岸に寄せる夢 -新選組彼此異譚-

巴乃 清

第一夜 洛陽動乱

 暑い日だった。

 ここ数日は雨模様が続いていた。今は雨も止んで時折月が見えているが、雲は相変わらず多かった。

 ただでさえ茹だるような洛陽の暑さは、五つ時(注:午後九時頃)を過ぎても治まらない。濡れた地面から熱気が立ち上り、体に纏わりついてくる。それが余計に、焦燥感を煽る。

 縄手通なわてどおりはまだ人がいて、自分たちの姿を見ると町民たちがぎょっとした顔をして振り返り、声を潜めて顔を突き合わせ、言葉を交わしている。

「なんや今日はえらい恰好したはるなぁ」

「いつもの見廻りやないんやろか。なんぞあったんかもしれへんな」

 こそこそと言葉を交わす京雀たちにぎろりと目をやる。が、構っている余裕は無い。

(これじゃ意味無ぇな)

 敵に気取られないようにわざわざ普段の見廻りを装って、祇園社(注:現在の八坂神社のこと)に集まってから持ち込んだ武装を整えて出てきたのだが、思ったより探索に時間がかかり過ぎている。町民の耳目を集め、噂話に花が咲いている。これでは敵にも筒抜けだろうが、最早そんなことにかかずらわっている段階でも無かった。

 越房、小川亭、井筒屋、丹虎……片っ端から宿という宿に押し掛け御用改めを行ったが、空振りが続く。

(空振りなのか、それともがはずれをひいたか)

 雨が止んで風が強くなるようなら、あいつらの作戦が決行される恐れがある。祇園祭に浮かれる都を混乱に陥れるのは、そう難しいことではないだろう。早く。早く不逞浪士どもを見つけなければ。

 気ばかり焦る。

 祇園社からここまで、普段の足取りなら小半時(注:約30分)もかからない道のりを、たっぷり一刻(注:約2時間)以上はかけて虱潰しに調べを続けていた。二手に分かれて探索を続けているが、事前の調べで怪しいとされ、調べるべきと決定した箇所は四十を超えているのだ。

「見つからねぇな」

 焦りと暑さで流れ落ちる汗を袖で拭う。着込んでいる鎖帷子は四斤(注:約2.5kg)ほどの重さで、熱も籠もり動きも少なからず制限され、体力をどんどんと奪っていく。加えて京という盆地の暑さは、いくら同じ盆地とは言え、東国生まれの身には堪える。

「よし、次へ行くぞ」

 振り払うように声を上げた時だった。

「土方副長!」

 首を袖で拭いながら、隊士が呼び、向こうを指差した。見ると、木屋町通を行っていた別動隊の隊士が息を切らせて駆け寄ってきたところだった。それを見て、察した。

「! 木屋町だったか」

 伝令の隊士は息を乱しながら応える。

「はい、敵は池田屋です。二十人近くいます」

 聞いた瞬間、全身の血が泡立つようだった。

「よし、おまえら池田屋だ。急ぐぞ」

 土方の一声に隊士たちはおうと返事をし、三条大橋へ急ぐ。

(無事でいろよ)

 池田屋に乗り込んだ隊は総勢十人だ。相手の数の方が多い。倍近くもいるのであれば、一刻も早く駆けつけなければ。

 大橋の擬宝珠ぎぼしが、いつもより薄暗く不気味に鎮座しているように見えた。鴨川は雨で水嵩が増え、ごうごうと音を立てて流れている。それが、耳目を不安で覆ってくるようで、土方は首を犬のようにぶるぶると振った。

 橋が長く感じられる。腰に差す刀の鍔を左手で押さえつつ、彼らは走った。

 川を渡りしばらく行ったところに、池田屋がある。いつもは煌々とついているはずの、二階の明かりが消えているのが見てとれた。恐らく敵方が消したのだろう。襲撃者から自分たちの姿を見えなくし、少しでも身を守る為だ。月もろくに見えない闇の中で明かりを消されては、互いに殆ど見えない。浅葱色の羽織は白く浮いて見えるだろう。味方同士がわかるのは良いが、敵に目印にされては厄介だ。

 嫌な想像が脳裏に浮かんだ時だった。

「えいっ」

 闇を切り開くような、よく通る気合の声が屋内から聞こえた。

(かっちゃんの声だ)

 剣術やっとうの稽古で聞き慣れた、紛れも無い近藤勇の掛け声だった。

(取り敢えずかっちゃんは無事だな)

 蟀谷こめかみから汗が滴り落ちる。

「よし、まず周りを囲め。逃げて来る者は捕らえろ」

 声を張って指示し、自分も刀を抜いた。裏口へ回ったところに、男が戸を蹴倒して飛び出てきた。返り血で汚れた男は、必死の形相で土方に斬りかかって来た。

「そこを退け!」

 怒声と共に上段から振り下ろされた刀を、土方は素早く刀を構えて受け流す。

「やっ」

 掛け声と共に相手の刀をしのぎで強く弾く。男は堪らず刀を取り落とした。そこを躊躇せず斬り上げる。しかし足を狙って手加減はした。崩れ落ちる男に素早く切っ先を向け、刀を拾えないように威嚇する。すると男は、土方を睨み据えながらじりじりと下がった。丁度そこへもう一人が外へ飛び出て来る。土方がそっちへ気を取られた隙に、最初の男は脱兎のごとく駆け出した。

