第三節:記憶探し


 朝日が部屋に射し込み、朝が訪れたことを告げる。昨日、深雪さんに部屋を案内された後、思っていたより疲れていたのか私はすぐに深い眠りについた。

「華さん、起きてますか?」

「あっ、はい」

襖の向こうから深雪さんの声が聞こえて私は慌てて返事をした。すると、深雪さんはゆっくりとした動作で襖を開けた。

「おはようございます、深雪さん」

「おはよう、華さん。昨日はよく眠れたかしら?」

「はい、お陰様で」

「そう。それは、良かったわ」

深雪さんはそう言うと、綺麗な一反の着物を私の前に置いた。

「これは?」

「これは、貴女の着物よ。昔、私が着ていたものなんだけど良かったら着てちょうだい」

「え?」

「貴女のその格好で街に出てしまうと目立ってしまうわ。だから、これを着てちょうだい。これなら、街に出ても目立たないから安心よ」

昨日、近藤さんから私が浪士に襲われたことを心配してそう言ってくれたのだろう。そんな深雪さんの気持ちを嬉しく思い着物を受け取ると、着方を教えてもらった。すると、玄関から声が聞こえた。

「あら、あの声は―――」

深雪さんは、優雅に立ち上がると玄関に向かった。

「朝早くからお邪魔して申し訳ありません」

「そんな気にしなくて良いわよ」

深雪さんに付いて玄関に向かうと、深雪さんに深々と挨拶をしている斎藤さんが立っていた。

「…………………」

私がいることに気付いた斎藤さんは無言で私を見つめていた。

「………あっ、……お、おはようございます」

「あぁ」

私がそう挨拶をすると斎藤さんは素っ気ない返事をした。

「もしかして、今日から華さんの記憶探しをして下さるの?」

「えぇ、まぁ」

「あら、良かったわね華さん」

「は、はい。よろしくお願いします」

「……………………」

私がそう挨拶をしても斎藤さんは何も言わず、ただ私を見つめているばかりだった。


                  *


 朝餉を終えて、斎藤さんの待つ玄関に行くと、斎藤さんは渋い顔をして私を見た。

「その格好で出かけるつもりか?」

「えっ?」

着付けしてもらった着物で出かけようとすると斎藤さんはそう聞いた。

「どこか変でしょうか?」

私がそう問いかけると、斎藤さんは大きなため息を吐いた。

「あ、あの…………」

「これを!」

戸惑う私に斎藤さんが差し出したのは、大きな風呂敷に包まれたものだった。

「これは?」

「深雪さんに手伝ってもらえ。その格好では出かけられない」

斎藤さんは強引に私の腕に風呂敷を押し付けると、玄関の外に出た。

 私は、不思議に思いながらも斎藤さんに言われた通り、深雪さんに事情を説明した。すると、深雪さんは何か察したようで快く引き受けてくれた。

 深雪さんに手伝ってもらい髪を結直し、着替え終えると斎藤さんの元に再び向かった。

「お待たせしました」

「………………。行くぞ」

斎藤さんは私を確認すると今度は問題ないようで、そう言うと歩き出した。

「えっ、は、はい! 深雪さん、いってきます!」

「はい、いってらっしゃい。気を付けてね」

深雪さんにペコッとお辞儀をすると慌てて斎藤さんの後を追った。


                  *


 斎藤さんの三歩後ろを付いて行く私。斎藤さんは無言のまま前を歩いて行く。私は、そんな沈黙が嫌で恐る恐る斎藤さんに話しかけた。

「あ、あの………」

「何だ?」

こちらを振り向かずにそう問い返す斎藤さん。新選組屯所でも思ったが、言葉数が少なく表情も崩さないので感情が読みにくい。

「い、いえ、別に。何でもありません」

話しかけてはいけなかったのかと思い、口を閉ざすと斎藤さんはこちらを振り向いた。

「何か言いたことがあるのなら言え。それが、お前の記憶を取り戻す手がかりになるかもしれない」

真っ直ぐ私を見つめる斎藤さん。「沈黙が嫌で声をかけただけ」と言えなくなった私は、咄嗟にさきほど疑問に思ったことを尋ねてみた。

「…………そ、その、どうして私は袴に着替え直さないといけなかったんですか?」

すると、斎藤さんは深い溜め息を吐くと教えてくれた。

「婚約も結婚もしていない男女が一緒に表を歩くなどはしたない行為だ」

「えっ!?」

「俺は剣で生きると決めた。当然、結婚はしていない。勿論、お前ともそういう関係ではない。だから、お前には袴に着替え直してもらった」

「そ、そうなんですか!?」

「目的はお前の記憶を取り戻すこと。一緒に記憶を探すなら、男装してもらわないとな。男同士なら一緒に歩いていても何も問題ない」

「しかし、そんなことも忘れてしまったのか?」

「ご、ごめんなさい…………」

斎藤さんにかなり呆れられてしまった。どうやら、私は一般常識も抜け落ちてしまっているようだ。そんな自分が情けなく説明を受けた後、しばらく俯いたまま歩き出した斎藤さんの後を歩いた。だけど、内心は説明を受けたその風習がピンと来ずどこか違和感を感じていた。


