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 * *





 黄昏の迫る庭園にはたくさんの人がたむろしていた。至る所にテーブルが置かれ、真っ新なテーブルクロスが掛けられ、様々な料理や飲み物が乗せられている。

 その間を縫うように歩きつつ、アデレードはまわりをこそこそと検分していた。談笑する人々に特別見知った顔はない。つい引き寄せられてしまう蜂蜜色も見当たらない。楽しそうな招待客の中、ひとり取り残されたような錯覚を覚えてまるで壁の花の気分だ。すぐ溜息をつきたくなるし胸の片隅に居座るお嬢さまも折に触れて存在を主張してくる。もう到着しているだろうか。

 本来ならば学生時代の憧れの人とお近づきになれたのはもっと喜ばしいことのはずだった。だがウィルトールが絡んでくるとなると話は別だ。ローディアが本当は昔話をする気がないことくらいアデレードも充分わかっているし、根掘り葉掘り聞かれるだろう未来に思いを馳せるとどうしても複雑な気持ちになってしまう。


 空も木々も何もかもが黄金色の光に染まっていた。楽団の奏でる明るい調べをどこか別世界のもののように感じながら、手近なテーブルのそばで足を止めた。何気なく本館を振り仰ぎ、先ほどまでいた〝暁の間〟はどこだろうと眺め──アデレードは深く息をついた。手にしていたポーチを胸に抱き締める。今日受け取った手紙は何もローディアからだけではない。


 ──宵の鐘の頃、東屋ガゼボの下。



別邸ここにガゼボなんてあったかしら」


 文面を読んで真っ先に出てきた言葉がそれだった。

 横から覗きこんだアネッサとディートも怪訝そうに顔を見合わせていた。曰く、数週間滞在しているがそんなものは一度も見たことがないと。ただ、敷地内をくまなく探索したわけではないようで、


「もしかするとわかりにくいところにあるのかもしれないね。嘘をつく子じゃないもの」

「庭園の端にアーチがあることなら知ってるの。中に長椅子が置いてあってちょっとしたガゼボに見えなくもないけど……そこではないのかしら」

「わざわざ〝本館の裏手〟とあるからねぇ」


 三人でしばらく頭を悩ませたが結局はお手上げ状態で部屋を失礼してきたのだった。役に立てず申し訳ないと頭を下げられ、逆に恐縮してしまったアデレードである。




 先に下見をしておいた方がいい気がした。場所がわからないままそわそわヒヤヒヤ時を過ごすよりちゃんと確認しておいた方が安心できる。

 そうとなれば善は急げだ。意気込んで一歩を踏み出した瞬間、


「アデレードじゃん」


 聞き覚えのある声が飛んできた。思わずむっと眉間にしわが寄る。

 振り向けば予想した通りの人物がそこにいた。短く揃えた金の髪に夏の海の色をした碧色の瞳。喧嘩友だちと言っても過言ではない幼馴染セイル。驚きの色を滲ませていた彼の双眸は次いで訝しげに眇められた。


「なんでお前も来てんの?」

「来ちゃいけなかった?」

「なんでって思ったからそう言っただけだろ。お前こそすぐぎゃんぎゃん噛みつくなよな」

「誰が、いつ噛みついたのよ! 人聞きの悪いこと言わないでほしいわ」


 半眼を閉じ、本当に嫌そうな顔を向けてくる幼馴染にアデレードの眉尻も上がる。

 よりによってセイルと会うなんて。主催側の人間だからもちろん出席していて当然とはいえ、十人に聞けば十人ともがこういう場に一番相応しくない人として四男セイルの名を挙げると思う。顔立ちは整っているし背も高いから黙っていれば格好いいのに、口の悪さが全てを台無しにしてしまっている残念男だ。

