第12話 私は、逃げたくない
「……では、何か切迫した状態のランドルが何者かを手配して、お前さんを攫おうとしたということか。ふむ、よくわからんことが色々とあるな」
「私は、あの優しい叔父様がこんなことをするとは思えません。ですが、昨日そんなやり取りを聞いてしまったので……」
トールはおもむろにブラン酒を飲んでから、疑問を口にする。
「ふむ、その医療魔術師であり魔導研究所のメンバーという男は一体何者なんじゃ?」
「……前回、空飛ぶ商船が浮島に到着したときに、たまたま乗っていたという医療魔術師の方なんです。無料で検診をしてもらえるということで私も父の勧めで診てもらいました」
ふむ、と呟いてから髭を撫でる。何か考える時につい髭に手が伸びる癖があるらしい。
「医療魔術師ってなんだ? つえーのか?」
「いいからお前は黙っておれ」
口を挟むヴァンにトールが野良犬にでもするように、しっしっと手で払う。むくれ顔のヴァンは何度か悪態をついてから三杯目のおかわりを注ぎに行く。
「それは妙な話だな。何故、こんな辺境の町にわざわざ医療魔術師が、誰かれ構わず検診をしにくる必要がある? それに、儂も詳しくは知らんが魔導研究所のメンバーでもあるという立場の人間が理由もなくこんな場所に来るとは思えんし、無償で、というのも引っかかる」
訝し気な表情でユウナを見る。
「え、あの、私も詳しくはわからないんです……その、父から、聞いた話なので」
トールの視線を振り払うように、目をそらす。
明らかに動揺するユウナの表情が気になったが、話したくない内容があるのなら無理に問い詰める必要はない。何よりも気になるのはそこではなかった。
「では、ランドルがお前さんを攫おうとする理由はなんじゃ?」
もし、ランドルが謎の男を差し向けるとして、その理由がわからない。
「……正直わからないのですが、私には考えられない程の膨大な魔力が宿っている、らしいです。憶測でしかありませんが、恐らくそれが理由なのだと思います」
そう言葉にしている本人が、まるで信じられない、といった自分ではない誰かの事を話しているかのような口ぶりで話す。
「それは例の医療魔術師に診てもらってわかったのか?」
「はい、検診をしていただく際に、体内に存在する魔力量を数値にして測る〈魔力測定機〉という珍しい魔導具で測定してもらったのですが……今でも信じられません。自分にそんな魔力が宿っているなんて―――」
年齢の計れない細長い顔に髭などは無く中性的な印象を思わせた。線のごとく開かれた細目を向けて、軽快に喋り始める男を思いだす。
『―――これはこれは素晴らしい……っと、失礼致しました。自己紹介が遅れていましたね。私は〈アーヴァイン〉と申します。覚えてもらわなくて結構ですよ、忘れてくれた方が良いくらいです。さて、ユウナさんと言いましたね。貴女の身体には同年代の女性では考えれない程の魔力量が存在しています。だだっ広い砂漠の中にそびえ立つ巨塔。雲を穿ち大空のその先へまで達するほどに飛びぬけた魔力……本当に、素晴らしい』
理路整然と話す口調の中に言い知れぬ冷たさを感じた。足のつま先から、頭のてっぺんまで舐めるように見られた後に垣間見せた、あの冷酷な笑みが記憶の中からべっとりと張り付いて忘れる事ができない。
「膨大な魔力……確かに、ランドルの言う通りお前さんは〈神子〉であるのかもしれないな」
「ずずずぅ―――ぷはぁ。なあトール爺、神子ってなんだよ?」
やはり聞いているだけでは物足りないヴァンが口を挟む。またお前は、と嫌な顔をするトールだったが、鼻息をひとつ鳴らしてから説明する。
「普通の人間では考えられない程の魔力、腕力、もしくは文献にも載っていないような特殊な能力。そういったものを産まれながらに宿している者の事をそう呼ぶんだ」
「ふーん、とにかくユウナはすげえ奴ってことだ!」
ヴァンの言葉にトールは応えない。話に横入りするなという鬱陶しさからではない。神子というのは、その類まれな力から単純に敬いの対象となるわけではなく、とても複雑な存在であることを知っていたからである。
神に愛された子。神に選ばれた子。神に見放された子。