                   *


――― 強く言いすぎてしまっただろうか?

 記憶をなくしたと言っていた和流華という少女は、あれから元気をなくしてしまったようだ。

――― しかし、記憶をなくしたといっても一般常識まで忘れてしまうことなんてあるんだろうか?

 世間知らずにも程がある少女の言動を考えながら、俺は迎えに行く前の土方副長の言葉を思い出した。

「斎藤、昨日のアイツの所に行くんだろう?」

「はい。局長、副長命令ですので」

「お前の腕を持てば女一人くらい問題ないだろうが気を付けろうよ」

「どういうことでしょうか?」

副長が記憶がないというだけで、ここまで少女を警戒する理由が分からず俺はそう聞き返した。

「お前も昨日アイツを深雪さんの所に送って行く近藤さんを見ただろう?」

副長は、お前は何も気付かなかったのか?とでも言うように俺の顔を見て言った。

「年頃の女のはずなのに、まるでわらべが父親と歩くかのように自然と隣を歩いてたんだぞ?」

「!?」

そこまで言われて俺は初めて副長が疑問に思っていることを正しく理解した。

「記憶をなくしたからって普通そんな行動をとるか?」

「そ、それは…………」

「ゼロとは言えないかもしれないが、恥じらいもなく年頃の女が自然とそんな行動できるとは考えにくい」

「…………では、副長はあの者の正体は何だとお考えですか?」

「さぁな。それは、俺にも分からない。だから、山崎に頼んで今アイツの素性を調べさせている」

「………………」

洞察力に優れている副長でも正体が分からないとなると、ただの町娘という結果で終わらないかもしれない。もしかすると、最悪な事態を招くことになるかもしれない。

「だから、素性の分からない人間を近藤さんの近くに置きたくなかったんだ」

副長は俺から視線を外し、外を見つめると独り言のようにそう呟いた。その口調から近藤局長の身を案じていることが痛いほど理解できた。

「副長…………」

「だけど、あの人は正しいと思ったらテコでも動かないからな」

副長は困ったわらべの相手をしているかのように呆れた口調で俺に視線を戻すとそう言った。

「まぁ、ここまで心配するのも総司が疑問視していたように異国の格好をしていたこともあるがな。山崎の報告でアイツ素性が分かれば新選組としても動ける。それまでの間、気を抜くなよ」