「追え! 捕まえろ!」

 後方にいた仲間に指示を出しつつ、二人目の男に峰打ちを食らわせた。

「大人しく刀を捨てろ。手向かいしなければ命まではとらん」

 悔しげに土方たちを見たまま、男はおずおずと屈み刀を地面に置いた。土方が指示を出すまでもなく、すぐに隊士たちが縛り上げる。

 それを見て取ると、土方は刀を構えたままゆっくりと中へ入った。今出て来た男たちにやられたのだろうか。数人の隊士が傷を負って倒れている。

「怪我人を頼む」

「はいっ」

 後を手の空いている隊士に任せると、警戒を怠らず摺り足で奥へ進んでいく。汗が目に入る。鉄の臭いが鼻につく。

 奥で、鎖を着込んだ肩を上下させつつ、一人の男が刀の血振りをしているのが目に入った。

「近藤さん」

 土方は構えを解いて右手に刀を下げ、彼の元へ駆け寄った。

「大丈夫か」

 近藤は力強く頷いた。

「ああ、大事だいじ無い」

 土方はほっと息をつく。釣られるように、近藤も深々と息を吐き出した。

「あらかた終わったな」

「そうだな」

 自分も刀を鞘に納めながら、臭いに噎せ返りそうになりつつ、辺りを見回した。左手を思わず口元にやる。呻き声も途切れとぎれに聞こえている。

 近藤はてきぱきと隊士たちに指示を出し、怪我人の手当を捕虜の捕縛、状況の報告をさせた。結果、9人を討ち取り、4人を捕縛した。数人が逃げているが、既に追っ手をかけている。

 そうこうしている内に会津藩兵なども応援に駆けつけたので、近藤と土方は帰陣の準備にとりかかることにする。

「総司、大丈夫か」

 先程まで昏倒していた沖田総司が、土方の介抱で気がついたものの、壁に凭れて座り込んでいる。

「すみません。暑さで眩暈めまいがしちゃって」

 暗くてよく見えないが、かなり憔悴しているようだ。

「この暑さだ。仕方ねぇ。そんな状態でよくやったよ」

 ねぎらうと、沖田は苦笑いしながら立ち上がろうとした。

「おい、誰か戸板を持って来い」

「いや、大丈夫です。歩けます」

「馬鹿言え。足がもつれてるじゃねぇか」

 どうも貧血を起こしているようだ。

「おとなしく戸板に乗れ。屯所帰ったら甘酒でも飲んで休め」

「……はい。申し訳ありません」

 沖田を外へ出し、溜息をつく。

「怪我人は四人か。奥沢は駄目だった」

「そうか」

 近藤は眉をひそめて頷いた。

「これだけ人数がいれば向こうも来ねぇだろうとは思うが、万が一闇討ちされても適わねぇ。夜が明けるのを待ってから屯所へ戻ろう」

「そうだな」

 ふたりは顔を見合わせて頷き合った。まだ昂ぶりが収まらなかった。


 翌日の昼。新選組は屯所に帰還した。多くの野次馬が集まり、彼らの姿を眺めた。

「長州様が御所に火ぃつけようとしはったなんて、ほんまかいな。そんなん、壬生浪みぶろのでっちあげちゃうん」

「さぁどうやろ。池田屋さんではかなりの量の武器や火薬を隠し持ってたらしいから、ほんまかもしれへんよ」

 口さがない言葉には構わず、隊士たちは堂々の凱旋を果たした。

傷 を負い、刀も曲がり、鞘に納まらずに手で下げて持っている者もいる。だが皆汚れているなりにきっちり身なりを整えて、すっかり武士のような様子である。まるで、忠臣蔵の赤穂浪士のようだった。


 屯所に帰った後は屯所を守っていた隊士たちと協力して、休む間もなく会津や奉行所と諮り見廻りを強化し、徹底的に残党狩りを行うことになった。

 戸板に載せられて真っ青な顔で沖田が戻ってきた時には肝を冷やしたが、少し休むとすぐに回復したようだ。顔色はまだ優れないものの、すぐに任務に復帰することになり、いつものように組下の者に明るく声をかけてとりまとめる。

「さぁ、そろそろ行きますよ」

 沖田は皆を見回した。そしてふっと吹き出した。

「柄元さん、なにをぼんやりしてるんですか。行きますよ」

 肩を揺すられた。

 周りにいた隊士たちも大笑いをする。

「待ち疲れたからってまさかおまえ寝てたのか? 豪胆な奴だよ」

 立ち上がって、着物の上から渡された羽織を着る。汗の臭いが鼻についた。羽織紐を結び背に回す。腰の大小を確かめる。準備が整ったのを見てとり、沖田がすっと表情を改めた。

「さぁ、行きますよ」

 沖田の声に呼応し、隊士たちは再び京の町へ出た。

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