 そのセイルはアデレードとの会話をさっさと終わらせることにしたようで、あたりをきょろきょろ見回していた。と思うと再び「なあ」と呟いた。


「飲み物置いてるとこ知らねえ? 酒じゃなくてジュースとか」

「どうしてわたしに聞くのよ」

「知らねえなら別にいい」

「……向こうで見たわよ」


 離れたテーブルを指差すとセイルの顔がにわかに明るくなる。

 短く礼を述べあっという間に小さくなった彼は早速品定めを始めた。控える使用人にあれこれ聞きながら選ぶ様をしばらく無言で見つめていたアデレードだったが、


「ねえ、ここに東屋ガゼボがあるって聞いたんだけど」


 歩み寄りながら声をかけた。彼は「がぜぼ?」とわかりやすく眉間にしわを刻んだ。


「……って、なに?」

「壁がなくて柱と屋根だけの建物っていうか……中に椅子があったりして休憩できるところ。フォルトレストの、小母さまのお庭にもあるじゃない」


 身振り手振りをまじえて説明し終える前に、セイルの「あー」という声がかぶる。だがあごに手をやり訝しげに宙を睨むその面持ちを見るに、本当に理解して出た声なのかは疑問が残った。セイルの場合、その場しのぎの返答という可能性が大いにある。というかそうに決まっている。

 わざとらしく深い溜息をついてみせるとアデレードは片手を額に当てた。


「もういい。聞いたわたしが間違ってた」

「……そのガゼボが、なんだよ」

「知ってたら教えてほしかったの。あとでウィルトールと待ち合わせてるから」

「多分あれだと思う」

「は?」


 使用人からグラスを受け取ったセイルは、むすっとした顔でアデレードを見下ろした。


「ついてこいよ。オレが思ってるやつとお前の言うやつが同じかは知らねえけどな」





 * *





 ヴィーナ湖の南側を取り囲むように連なる山々。その中腹にあるウィンザールの別邸は湖を臨むように建てられている。つまり本館の裏側にあるのは山の斜面、広がるのは鬱蒼と茂る森である。

 街路樹のごとく連なる木立と建物の間をふたりは足早に歩いていた。

 楽の音はいつしか聞こえなくなった。主会場からどんどん離れていくセイルに不安がないと言えば嘘になる。さっきの説明で彼が本当に理解したのかいまいち信じきれないし。

 とはいえセイルの足取りに迷いはない。グラス片手に黙々と歩いていくその背をアデレードは追いかけるしかない。


「ねえ──」

「お前、場所がわかったらすぐ戻れよな」

「……言われなくてもそうするつもりよ。そうじゃなくて、そのジュースのことなんだけど」


 むっと眉間に力を籠めながら彼が手にしたグラスを指した。きょとんと瞬いたセイルはグラスを一瞥し、話の続きを目で促してくる。


「それ、桃の果汁よね。甘いのは好きじゃないって言ってたのは誰?」

「……あー。いいんだよ、これで」

「よくないわよ、全然飲んでないじゃない。貸して、違うのを取ってきてあげる」

「いいって。ほら、あそこから行ける」


 強めに吐かれた声が、戻りかけたアデレードの足を止めた。彼の指差す方向に視線を投げると木立が途切れている箇所がある。その薄暗い分かれ道は獣道のように狭くて細くて、もしここにいるのが自分ひとりだったならこのあと取る行動は間違いなく〝まわれ右〟だ。

 けれど薄気味悪く見えたのは始めだけだった。大きくカーブした小径こみちを道なりに進むと視界はすぐに開けた。

 辿り着いたのは猫の額ほどの広場。片側は崖で、そのすぐ下は金色に輝くヴィーナ湖である。せばまっていく広場の奥には湖と山裾に挟まれるように小さなガゼボが建っていた。

 足は自然と止まった。一直線に向かうセイルの肩越しに人影が見える。逆光になってよくわからないけれど──目を眇めていると当人が立ち上がった。薄地を重ねたハイウエストのドレスが夕風にひらめいた。