 副長にそう注意をされ訪れたが、この少女は腑に落ちないことが多すぎる。警戒するに越したことがないと、改めて副長の考えに賛同した。


                  *


 あれから、しばらく歩くと表通りに出た。斎藤さんは立ち止まるとこちらを向いた。

「ここが京の中心地だ。人通りも多いから気付くことも多いだろう。何か思い出したら教えてくれ」

「は、はい」

私は斎藤さんの隣を歩きながら、街や通りを歩く人々を観察した。

 斎藤さんに街を案内してもらってから半刻ほど経った頃、前方から男性の怒鳴り声が聞こえた。

「何かあったんでしょうか?」

「…………………」

「斎藤さん?」

「悪いが少し様子を見て来る。ここで待っててくれ」

しばらく考えた後、斎藤さんはそう言うと人垣の中に消えていった。

 しかし、斎藤さんが気になった私は後を追いかけた。何かあっても巻き込まれない距離を保ちながら人垣に近づくと、そこにいたのは新選組の隊服を着ている沖田さん達だった。

「いってぇーな! 俺が何したんって言うんだよ?」

「何って店員を脅してお金を巻き上げようとしてたよね?」

「何のことだがさっぱり分からねぇーな! 言いがかりを言ってんじゃねぇよ!!」

「じゃあ、なんでこの人の着物が乱れてるのか説明してくれるかな?」

沖田さんは店員さんだと思われる人を指さしてそう問いかけた。

「君がこの人を脅して殴りかかろうと胸ぐらを掴んだから乱れてるんだよね?」

「……うっ!」

「僕らの仕事は京の治安を守ること。君みたいな不逞浪士達からね」

「だ、誰が不逞浪士だっ!」

「はいはい。言い訳は屯所で聞くよ」

反論しようとしたその人に沖田さんはそう言うと、別の隊士さんは不逞浪士を縛り上げ連行して行った。

「壬生狼がまた暴れてたのか」

「あぁ、さっきの男も難義だな。壬生狼に目をつけられるなんてな」

「店にしたら店の前で暴れられるなんて商売上がったりだな」

「本当にね。私たちが何をしたっていうのかしら?」

「憂さ晴らしだよ。憂さ晴らし!」

「不逞浪士と何が違うっていうんだが俺にはさっぱり分からねぇな」

「壬生狼なんて京の街から出て行ってくれれば良いのにね」

その様子を見ていた街の人々は口々に新選組の批難をし始めた。

「おい!」

「さ、斎藤さん!?」

突然、後ろから肩を叩かれ驚いて振り向くとそこにいたのは怒った顔をした斎藤さんだった。

「俺の話を聞いていなかったのか? 確か、俺は待っているように言ったはずだが?」

「ご、ごめんなさい。斎藤さんのことが心配でつい…………」

私がそう言うと、斎藤さんは呆れた様子で溜め息を吐いた。

「あれ? 斎藤君?」

「お、沖田さん!?」

人垣を割ってこちらに声をかけて来たのは沖田さんだった。

「ほら、君達もいつまでここにいるの? こんな所に突っ立っていたら商売の邪魔でしょ!」

沖田さんが野次馬の人達にそう言うと、見物に来た人達は散々になった。

「どうしてこんな所に…………って、あぁ、そういうことか」

沖田さんは斎藤さんの隣にいた私に気付くと意味ありげな顔で私を見た。

「真面目だね、斎藤君。せっかくの休日にこの子のせいで任務なんて」

「えっ!?」

「………………」

思わず斎藤さんの方に振り向くと斎藤さんはこちらを見ず無言で沖田さんを睨みつけていた。

「…………それじゃ、頑張てね斎藤君!」

沖田さんはヒラヒラと私達に手を振ると背を向けて巡察に戻って行った。

「………行くぞ」

沖田さんがいなくなると斎藤さんはそう言って歩き出した。

「……あ、あの!」

「何だ?」

「そ、その………ご、ごめんなさい。私のせいでせっかくの休日を無駄にしてしまって」

「お前は謝ってばかりだな」

私が深々謝ると斎藤さんは呆れた口調でそう言った。

「気にするな。これは勤めだ。それに俺は休日といっても屯所で仕事の書類整理や稽古をしている。特に用があるわけではない」

「………で、でも…………」

「沖田はそうやってお前が困るのを楽しんでるだ。ここでお前が気にしたらアイツの思うツボだぞ」

「………………………」

「それに、ただお前に付き合って街を案内してるわけじゃない。諜報活動の一環も兼ねて街に出ている。何か不穏な動きがあれば早急に対処できる。新選組の利益にも繋がる」

斎藤さんは私の記憶探しは自分にとって無駄ではないということらしい。だから、気にするなと。分かりにくいけど、斎藤さんなりの優しさのかもしれない。

「………はい、分かりました」

私がそう返事をすると、斎藤さんは納得した表情をすると歩き出した。


                 *


 沖田さんの捕り者後、私の記憶探しが再開された。斎藤さんに案内してもらいながら、京の街を彼方此方と見て回った。だけど、見覚えのある場所はおろか私のことを知っている人と会うこともなかった。

 記憶を取り戻すということは、思っていたよりも難しいことなのかもしれない。そんなことを思いながら、私は手がかりになることはないかと街の人々の話に耳を傾けた。

「歩き疲れたのか?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

それから、数刻。俯いて歩いていた私を見て斎藤さんはそう問いかけてきた。

「記憶探しに身が入っていないようだが?」

「…………………」

「少し、休憩にするぞ」

「………はい」

斎藤さんに促され近くにあった茶屋で休憩することにした。

 適当に注文を終えた斎藤さんは、私に向き直ると真剣な顔で私を見た。

「………さて、今度は何に悩んでいるんだ?」

「…………………」

「この質問に対して黙秘は許さない。いくら俺がお前の記憶探し以外の目的も兼ねて付き合っているといっても本来の目的はお前の記憶探しだ。そのお前が、目的に身が入っていないのは困る」

