなことないです! すごく嬉しいです! ありがとございます」

私のことを考えて出かける場所を選んでくれたことが嬉しくてお礼を言うと藤堂さんは嬉しそうな顔をした。


                 *


 藤堂さんの思いを無駄にしないためにも私は気になるものはないか目を凝らした。だけど、心に引っかかるものはなく時間が過ぎていった。

「ごめんなさい、藤堂さん。私・・・・・・・・・・・」

「そんな気にしなくていいよ! 記憶探しは始めたばっかりなんだしさ」

九条からの帰り道、私がそう謝ると藤堂さんはそう言った。

「それに、今回はたまたま思い出せなかっただけかもしれないよ?」

「でも―――」

「ねぇ、和流さんは記憶には二種類あるって知ってる?」

「二種類、ですか?」

「うん。僕も昔、人から聞いた話なんだけどね」

そう言うと藤堂さんは昔聞いたという話を思い出しながら話し出した。

「ある男の人が事故で頭を打ってしまったんだ。幸い、命に別状はなかったけど目を覚ましたら奥さんのことを忘れていた。二人は恋人夫婦って呼ばれていたくらい仲が良かったから奥さんは旦那さんに忘れられてしまったことが悲しかったんだって。誰だってそうだよね。好きな人から赤の他人扱いされるんだから」

藤堂さんの話を聞き奥さんの気持ちを思うと私は胸が締め付けられるような気分になった。

「だけどある日、奥さんが街に出かけた時に突然暴れ出した馬に蹴られそうになった。そしたら、記憶がないのに一緒に出かけていた旦那さんは身を挺して奥さんを護ったんだ」

「え!?」

「奥さんも旦那さんも無事だったんだけど、奥さんがどうして自分を助けてくれたのか旦那さんに訊いたら旦那さん何て答えたと思う?」

藤堂さんにそう尋ねられたが、私は分からず首を横に振った。

「『護らなくちゃいけないって思ったら勝手に体が動いていた』って答えたんだって」

「護らなくちゃいけない?」

「失ってしまった。消えてしまった。そう思っているだけで、心と身体にはちゃんと記憶が残ってるんだって。だから、ふとした時に表れるみたいだよ。今回の場合だと好きっていう気持ちや大切な人を護りたいっていう行動だよね」

記憶がないのにどうしてそう答えたのか私が不思議に思っていると、藤堂さんは笑顔でそう言った。

「きっと、和流さんにも今はまだ感じないだけで心の記憶や身体の記憶はあるはずだよ。だからね、焦らなくてもいいんじゃないかな?」

記憶を取り戻せず焦っている私に藤堂さんはそう言って励ましてくれた。

「それに、もしかしたら何も思い出せないっていうのも一つの手がかりかもしれないよ」

「思い出せないことも一つの手がかり ――― !?」

藤堂さんの言葉を復唱するとチクンと頭に痛みを感じた。

「どうしたの?・・・・・・って大丈夫!?」

頭を押さえて立ち止まっている私の側に藤堂さんは慌てて駆け寄った。

「だ、大丈夫です。一瞬、頭痛がしただけですから」

「本当に? 無理してない?」

「はい、大丈夫です。ご心配おかけしました」

「そう。なら良いけど・・・・・・・・・。具合が悪くなったら遠慮なく言ってね」

「はい、ありがとうございます」

まだ心配そうな藤堂さんに笑顔でそう言うと私は藤堂さんの隣を歩いた。

――― あれは一体何だったんだろう?

さっきの頭痛で一瞬、浮かんだ景色。空に届くような高く聳え立つ建物の数々。あんな光景を私は京の街で見たことがない。

 なのにどうしてだろうか? 私は一瞬見たその景色を懐かしくも感じている。

――― もしかして、私は京の街の人間じゃないのかな?

