第18話 孤児院『希望の光』



「―――はぁ、はあ、ちくしょう。あいつらどこ行ったんだ?」


 息を切らしながら辺りを見渡すもあの三人組の姿は見つからない。

 あれから徐々にに粘着力を失っていった物体を力づくで振りほどいたヴァン。逃げていった方向に全速力で追いかけたが、完全に見失ってしまった。

 まだ軽くべたつく手足に違和感を感じながら歩いていると、肩に何かがぶつかる。 


「あらら、誰かとおもったらヴァンくんじゃないですか?」

 

 顔を上げると、黒いローブを着た黒髪の女性が笑顔で名前を呼ぶ。二十代後半といった大人の印象を持っているが、笑顔になると両方のえくぼが目立ち少女にも思わせる。


「げ、テレスがなんでここに?」

「ちゃんと前を向いて歩かないといけませんよ。後、誰かとぶつかってしまったことに気付いたのであれば、まず謝りましょうね」


 幼子を諭すような口調で喋りかけてくるのに対して、ヴァンは口をとがらせる。


「じゃあ、テレスだってぶつかってんだから、まず謝れよ」

「あらら、確かにそれはその通りね。ヴァンくんごめんなさい」

「べ、別に謝ってほしいわけじゃねぇけど」

「あらら、謝れといったのに謝ってほしくないって、じゃあどうすればよかったのですかねぇ」

「最初にテレスが謝れって言ったんじゃんか」

「あら、そんなこと私は言ったかしら?」


 にこにこと常に笑顔を絶やさないテレス。

 のんびりとマイペースに喋るテレスにどうにも調子が狂わされるヴァンは無造作に頭を掻きむしる。ふと、改めて見渡してみると、テレスが何故ここにいるのか分かった。


「ああ、こんな所にきちまったのか」


 追いかけるのに夢中になっていて気付かなかったが、〈希望の光〉という看板を見て、自分の居場所を把握した。

 その看板が掲げられているおんぼろの平屋。ここは親を失くした子供たちが住まう孤児院。


「こんな所とは酷い言われようね。これでも毎日掃除をしているのよ」

「別に汚いとは言ってない」

「あらら、確かにそうね。うふふ、笑っちゃうわ」

「なにが面白いんだよ」


 口元を手のひらで押さえて、笑いを堪える。何を言っても笑いそうなテレスは間違いなく笑い上戸なのだろう。

 この孤児院はテレスを含める数人の大人たちが家長として仕切っており、そのなかでも若くして子供たちの母親代わりを務めているテレスは皆から〈マザー〉と呼ばれている。


「ヴァンくんは人を笑顔にさせるのが本当に得意ね」

「テレスが勝手に笑ってるだけだ」

「あらそうかしら。……そういえば、いつになったら来てくれるの?」


 慈愛に満ち溢れた笑顔を見せて顔を近づけてくる。ヴァンにとってはお節介焼きの笑顔でしかなかったが。


「何の話だ?」

「希望の光に一緒に住む話よ。毎日いつになったら来るのかしらねぇ、と待ちぼうけているのよ? もう待ちくたびれてしまったくらいに」


 またその話か、とうんざりした顔で返事をする。


「だ、か、ら、俺はこんな所に住むつもりはないって何回も言ったじゃねぇか」

「あらら、それは残念ねぇ。……お試しに一週間くらいどう?」

「嫌だ!」


 何度も聞いたセリフにきっぱりと断るヴァン。

 顔を合わせる度に何故だか希望の光に勧誘してくるテレス。


「マザーこんな所にいたの……あ、ヴァンだ!」


 二人の声を聞きつけて、希望の光から出てきた大きなぬいぐるみを両手に持つ少女。ヴァンの姿を見つけると走り寄ってくる。


「ん、エレインじゃねえか」