「…………………」

「もし、沖田が言ったことをまだ気にしているなら本当に気にするな。帰ったら俺からも言い聞かせておく」

「…………違います。沖田さんのことじゃありません」

斎藤さんにこれ以上迷惑をかけられないと思い、記憶探しに身が入っていなかった理由を説明することにした。


                   *


「私が気にしていたのは、新選組のことです」

「俺達のこと?」

「はい。私、斎藤さんに案内していただいているのに見覚えのある場所が全然なかったんです。だから、街の人達の話に耳を傾けていたんです。そしたら……………」

そこまで言うと、口を閉ざし再び俯いてしまった少女。ここまで言われたら、何を気にしているのか聞かなくても分かる。

 彼女の疑問はおそらく「新選組は信用にたるものなのか?」だろう。

 先程、沖田が起こした捕り者の一件は既に街中に広まっているようで人々の話題になっていた。また壬生狼が騒ぎを起こした、と。

 新選組の評判は芳しくない。それも、前局長である芹沢鴨の行いのせいだ。彼が商家を恐喝し資金提供したり暴行事件を起こしたりと不逞浪士と変わらない行動をしたことが原因だ。いくら彼一人の行動とはいえ、新選組の局長がしたことだ。それが、新選組の評判に直結し、新選組もそういう集団と思われても仕方がない。

 過去の行いといっても京の人々の中にはその行いで心に傷を負った者も多い。“過去の出来事”で片付けることができないことは俺達新選組も重々承知している。おまけに、京の人間は幕府嫌いの長州贔屓だ。俺達が目障りなのだろう。だから、俺達の評判は京の人々には良くない。

 今度は俺が悩む番だ。この少女の誤解をどう説明して解いたら良いのだろうか? 言い訳に聞こえてしまわないだろうか? そんなことを考えていると予想外の答えが返ってきた。

「………………どうして、京の人達は新選組を悪く言うんですか?」

「えっ?」

俺は思わず声に出して驚いてしまった。

「新選組の人達は京の治安を守る立派な仕事をされてます! それなのに、不逞浪士と同じ扱いなんて酷すぎます! おかしいと思います!」

――― まさか、俺達の心配をしていたのか?

 予想外すぎる答えに俺はしばらく言葉を失っていた。

 俺達のことを悪く言う人間は大勢いる。俺達の悪評を聞き、何も知らないのに毛嫌いされることは何度もあった。だから、後世には新選組の真の姿は伝えられず、悪徳集団として伝わるのではないかと思っている。

 だが、この少女は違った。大抵の者なら京の人々の話を聞き、新選組とはそういう集団と思うだろう。ましてや、この少女は昨日、沖田に酷い目に遭わされたのだ。そう思っても仕方がないだろう。

「どうしてそう思うんだ? 昨日のことを忘れたわけじゃないだろう?」

新選組を好意的に捉えている少女が不思議でそう問いかけた。

「確かに、昨日のことは濡れ衣ですし、酷いと思います。でも、だからって新選組が悪い集団だとは思いません。こうして身元の分からない私を引き取って下さっています。もし、新選組にあの時見捨てられてしまったら私は途方に暮れていたと思います」

昨日のことを思い出しながら少女は話を続けた。

「それに、あの時沖田さんが私を捕らえたのは京の治安を守るためですよね? 見たことない格好。怪しい人物じゃないかって。理由が分かれば仕方がないのかもってと思うんです」

――― この少女は一体……………

俺は、少女の理由を聞き驚きを隠せないでいた。

「でも、だからと言って怖くなかったわけじゃないですよ? 正直に言ってしまえば沖田さんは苦手です」

その後、少女は少し申し訳なさそうな口調で一言添えてそう答えた。その答えを聞くと少女らしいと思う。話にひと段落すると、タイミングよく注文した団子と茶が置かれた。俺達は冷めない内にと団子と茶を食した。


                   *


「でも、どうしてそんな質問をしたんですか?」

斎藤さんの質問の意図が分からなかった私はそう質問した。

「………お前みたいに俺達を好意的に見てくれる人はこの京の町では少ないんだ」

斎藤さんはそう言うと、これまでの新選組の所業について話してくれた。主に、前局長・芹沢鴨という人のせいで評判が悪いと。

「だからと言って、お前に新選組に敵対心を持てと言ってるわけではない。ただ、昨日のことと今日の噂話を聞いてその考えに至った理由が知りたかっただけだ」

「人の噂って良くも悪くも尾ヒレがつきますよね? だから、私は自分の目で見たもの、知ったことしか信じません」

「!?」

気まずそうにそう説明した斎藤さんにそう言うと今度は驚いた顔をした。

「噂って捻じ曲げられてることの方が多いから、物事の真実や本質が見えにくいことが多い気がするんです。だから、自分で判断して見極めたいんです」

「…………………」

「もし、自分で見聞きしたもので判断を誤ってしまってもそれは自己責任です。でも、人の噂に振り回されて傷つかなくていい人を傷つけてしまったり、逆に自分が傷つくのも嫌なんです」

