第13話 つかの間のシャワータイム




  

「もう夜になってしまったことだ、今日は泊まっていくと良い。まあ、そこらのゴミ捨て場よりかは少しはマシじゃろう」

 

 遠慮ぎみのユウナだったが「じゃあ、どこか別の寝床でも探しにいくか?」と真っ暗な外を指差され、即座に甘えることにした。街灯など存在しない下の町で、土地勘のない少女が出歩くのはそれこそ浮島の住人であることなど関係なく自殺行為にも等しい。

 台所が片付いている様を見て驚いたトールに、是非食べてもらいたいと鍋の蓋を取ると、鍋の底が見えるだけで綺麗さっぱりなくなっていた。

 

「そ、そんなぁ。もう、ヴァンさん食べ過ぎですよ!」


 その内帰ってくるトールの分も計算して、一番大きな鍋を使って作ったのだが、そのほとんどがヴァンの腹に収まってしまったようだ。わりいわりい、と頭を掻きながら謝る。


「まさか家でこんな美味い料理が食えるとは思わなくてよ、止まらなくなって全部食っちまった。ユウナって本当すげえよな。バンザが作る料理が一番だって思ってたけど、同じ位美味かったぞ」

「え、そんな大げさですよ」


 そうは言ってみたものの、ヴァンの言葉につい笑みがこぼれてしまう。家族以外に自分の料理を振る舞ったことなどなかったユウナは嬉しさに怒る事を忘れてしまう。


「ほう、儂のつまみを勝手に使った上に、全て食いつくすとは良い身分じゃないか馬鹿息子め!」

 

 その代わりに飛んでくる拳骨をなんとか躱したヴァンはユウナの後ろで言い返す。


「別に良いじゃんかよ。干し肉全部食っちまったわけじゃねぇんだし」

「ご、ごめんなさい。勝手に使ってしまって」


 続いて謝るユウナを一睨みしてから、ふん、と鼻を鳴らす。


「まあ、良いだろう。こんど儂の許可なくつまみ食いでもしてみろ。拳骨じゃ済まさんからな」

 

 ほっとするユウナの横で「けっ、いつも独り占めしてるくせによクソ爺」と小さく悪態づいてから、急にヴァンはきょろきょろと辺りを見回す。


「どうかされたんですか?」

「あれ、俺の剣は?」


 それは刀身が赤茶に錆びついた剣。柄がなければただの鉄の塊に過ぎないガラクタをヴァンは密かに気に入っていた。今まで、スクラップホールから剣を拾ったこともあったが、どれもヴァンが使うとすぐに折れてしまった。見てくれは今まで拾った中でもダントツに悪かったが、あのガラクタは歴戦の戦士さながらの男の剣圧にも耐えてみせたのだ。


「あ、あの剣でしたらまだ工場内にあると思います。なんだか、凄く重かったみたいで誰も持ち上げられなかったんですよ」


 赤い顔をして地面に張り付く剣を持ち上げようとする自警団を思い出す。一人また一人として挑戦したが遂に誰も持ち上げることができなかった為、そのまま置いてくることにしたのだ。


「そうか、じゃあちょっくら取ってくる!」

「え、身体の具合は大丈夫なんですか?」


 今更ながらユウナは気付いたが、つい先ほどまで死闘を繰り広げていたのだ。応急処置程度は自警団の一人が施してくれたが、それでどうにかなるものではない。立ち上がって、何でもないように歩いたり、お腹いっぱいに食事できることすらおかしいのだ。


「ん、ああ。俺って傷の治りがめちゃくちゃ早いんだよ、だから気にすんな」

 

 そう言い残して夜の闇に消えていく。心配そうにその後を見つめるユウナの背中ごしでぶっきらぼうに「心配いらん」とトールが言う。


「あの馬鹿に手を出そうとする大馬鹿はそうそうおらん。心配するだけ無駄じゃ。さらなる厄介事を持ってこられる心配はあるがな」


 息子が夜道に出歩くことにまるで気にしていない風に言う。

 確かに、ヴァンには少年とは思えない程の身体能力があることを知っている。ちょっとした武器をぶら下げている輩でも簡単にやられてしまうようには思えない。

 でなければ今、自分はここにいないのだから。

 トールの言葉を真に受けてから、台所に戻る。

 

「その、お腹は空いていませんか?」


 空になった鍋や食器を洗いながら窺う。


「構わんよ。パブロの店で……ああ、酒場でつまみを幾つか食ってきたからの」

「そうですか、でもそれだけで済ますのは身体に悪いですよ」


 思いがけない心配する言葉に驚きつつ笑顔を見せる。


「がっはっは。お節介焼きなのは母親譲りじゃな」

「お母様の事もご存じなんですか?」


 この老人は何でも知っているのではないかと眼を丸くする。


「いや、そこまで知っている間柄ではないがな。―――まだ、連絡船が浮島と下の町を行き来して間もない頃だ。その頃から密かに集まっていたんじゃが、ある時トルシェンが連れてきた。「僕の嫁です」とお前さんみたいに顔を真っ赤にさせて若い娘を紹介してきた時には驚いたものだ」