「セイルさん」


 小鳥の囀りのように透き通った声が耳朶を打つ。


「座ってろって」

「でも……」

「場所が知りたいって言うから案内してやっただけ」


 ガゼボの柱をセイルが軽くノックした。小首を傾げ何か考えていたふうな小柄な影はやがて彼の元に歩み寄った。揃って振り返ったふたりの姿にアデレードの胸が跳ねた。眩しい夕陽をちょうどセイルが遮る形になり、ようやくの姿をしっかり捉えられた。

 端的に言って〝美少女〟だった。

 薄い金色の髪はひとつにまとめているおかげで顔の小ささが際立っている。つぶらな瞳に覆いかぶさる長い睫毛やくっきりと線を描く二重まぶた、桜の花びらのような小さな唇──子どもの頃に憧れたおとぎ話のお姫さまが確かこんなふうではなかったか。あるいは絵本に登場する精霊が。髪も目も口も何もかも、全てがアデレードの持ち得ないもの。

 セイルは結んだ拳の親指でアデレードを指した。


「こいつは幼馴染のアデレード。で、こっちは……前に縁談の話があっただろ。あれの、」

「縁談!?」


 前半部分は少女に向けて、後半部分はアデレードに向かって投げられた説明を、アデレードは自身の裏返った声で遮った。

 セイルの縁談といえば忘れたくても忘れられない一件だ。早とちりからウィルトールの元に押しかけ、かなり恥ずかしい思いをした。


「でもセイル、あの話は──」


 なくなったんじゃなかったの、そう続けようとして口を噤む。そわそわとどこか居心地悪そうな様子を見せる少女の手前、なんとなく口にしづらい。




 ──くだんの縁談には続きがあった。


 というのも最初の顔合わせでセイルがらしい。その何かがなんだったのか、人伝ひとづてに聞いただけのアデレードには最後までわからずじまいだが、結局は破談の運びとなり事情説明のために何故かウィルトールが駆り出され……、張り切って準備したお茶会は急遽なくなってしまったのだ。本当にいい迷惑だった。

 むくむくと湧いてきた不満の気持ちもこめてめつけると、向こうからも苦虫を噛み潰したような顔が返ってきた。


「……事情が変わったんだよ」

「なによそれ。どういうこと?」

「どうだっていいだろ」


 いつになく不機嫌そうなセイルの隣に視線を移すと少女と視線がぶつかった。彼女は両手を前で揃え、あたふたと頭を下げた。


「カレンフェルテと言います。あの、どうぞよろしくお願いします」

「え、あっ、こちらこそ……」


 ついつられて同じように頭を下げる。顔を上げれば数段高い位置にいるはずの彼女の目線の高さはちょうど同じだ。再び目が合い、とりあえず口角を上げてみれば少女の方もはにかみながら微笑を浮かべた。


「それでどうなんだよ、お前の言うガゼボってこれ?」

「多分……。ガゼボって他にはないの?」

「さあな」


 ぶっきらぼうにセイルは肩を竦める。その面持ちを見る限り嘘をついてるようには見えなかった。アネッサたちの話を鑑みても、おそらくここで間違いはなさそうだ。


「案内ありがと。助かったわ」

「お前らはいつ来んの?」

「宵の鐘が鳴ったら、かしら」


 ふーんと相槌を打つセイルの目が半眼に閉じられた。僅かにそっぽを向いた幼馴染とその隣に軽く会釈をし、アデレードはきびすを返した。

 木立の道に入る前にちらりと振り返る。ガゼボの中で長椅子に腰掛けるカレンフェルテと、彼女にグラスを差し出すセイルがシルエットになって見えた。





 * *





 本館が見えてきてようやくアデレードは歩調を緩めた。振り返れば鬱蒼と茂る木々の向こうに金色の光に溢れた光景が見える気がする。セイルと、そのセイルの肩にも届かない小柄なカレンフェルテの姿が。