「………………お前は、男みたいな考え方なんだな」

言葉を失っていた斎藤さんは、しばらくするとそう言った。

「えっ!? それって、女の子らしくないってことですか!?」

「いや、決してそういうわけでは……………」

私がそう言うと斎藤さんは慌ててそう言った。

「だが、女は男に付き従うことが美徳とされている。だから、女の身で自分の考えを持ち意見するのは珍しいと思ってな」

「やっぱり、女の子らしくないんですね………。私、そんなことも忘れてるなんて…………」

記憶がなく、女性としてはしたない行動をしてしまったことにショックを受けた。

「いや、俺は己の考えを持っていることは悪くないと思う」

「でも…………」

「新選組の悪評は気にするな。俺達は慣れている。己の目で見たことを信じるなら、己の目に写ったものだけを信じて欲しい」

斎藤さんは自分の言動を気にしている私に優しくそう言うと空を見上げた。

「そろそろ帰るか。日が沈む頃だ」

「はい」

斎藤さんにならって私も立ち上がると、ふいに私を斎藤さんは見つめた。

「悪評には慣れてはいたが、やはり褒められると嬉しいものだな。感謝する」

一瞬、微笑んだ斎藤さんの顔は昨日までのイメージを覆すものだった。

――― 少しは仲良くなれたのかな?

そんなことを思いながら、斎藤さんの後をついて帰路に着いた。


                  *


 屯所までの帰り道、俺は先程の少女の行動を思い出していた。

「今日はありがとうございました」

「あぁ」

俺は玄関まで送り届けると、そのまま少女に背を向けて屯所に向かい歩き出した。

「斎藤さーーん!」

「ん? ――!?」

大きな声で呼ばれ振り向くと、夕日に照らされたその光景に驚いた。

「気を付けて帰って下さいねーー!!」

大声でそう叫びながら、笑顔で俺に向かって大きく手を振っている少女の姿があった。俺はその光景にどう対応したら良いか悩んでいると深雪さんが姿を現した。深雪さんは少女に何かを伝えると少女は驚いた後、肩をガクッと落としてしまった。

 距離があるため二人の話し声は聞こえないが、少女の様子で大体のことを察することができた。

 今度こそ、俺は少女に背を向けると屯所に向かった。

――― まったく、アイツには驚かされてばかりだな。

先程の行動は女性としては大問題だ。女性は男を立て、お淑やかであることが求められている。そのため、親にもそう教えられ年頃になるとそれが身についているものだ。

 しかし、少女はわらべのように無邪気に手を振ったのだ。おそらく、深雪さんに外で女性が大声を出すことは、はしたないことだと教えてもらったことだろう。そして、それを知りそんな一般常識を忘れていたのかと少女は嘆いたに違いない。

 常識を忘れてしまった少女。そんな彼女を面白く、悪くはないと思っている自分がいることに内心驚いていた。

――― 新選組に仇をなす人間ではなさそうだな。

そんなことを思っていると、俺は屯所に着いていた。

 屯所に戻ると、俺は土方副長に報告するため真っ直ぐ副長室に向かった。

「土方副長、斎藤です」

「入れ」

土方副長の了解を得ると俺は部屋に入り障子を静かに閉めた。

「で、どうだった?」

書類を片付けながらそう問いかける副長に俺は報告をした。記憶が戻らなかったこと。京の人間ではない可能性が高いこと。新選組に害悪を与える人間ではなさそうなことを。

「不思議な点は多々ありますが、彼女まるで武士のように自分の考えを持つ人物でした」

「………………武士、か」

俺がそう報告を終えると、副長はそう呟いて俺の方を振り返った。

「斎藤、油断はするな。アイツのことは、まだ分からないことだらけなんだ」

「……………………」

「どんなに立派な考えを持っていたって人間なんて誰でも叩けば埃は出るんだ。状況が分かるまでは簡単に警戒は解くんじゃない。たとえ、相手が女であってもな。いいな?」

「…………御意」

「報告ご苦労だった」

副長はそう言うと再び机に向かい仕事を始めた。俺は一礼すると静かに部屋を後にした。



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