 

 お前さんみたいに顔を赤く、と言われてつい顔が熱くなる。

 お父様もこんな風に赤くなる事があったのですね。 

 初めて聞くエピソードに、思えば親たちの馴れ初めなど聞かされたことがなかったことに気付く。


「その時に初対面であるお前さんの母親が言ってきたんじゃよ。『夫からトールさんのお話しを聞いております。お酒を毎日の様に飲んでいることも。身体に毒なので少し量を減らしたらどうですか』とな。その時はなんとお節介な娘だと思ってしまったものだ」


 その頃の事を思い出したのか、もう一度大きな声で笑いだす。

 いかにも言いそうな台詞だな、とその話からありありと母の姿を思い出したユウナは、途端に浮島の我が家が恋しくなってきてしまった。

 お母様、心配していませんでしょうか。心配性のお父様は無茶しなければいいのですけど。 


「なあ、お前さん」

「――あっ、はい!」


 不意に声をかけられ我に返ると、険しい顔をしたトールが近づいてくる。


「ど、どうしました?」


 目と鼻の先といった所で止まると、鼻をひくひくさせてから何か納得した表情で頷く。


「ふむ。やはりお前さん、臭うな」

「へ?」


 いきなり何を言い出すのかと、顔が熱くなるのを感じながら気付く。顔や手を洗いはしたが、服にはべっとりと人間の血が染み込んでしまっているのだ。下の町に降りて来てから今まで嗅いだことのない刺激的な匂いを嗅いでいたこともあり、鼻が麻痺しているのかもしれない。今この瞬間まで自分の匂いや汚れなんて完璧に忘れてたのだ。

 トールに指摘されて、心から恥ずかしいのもあったが、改めて生々しい血の匂いが舞い戻ってくるようで、急激に襲い掛かる吐き気に眩暈がする。


「ほれ、シャワーでも浴びてくるといい」


 シャワー? その言葉に眩暈が止まった。


「……まさか、この家にはあの〈シャワー〉が備わっているんですか?」


 確かにトールは魔道具を作る発明家だという話をヴァンから聞いていた。今、この部屋に散乱する、数々の魔道具。

 手が震えそうになる。吐き気も忘れ、ユウナはゴクリと唾をのみ込む。


「ふむ。まあ、王都の貴族が使っているような上等な設備ではないが……儂の手作りの魔道具だがら、そこまで―――」

「シャワー、本当にシャワーなんですね!」


 キラキラとどこかで見たことのある眼の輝きを発しながらトールの両肩を掴んでくる。人が変わったかのようなユウナに驚いたトールだったが、ひとつ咳払いをしてから奥の木製の入口を指差す。


「……そこの、扉じゃ。ええい、早くその手を放して浴びてこんか!」


 興奮する手を振りほどくと、満面の笑顔のままユウナは扉に向かっていく。心なしか踊るような足取りで、扉の前に着くと振り返って向き直る。


「やっぱりトールさんって素晴らしい発明家なんですね!」

「……ふん、やかましいわ!」


 そこに何があるわけでもないのに、そっぽを向いたまま顔を見ようとしないトール。聞こえないように小さく笑ってから扉を開けた。

 

 風呂場の独特なかび臭さを感じながらも、思っていたよりも広い空間に驚く。元よりこの家にあったというよりも後からこの空間を付け足したという雰囲気だった。今までいた部屋よりは少し狭くした空間。扉近くに棚があり、そこに乾いたタオルが何枚かあった。何枚か汚れている物もあったが、その中でもパッと見一番綺麗なタオルを選び、その横に脱いだ衣服を置いていく。


 フィーナさんから借りた服、ここまで汚してしまったけれど落ちなかったらどうしましょう。

 不安になる気持ちもあったが、とりあえず今は身体の汚れを今すぐにでも落としてしまいたかった。綺麗になって、それから考えることにしよう。

 心臓が高鳴る。初めて上がる家で裸になっていることも、木製の扉に鍵がついていないことも高鳴らせる理由ではあったが、ユウナの心を一番にワクワクとさせたのは他でもない。


「これが……シャワー?」

  

 壁からひょこっと顔を出している、犬なのか猫なのか判断できなかったが、とにかく獣らしき顔が大きな口を開いている。想像していた形とは少し違っていたが、口の中を軽く除いてみると、小さな穴が点々と開いている。ここから水が出てくるのではないか、直感的にそう思ったユウナは獣らしき顔の顎から、伸びている紐を引いてみる。

 きゃっ、と悲鳴を上げそうになったのを堪える。

 獣の口から勢いよく温かいお湯が吹き出されてきた。念のため、最初は手のひらをかざしお湯であることをを確認してから、ゆっくりと頭から浴びていく。

 細い線状となった温かいお湯が頭を、肌を、心地よい刺激が包み込む。初めての感覚に吐息と共に声が漏れる。


 王都の貴族が湯あみをするときは、火魔法で暖めた湯船のお湯で身体を洗うのではなく、水魔法と火魔法を連結させて造りあげた魔道具〈シャワー〉で身体を洗うのが基本である。