 走り寄ったエレインはそのまま飛び込むようにヴァンに抱きつく。ぬいぐるみを落とさないように間に挟んで。


「ヴァン、この前お兄ちゃん達助けてくれて、ありがと」

「おう、朝飯前だ! お前もあの時、自警団のおっちゃん達呼んできてくれたんだろ? 俺はあんまり覚えてないけど助かったぜ」

「えへへ、褒めて褒めて」


 ヴァンは少し乱暴にだが頭を撫でる。ひとしきり嬉しそうな顔をして満足したエレインは、隣に立ったテレスに今度は抱き着く。


「ふふ、エレインは本当にヴァンくんの事が好きなのね……エレインもヴァン君が希望の光に一緒に住むことになったら嬉しいよねぇ」

「えっ、うん嬉しい! ヴァンも一緒に住むの?」

「住まねえし、だからやめろって!」

 

 油断も隙もあったものじゃない。

 強めの声で怒鳴ると、しゅんとしぼんでしまったかのように元気を失くす。

 

「わかったわ。このままじゃヴァンくんに嫌われてしまうものね。それともひょっとしたらもう嫌われているのかしら? それは悲しいわね」

「……別に嫌いじゃないけどよ」

「それじゃあ一緒に―――」

「そういうところは嫌いだ!」


 一歩後ずさって嫌がるヴァンを見て、テレスはまた笑う。こんどは口元ではなくお腹を押さえて。よほど楽しかったのか、つられてエレインもけらけらと笑い始めた。

 

「―――ああ、面白かった。あ、ヴァンくんちょっと待ってちょうだい」


 付き合ってられない、と来た道を引き返そうとしたところを引き留められる。

 よくよく考えれば、スクラップホールに集めた上等なガラクタを置きっぱなしにしている。まだそこまで時間が経ったわけでもないが奪われてしまうかもしれない。いつも嗅覚鋭く人の獲物を奪おうとしている輩はなにもあの大中小の三人組だけじゃない。それに、ガラクタの上にガラクタの山を作っているだけなので、今回ばかりは盗られたところで何も言えない。名前が書いているわけでもないのだから。


「なんだよ、こう見えて忙しいんだぜ俺」


 振り返ってみると、テレスの思いがけない表情に驚く。

 常に、にこにことした笑顔のテレスだったが、普段見せる姿とは違う真剣な表情をヴァンに向けている。


「エレイン達を守ってくれてありがとうございました。心の底からあなたに感謝しています」


 深々と頭を下げる。それは子供であるヴァンに対する単純なお礼ではない。命の恩人に対して感謝の意を込めた最大限の礼儀として、テレスは深く頭を下げ続けた。

 それを見たヴァンは慌てて近寄ってくる。


「待て待て、いいってそんな。何やってんだよテレス! 別に俺はそんな大した事はしてねえんだ! いや、むしろ俺がアルガ達に助けられたかもしれないんだ……ちょっとむかつくけどよ」

 

 ゆっくりと頭を上げたテレス。慌てふためくヴァンの姿を見て、すぐに両頬にえくぼができあがる。


「うふふ、それをアルガ達が聞いたら喜びそうね……ねえ、エレイン?」

 

 寄り添うエレインに顔を向けると大きく頷いて見せた。


「うん、だってお兄ちゃんたちいつもヴァンのこと」

「んあ、俺のことなんか言ってんのか?」


 そこまで言ったエレインは急に言葉を詰まらせて、わざとらしく視線を泳がせる。


「えっとぉ……あ、そういえばマザーから頼まれてた仕事やらなきゃ! ばいばいヴァン」


 ぬいぐるみをしっかりと抱きかかえて走り去っていくエレイン。希望の光に入っていくのを見送ってからヴァンは首を傾げた。


「なんだってんだ。……まあ、どうせつまんねぇ悪口でも抜かしてんだろ」

 