まさに神がかった能力を持つ神子を崇める国もあれば、奇妙な力を扱う神子を蔑みの対象として見る国もある。恐ろしい破壊力のある神子を戦争の道具として機械的に扱う国は珍しくない。
「私は……私は、神子なんて、そんな大した人間ではありません!」
心底拒絶するユウナの言葉。沈黙が小さな空間を包み込む。しばらくの間聞こえてくるのは、上品に、とはあまりにも程遠いヴァンの咀嚼する音だけが響いていた。
「―――ごっそさん!」
最初の一杯目と変わらずのスピードであっという間に食べ終えてしまったヴァンは、満足気な表情で聞く。
「ああ美味かった……でも、ユウナの魔力がすげぇからって、なんで攫うんだ?」
「わかりません。叔父様はとにかく『浮島の住人の為』『時間がない』と言っていましたが……見当もつきません」
途方にくれ俯くユウナをその眼に映して、トールは思案にふける。
魔力が他よりも優れている。それも圧倒的な魔力量を持つ〈神子〉である少女。
それだけで、武力の強化として国単位の交渉が行われてもおかしくはない。辺境の町であるブランディアに戦など関係の無い話だが、いつの時代でも戦争が絶えない地域があり、いかなる時でも敵を圧倒する力を手に入れたいのだ。
それにユウナは、格好こそ今はみすぼらしいが、身なりを整えれば一流貴族の娘と遜色ないほどの容姿でもある。下品な考えを持つ金持ちが大枚をはたいて手に入れたいと話を持ち掛けている可能性も無きにしも非ずだ。
それでは浮島の金策面の打開策として、ユウナを売るつもりなのか。
いや、それはおかしい。だいたい浮島は緊急性を要するほど金策面に関しては問題は抱えていないはずだ。下の町のほとんどの住民が思い描いている程にではないが、それなりに潤いを保っているはずである。
ブラン酒の販売。浮島は主にブラン酒を外の町や国に出荷してまかなっている。
下の町は現在、酒造することすら行われていないが、浮島ではブラン酒の製造、販売が引き続き行われていた。
浮島には、浮遊魔石の暴走以前からブラン酒の管理をしていたトルシェンとランドルがいる。ブランの実とそれを造る工場さえあれば、香り豊かな完璧なブラン酒を造ることができたのだ。
だが、浮島にはブランの実がなる木はどこにも生えていない。そこで町長となったランドルは閃いた。下の町の人間にブランの実を大量に集めさせれば良い。
連絡船で運び、浮島で酒造し、それを定期的に訪れる空飛ぶ商船に売る。
浮島の金銭面は潤い、尚且つ下の町に仕事を与えることによって〈復興〉という名目に顔が立つ。まさに一石二鳥の良案であった。下の町の労働者に払われる給金の少なさを除いてだったが。
少ない給金ながらも、仕事がないよりかは良い。
苦肉の思いから下の町で働こうとする者のほとんどは〈ブランの実を摘み取る〉という仕事に就いた。
皮肉な事に、ブランの実を収集する仕事に携わる者の中には、元ブラン酒の製造に関わっていた人間もいた。仕事口の少ない下の町で、家族を養うためにはしょうがないと割り切る者もいれば、我慢ならず途中で抜け出してしまったものもいる。
それでも、収集する者がいなくなるわけではない。生きていく為には働けるということが何よりも必要だったのだ。
こういった理由から、浮島の財政事情は潤沢という程にではないが人が生きていく分には充分な余裕がある為、わざわざランドルの大事な姪にあたるユウナを金に換える必要はない。
では、金の絡まない事でユウナが浮島の緊急を要する問題に必要とされるのは何故か。
「―――……ふーむ、考えても埒があかないな。直接、トルシェンやランドルに話を聞いた方が早いだろう」
「え、では浮島に来ていただけるのですか?」
首は全く見えなかったが、ユウナより一回り大きな顔を左右に振る。
「いや、下の町に来てもらう。……お前さんは知らんかもしれんが、トルシェンは暇があれば下の町で開かれている集会に来ている」
それは全く知らなかった。仕事が休みの日に夜遅く帰ってくる事があるのは知っていたが、まさか下の町に赴いているとは思わなかったのだ。
「お前さんは顔にでるからわかりやすいの。知らんのもしょうがない。できる限り極秘裏に動いているはずだからな」
「それは、何故でしょうか?」