この京の街にはないかもしれないけど、他の場所にはあるのかもしれない。そう思った私は藤堂さんに尋ねてみようと声をかけようとした。

「じゃあ、今日はお疲れ様。あんまり自分を追い込んじゃダメだよ?」

「あっ」

気付いたら私は深雪さんの家に着いていた。

「・・・・・・・・はい、今日はありがとうございました」

藤堂さんも疲れているだろうと思った私は、質問するタイミングを失ってしまった。別の機会に誰かに尋ねてみようと思い、私は藤堂さんの背中が見えなくなるまで見送った。


                  *


「今、帰ったのか?」

玄関で草履を脱いでいると背後から齋藤君に声をかけられた。

「あぁ、ただいま齋藤君。齋藤君は今起きたの?」

「いや、昼頃には起きて少し前まで街に出ていた」

「えっ!? 街に!?」

齋藤君の予想外の答えに僕は思わずそう聞き返した。

「少し不逞浪士の動きが気になってな。巡察場所の開拓をしようと散策していたんだ」

「相変わらず齋藤君って真面目だね。夜勤だったんだから、屯所でゆっくりしてれば良かったのに」

齋藤君らしいといえば齋藤君らしいのだが、真面目すぎて体調を崩さないか時々心配になる。

「そういえば、今日は藤堂がアイツと街に出かける当番だったよな?」

「うん。それがどうかした?」

「アイツの記憶はどうだ? 戻ったのか?」

和流さんのことを心配する齋藤君に僕は驚いた。普段、他人ひとに関心がなく我関せずを貫いているからだ。

「ううん、記憶は戻らなかった」

「そうか・・・・・・・・」

僕がそう答えると齋藤君は、残念そうな顔をした。

「彼女も記憶が戻らない自分を責めていたけど、記憶探しは始めたばかりだからね。慌てないようにって言ったよ」

「そう、だよな。始めたばかりだからな。焦る必要はない」

齋藤君は僕がそう言うと、さっきとは違い少し元気を取り戻した。普段、感情表現が読めない齋藤君がここまで分かりやすい反応をするのは珍しい。きっと、彼女のどこかを気に入ったんだろうと思っていると、

「二人共、土方さんに注意されてるのに警戒解くの早過ぎない?」

沖田君が玄関に現れてそう言った。

「沖田君・・・・・・・・」

「女の子相手だからって油断してると痛い目に遭うかもよ?」

「そんなことはないと思うよ。今日だって記憶が戻らないことを負い目に感じて自分を責めてた。きっと、僕らに迷惑をかけてると思ってるからだよ」

「アイツの性格からしてそうだろうな。俺達が仕事の合間に記憶探しを手伝っていることを酷く申し訳なさそうにしてたからな」

「申し訳なく思うなんて当然じゃない? だって事実、あの子の記憶探しなんて余分な仕事なんだから」

僕と齋藤君が和流さんの擁護をすると不満タラタラの口調で沖田君はそう言い返した。

「本当っ、あの子のどこが良いのか知らないけど二人して腑抜けじゃない? 甘すぎるよ!」

「沖田君!」

僕は自分の部屋に戻ろうとした沖田君の後ろ姿に向かってそう叫んだ。

「僕は彼女と仲良くなりたいと思ってる! 記憶がなくて頼る人が誰もいないんだ。きっと、口には出さないけど心細いはずだよ。だから、僕は年齢も近いし少しでも心の不安を取り除けたらって思ってる。女の子なんだし男として僕は護ってあげたいんだ!」

「あっ、そう。僕には関係ないね。平助の好きなようにすれば? 僕は男だろうが女だろうが身元が分からない人間を二人みたいに信用することなんてできないから!」

僕の方に振り向くと沖田君はそう言って歩き出した。角の廊下を曲がる際に「まったく僕が次の当番かよ」と悪態をついているのが聞こえた。

「きっと、沖田は自分が記憶探しに行くのが嫌なんだろうな」

「そう、だね。・・・・・・・・でも、次の記憶探しは彼女にはキツイかもね」

「あの様子じゃ沖田が何を言うか分からないからな。だが、俺達は仕事だ。どうすることもできない。今度一緒に出かける時にフォローするしかないだろう」

「それしかないね。じゃあ、僕は土方さんに報告してくるよ」

齋藤君にそう言うと僕は今日の報告をするため土方さんの部屋に向かった。

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