 不機嫌な様子のヴァンの隣で笑うテレス。本当にいつでも笑っている。


「そんな事ないわ。むしろその逆であなたのことをいつも『羨ましく』思ってるのよ」

「はあ? あの馬鹿兄弟たちがか?」


 いつも蔑んだ眼で嫌味しか吐いてこないあいつらが俺の事を『羨ましい』? そんなわけがあるはずない。


「ヴァンくんの前では強がってみせてるのだろうけども、家の中ではいつもあなたの話で持ち切りなのよ。『今日もあいつはまるで歯が立たないほど強かった』『市場でスリを捕まえた時、まるで風のように速かった』って」


 嘘などつきそうもないテレスを疑うわけではなかったが、にわかには信じられなかった。


「希望の光にはエレインと同じ位の歳の子供が他にもいるのだけど、アルガはその中でも一番のお兄さんだから、眠れずに駄々をこねる弟や妹たちにあなたの話をするの。まるで自分のことのように眼を輝かせてね」


 あのアルガがそんなことを。想像しようとするが、偉そうに腕を組んで馬鹿にしてくる姿しか思い浮かべられない。いつだって、ヴァンの知っているアルガは何かしら馬鹿にしては、突っかかて来たのだから。


「ヴァンくん。今もこの町を出て、冒険者になりたいって思ってるのよね」

「うん、そうだ」

「そっか、私は物騒なことは嫌いよ。だから、毎日のように冒険の話をしているアルガ達が少しだけ心配だわ。でも男の子だからしょうがないのかもしれないわね」

「け、あいつらと一緒に子供扱いすんなよ」

「あらら、ごめんなさい。そんなつもりはなかったのよ。ただ子供たちにはできる限り危険な目にはあってほしくない。それはあなたも同じなの。……でも、あなたが心からなりたいという気持ちがあるのならば、それを止める権利は私にはないわ。それは、血のつながっていない母親だからというわけでは勿論なくてね」


 母親という言葉にいまいちピンとこない。ヴァンには物心ついた頃から母親がいない。もしいたとすればテレスやフィーナみたいにいらぬお節介を焼いてくるのだろうか。

 ぼんやりと考えるヴァンの前で、いつの間にかテレスは空を見上げていた。スクラップホールから少し離れたここからなら、澄み切った青空を見る事ができる。


「あなた達にはどこまでも羽ばたくことのできる翼がある。大空に飛びだっていく子供たちを親鳥はただ見守ることしかできないわ。少し寂しく思うけれどもね」


 翼、か。

 『――誰もが持っている、白き翼を羽ばたかせろ』 

 ぼろぼろの本に記さられたギルバートの言葉を思い出す。


「……俺の背中にそんなのが本当にあんのかな?」


 繰り返すつまらない毎日。いつまでたってもこの町から外の世界に飛び出す目処は立たない。このまま時間だけが過ぎていって、いずれは虚ろな眼で生きることの楽しみを忘れてしまった、この町の大人たちのように心が灰色に染まってしまうのではないか。

 そんなつもりは断じてない。スクラップホールで偶然拾った〈果てのない冒険を求める君に〉という本の中でギルバート・ガルメリオンと出会った時、心に誓った熱い思いは決して嘘ではない。

 ただ現実は思い通りにはいかない。燃えるような熱い思いは燻るばかりで、行き場のない悔しい感情をどうすればいいのか、ヴァンにはわからなかった。

 

 珍しく俯いている姿を見てテレスはその場でローブが汚れてしまうのもお構いなく膝をついた。同じ目線になったその頬に手のひらを添える。目の前にいる少年の心に届くようにと語りかける。


「ええ、もちろん。あなたの背中にもあるわ。それも皆に勇気を与えてくれる〈希望の翼〉が」


 希望の、翼。

 俯いた顔を上げる。眼と鼻の先で温かに微笑むテレスが迎える。


「あなたの存在はこの希望の光に住む子供たちに、光輝く希望を与えてくれているわ。その証拠に、この家に住み始めた時は塞ぎ込んでばかりで、外にすら出る事も億劫になっていたアルガ達を元気づけてくれた。ううん、子供たちだけではなくてこの町に住む大人たちにもきっと同じことが言えるわ」