「集会というのは、浮島と下の町の確執を無くす為の集まりだからだ。簡単に言えば、〈ブランディア〉という町を本当の意味で復興する為の集まりだな」
傾げる首は戻らない。その集まりに参加するのに、どうして極秘裏に行動しなければならないのかユウナにはわからなかった。むしろそれは褒められる行動のはずなのに、どうして父がこそこそとしなければならないのか。
「復興を快く思わない浮島の人間がいる、そう考えたことはないかの?」
「え、そんな人がいるんでしょうか?」
深いため息を吐く。良くも悪くも、トルシェンら夫婦はこの子を大切に育てたのだろう。世間のうごめく闇などから遠ざけるように。
トール自身もこのような話を若い者に話したくはなかったが、首をかしげるまだ幼い少女に、ゆっくりと説明する。
「ああ、お前さんには信じられないかもしれないが、そういったものがおるんじゃ。復興に使われる金や労力は、浮島の財政面を少なからず削る事となる。すると自分らの生活がそのうち脅かされるのではないかと、保身に走ってしまうのだ。だから精力的に復興の活動する者を快く思わない。それは浮島にとって重要人物であるトルシェンも同じだ。いや、重要人物であるが故、狙われる可能性が高いだろう」
言葉を失うユウナだったが、トールは続ける。自分の子に説くようにして。
「浮遊魔石の暴走から五十年。地上から離れた浮島の住人は歳月を重ねる毎に、下の町の住人との確執は酷くなる一方だ。自分たちは高貴な者と言わんばかりに、下の町の住人を蔑む眼は着々と濁っていく。それはただの勘違いだというのにな。たったの五十年で同じ町に住んでたものがここまで対立するのだから不思議でしょうがない……そんな顔をするな。お前さんを責めるつもりは全くない。決して子供は何も悪くないんじゃよ」
唇を噛みしめる。フィーナも言っていた『子供は悪くない』という言葉に、悔しさを覚えた。もちろん、その感情の矛先は目の前にいるトールにではなく、問題の蚊帳の外にいる自分に対してだ。
そんなユウナの表情から読み取ったのか、少し間を開けてから真剣な口調で続ける。
「―――だがな、ユウナよ。お前さんが子供でもこの状況を知らなくて良いというわけではない。この天と地に分かれる町に住むものとして、酷であるかもしれんが、無知であることは、問題から眼を背けているものとなんら変わらないのだ。まあ、聞くところにお前さんはもうある程度この町の惨状を目にしたんじゃろう。なら、もうわかっているはずだ」
気が弱く、世間知らずな一面を感じさせるが、涙ぐんだその眼は聡く、慈愛に満ちた光が見える。この子なら大丈夫だ、とトールはあえて強く言い放つ。
「…………」
様々な感情が言葉を詰まらせる。
浮島の住人であるユウナに対する冷たい視線。
できる限り関わりあいたくないという拒絶の意思。
悪環境で必死に生きる住人達の姿が頭を巡っては倒れそうになる。泣き出してしまいそうになる。今すぐにここから逃げ出してしまいたい。
でも、それは違う。いつまでも閉じこもっててはいけない。子供から大人になるために、もう眼を背けたくない―――私は、逃げたくない。
ユウナは唇を噛みしめたまま、深く頷いた。
「ふむ……いや、すまんの。歳を取れば取るほど説教臭くなってしまってしょうがない。儂も自分を見つめなおさんといかんなぁ」
「そうそう、トール爺は説教が趣味の最悪のクソ爺だ。それに浮島に行かないのは単純に高い所が苦手なだけだし、別に気にすることないぞユウナ!」
「やかましいわ馬鹿息子め!」
右から左に聞き流していたヴァンは、何かしら説教を食らって落ち込んでいるだろうと勘違いしたままユウナを励ます。
トールの老人とは思えない跳躍から繰り出される〈ジャンピング拳骨〉。
「――――痛ってぇええええええ!」
鈍い音の次に小さな空間にヴァンの悲鳴が轟く。
この親子にとってみればいつも通りのやり取りに過ぎないが、それはユウナにとっては新鮮で斬新な光景だった。ちょっとした劇にも見えて、やはり堪えきれずにつぐんでいた口から吹き出してしまった。
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