 とユウナは父の書斎から借りた本により知っていた。

 いつか自分も使える時がくればなぁ、と密かに恋い焦がれていたユウナだったが、まさかその時がこの家で味わえるとは思えなかったので、気分は最高潮に達する。


「あぁ。最高です。これを幸せと呼ばずに何を幸せと呼べば良いのでしょうか」

 

 激動の一日だった今日の疲れと汚れが全て洗い流されていく感覚に、ユウナは酔いしれていった。









「―――ただいま!」


 どん、と大きな音を立てて扉をあけ放つヴァン。


「腐るほどに何度も言ったが、もう少し優しく扉を開けることはできんのか」


 怒るというよりも、すでにあきれ果てた様子のトール。それもそのはず、入口の扉に関してはいい加減な力で開けるヴァンのせいで五回は修理しているのだから。


「ああ、わりぃ! それにしても俺の剣、ちゃんとあって良かった!」


 片手に持ったヴァンの身体には少し大きく見える錆びた剣。刀身が見事に赤茶色に染まっている。

 この夜道を片手に剣を持ちながらここまで走ってきたのかと思うと頭が痛くなるトール。また何か厄介事を持ってこなければいいが、とヴァンの持つ剣に眼を向ける。


「―――ヴァン、その剣を見せてみろ」


 真剣な顔で急にそんな事を言われたヴァンは、慌てて背中に隠す。


「い、嫌だかんな! 確かに今日集めたガラクタを盗まれちまって持ってこれなかったから、その代わりにこの剣でも、って最初は思ってたけどよ」

「ほほう、今日はガラクタを集めてこなかった……と聞こえたのは儂の耳が悪くなったせいか馬鹿息子」

「あ、やべ」


 ガラクタの件については黙っているつもりだったが、つい口が滑ってしまう。

 明らかに目の色が変わったトールの眉の辺りがぴくぴく動く。


「まあ、それは後で聞くとしていいからその剣を見せろ」


 渋々といった表情で渡すヴァンから受け取ろうとして―――床に落とす。


「ん? なぁにしてんだよトール爺」


 トールの手から滑り落ちた剣を持ち上げてから再度手渡そうとするが、トールはゆっくりと首を振る。


「……ふむ、もう大丈夫だ」


 何が大丈夫なのか全く持ってわからなかったが、どこか遠くを見るような眼をしたトールは数秒間ヴァンが軽々と持つ剣を見てから、月明りだけが頼りの夜に顔を向けてしまった。

 思っていた反応と違ったヴァンは首を傾げたが、それよりも愛剣が無事自分の元へと帰ってきた事をうれしく思う。相変わらず刀身は赤茶に染まってガラクタにしか見えなかったが、傷の男との一戦でもヒビどころから目立った傷すらついていない、とにかく頑丈なこの剣を大切にしようと心に誓う。

 ふと、あの不思議な声を思い出す。

 小馬鹿にするような口調で頭の中で響いたあの声。

 今、思い返すと少しむかつきはしたが、あの声に助けられたといっても間違いではない。


「なあ、あの時喋ってたのはお前じゃないのか?」


 小声で喋りかけてみても剣は返事をしない。眠ってしまったのだろうか。


「さて、馬鹿息子。そういえば今日分のガラクタの話じゃが―――」

「ああ、今日はめちゃくちゃ汚れちまったなぁ、よしシャワーでも浴びにいこう!」


 視線を合わせずにわざとらしく言ってから風呂場へと駆けこむヴァン。 

 はあ、と深いため息を吐いてからトールはやっと気付く。


「―――ふぅむ。こりゃいかんな」

 

 





 湯気が溢れる一室の中で、驚くほどに真っ白な肌をした誰かがシャワーを浴びていた。それは一瞬、湯気と肌の色が重なりあって、まるで幻でもみているかのような心地にさせている。

 よくよく眼を凝らしてみると、小さく鼻歌を口ずさみながら気持ち良さそうに浴びている、同じ身長程度の少女。背中ごしに見ても、濡れた金色の髪は輝くように光っていて誰なのかすぐに分かった。


「おう、ユウナ! お前も浴びてたんだな」


 声をかけると、飛び上がるようにしてヴァンの方へ振り返る。獣顔のシャワーは変わらず温かなお湯をざぁざぁ吐き出していたが、時が止まってしまったかのようにユウナの動きはピタリと止まる。金色の髪の先からぽたり、ぽたり、と忙しなく滴が落ちていく。

 ヴァンはあっという間に服を脱ぎ捨てシャワーの元へ近づいてくる。無論それはユウナの目の前まで。


「さすがに俺も今日は体中がべたべただ。別に良いんだけどよ。そのままにしておくとトール爺がうるせえし………ん、どうしたそんなに震えちまって、寒いのか―――」


 首を傾げるヴァンの視線を一身に受けながら、真っ白な肌がピンク色から赤に染まりあがった頃。


「―――きゃああぁぁあああああ!」 


 つんざくような悲鳴が響き渡る。

 それと同時に振りかぶった拳が、ヴァンの頬に強烈な一撃をお見舞いした。

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