 あの何もかもを諦めてしまったかのような大人たちを元気づけている。

 とてもそんな風には思えなかった。ヴァンの知る大人達は大抵、夢や希望と言った話を邪険に扱う。そんな一銭にもならない話をしているなら、ぼうっと空に浮かぶ浮島を見ている方が心が救われる、そう言わんばかりに。

 

「ふふ、納得いかないって顔ね。自分では知らないうちに周囲に影響を与えていることって結構あるのよ。それにあなたはいつだって元気よくこの町を飛び回っているのだもの。その姿を見て心動かされる人はきっといるはずよ」


 それでも表情を変えないヴァンに少し困った顔になる。

 

「あらら、ヴァンくんらしくないわね。いつもだったら『当たり前だろ! だって俺はギルバートみたいな最高の冒険者になるんだ』って言ってる頃なのにねぇ」


 すくっと立ち上がったかと思えば、ヴァンを抱きしめた。優しく包み込むテレスの身体は太陽の光とは違う温かさを持っていて、不覚にも心地よかった。


「―――もし心のどこかで嫌になってしまったなら、やめてしまっても良いのよ。あなたはまだ若いのだから。道は決してひとつじゃないわ。きっと他にも目指す道は見つかるはず」

 

 おっとりとした優しい声が耳に入ってくる。その声は子守歌にも似ていてこのまま眠ってしまいたくなる。


「私にはあなたが求める冒険者という世界を全くと言っていいほど知らないわ。だけれど、ひとつだけ聞いてほしいの。冒険者というのが夢を追い求め、希望を与えてくれる勇気ある者を指すなら、アルガや私にとってもう―――あなたは立派な冒険者よ」


 胸が熱くなる。途端に大声で叫びたくなる衝動に駆られた。

 俺は一体何を考えていたんだろう。そうだ。見たことのない世界を冒険すると心に決めた時から俺はもう、冒険者になったんだ。

 テレスの腕をゆっくり振りほどいたヴァンの顔に憂鬱な影はもう見当たらない。いつも通りに並びの良い真っ白な歯を見せて笑う。


「なぁに言ってんだよテレス。俺が諦めるわけないだろ? だって俺はギルバート最高な冒険者になるんだからよ!」


 高らかに宣言する。すっかり元気を取り戻したその姿を見たテレスは、安心するのと同時にどこか寂しさを感じる微笑みをみせた。

 今にも飛び立たんする雛鳥を見る親鳥のように。


「……さて、そろそろお昼の時間になるけどヴァンくんも一緒にどうかしら。あらら、そんなに警戒しないでちょうだい。ただご飯を一緒に食べようってだけよ」


 テレスの提案に合わせるかのように、腹の虫が騒ぎ始めた。気付けば太陽の光は浮島の頭上へと移動している。よくよく考えてみれば今日は朝から何も食べていなかった事を思い出す。

 

「腹減ったけど、そろそろ行かなきゃ」


 アルガ達と顔を合わせながら食事するのも嫌だったが、それよりもガラクタの事が気になる。一昨日といい、これでまた空振りに終わったならトールの頭は大噴火を起こすに違いない。いくら頑丈とはいえ、これ以上あの強烈な拳骨をもらってしまえば石頭にひびが入るかもしれないのだ。


「あらら、それは残念ね。それにしても今日はどうしてここに?」


 犬猿の仲であるアルガ兄弟が住んでいて、しつこく一緒に住まないかと誘ってくるテレスがいることもあり、ヴァンは滅多にこのあたりには近づかないようにしていた。何かしら理由があって来たのではないか、と考えているテレスに説明をしようとした。

 その時、視界の端で見覚えのある小さな人影が眼に映る。


「あ……見つけた! あんにゃろう今度は逃がさねえぞ!」


 その大きな声の主に気付いた小の男は小さく飛び上がってから素早く逃げた。


「え、ヴァンくん?」


 何が起きたのかわからない困惑気味のテレスに説明することなく、別れの挨拶代わりに、にかっと笑ってから、全速力で男の後を追った。


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