 一体いつから──いつの間に。

 恋愛どころか人を思いやることすら頭にないはずのセイルの突然の変わりっぷりには未だ狐につままれたような思いだった。縁談とはそれだけの力があるものなのか。

 驚きと、未だに信じられない思いと、ほんの少しの焦燥感と。押し寄せる感情の洪水に圧倒されている。




 風が梢を鳴らし、あたりの熱を奪っていく。天の彩りは金から朱へと移り変わろうとしていた。

 木立の道を抜けたアデレードは深々と息を吐くとまっすぐ顔を上げた。庭園はもうそこだ。セイルのことは今は横に置いておこう。

 薄暗い中、人々の話し声や食器類の鳴る音がだんだん大きくなってくる。漏れ聞こえてくる円舞曲ワルツのリズムやぼんやりと明るい建物の向こう側を見つめていると心は自然と浮き立つ。ウィルトールは見つかるだろうか。

 刹那、視界は不意に暗転した。


「きゃっ!」

「わっ」


 軽い衝撃とともに降ってきたのは男性特有の低い声。弾かれるように後ずさったアデレードはそのぶつかった相手を見上げ、思い切り顔を歪ませた。


「あなた──!」


 長身かつ端正な顔立ち、薄暮の中でもわかる柔らかな茶色の髪。〝こんなところで会うとは思っていなかった人その二〟だった。きょとんと瞬く青藍の瞳はほどなくにっこり綻んだ。


「やあ、また会えたね。やっぱり運命なんだな、おれたち」

「違うったら! 寝言は寝てるときに言ってください!」

「今日はちゃんと起きてるし、きみのこともちゃあんと覚えてるって。安心して」

「できるわけないでしょう!?」


 見目よい笑顔は何にもまして胡散臭い。

 あの失礼男がなぜここにいるのだろう。そう思ったそばから全然おかしくなんかないじゃないともうひとりの自分が答える。先日の「ローディアが出席する茶会にいなかったか」というあれは、言い換えれば彼自身もお嬢さまと同等の身分であるということだ。

 これこそ噛みつく勢いで唸っていると青年はますますにこやかに目を細める。その笑顔がさらにアデレードのかんに障る。


「何がおかしいんですか」

「いや、髪を上げると雰囲気変わるなぁと思ってさ。そのドレス、いいね。この間の白いワンピースも可愛かったけど」

「は……!?」

「そういやきみ、ダンスは? よかったらこのあとどうかな」


 ぞわりと鳥肌が立った。

 身構えるようにポーチを抱きしめ後ろに下がるアデレードに対し、男の方は「有名な曲やるんだってさ」と呑気に笑っている。例によってそよ風を味方につけ、断られる可能性など微塵も考えていないのだろう。


「冗談やめて! 彼女さんと踊ればいいじゃない」

「え、いないよ? 本命を作る気はないから、おれ」

「あのときの薔薇は? 誰にあげたの」

「薔薇? あー、あれはお兄ちゃんの彼女が来たからさ、」

「お兄さんの彼女に手を出してるの!? 最低!」


 一瞬の沈黙のあと、あたりに笑い声が響き渡った。腹を抱えて笑う男の様にアデレードの顔がかっと熱くなった。今の会話のどこに笑う要素があったのか。何が可笑おかしかったのか。明らかなのはこの男がアデレードの発言を笑っていることと、女たらしの最低男だという事実だ。

 ふと視界の端になにかが小さく映りこんだ。男の向こうに見えるのはきらびやかな庭園。談笑する楽しそうな人々。その中にアデレードの探し求めていた色があった。滑らかな蜂蜜色が薄明かりを弾く。


「ウィルトール!」


 大好きな藍色の双眸が緩やかにこちらを向いた。見慣れた面差しが小さく目を見張る様がやけにゆっくりと映りこむ。




 そこからどう動いたかは自分でもよくわからなかった。気づけば男の脇をすり抜けていて、そのままウィルトールの胸に飛びこんでいた。


「アディ、どうした──」

「助けて! 変な人がいるの。馴れ馴れしくて、気持ち悪くて……!」


 抱きとめてくれた彼の眼差しに鋭い光が宿った。アデレードの後方を見据えながら彼女を背に庇う。

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